「わわわ!?」
忽ち、固形物から噴き出した灰色の煙があたりを覆い尽くす。その煙に紛れて、ブラボールはワープゲートをすぐ横に開いた。
渦を巻く黒い異空間へ続くトンネル。巨体をその中に捻じ込みながら、ブラボールは別れの言葉を加奈に告げる。
「さらばだ、セイントミラー・アリス! 次にお前と会う時は戦場で、殺し殺される仲だ! ……だがこうして、ただの顔見知りとして話せた事、悪くはなかったぞ!」
そして、闇に包まれたゲートを通り抜け、ブラボールは人間界から、侵略最前線である魔軍要塞へと帰還した。
要塞のワープ装置が置かれたホールに突如として空間の裂け目が出来て、そこからぺっとブラボールの姿が吐き出される。
人間の姿のままの彼は周囲を素早く見渡して、他に魔軍の姿がない事にほっと安堵の息を吐いて、本来の黒い鎧の姿に戻った。
『ふぅ……誰にも見られていないだろうな? 緊急ポータルはこれしかないからな……迂闊だった』
額の汗を拭って安堵するブラボール。秘密作戦の事は、他の魔軍にも知られてはならない。緊急事態とはいえ、聊か許容しがたいリスクだった。素直に反省する。
が。
本当のやらかしはこれからが本番だった。
『へえー、ここが魔軍の要塞なんだー』
「?!」
背後から聞こえてきた、ウキウキを隠せない少女の声。ブラボールは竦み上がって背後に振り返る。
すると、そこに、居た。
黒い髪に黒い瞳、白い服の少女が、キラキラした瞳で物珍し気に要塞の中を物色している。
「あ、ども、おじさん。なんかぐわーっと開いたから、思い切って飛び込んでみたらこれちゃいました、てへ」
『ば、ばば、ば……』
馬鹿なのかお前!? 全力でそう叫ぶ直前で、ブラボールは辛うじて自分を自制した。ここでそんな大声を出したら、他の魔軍が駆け付けてきてしまう。そうなったらどうなるか火を見るより明らかだ。
いや、叫ばなくとも不味い。
こちらに近づいてくる、カツカツという足音。ブラボールは一瞬の躊躇もなく、自分のマントを引っぺがすと加奈に頭から被せた。
「わぷっ」
『いいな、お前は何もしゃべるな。私に任せろ、わかったな?!』
「(コクコク)」
なんとか少女の姿をマントで覆い隠した直後。ホールに他の魔軍兵士が数人、姿を現した。
蒼色の鱗をもった、蜥蜴人間のような姿の魔族。呪術魔軍の兵士達である。
彼らはホールに佇むブラボールと、その隣の小さな影を見かけて首を傾げた。
「おや、ブラボール様、こんな所でどうしたんすか? そっちの小さいのは?」
『……何でもない。配下の身内が、無謀にも人間界に向かおうとしていたのを咎めていただけだ』
「あー、血気に逸って、って奴ですか。魔人族にもそういう血の気の多い奴いるんすねー。あっしは嫌いじゃないっすけど」
ケタケタケタ、と笑う蜥蜴人間。
その異形を前にして、ブラボールの影に隠れる加奈はぎゅっとその背中に身を寄せた。
「ま、あんまりウロウロしない方がいいっすよ。サウザン様、威勢よく人間界に侵攻したのに、それをしょっぱなで魔法少女にぶちのめされて帰ってきて、くっそ機嫌が悪いっすから」
『わかった。部下にも注意するように言っておく。それではな』
「さいならー」
蜥蜴人間に手を振り、ホールを後にする。大人しく後ろをついてくる加奈に、ちらりと目を向けてブラボールは短く言いつけた。
『……ついてこい。いいか、何を見ても、聞いても足を止めるな』
「は、はい」
それきり、無言でブラボールは要塞内の魔人居住区を目指した。
できるだけ、道中で加奈の心を乱すような存在が居る所は避ける。それでも、ある程度、人間である彼女の心をざわつかせるような言葉が、そこかしこから聞こえてくる。
溶けた蝋燭のような、デロデロとした鍾乳洞のような通路が続く要塞の廊下。そこに住まう者達の性質を示すように、空気はじめっとしていて血生臭い。
いくつもある横穴の向こうからは、魔宴に励む魔族達と、その悪意に満ちた談話が聞こえてくる。
『それでさ、その人間の雌、この子だけはお助けを~、ってさ。酷いよねー、親を失った子供なんて生きていける訳ないじゃん。だからさ、ちゃんと二人とも殺してあげたのさー』
『ひゃはは、お優しいなあお前。俺だったら敢えて子供だけ殺すけどな、けけ』
「…………っ」
恐らく前回の戦いに参加した生き残りだろう、残虐な行為の話に華を咲かせる戦闘員の言葉を聞いて、加奈がぎゅっと拳を握りしめる。
彼女が激発する前に、ブラボールがそっと歩幅を緩めて隣に並び、小さく軽率を咎めた。
『今は堪えろ。それとも、お前も話のタネになっている犠牲者のような、哀れな末路を迎えたいか?』
「…………」
『いい子だ』
大人しくなった加奈に安堵して、ブラボールは再び歩幅を早めた。
一見すると、冷静な錬鉄の魔人。
が、彼もまた、実際の所混乱の極みにあった。
『(私は何をやっているのだ? ここは本拠地、なり立ての魔法少女など数にものを言わせて押しつぶしてしまえば……い、いや、その場合、本拠地に魔法少女を連れ込んだ、という失点が明らかになる。ここで彼女の正体がバレるのは不味い。そ、それに、これは考えようによっては魔王様の密命を果たす絶好の機会。物理的にこちらに引き込む事が出来たのなら、あとはどんな手段を使ってでも、こちらに靡かせればいい……。そうだ、それがいい。善い考えだ)』
いかにもそれっぽい題目を得て、混乱していた考えが急激にまとまっていく。
ちらり、と首だけで振り返ると、加奈はまるでお守りのように、コンパクトを両手で胸に抱きながら、黙ってブラボールの後をついてきている。
そうだ。現状、問題は起きてはいない。少なくとも、他者の認識では。
『(そうだ……他の魔軍に秘密で、魔法少女の秘密を解き明かし、我々が優位に立つ、これは千載一遇のチャンスに違いない。彼女も、事を荒立てるつもりはないようだ。話の持って生き方では、こちらの有利に話を運ぶことも不可能ではない。冷静になれ、ブラボール。任務の、一族の、何より魔界の為に、失敗は許されない……!)』
考えがまとまり、ブラボールは覚悟を決めた。
そうこうしている内に、魔人族の居住区が近づいてくる。彼は厳重にロックされた扉を開き、その中に加奈を招き入れた。
『入れ』
「は、はい」
おっかなびっくり、加奈が隔壁の中に足を踏み入れる。
それを確認して、ブラボールは慎重に扉を閉ざした。
ガコン。
重々しい音と共に扉が閉ざされ、いくつものロックがかかる。
完全に隔離された閉鎖空間の中で、ブラボールは傍らの少女を見下ろした。
さて。
この、虎穴に入ってきた獲物を、どう調理するべきか。
魔軍幹部として、ブラボールは冷徹に考えを巡らせた。
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