タイラズマ+1(元カノ→妹) ~3人の愛と欲~ 分割版 作:eronosuke
第1話 手折られる自尊心
嵐は激しさを増し、窓ガラスを叩きつける雨粒の音が銃声のように轟く。だが、ベッドの上の二人にとって外界の喧騒など些事に過ぎなかった。平は虚ろな目で天井を見つめている。体中が鉛のように重く、思考は霞がかかったように曖昧だ。
一方、東はそんな彼の隣で静かに髪を梳いていた。慈しむような手つきとは裏腹に、彼女の脳裏には別の人物の影がちらついていた。
元カノ――あの高飛車で愚かな女。
「……ふん」
小さく鼻を鳴らす。平の髪を弄んでいた指が僅かに止まった。
「あの女、まだ諦めてないのかな」
平の身体が微かに強張るのを感じる。東はそれを愛おしむように腕を伸ばし、彼の頭を優しく撫でた。
「大丈夫。もう何も怖がらなくていい。だからもう一度、ね?平ぁ…」
その声は蜂蜜のように甘い。だが、東の目は獲物を見つけた猛禽類のように鋭く光っている。彼女の中で、ある種のプランが形作られつつあった。
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翌日。雨は上がったものの、街には未だ湿っぽい空気が漂っていた。平はやはりどこか夢見心地で学校へ向かう。隣を歩く東はいつも通り明るく振る舞っていたが、その眼差しだけが昨日とは違う冷たさを湛えていた。
校舎に入った途端、廊下の角から聞き慣れた甲高い声が響く。
「あれ~? 平クンじゃん!」
噂をすれば影。平の元カノ――自称「モデル志望」の浅川ミサキが現れた。いつもの派手なメイクに短いスカート。起伏の無い肢体をモデル体型と嘯いている。ミサキは自信満々といった様子でこちらに歩み寄ってくる。
「今日も偶然だねー! 運命感じちゃうかも♡」
ミサキはわざとらしく肩をぶつけてきて、平の反応を窺う。だが、平は硬直したまま顔色一つ変えなかった。代わりに東が一歩前に出る。
「運命?」
東は微笑みながら首を傾げた。その笑みの下にあるものをミサキはまだ知らない。
「そう言えば昨日あの後、アタシのこと心配してくれた?」
ミサキは得意げに言う。どうやら昨夜、平に電話をかけ「今から会いたい、会えなかったら死んじゃう」と騒いだらしい。もちろん平は断ったのだが。
「心配なんてしてない」
東の声は意外なほど淡々としていた。ミサキは驚いたように眉を吊り上げる。
「……は? 何でアンタが答えるわけ?」
「だって」
東は一拍置いて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「平には私だけいれば十分だから。あなたなんて必要ないの」
ミサキの顔から血の気が引いた。まるで鷹に睨まれた小鳥のように。しかしプライドだけは高い彼女はすぐに噛み付いてくる。
「な、何言ってんの! アタシの方が先に――」
「先に何?」
東は一歩詰め寄る。身長差を生かした威圧感がミサキを押し潰す。
「先に付き合ったから何? それで平を傷つけたのはどっち? それとも忘れたの?」
「うっ……」
ミサキは言葉に詰まる。過去の数々の仕打ちを思い出したのか、目が泳いでいる。
「忘れたんだったら思い出させてあげる」
東はスマホを取り出し、操作する素振りを見せた。
「ちょうどいいから公開しちゃおうかな? 例えば……平を馬鹿にして笑ってる動画とか」
「ひっ……!」
ミサキの顔が恐怖に歪む。そんな動画は存在しないのだけれど、東は大げさに楽しそうに囁いた。
「安心して。私は優しいから、条件次第では消してあげる。平にもう二度と近づかないって約束できたらね」
それは提案の形を取った脅迫だった。ミサキの震える手が制服の裾を掴む。東は容赦なく追い討ちをかける。
「あとついでに忠告。今のあなたって結構滑稽だよ?」
東は嘲笑を浮かべながらミサキの全身を眺めた。
(ホントかホントじゃないかは関係ない。この場は言い切るのが最も効果的)
「その顔、整形前のほうがマシだったよね。鼻と目、やりすぎじゃない? それにその身体」彼女はわざとらしく溜息をついた。
「胸パッド丸わかりだし。ヒップも不自然、何か入れてる?平もきっとそう思ってる」
ミサキの顔が怒りで赤くなり、次いで屈辱で青ざめる。東はさらに畳み掛ける。
「男性経験? 笑わせないで。平にも話聞いたけど、何もせず即別れたんでしょ? どうせ私とは比べ物にならないくらい下手なんでしょうけど。ハッ……お笑い種ね」
「こ、このっ……!」
ミサキが拳を振り上げた瞬間、東は一瞬で彼女の手首を捻り上げた。非力なミサキが痛みに悲鳴を上げる。
「暴力? フフ……怖い怖い。でも平はそんなあなたを見てどう思うかな? 大好きなんでしょ?」
手を離すと、ミサキは床に崩れ落ちた。東は屈み込み、その耳元で毒を注ぐように囁く。
「これで分かった? あなたは何一つ私に勝てない。顔も身体も男を見る目も……そして何より」
東は立ち上がり、窓から差し込む陽光を浴びながら告げた。
「平への愛もね。永遠に」
ミサキは涙目で何かを言い返そうとするが、声が出ない。彼女のプライドは完膚なきまでに砕かれていた。東は満足げに微笑むと、踵を返して平の側に戻った。
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東の視界の隅で、浅川ミサキが蹲ったまま嗚咽を漏らしていた。周囲の生徒たちが奇異の目で見てくるが、東は意に介さない。むしろ計算済みだった。こうして衆目に晒されることで、ミサキはますます孤立し、社会的に死に向かっていくのだから。
(まだ……足りない)
東の胸の内で暗い炎が燻っていた。ミサキの心が折れた? そんな生ぬるい結末で許せるはずがない。あの女が平に与えた絶望――鏡に映る自分を呪い続けるしかなかった日々。その苦しみの何百分の一でも償わせなければ、平の魂は癒やされないのだ。いや、平自身が気づいていない深い闇を晴らすには、もっともっと深い傷を与えなければならない。
(私の過去と同じように)
東は自分の過去を呪った。中学時代から遊びまわり、男たちの欲望に身を任せてきた浅はかな自分。本当の愛なんて知らずに消費されるだけの道具だった。もし最初から平に出会えていたら、あんな惨めな道は選ばなかっただろう。彼の前では純白の乙女でありたかったのに――その願いは永遠に叶わない。
(私の処女……平に捧げられなかったことは、生涯の罪)
悔恨が刃となって心臓を抉る。ならばせめて――代わりの贄を用意しよう。かつて平を蔑み踏み躙ったこの女を使って。
「ねえ、平」
東は努めて明るい声で呼びかけた。彼は相変わらずぼんやりとミサキを見ていたが、東の呼びかけにようやく焦点を合わせる。
「どうした?」
「ちょっと用事ができたの。放課後、駅前公園で待っててくれる?」
平は不思議そうな顔をしたが、拒む理由も見当たらず頷いた。
「ああ……わかった」
「ありがとう。素敵なプレゼントを用意するから楽しみにしてて」
東はウインクを送る。その瞳の奥に潜む狂気を平はまだ知らない。