あるのは、駆除すべき害虫の急所を的確に把握し、退路を完全に断つための冷徹な計算だけだ。
「……底の浅い悪意だ」
モニターに映し出された抽出完了のプログレスバーが100%に達したのを確認し、男は低く呟いた。
場末の歓楽街の路地裏にひっそりと佇む、けばけばしいネオン管の光に照らされた安ホテル。
埃とカビ、そして安っぽい芳香剤の匂いが混ざり合った淀んだ空気が漂う四階の一室で、重く分厚い扉が閉ざされた。
ガチャン
無機質なオートロックの施錠音が室内に響き渡る
それは楓にとって、元の光あふれる世界への退路が完全に断たれたことを宣告する、残酷な処刑の合図だった。
窓を覆う遮光カーテンの隙間から差し込む紫色のネオンが、立ち尽くす楓の青ざめた横顔を不気味に照らし出している。
その隣で、吉田龍我は楓の肩に腕を回し、その胸をいやらしく揉みながら歪んだ笑みを浮かべ、首を鳴らした。
「ずっと考えてたんだよ…このエロい乳でズられたら、俺のチンコもさすがに埋まっちまうだろうなァってさぁ…」
「さあ、シャワーなんてまどろっこしい真似は省こうぜ?どーせすぐに汗まみれになるんだからよォ…」
怯えて後ずさる楓の細い腕を、龍我の汚れた手が乱暴に掴み上げる。
悲鳴を上げる間もなく、強い力で引き寄せられた楓は、そのまま部屋の中央にある安っぽいスプリングのベッドへと力任せに突き飛ばされた。
「うあっ……!」
シーツに沈み込み、乱れた髪の隙間から見上げた先には、いつの間にかパンツを下ろし、凶悪なソレをコッチに向けた、捕食者の目を不気味に光らせる龍我が立っていた。
逃げようと身をよじる楓の身体に馬乗りになり、その体重で完全に動きを封じる。
龍我の口から漏れる、酒と煙草が入り混じった熱く生臭い呼気が楓の顔に降りかかり、彼女の全身に凄まじい悪寒と生理的な嫌悪感が走った。
「いい顔してんなァ…ふはっ…前科者の底辺クズの肉便器になる気分はどうだ?」
龍我の指先が、強引に楓のジャージを脱がし、Tシャツの中に手を入れようと腹の下から迫ってくる
抵抗して突き飛ばすことはできるかもしれない。
大声を上げて助けを呼ぶことも。
だが、それをすれば、孝のスポーツバッグに仕込まれたあの白い粉が警察に渡る。
孝が人生のすべてを懸けてきたボクシングという夢が、リングに上がる前に永遠に絶たれてしまう。
その絶望的な事実が、楓の四肢から抵抗する力を完全に奪い去っていた。
ふと、龍我の視線が楓の右手首に止まった。
そこには、色褪せた赤いミサンガが結ばれている。孝が初めて地方大会で優勝した時、お揃いで買った大切な宝物だった。
「なんだこれ。ガキのままごとか?」
龍我は鼻で嗤うと、楓の悲鳴に似た制止の声を無視し、そのミサンガに太い指をかけた。
ブチッ
鈍い音と共に、二人の絆の象徴が呆気なく千切られる。
龍我はそれを床に放り投げると、薄汚れたスニーカーの底でぐりぐりと執拗に踏み躙った。
「ッ…は…っ…あ…やめ……やめて……」
「今頃、あの優等生クンは自分のバッグに何が入ってるかも知らずに、プロデビューの夢でも見てグッスリ寝てるんだろうなァ」
過呼吸気味になった楓の目から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
龍我は嗜虐的な喜びに顔を歪め、楓の耳元に口を寄せて、とどめの言葉を鼓膜へとねじ込む。
「泣けよ。どうせ挿れたら最初はイテーんだしよ…せいぜい俺に犯されながら、あいつの顔でも思い浮かべてろ…まァ直ぐに"コレ"のコトしか考えられなくなるだろーけどなァ…?」
楓はギュッと両目を閉じ、自分の唇から血が滲むほど強く噛み締めた。
視界を閉ざしても、絶望が泥のように身体を侵食してくる。
シーツを握りしめる彼女の心の中には、ただひとつの言葉だけが血を吐くように繰り返されていた。
(孝くん、ごめんなさい……ごめんなさい……)
純白のキャンバスが、今まさに真っ黒な汚泥に沈もうとしている。
龍我が卑劣な笑い声を上げ、楓のパンツごと一気に引き下げようと手をかけた、まさにその瞬間だった。
――室内の空気が、突如として絶対零度に凍りついた。
比喩ではない。
実際に肌を刺すような冷気が、密室であるはずの空間を支配したのだ。
むせ返るような龍我の熱気と欲望が、目に見えない巨大な氷塊に押し潰されたかのように、一瞬にして霧散する。
「……あ?」
龍我の動きがピタリと止まる。
背後に「何か」がいる。
本能が発する強烈な警報に、龍我の首筋に冷たい汗が伝った。
ここは四階の密室。
扉にはオートロックがかかっており、チェーンすら掛かっている。
部屋には自分と、眼の下で震える女しかいないはずだ。
だが、ベッドから数メートル離れた部屋の死角。
暗闇に沈む安っぽいベルベットのソファの方向から、それは聞こえた。
カチン、という、金属が硬く噛み合う冷たい音。
それは、重厚なジッポライターの蓋が開く音のようでもあり、あるいは、精巧に作られた銃器の撃鉄が静かに起こされる音のようでもあった。
振り返ることもできず、龍我の全身が爬虫類のように硬直する。
絶望の底で目を閉じていた楓もまた、その静かで暴力的な異音に気づき、微かに目を開いた。
淀んだ空気が支配していた密室に、今、死神の足音が静かに響き渡ろうとしていた。