ウチの姉ちゃんと幼馴染、何とは言わんがデカい・R18 作:himahy
トリニティ総合学園のティーパーティ専用室には、普段ならば紅茶の香りと穏やかな朝日が差し込んでいるはずだったが、今日に限っては異様なほど重苦しい沈黙だけが部屋を支配していた。
カナタはソファの端で膝を抱えたまま壁を見つめ、ミカは毛布を頭まで被り、ナギサに至ってはベッドの上で目を閉じたまま完全に現実逃避を決め込んでいる。
三人とも昨夜の記憶そのものは残っているらしく、誰か一人でも余計なことを口に出せば、この場に存在する全員の精神がまとめて爆発四散しかねない。
つまり現在、ティーパーティ専用室では史上最大級にどうでもよくて、当事者にとっては死ぬほど重大な冷戦が発生していた。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
カナタは目を覚ましてから既に三十分ほど経っていたものの、一度たりともミカとナギサの顔を見ることができていなかった。昨夜の騒動について思い返そうとすると、脳が勝手に緊急停止をかけるように頭痛が始まり、カナタはそのたびに両手で顔を覆っている。
しかも最後の記憶は疲労困憊の状態でベッドへ倒れ込んだところまで鮮明に残っているため、都合よく全部夢だったという逃げ道すら完全に塞がれていた。そしてカナタの頭の中では、人生終了、家出、国外逃亡、記憶喪失という四つの選択肢が高速で回転している。
「…………あの」
「ひっ」
「どうして悲鳴を上げるのですか!?」
「い、いや!?だ、だってナギサさんが喋ったから!」
「私が喋っただけで悲鳴を上げられる方が傷つくのですが!?」
毛布の中でミカの肩が小刻みに揺れ始め、最初は泣いているのかと思ったカナタだったが、数秒後にはどう見ても笑いを堪えているだけだと判明した。
ミカは顔を隠したまま「ふっ、ふふっ」と震え続け、とうとう耐えられなくなったのか毛布から顔だけを出して盛大に吹き出している。
ナギサはそんなミカを信じられないものを見るような目で睨んだものの、ナギサ自身も緊張が少し解けたのか口元が僅かに緩んだ。結果として、三十分以上続いていた地獄の沈黙はカナタの情けない悲鳴一つであっさり崩壊した。
「あはははっ!カナタ、何その声!」
「うっさいミカ姉ちゃん!!こっちは今、人生で一番気まずい朝を迎えてるんだよ!!」
「それは私達も同じだよ!?」
「だったら笑うなよ!!」
「だってカナタが面白いんだもん!」
「朝っぱらから元気ですね、ミカさん……」
「ナギちゃんも笑ってるじゃん!」
「笑っていません!」
ナギサは即座に否定したものの、頬が微妙に引きつっているせいで説得力は皆無だった。カナタは二人を交互に見てから再び頭を抱え、この二人が少なくとも怒り狂ってはいないことだけは理解する。だが怒っていないからといって昨夜の問題が消えるわけではなく、むしろ落ち着いた今だからこそ話さなければならないことが大量に残されていた。カナタは逃げたい気持ちを必死に押し殺し、ソファの上で背筋を伸ばした。
「……ミカ姉ちゃん、ナギサさん」
「ん?」
「はい」
「昨日のこと……ごめん」
カナタは視線を床へ落とし、昨夜の最初から最後までを断片的に思い返しながら唇を噛んだ。原因になった謎の薬を差し入れとして持ち込んだのはカナタであり、中身を知らなかったとはいえ、その事実だけは変えようがない。
それに混乱していたとはいえ途中からカナタ自身も冷静さを失っており、だからこそ全部を薬のせいにして終わらせるのは卑怯だと感じていた。ミカとナギサがどう思っているとしても、カナタはまず自分から謝らなければならないと思っていた。
「俺が持ってきた差し入れが原因だったし……途中から俺も完全に冷静じゃなかったし……その、色々と、本当にごめん」
「カナタ」
「……何、ミカ姉ちゃん」
「顔上げて」
「無理!!恥ずかしすぎると言うか、自分がみじんこみたいになって顔も何にも見れないから!!」
ミカは困ったように頬を掻いたあと、ベッドから降りてカナタの目の前まで歩いていった。カナタは露骨に反対方向を向いたものの、ミカが右へ回れば左へ逃げ、左へ回れば右へ逃げるという極めて不毛な攻防が始まる。
ナギサは最初こそ静観していたが、三十秒ほど経ったところで「何をしているのですか」と呆れた声を漏らした。最終的にはミカがカナタの両肩を掴み、強制的に真正面を向かせることで勝負は終了した。
「カナタ」
「…………」
「私は怒ってないよ」
「……でも」
「怒ってない」
ミカの声は昨夜とはまるで違い、いつもの明るさを少しだけ抑えた穏やかなものだった。カナタは少し安心感を覚えたが、その彼女を昨日の自分が壊したのかと思えば、罪悪感が深く胸に染み込んでくる。
「薬が入ってるなんて知らなかったんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「だったら、最初からカナタが悪いことしようとしてたわけじゃないじゃん」
「でも結果的には……」
「結果だけ見て全部自分のせいにするの、カナタの悪い癖だよ?」
「…………」
ミカはカナタから手を離すと、今度は隣に座って肩を軽く叩いた。ミカ自身も昨夜について完全に平気というわけではないらしく、時折思い出したように頬を赤くして視線を逸らしている。それでもカナタが一人で責任を背負おうとしていることの方が、ミカにとっては気に入らないらしかった。カナタはそんなミカの横顔を見て、胸の奥に詰まっていた重たいものが僅かに軽くなったような気がした。
「ナギちゃんもそうでしょ?」
「……えぇ」
「もちろん、何も問題がなかったとは言いません。あの薬については必ず調べる必要があります。」
「……はい」
「ですが、それとカナタさんを責めることは別です」
ナギサはカナタの正面に立つと、いつものティーパーティのホストらしい落ち着いた眼差しを向けた。昨夜の出来事を思い出しているのか途中で一瞬だけ顔が赤くなったものの、ナギサは咳払いを一つして強引に平静を取り戻す。
少なくともナギサの中では、カナタが故意に何かを企んだわけではないという結論に達しているらしい。それでもカナタの性格上、言葉にして伝えなければ延々と一人で自分を責め続けることもナギサには分かっていた。
「ですから、カナタさん」
「……はい」
「今回の件について、私もミカさんもカナタさんを責めるつもりはありません」
「…………」
「ただし」
「はい!?」
「差し入れについては、今後必ず中身と送り主を確認してください」
「はい」
「知らない物をそのまま持ってこない」
「はい!!」
カナタの叫び声にミカが再び笑い出し、ナギサも今度こそ小さく笑った。
笑い声が落ち着いてから、ナギサは机の上に置かれていた空の包装を手に取った。昨夜カナタが持ち込んだ差し入れの残骸であり、幸いにも商品名や製造元らしき表記は一部残されている。ナギサはティーパーティの権限を使って正式に調査すると告げ、念のため三人とも医務室で診察を受けるべきだと提案した。カナタは一瞬だけ顔を引きつらせたが、さすがに身体に影響する薬だった以上、そこだけは冗談で済ませるわけにはいかなかった。
「三人で行くんですか……?」
「当然でしょう」
「俺だけ途中で帰るという案は」
「却下です」
「窓から逃げるという案は」
「却下です」
「転校」
「カナタ」
「はい」
その一方でミカは妙に真剣な表情になり、自分の腕や肩を確認するように軽く動かしていた。昨夜から少し疲労感が残っているものの、それ以外に大きな異常は感じていないらしい。ナギサも同様だったが、薬の正体が分からない以上は後から体調が変化する可能性も否定できない。カナタは二人の様子を見ながら、そこについてだけは自分も逃げずに最後まで付き添うと決めた。
「……もし、二人に何かあったら。俺もやった犯人としてちゃんと責任持つから。」
「責任?」
「病院とか、検査とか……必要なことがあったら全部付き添うし、俺にできることなら何でもする」
「カナタ……」
「俺が運んできた物なのは事実だし。そこから逃げるのは絶対嫌だから」
ミカは一度ナギサと顔を見合わせ、それから少し困ったように笑った。ナギサも同じように小さく息を吐き、カナタがまた必要以上に背負おうとしていることは理解しつつも、その言葉自体を否定することはしなかった。
責任という言葉を罰のように使うのではなく、何か問題が起きた時に三人で向き合うという意味ならば受け入れてもいいと二人は考えた。だからこそ、ミカはカナタの頭を軽く小突いた。
「じゃあ、一個だけ約束ね」
「何?」
「カナタ一人で責任取ろうとしないこと」
「……でも」
「でも禁止」
「横暴だ」
「私とナギちゃんにも自分のことを決める権利はあるんだから」
「その通りです」
「ナギサさんまで……」
カナタが渋々頷くと、ミカは満足そうに笑った。
それからしばらくして、三人はようやく部屋を出る準備を始めた。カナタは床や机を片付け、ミカは散らばっていた毛布をまとめ、ナギサは昨夜から放置されていたティーカップを一つずつ回収していく。誰も昨夜の具体的な話題には触れず、触れそうになるたびに絶妙なタイミングで別の話へ逃げるという謎の連携だけが発達していった。三人とも、この件について本格的に話せるようになるにはもう少し時間が必要なのだろう。
「……そういえばカナタ」
「ん?」
「昨日さ」
「待って」
ミカが口を開いた瞬間、カナタは両手を突き出した。昨日の記憶ならカナタの頭の片隅にも残っていて、その時の自分を掘り返されると恥ずかしさで死にそうだからだ。
「それ以上言ったら俺、窓から飛ぶ」
「ここ三階だよ?」
「なら階段から転がる」
「もっとダメじゃん!」
「お願いだから昨日の細かいことは忘れてくれ!」
「えー?」
「お願いだから静かにして!」
どうにかミカを押しのけて。部屋の片付けが終わる頃には時計の針もかなり進み、廊下から一般生徒達の声が聞こえ始めていた。もし今この部屋から三人同時に出ていけば、なぜ朝早くからティーパーティの部屋に三人揃っていたのかという疑問を持たれる可能性がある。
ナギサはその事実に気づくと扉の前で完全に停止し、ミカも数秒遅れて同じ問題へ到達した。カナタだけは最初意味が分からず首を傾げていたが、二人の顔を見てようやく理解した。
「……時間ずらして出る?」
「そうしましょう」
「じゃあ私が一番ね!」
「待ってくださいミカさん、一番にミカさんが出れば余計に目立ちます」
「えー?……うーん、じゃあナギちゃん!」
「私も同じです!」
「……………」
結局、最初に部屋から追い出される担当はカナタになった。
カナタは扉の前で何度も左右を確認し、まるで秘密任務中の工作員のような姿勢で廊下へ顔を出した。幸い周囲に人影はなく、カナタは素早く部屋から出ると数メートル歩いたところで振り返り、二人へ手で合図を送る。
数分後にナギサ、そのさらに数分後にミカが出るという極めて雑な作戦だったが、三人の頭ではこれ以上まともな案が思い浮かばなかった。そしてカナタが角を曲がろうとした、その瞬間だった。
「カナタさん?」
「…………」
聞き覚えのある一般生徒の声が背後から飛んできた。カナタは即座に姿勢を正しく、お偉いさんが目の前にいる圧迫感に襲われた。
「朝からこちらにいらしたのですか?」
「…………」
「ティーパーティの皆様と何か?」
「いや、その……」
「?」
「…………な。なんでもありません。」
一般生徒は明らかに不思議そうな顔をしていたものの、カナタがあまりにも真剣な表情で断言するせいで、それ以上追及していいものか迷っているようだった。
扉の向こうではミカが笑いを堪えているらしく、微かな振動が何度も響いている。ナギサは恐らく全力でミカを止めているのだろうが、そのせいで逆に怪しい物音が増えていた。カナタは心の中で二人へ百回ほど文句を叫びながら、何事もなかったように一般生徒へ頭を下げた。
「では、俺はこれで」
「あ、はい……」
「失礼します」
その数分後、ナギサとミカも時間をずらして部屋を出て、三人は校舎裏の人通りが少ない場所で再集合した。カナタは既に精神的に疲れ切った顔をしており、ミカを見るなり「笑うなよ」と先制攻撃を仕掛けている。ナギサが医務室へ向かうよう促すと、カナタは観念したように二人の後ろを歩き始めた。朝日はいつもと何一つ変わらずトリニティの白い校舎を照らしており、昨夜から続いた三人だけの大騒動も、ようやく少しずつ日常へ戻ろうとしていた。
「カナタ」
「何、ミカ姉ちゃん」
「これから何かあっても、逃げちゃダメだからね?」
「分かってるよ」
「カナタさん」
「はい、ナギサさん」
「一人で抱え込むことも禁止です」
「……分かりました」
「よろしい」
ミカが満足そうに頷き、ナギサもいつもの穏やかな笑みを取り戻した。
カナタは二人の少し後ろを歩きながら、昨夜から何度目になるか分からないため息を吐いた。とんでもない騒動だったし、できることなら記憶ごと封印したい出来事であることに変わりはないが、それでも二人がカナタを突き放さなかったことだけは心の底からありがたかった。だから何か問題が起きたなら、今度こそ逃げず、けれど一人で背負うこともせず、三人で話し合えばいいのだろう。そしてそう考えた直後、ミカが振り返ってニヤニヤしていることに気づいたカナタは、とてつもなく嫌な予感を覚えた。
「……何」
「いやぁ?」
「何だよ」
「昨日のカナタ、途中から結構──」
「ミカ姉ちゃん!!」
「はい」
「それ以上言ったら今度こそ走って逃げる」
「えー!」
「あったりまえだのクラッカーすぎだろ!」
昨夜の出来事が消えることはなく、原因となった薬についてもこれから調査しなければならないし、三人の間には当分の間どうしようもない気まずさが残るだろう。それでもミカとナギサはカナタを受け入れ、カナタも二人から逃げずに向き合うことを選んだ。少なくとも三人がこうしてくだらないことで言い争えているうちは、きっと何とかなるのだと、朝日に照らされた校舎だけが静かに見守っていた。