夜の底に沈む隠れ家に、静寂が戻ってきた。
湿ったアスファルトの匂いを微かに纏い、アーサー・ビショップは音もなく部屋へと足を踏み入れる。
仕立ての良い漆黒のジャケットを脱ぎ、ハンガーに掛ける所作には、つい先ほどまで凄惨な解体作業を行っていた痕跡など一切見受けられない。
彼の呼吸は、家を出た時と何一つ変わらず規則的なリズムを刻んでいた。
重厚なマホガニーのデスクに向かい、クリスタルグラスに琥珀色のバーボンを注ぐ。
トクトク…
液体の鳴る音が部屋に響き渡ったその時、デスクの片隅で静かなる超常現象が幕を開けた。
出撃前、不吉な黒い泥に侵食され、青白い炎と共に燃え尽きたはずの写真。
その一握りの灰が、まるでビデオテープの逆再生のように空中でふわりと浮き上がり、静かに渦を巻き始めたのだ。
焦げ臭さはなく、むしろ古い図書館に漂うような静謐な香りが広がる。
粒子は空中で精緻なパズルを組み上げるように再構築され、やがてカチンという硬質な音と共に、重厚感のある純白の額縁に収められた一枚の形へと定着した。
そこに写っているのは、泥の汚れなど最初から存在しなかったかのような、木漏れ日の下ではにかむ孝と楓の姿。
不純物を完全に削り落とされ、永遠の輝きを放つ至高の芸術の完成形だった。
しかし、ビショップはその奇跡のような光景を前にしても、感嘆の声を上げることはない。
彼はグラスを置き、銃の手入れに使うものとは別の、極めて目の細かい柔らかな布を手に取った。
そして、新品の額縁の表面に僅かに付着した見えない埃や、自分の指紋すら残さないよう、撫でるように丁寧に磨き上げる。
彼にとってこれは神の奇跡ではなく、己の技術と暴力によって成し遂げた仕事の成果に他ならなかった。
完璧な状態であることを確認すると、ビショップは額縁を手に取り、部屋の最も奥に鎮座する、年代物の鉄製ファイリングキャビネットへと向かった。
冷たい金属の取っ手を引き、重々しい音と共に引き出しを開ける――――
――そこには、彼がこれまでに害虫を駆除し、破滅の危機から救い出してきた無数の純愛の記録が、寸分の狂いもなく整然と並べられていた。
どの額縁の中にも、決して汚されることのない透明な幸福たちが、静かな光を放ちながら眠っている。
ビショップは今回の新たな名画を、キャビネットの指定された隙間へと滑り込ませた。
引き出しを押し込み、専用の鍵を回す。
ガチャン、という重い金属音が密室に響いた直後だった。
不意に、部屋の空気が陽炎のように微かに揺らいだ。
足音も声もない。
しかし、そこには確かに圧倒的な高次元の存在が満ち足りた吐息を漏らしたような、濃密な気配が漂っていた。
至高の芸術を蒐集する
だが、ビショップは虚空に向かって平伏すことも、愛想よく言葉を返すこともしない。
神の賞賛など、彼には必要のないものだ。与えられたライセンスに従い、汚れを排除し、対価を得る。
その冷徹な契約関係と職人の美学だけが、彼を突き動かす唯一の掟だった。
気配が霧散し、再び絶対的な静寂が戻った部屋で、ビショップはレコードプレーヤーの針を静かに落とした。
再び流れ始めたシューベルトの旋律が、夜の冷気を優しく撫でる。
デスクに戻った彼は、琥珀色のバーボンを喉の奥へと流し込んだ。
アルコールの熱が静かに食道を下っていくのを感じながら、彼は目を伏せる。
完璧に修繕された名画が、再び理不尽な悪意に脅かされることはもう二度とない。
あの無知で美しい若者たちは明日もまた、互いの存在だけを頼りに、決して色褪せることのない光の物語をキャンバスに描き続けるだろう。
グラスの氷が溶け、カチンと小さく鳴る。
腕の立つメカニックはただ静かに椅子へ背を預け、次なる修復の依頼が舞い降りるその時まで、果てしなく深い夜の底へと沈んでいった。
気が向いたら、また作ります。