※この作品はR-18です。

オズの国のドロシー ―傷だらけの黄色い道―   作:LFぼーむ

3 / 9
ACT.3 異界の城、闇の翼猿

 七色の光が、視界を灼いていた。

 上下の感覚が消えている。足元も、空も、地平もない。ドロシーは巨大な奔流の中に投げ込まれ、渦に巻かれる木の葉のように翻弄されていた。

 逆門番ピエロ。

 こちらの世界から異界へ渡るための、カルデア最深部に封じられていたディメンションARM。カペルがそれを奪い、起動した。ドロシーはゴーストアームに捕らえられ、オスカーは彼女を助けようとして、そのまま共に門へ呑み込まれた。

 

「このッ……離せ……!」

 ドロシーは自分を掴む巨大な腕を睨みつける。カペルのゴーストアームは、まだ彼女の身体を拘束していた。

 

【挿絵表示】

 

ゼピュロスブルームへ魔力を流し、風の刃で切断しようとする。

 だが、魔力が散る。

 光の奔流そのものが、魔力の流れを乱していた。ARMの核へ集まるはずの力が、途中で千切れ、七色の渦へ吸い込まれていく。

「くっ……この空間、魔力が定まらない……!」

 

 すぐそばで、オスカーが必死に手を伸ばしていた。

「ドロシー!」

「オスカー、危ないから離れて!」

「君を置いていけるわけがないだろう!」

 その言葉に、胸の奥が一瞬だけ揺れた。

 カルデアで見た、優しい彫金師の顔。幼い頃、眩しいと思った横顔。使命を終えたばかりの夜、もう一度その名を聞いた時に鳴った、古い鈴のような感情。

 だが、今はそんなものに浸っている場合ではない。

 

「トンネル開通デース!」

 どこか間の抜けた門番ピエロの声が響く。

 

 

 同時に、トンネルの先に裂け目が2つ開いた。

 その向こうにあったのは、夜だった。

 2つのうち片方は奇妙な形の城を上空から見た景色。月明かりすら拒むような、黒い塔と分厚い屋根。城壁は高く、窓は少なく、まるで太陽そのものを憎んで建てられたような構造をしていた。

 もう片方は荒れ地。巨大な化け物が跋扈する、荒れ果てた砂原。

 

 光の奔流が大きく軋んだ。

「な、何ですかこれは……!」

 カペルの声に初めて焦りが混じる。空間を覆う虹色の光の圧力が増し、その衝撃でカペルの巨大な手はドロシーの拘束を緩めてしまう。

 

【挿絵表示】

 

 

「きゃあっ!?」

 ドロシーは裂け目に吸い寄せられていく。奇妙な城へ繋がる裂け目へと。

カペル達のほうを見ると、彼らはもう1つの、荒れ地へ繋がる裂け目へ飲まれていった。

「ちょ、待っ――」

 

【挿絵表示】

 

 

 次の瞬間、世界が爆ぜた。

 

 

 轟音。

 

 

 石の内側で雷が弾けたような衝撃だった。ドロシーの身体は壁に叩きつけられ、肺から空気が抜ける。視界が白く灼け、次いで黒く沈んだ。砕けた石片と木片が飛び散り、火花が闇の中を横殴りに走る。

 

「ぐ……っ!」

 それでも、ドロシーはゼピュロスブルームを離さなかった。

 転がりながら、箒の柄を抱え込む。肩が床へ打ちつけられ、腰が梁に跳ねた。肋骨の奥に鈍い痛みが広がる。けれど骨は折れていない。痛みを飲み込み、彼女は片膝をついた。

 

【挿絵表示】

 

 そこは、城の内部だった。

 狭い。

 そして、暗い。

 

 天井裏か、壁の内側か。石と梁が複雑に組み合わさった、通常の通路ではない場所だった。先ほどの転移の衝撃で周囲の壁が砕け、いくつもの穴が開いている。穴の向こうには、さらに暗い空間が続いていた。

 

 カペルたちの姿はない。

 オスカーも、いない。

 

「……はぐれた?」

 ドロシーは荒い息を吐き、帽子の位置を直した。

 痛む。だが動ける。

 それよりも、空気が違った。

 メルヘヴンの魔力は、肌に馴染む水のようだった。カルデアの魔力は、濃く、澄んだ霧のようだった。だがこの世界の魔力は、土と鉄と濁った熱が混じったような、重い感触をしている。

 ゼピュロスブルームへ魔力を流す。反応はある。だが遅い。指先から箒へ流れる力が、泥の中を進むように鈍っていた。

 

(ここが……三つ目の世界……?)

 

 考えるより先に、闇の奥で何かが動いた。

 羽音。

 ばさり、と空気を裂く音が頭上から降る。

 

「誰ダ」

 声だった。

 人の声に似ている。けれど発音は歪で、喉の奥に獣の唸りを含んでいる。

 ドロシーはゼピュロスブルームを構えた。

「こっちの台詞よ。いきなり知らない城に放り出されて、こっちはかなり機嫌が悪いんだけど?」

 闇の中で、二つの黄色い目が光った。

 次いで、三つ。五つ。十。

 小柄な影が、梁の上に並んでいる。

 猿だった。

 青黒い体毛。むき出しの牙。人間の子供ほどの背丈に、不釣り合いなほど発達した腕。粗末な服を着て、帽子を被り、背には大きな翼が生えている。

 翼猿。

 まだその名を知らないドロシーにも、彼らがただの獣ではないことはわかった。

 

「侵入者ダ」

「女ダ」

「桃色ノ髪」

「城ヲ壊シタ」

 闇の中で、声が重なる。

 

「待ちなさい。私は好きでここに来たわけじゃ――」

 言い終える前に、一匹が飛んだ。

 天井の梁を蹴り、翼で姿勢を制御しながら、真上から爪を振り下ろしてくる。

 

【挿絵表示】

 

「話を聞けっての!」

 ドロシーは箒を横薙ぎに振るった。

 ゼピュロスブルームに風が集まり、猿の身体を弾き飛ばす。翼猿は悲鳴を上げ、梁に叩きつけられた。

 だが、手応えがおかしい。

(軽い……? いや、違う。風が弱い)

 いつもの半分も出ていない。

 ドロシーは眉をひそめた。転移の影響か。自分の魔力が乱れているのか。それとも、この世界そのものがメルヘヴンのARMと相性が悪いのか。

 答えを考える暇はなかった。

 

「捕まエろ!」

「犯ス!」

「ネッサローズ様ニ引き渡ス!」

 猿たちが一斉に飛びかかってくる。

 

【挿絵表示】

 

 狭い暗所だった。

 足場は不安定。梁と石壁が複雑に入り組み、ゼピュロスブルームを大きく振るには空間が足りない。翼猿たちはその地形に慣れていた。壁を蹴り、天井を蹴り、横穴から飛び出し、ドロシーの死角へ回り込む。

「ちっ……!」

 真正面から来た猿の爪を、箒の柄で受ける。

 甲高い音。火花。

 押し込まれるより先に、ドロシーはあえて力を抜いた。勢いを流された翼猿が前のめりになる。その顎へ膝を叩き込む。

「ギャッ!」

 悲鳴が闇に跳ねる。

 だが、一匹を倒したところで終わらない。

 左上から影が落ちた。足元からも、別の一匹が低く滑り込んでくる。さらに背後で羽音。音が反響し、位置が掴みにくい。

 四方から来る。

(多い……!)

 ドロシーは奥歯を噛んだ。

 正面からなら負けない。だが、暗すぎる。足場が悪すぎる。翼猿たちは影から影へ跳び移り、爪と牙をちらつかせながら、彼女の反応を削っていく。

 ゼピュロスブルームに魔力を流す。

 風は出る。

 けれど遅い。

 この世界の魔力は重く、いつもの感覚より半拍ずれる。その半拍が、狭い戦場では命取りになる。

「女、強イ」

「デモ、疲レテル」

「囲メ」

 猿たちが低く笑った。

 次の瞬間、数匹が一斉に飛びかかってきた。

「上等じゃない!」

 ドロシーは自分から踏み込んだ。

 囲まれる前に、一角を崩す。右から来た爪を箒で巻き取り、翼猿の腕ごと引き寄せる。肘を喉へ叩き込み、声を潰す。続けて噛みつこうとした別の猿へ、その身体を盾にした。

「ギッ!?」

 同士討ち。

 牙が仲間の肩へ食い込む。

 ドロシーは二匹まとめて足場から蹴り落とした。

 

 だが、そこで背中に衝撃が来た。

「っ……!」

 翼猿が背後からしがみついていた。

 小柄なくせに腕力が強い。爪がドレスの背に食い込み、布が裂ける。さらに足元からもう一匹が飛びつき、太腿に絡みついた。別の一匹が腕を押さえ、ゼピュロスブルームの柄を奪おうとする。

「離れなさい……っ!」

 

 ドロシーは肩を振るが、翼猿たちは剥がれない。

 背中の布が裂け、冷たい空気が肌を撫でた。裾を掴まれ、縫い目が嫌な音を立てる。

 手はドロシーの胸元にも伸び、力任せに引き裂かれる。

「なっ!?」

ぶるんと揺れながら躍り出た白く柔らかなドロシーの乳房を、猿の1匹が鷲掴みにする。

 

 

【挿絵表示】

 

「こんの……エロ猿っ!!」

 その羞恥攻撃に、ドロシーは動揺しながらも違和感を憶える。

動物、獣、モンスターにしては、手つきや目つきがどうにも厭らしい。

まるで、人間の男が人間の女に向ける劣情―

その不快さに、ドロシーの背筋が凍った。

 

「調子に……乗るなっ!」

 彼女はゼピュロスブルームを手放さなかった。

 猿に腕を押さえられたまま、逆に柄を引き寄せる。体にまとわりついた翼猿ごと、床へ叩きつけるように身を捻った。

 一匹が梁に激突する。

 もう一匹の顎を石突きで打つ。

 太腿に絡みついた猿は、膝ごと壁へ叩きつけて引き剥がした。

 それでも、まだ来る。

 背後。頭上。横穴。

 闇の中から爪が伸びる。

 ドロシーは息を吸った。

 細かく撃っても間に合わない。

 ならば、まとめて吹き飛ばす。

 ゼピュロスブルームの穂先に、魔力を押し込む。

 遅い。重い。

 それでも、集まれば十分だった。

「吹き飛びなさい!」

 狭い天井裏に、圧縮した風が爆ぜた。

 突風が闇を叩き割る。

 まとわりついていた翼猿たちが、一斉に引き剥がされた。爪が布を裂き、髪を掠め、最後まで抵抗するように指を立てる。だが風圧に耐えきれず、猿たちは梁へ、壁へ、天井へ叩きつけられた。

 石粉が舞う。

 木材が軋む。

 悲鳴と羽音が、闇の中で弾ける。

 数匹が沈黙した。

 

 ドロシーは、荒く息を吐きながら膝をついた。

「はあっ……はあ……っ」

 背中の裂けた布が、冷たい空気に揺れる。

 肩口の包帯は乱れ、太腿には猿の爪痕が薄く走っていた。ゼピュロスブルームを握る手にも、赤い擦り傷が増えている。

 たった一撃。

 この程度の相手をまとめて払っただけ。

 それなのに、胸の奥が焼けるように重い。

(嘘でしょ……この程度で、こんなに持っていかれるの……?)

 メルヘヴンなら、軽い牽制程度の風だった。

 だが今の一撃は、まるで上級ARMを連続で使った後のように体力を削っていた。

 

 そこへ、闇の奥から低い唸りがした。

「奥ノ手、使ウ」

 まだいた。

 これまでの個体より一回り大きい翼猿が、梁の向こうに立っていた。頭に金属の輪を嵌め、両腕には鉄の籠手。守衛の隊長格らしい。

 その猿が、壁に掛けられていた鎖を引いた。

 重い音が、城内に響く。

 がこん、がこん、と闇の奥で何かが動いた。

「何……?」

 ドロシーの足元が震える。

 床が傾いた。

 いや、床ではない。ここは通路ではなく、城の排水機構の上部だった。翼猿が動かしたのは、水門か、古い防衛装置か。石壁の奥で水が唸り、下方から湿った風が吹き上げてくる。

「侵入者、落トス」

「やば……!」

 ドロシーは跳んだ。

 直後、足場が崩れた。

 石板が割れ、梁が外れ、闇の底へ落ちていく。彼女はゼピュロスブルームに跨がり、飛行形態へ移ろうと魔力を叩き込んだ。

 箒が浮く。

 だが、浮力が足りない。

「くっ……飛べ!」

 魔力をさらに注ぐ。普段なら一瞬で風が身体を包む。しかし、この世界の魔力は重く、箒の反応は鈍い。ふわりと身体が持ち上がった次の瞬間、横から隊長格の翼猿が突っ込んできた。

 鉄の籠手が、ゼピュロスブルームの柄を殴る。

 衝撃。

 ドロシーの手が痺れた。

「しまっ――」

 箒が軌道を失う。

 そこへ、小柄な猿が二匹、左右から飛びついた。ひとつはドロシーの腕へ。もうひとつは箒の穂先へ。

 

「離せっ!」

 ドロシーは空中で身体を捻り、腕にしがみついた猿を膝で蹴り落とす。穂先の猿には風刃を浴びせた。猿は悲鳴を上げて離れた。

 だが、その一瞬。

 ゼピュロスブルームから、手が離れた。

「あっ……!」

 銀の箒が、闇の中へ落ちていく。

 ドロシーは手を伸ばした。

 届かない。

 箒は石壁に一度ぶつかり、火花を散らしながら、下方の横穴へ吸い込まれた。

 胸の奥が凍った。

 ゼピュロスブルーム。

 姉ディアナから譲られた、風のARM。ドロシーの象徴。彼女の飛行手段であり、最も信頼する武器。

 それが、手から消えた。

 次の瞬間、ドロシー自身も落ちた。

 闇が口を開ける。

 下方から水音が迫る。

 

【挿絵表示】

 

 彼女は咄嗟に別のARMを探ろうとした。アンダータ。リングアーマー。ウィンダールヴ。どれでもいい。だが落下の衝撃と暗闇、濡れた風、身体に絡みつく翼猿の残骸が邪魔をする。

 指先が滑る。

 間に合わない。

 水面が迫った。

 激突。

 全身を冷たい衝撃が包み込んだ。

「――っ!」

 水が口と鼻へ押し寄せる。暗い。冷たい。流れが速い。地下水路だ。城の内部から外へ向かって、黒い水が猛烈な勢いで走っている。

 ドロシーは水を蹴り、何とか顔を出した。

「はっ……! げほっ……!」

 息を吸う。だがすぐに水がかかる。壁へ手を伸ばす。ぬめった石が指先を弾く。爪が剥がれそうになり、肩に激痛が走った。

 上から翼猿たちの声が反響する。

「女ガ落チタ!」

「水路ダ!」

「追エ!」

「箒ハ?」

「別ノ穴ニ落チタ!」

 ゼピュロスブルーム。

 その名を叫びそうになって、ドロシーは歯を食いしばった。

 取りに戻れない。

 今は、水に呑まれないだけで精一杯だった。

 遠くで、別の声が響いた。

 女の声だった。

 若く、甘く、それでいて背筋の凍るような声。

「誰? 私の城で騒いでいるのは」

 ドロシーは水面から顔を出し、荒く息を吸った。

 声の主の姿は見えない。

 けれど、その一言だけでわかった。

 この城には、主がいる。

 そしておそらく、自分はその主の怒りを買った。

「冗談じゃ……ないわよ……!」

 歯を食いしばり、水流に逆らおうとする。

 しかし、次の曲がり角で水路は大きく落ち込んだ。身体が滝のように投げ出される。背中を石に打ち、肺の空気が抜けた。

 闇。

 水。

 遠ざかる翼猿の声。

 手の中に、ゼピュロスブルームはない。

(ギンタン……)

 なぜ、その名が浮かんだのかわからない。

 かつて異世界に放り込まれた少年も、こんな心細さを味わったのだろうか。知らない空。知らない敵。知らない世界。頼れるものも、帰る道もない場所で。

 違う。

 あの時のギンタには、メルがいた。仲間がいた。バッボがいた。

 今のドロシーには、誰もいない。

 水流が彼女を呑み込み、意識が遠のいていく。

 最後に見えたのは、黒い城の排水口から遠ざかる、細い月の光だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。