※この作品はR-18です。

-NTRクラッシャー- 純愛の修復師   作:悲しみのカブ

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Scabiosa

冷気を孕んだ異音の発生源へと、龍我は首だけをぎこちなく巡らせた。

 

 

四階の密室。

施錠され、チェーンまで掛けられた鋼鉄の扉。窓は完全に閉ざされており、侵入経路など物理的に存在するはずのない空間。

その部屋の最も暗い死角、安っぽいベルベットのソファに、それは座っていた。

 

 

漆黒のジャケットを身に纏い、完全に闇と同化した男。

 

 

男は足を静かに組み、手にした重厚なサイレンサーが装着されたグロック17――その銃口を、真っ直ぐに龍我の眉間へと向けていた。

 

先ほどの音は、ゆっくりと撃鉄を起こす冷酷な宣告だった。

 

 

 

 

「……あ?」

龍我の口から、間の抜けた音が漏れる。

 

ベッドに組み敷かれていた楓もまた、涙で潤んだ目を見開き、信じられないものを見るように男を見つめていた。

 

 

どうやって入ったのか。

いつからそこにいたのか。

 

 

気配も、足音も、空気の揺らぎすら一切なかった。まるで、最初からこの部屋の闇そのものであったかのように、男はただそこに実在していた。

 

「……誰だ、てめえ。どこから入ってきやがった」

極度の混乱と本能的な恐怖を誤魔化すように、龍我は喉の奥から唸り声を上げた。

 

持ち前の凶暴性を剥き出しにし、ベッドから立ち上がって男を睨みつける。

 

自分は裏社会にも顔が利くし、少年院上がりで怖いものなどない。

その虚勢が、彼の身体を動かしていた。

 

「今、このアマといいトコなんだよ。邪魔すんじゃねえ。殺されたくなかったら、さっさと消えろ」

唾を飛ばし、肩で風を切るように威嚇する龍我。

 

 

 

だが、ソファに座るアーサー・ビショップの表情には、微塵の揺らぎもなかった。

瞬きすら少なく、彫刻のように冷たい双眸は、ただ「処理すべき汚物」を観察しているかのように感情が欠落している。

 

 

「……孝のバッグに入れた白い粉のことだが」

ビショップの口から滑り出た声は、室内の温度をさらに数度下げるほど低く、平坦だった。

 

龍我の恫喝など全く耳に入っていないかのように、淡々と事実だけを口にする。

 

「あれはただのBCAAだ。中身はすり替えておいた」

 

「……は?」

 

龍我が目を剥くのと同時に、ビショップの傍らのローテーブルに置かれた黒い端末から、ノイズ一つないクリアな音声が流れ始めた。

 

『アイツの夢を守りたきゃ今夜…ホテルに来い。朝までたっッッ…ぷり俺を気持ちよくさせてくれればさぁ…優等生クンの未来は安泰だ』

 

つい一時間前、薄暗い路地裏で楓を絶望の底に突き落とした、龍我自身の醜悪な声だった。

 

高音質の録音データは、龍我の卑劣な恐喝の事実を、逃れようのない形で室内に響き渡らせる。

 

 

 

楓はハッと息を呑んだ。

 

孝の夢を人質に取られていた最悪の枷が、この見知らぬ男の手によっていとも容易く外されたのだ。

 

絶望の沼に沈みかけていた楓の目に、暗闇に座るその男は、理不尽な悪を刈り取るために遣わされた「絶対的な死神」、あるいは「救済をもたらす神の使い」のように映った。

 

 

 

だが、底辺を這いずり回ってきた龍我の悪あがきは、まだ終わらない。

 

一瞬焦りの色を浮かべたものの、すぐに顔を歪めて嘲笑う。

「……ッハ、音声の捏造なんて今の時代いくらでもできるんだよ! そんなモン、俺が仕込んだ証拠にはならねーよ!そもそもバッグから出る指紋は――」

 

 

 

「そうか」

 

ビショップは、龍我の喚き声を短い言葉で切って捨てた。

 

「では、これはどうだ」

 

ビショップが端末のキーを一つ叩く。

 

 

その瞬間、龍我がジーンズのポケットに入れていたスマートフォンが、けたたましいバイブレーションと共に勝手に光を放ち始めた。

 

 

「な、なんだ……!?」

慌ててスマホを取り出した龍我の目に飛び込んできたのは、彼自身の意思とは無関係に、猛烈な勢いで自動スクロールしていく画面だった。

 

 

それは、絶対に表に出てはならない情報の数々。

 

 

パスワード付きの隠しフォルダに厳重に保存していたはずの、裏社会の半グレ集団との違法薬物取引のメッセージ履歴。

 

そして、ジムの月謝を誤魔化し、後輩から恐喝した資金を横領していた詳細な帳簿データ。

 

それらが、まるで手品のように白日の下に曝け出されていく。

 

「な……なん…っ、てめえ……これを……!」

龍我の額から、滝のような脂汗が噴き出した。

 

声を荒げ、動揺で激しく身体を揺らす龍我に対し、ビショップはソファに背を預けたまま、ただ静かに宣告する。

 

「お前が喋るたびに、お前の人生の残り時間は減っていく」

 

感情の起伏が全くない、清掃作業の工程を読み上げるかのような声。

 

それが逆に、龍我の精神をゴリゴリと削り取っていく。

 

「先ほどの恐喝音声と、お前の端末から抽出したこれらのデータは、すでに暗号化され、三箇所のサーバーを経由して送信予約済みだ。宛先は所轄の警察署、ジムの会長、そして――」

 

ビショップの銃口が、微かに龍我の鼻先を捉えた。

 

「お前が薬を横流しして裏切った、指定暴力団の幹部だ」

 

「…………ッ!!」

龍我の顔面から、完全に血の気が引いた。

 

警察やジムに知られれば終わりだが、ヤクザの資金源を横領し裏切っていたことがバレれば、ただの終わりでは済まない。

 

コンクリ詰めで海の底か、生きたまま臓器を抜かれるか。

 

 

「送信まで、あと10秒」

冷徹なカウントダウンが始まった。

 

「ま、待て! 待ってくれ! 冗談だろ!?」

 

「9……8……」

 

「わかった、俺が悪かった! 何でもする! 金なら払う!」

 

必死で命乞いをする龍我の声は、裏返り、惨めなほどに震えていた。

 

つい先程まで「失うものがない」と豪語していた「無敵の人」の論理など、真の強者の前では紙屑にも等しい。

 

自分は盤上のプレイヤーですらなく、ただ一方的に蹂躙され、廃棄されるだけの小さな駒に過ぎなかったのだ。

 

その絶対的な絶望と不条理な恐怖が、龍我の矮小な魂を完全に押し潰していた。

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