ネッサローズの城から逃げ延びて、三日が過ぎた。
東の国――マンチキンを抜けるため、ドロシーは太陽の傾きだけを頼りに山道を西へ、西へと進んでいた。
追っ手の気配は、少しずつ薄れている。
だが、それで安全になったわけではない。
人の踏み入らぬ山林には、獄鬼がいる。
カリダほどの化け物ばかりではないにせよ、牙を持つもの、毒を吐くもの、獲物を罠に誘い込むもの。魔物の気配は、森そのものに染みついていた。
「……まったく。メルヘヴンの旅も楽じゃなかったけど、こっちはこっちで陰気ね」
倒れた木の根に腰を下ろし、ドロシーは小さく息を吐いた。
保存食を齧る。味気ない。けれど、腹に物が入るだけで身体は少し戻ってくる。
ゼピュロスブルームは、まだない。
ネッサローズの城から逃げる際、手放すことになった大切なARM。風を操るあの箒があれば、こんな山道を延々歩く必要などなかった。
戻るべきか。
このまま西へ逃げるべきか。
その迷いが、足を鈍らせていた。
「……取り返しに行くにしても、今のままじゃ無謀か」
ドロシーは自嘲気味に笑った。
メルヘヴンであれば、ARMはもっと素直に応えてくれた。魔力を流せば、身体の延長のように動いた。
だが、この国では違う。
ARMそのものは使える。けれど、噛み合わない。水の中で手足を振るような、薄い膜越しに力を伝えているような感覚がある。
世界が違う。
魔力の流れも、空気も、法則も。
その事実を、ドロシーは嫌というほど思い知らされていた。
そんな弱体化した状態で『オズの国最強の魔女』の1人の城に乗り込むなんて、愚策すぎる。
不意に、風が止んだ。
鳥の声も、虫の音も、ぴたりと途切れる。
「……いるわね」
ドロシーは保存食を放り出し、腰を上げた。
森の奥で、何かが蠢いた。
最初は蔦に見えた。
次に、薔薇だと思った。
だが、その花弁はあまりに肉厚で、湿った光沢を帯びていた。根は地面に潜っているのではなく、まるで無数の脚のように周囲を這い回っている。
獄鬼。
巨大な薔薇の姿をしたそれが、茨を震わせながらドロシーを見ていた。
「植物の獄鬼ってわけ?」
ドロシーはARMを構える。
瞬間、地面が爆ぜた。
足下から飛び出した茨が、蛇のように彼女の足首を狙う。ドロシーは跳んだ。次の茨が腰を薙ぎ、さらに一本が喉元へ伸びる。
「しつこい!」
ダガー型のARMを抜き、振り下ろす。
茨は切れた。
だが、遅い。
メルヘヴンなら一息で切り払えたはずの蔦が、ここでは腕に重く絡みつく。ARMの反応がわずかに鈍い。そのわずかな差が、命取りになる。
背後から伸びた茨が、ドロシーの上着を裂いた。
「っ……!」
肌を掠めた刺が、熱を残す。
毒ではない。
だが、別の何かが吸われた。
魔力だ。
「こいつ、魔力を……!」
気づいた時には、さらに数本の蔦が彼女の手足に巻きついていた。
ドロシーは身体を捻り、片腕を引き抜く。だが、薔薇の獄鬼はその隙を逃さない。
「きゃっ!?」
背後から触手が絡みつき、ドロシーの身体をひっぱる。
バランスを崩し、尻もちをついてしまう。彼女の身体を受け止めたのは大地ではなかった。
ドロシーの身体は獄鬼の本体…薔薇の花弁の中に埋没していた。
花弁といってもぬるぬるした肉厚のそれであり、逃れようと暴れても手足は分厚い花弁に埋もれるだけ。周囲の触手達も拘束を手伝っている。
肉厚の花弁が大きく開き、湿った内側へ彼女を引きずり込む。
「冗談じゃないわよ!」
膝で花弁を蹴る。
柔らかい。
だが、その柔らかさが厄介だった。打撃を受け流し、粘るように絡みつき、逃げようとする力を殺してくる。
茨が肩を押さえ、腰を締め、腕を封じる。
ぬるぬるの触手の一本がドロシーの防御を掻い潜り、目の前に現れる。
「しまっ…」
その先端は4つに割れ、口のようになってドロシーの両右乳房に吸い付く
「この……エロ獄鬼……!」
怒りを込めて吐き捨てたものの、声には余裕がない。
手で掴んで振り払おうとするが力強く吸い付いて離れない。
仕方ないとダガーARMで切断しようとしたところ…
「んぁっんっ!?」
吸引が始まった。服越しに乳首を吸われる感覚に上ずった声を出し、ダガーを取り落とす。
更に驚いたことに、魔力が吸われている。魔力が体外に排出される度に多少の性的快感を伴うのはこの獄鬼の特性なのだろうか。
だが吸われる魔力は少量ずつのようだ。少し驚いてしまったがいくらでもやりようはある
冷静さを取り戻そうとするドロシーに、薔薇の魔物は追撃を開始する。
「うわあああーーーっ!!」
ドロシーの身体を茨の鞭が襲い、衣服を剥いでいく。やがて両乳房が丸見えになり…
「ひゃん!?」
先ほどの吸引触手が露わになった乳首に吸い付く。
「ぅああああああんっ!!」
先ほどとは比べ物にならないスピードで魔力が吸われていく。服という障害物がない分ダイレクトに魔力を吸えるのだろう。
乳首を強く吸われる経験などなかったドロシーは、たまに行う自慰行為で乳首を刺激する際以上の快楽に目を白黒させる。
「あっ…ん…やだぁっ…!」
ドロシーの視界を遮るように吸引触手がもう1本、ドロシーの前に現れる。それは薔薇の花弁の中に埋もれて大股開きをしているドロシーの股間を捉えていた。
「だめ…そこは…」
周囲の触手がスカートを乱暴に捲ると、ドロシーの秘所が露わになる。
触手は腰回りをがっちり掴み、膣からも魔力吸収を行う。
「う…ぁ…ひゃああーーーっ!?」
瞬間、股間に電撃が走ったような衝撃を受ける。魔力吸収の際の快感だけでなく、クリトリスへかけられる強引な陰圧。それもドロシーにとって初めての感覚であり、まだ辛うじて魔力が残っているドロシーからARMとシンクロするための集中力を奪うことは容易かった。
「あああ、あっ……あんっ!」
頭が真っ白になる。拘束から逃れないといけないのに何も考えることができない。
「はあはあっ………ああぁ……♥はあぁうん……♥」
快感から逃れるためか、それとももっと得ようとしているのか。ドロシーの腰は円を描くように揺れる。その度に吸引による陰圧は瞬間的に高まり、彼女の身体に甘い電撃が駆け巡る。
「あひぃっ!!ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙ーーーーー♥♥♥」
魔女は絶頂を迎える。
薔薇の獄鬼はドロシーの魔力を完全に吸い尽くすと、拘束を緩める。
この獄鬼、吸魔茨は大多数の獄鬼とは異なり、捕食や繁殖の為に他の生物を襲うことはない。
魔力を持つ生物から魔力を吸収して生きる獄鬼である。大抵魔力を奪う対象は他の獄鬼なのだが、人里近くに生息する吸魔茨の場合は稀に現れる魔法使いを襲うこともある。
蔦の拘束は緩んだものの、快楽と共に魔力を吸いつくされたドロシーは、絶頂の余韻でそのまま巨大な薔薇の上で息を切らせて仰向けのまま。
そんなドロシーの周囲で、下卑た鳴き声が上がった。
薔薇の獄鬼の背後から、小鬼の群れが現れたのだ。
焦げた緑色の肌。ぎょろついた目。醜く歪んだ口元。
三十匹はいる。
「ゴブリン…」
ここオズの国での名称をドロシーは知らないが、メルヘヴンではこういった生物はゴブリンと呼称されていた。
弱い魔物で、ドロシーなら簡単に排除できる。
しかしここオズの国では魔力が上手く練れないドロシーにとっては、苦戦する相手だろう。
更に、今ドロシーはそのなけなしの魔力も薔薇の獄鬼に吸いつくされ、まともに動けないのだ。
ゴブリンたちは魔力を吸われて動けなくなった獲物が地に落ちるのを、待っていたようだった。
共生。
その言葉が、ドロシーの頭をかすめる。
薔薇が獲物を弱らせ、ゴブリンが弱った獲物を奪う。
獄鬼の世界にも、そういう悪知恵はあるらしい。
「……ふざけないで」
ドロシーは腕に力を込める。
動かない。
魔力を抜かれた身体は、鉛のように重かった。指先は震え、膝は笑い、立ち上がることさえできない。
小鬼たちが、歓声を上げて飛びかかる。
「来るなあああっ!!」
カリダとの戦いで、獄鬼の生態はよく理解した。
男は食い殺し、女は犯し孕ませる。
その法則に漏れず、ゴブリンたちはドロシーの肉体に群がる。
「やめろ……っ!!!」
ある者はこねるように乳房を弄ぶ。
またある者は、M字開脚で剥き出しなドロシーの大事なところに手を伸ばす。
「くっ……」
未だ誰も受け入れたことのない少女の秘裂は、吸魔茨の愛撫で濡れそぼっていた。
本人の意思とは裏腹に、『性交の準備が整った状態』。
「う、嘘っ……」
ゴブリンの1体が勃起したペニスをドロシーのアソコに擦り付ける。
人間の女を犯すモンスター
心の片隅でどうにも信じきれていなかった存在への現実感が、一気に大きくなっていく。
「やめ……」
明らかに人間のそれとは異なる緑色の肉棒が、ドロシーの中に入ろうとする。
処女の秘裂はなかなかそれを受け入れないが、時間の問題だろう。
(え、本当に……魔物と……人間じゃないモンスターと……)
異種姦性交。18歳の少女には想像外の自体に、頭がパニックになる。
(私、初めて……なのに……)
「嫌……」
ゴブリンの先端が、ドロシーの中に埋没しようとする。
その瞬間。
小鬼たちの動きが止まる。
「……え?」
見えないなにかに拘束されている。
糸だ。
夕陽を受けて、細い光が森の中に幾筋も走っている。
一本一本は蜘蛛の糸ほどに細い。だが、それらは小鬼の首、腕、脚、胴を正確に絡め取り、空中に縫い止めていた。
次の瞬間、糸が収縮した。
小鬼たちは悲鳴を上げる間もなく、一塊に縛り上げられる。逃げようと暴れたものから順に、細糸が肉に食い込み、骨を軋ませた。
「もう大丈夫」
声がした。
木々の間から、一人の女が歩いてくる。
栗色の短髪。黒いタンクトップに、動きやすそうなショートパンツ。指ぬきのグローブをはめた両手から、無数の糸が伸びている。
若い。
だが、その立ち姿には訓練された者の落ち着きがあった。
「ひどい目に遭ったわね。立てる?」
「……あんた、ネッサローズの追っ手?」
ドロシーは警戒を解かない。
女はわずかに眉を上げ、それから苦笑した。
「違うわ。私はコッローディ。中央王都エスメラルダ所属、王立倒鬼師団北東支部の倒鬼師。“糸の魔女”コッローディよ」
「糸の……魔女」
ドロシーはその言葉を繰り返した。
魔女。
この国に来てから、その言葉はろくでもないものばかり連れてきた。
ネッサローズ。カリダ。獄鬼に与する者。人を支配し、弄び、奪う者。
だが、目の前の女は違う。
少なくとも今、彼女はドロシーを救った。
「その反応……やっぱり東から逃げてきたのね」
コッローディは小鬼たちを糸で吊ったまま、ドロシーへ上着を投げた。
「着て。ここはまだ安全圏じゃないわ」
「……ありがと」
ドロシーは身体を隠しながら、どうにか上体を起こした。
魔力は空に近い。
けれど、意識ははっきりしている。あの女が敵なら、次に動いた瞬間に死ぬ。それだけは分かった。
コッローディは、そんな警戒を読んだように肩をすくめる。
「安心して。マンチキンの魔女じゃない。私は獄鬼を狩る側よ」
「獄鬼を狩る……?」
「倒鬼師。聞いたことない?」
ドロシーは首を横に振る。
コッローディは一瞬、痛ましげな顔をした。
「そう。東の民には、まともな知識も与えられていないのね」
「私は……まあ、ちょっと事情があってね。ここの常識には疎いの」
「なら、覚えておいて」
コッローディは指を軽く曲げた。
糸に縛られた小鬼の一匹が、短い悲鳴を上げる。
「魔女や魔法使いというのは、生まれつき魔法を持つ者のことよ。後から学んでなれるものじゃない。百人に一人いるかどうか。生まれた時に、使える魔法も決まっている」
ドロシーは目を細めた。
メルヘヴンの魔女とは、意味が違う。
カルデアの魔女は、魔法都市に生まれた者たちの呼び名に近かった。魔力が高く、ARMの扱いに長けた人間。だが、あくまで人間だ。
この国の魔女は違う。
生身で、固有の魔法を持って生まれる者。
コッローディの糸も、ARMではない。
身体から直接、魔法が出ている。
「生まれつき……ひとつだけの魔法」
「そう。火を出す者は火。風を操る者は風。たとえどれだけ努力しても、糸以外の魔法は使えない。逆に、魔法を持たずに生まれた人は、一生魔法を使えない」
コッローディの声が、少し硬くなる。
「だからこそ、魔法を持つ者には責任がある。力なき人々を獄鬼から守る責任がね。そうやって魔法を扱う者を、倒鬼師と呼ぶの」
「……魔女が、人を守る」
ドロシーは小さく呟いた。
「意外?」
「この国で最初に会った魔女が、あんまり良い印象じゃなかったからね」
「ネッサローズね」
その名を口にした時、コッローディの瞳に怒りが走った。
「東のマンチキンを支配する悪の魔女。獄鬼と結び、民を縛り、魔法を恐怖の道具に変えた裏切り者。西のエルファバも同じ。魔女と呼ばれる者すべてがああだと思われるなら、これ以上の屈辱はないわ」
糸が締まる。
小鬼の群れが一斉に軋んだ。
ドロシーは思わず顔をしかめる。
敵には容赦がない。
だが、その怒りは自分のためではない。虐げられる人間に向いている。
そこが、ネッサローズとは決定的に違っていた。
「中央のエスメラルダでは、オズ大王の名のもとに、倒鬼師団が組織されているわ。魔法を持つ者を集め、訓練し、獄鬼から人々を守る。私はその一員」
「つまり、エリートってわけね」
「そう言われると照れるけど、まあ、選ばれた側ではあるわね」
コッローディは苦笑した。
しかし、その笑みには誇りがあった。
選ばれた者。
守る者。
正しい魔女。
ドロシーはその言葉を、心のどこかに引っかけた。
この女がいつか折れた時、その誇りはどれほど深く傷つくのだろう。
そんな不吉な想像が、なぜか頭をよぎった。
「でも、それじゃ魔法を持たない人たちは?」
「守られるしかない」
コッローディは、はっきりと言った。
「剣を持つ者もいる。弓を扱う者もいる。警邏隊のように、武装して街を守る人たちもいる。でも、獄鬼相手には限界がある。強い獄鬼が出れば、普通の人間は逃げるしかない。祈るしかない。魔女や魔法使いの庇護に頼るしかない」
沈黙が落ちた。
ドロシーは、今しがたの自分を思い出す。
ARMを持ち、戦い慣れた自分でさえ、この世界では獄鬼一体に膝をついた。
ならば、魔法もARMも持たない人間はどうなる。
蹂躙される。
それだけだ。
「……嫌な世界ね」
「ええ。だから、変えなきゃいけない」
コッローディはそう言ってから、ふと声を落とした。
「そのためにも、私は調査に来ているの」
「調査?」
「ここ数年、中立地帯で妙な動きがあるの。獄鬼を神のように崇める連中。東西の悪い魔女に通じているかもしれない者たち。それから――神導器の噂」
「神導器?」
ドロシーの反応に、コッローディは頷いた。
「魔法の秘宝よ。魔法を持たない人間でも、それを手にすれば特定の魔法を使える。しかも、自分の魔力をほとんど消費しないとされている」
「……魔力を使わずに?」
ドロシーは眉をひそめた。
それはARMとは違う。
ARMは魔力を通して使う道具だ。使用者の魔力が尽きれば動かない。相性もある。鍛錬もいる。
だが、神導器は違う。
魔力そのものを持たぬ者でも使える。
その言葉が本当なら、ただのマジックアイテムではない。
「正確な数は王宮の記録にしかないけれど、どれも一種一個しか存在しないと言われているわ。太古の昔、オズの初代王に神が授けた秘宝。今では失われたものも多いし、王宮の管理下にないものもある」
「……それを、東の魔女が持ってる、とか?」
コッローディの目が鋭くなった。
「そういうこと。噂レベルだけどね。」
「そなものが、もっとたくさんあれば……普通の人間も戦えるんじゃないの?」
ドロシーが言うと、コッローディは寂しそうに笑った。
「そうね。でも、神導器は国を動かすほどの秘宝よ。数が少なすぎる。誰か一人の英雄は作れても、民全体は救えない」
誰か一人では、世界は変わらない。
その言葉が、次の町で出会うものの意味を予告するように、ドロシーの胸に残った。
魔法を持たぬ者でも、魔法を使える道具。
もし、それが一つきりの秘宝ではなく、いくつも作れるものだったなら。
この国の形は、根底から変わる。
「ねえ、ドロシー」
コッローディが改めて彼女を見る。
「あなた、行くあてはあるの?」
「……取り戻したいものはある」
ゼピュロスブルーム。
それを置いていくことはできない。
だが、城へ戻ればネッサローズがいる。
戻るべきか。先へ進むべきか。
まだ答えは出ない。
「それとは別に、帰りたい場所もあるわ」
「故郷?」
「そんなところ」
コッローディは少し考え、それから言った。
「なら、エスメラルダを目指しなさい」
「中央の王都?」
「そう。オズ大王が治める都よ。あの方には、試練を越えた者の願いを一つ叶えてくださるという言い伝えがある」
ドロシーは息を呑んだ。
願いを一つ。
何でも。
「……元の場所へ帰ることも?」
「私は保証できない。でも、オズ大王はこの国で最も偉大な魔法使いよ。可能性はあると思う」
可能性。
たったそれだけの言葉が、今のドロシーには重かった。
元の世界へ帰る手がかり。
メルヘヴンへ戻る道。
そして、まだ見ぬこの国の中心。
エスメラルダ。
「ただし、ここから王都までは遠いわ。中立地帯を抜けても、野盗、獄鬼、東西の手先、妙な宗教集団……危険はいくらでもある」
「慣れてるわよ、危ない旅は」
「さっき子鬼の孕み袋にされかけていた人の台詞?」
「……それは言わないで」
コッローディは声を立てて笑った。
それから、糸を引く。
縛られていた小鬼たちが森の奥へ放り投げられ、逃げ散っていった。何匹かはもう動かなかった。
「本当は本隊まで送ってあげたいけど、私はまだ調査が残っている。近くの町までの道なら教えられるわ」
「助かる」
「この山道を抜けると古い街道に出る。夕陽の沈む方へ進みなさい。小さな宿場町がある。治安は良くないけど、森で夜を明かすよりましよ」
「十分」
ドロシーはふらつきながら立ち上がった。
身体はまだ重い。
だが、歩けないほどではない。
コッローディは一度だけ、彼女の破れた服と傷を見て、表情を引き締めた。
「いい? 魔女だからといって無茶をしないで。あなたがどんな魔法を使うのかは知らないけれど、この国の獄鬼は魔力の匂いに敏い。弱っている時ほど寄ってくる」
「覚えておくわ」
「それと、東の魔女には気をつけて。ネッサローズは執念深い。敵認定されたら、国境を越えてでも追ってくる」
「……でしょうね」
ドロシーは苦い顔をした。
まさに、自分は彼女の城を大破してしまい、指名手配されている。
翼猿に見つかれば、すぐに捕まってしまうだろう。
「ありがとう、コッローディ」
「いいの。あなたみたいな子を助けるのが、倒鬼師の仕事だから」
糸の魔女は、誇らしげにそう言った。
その背を見送りながら、ドロシーは西へ歩き出す。
ゼピュロスブルームを取り戻すため、東へ戻るのか。
願いを叶えるというオズ大王を求め、中央エスメラルダを目指すのか。
答えはまだ出ない。
けれど、道は一つ増えた。
それだけで、闇ばかりだった山道に、細い糸のような光が差した気がした。
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同じ夜。
マンチキンの奥深く、東の魔女の城では、ネッサローズが苛立ちを隠そうともせず玉座に腰掛けていた。
部屋の床には、翼猿が一匹、炭の塊となって転がっている。
報告が気に入らなかった。
桃色の髪の魔女――ドロシーは、すでに国境近くまで逃げたという。
「ほんっと、使えない」
ネッサローズは爪を噛む。
腹立たしいことは、それだけではなかった。
ヨルシッパが消えた。
移動靴ヨルシッパ。
一度訪れた場所なら、履く者を瞬時に運ぶ神導器。空間移動の才を持たぬ者でも、魔力を持たぬ凡人でさえ、靴さえあれば夜の果てまで跳ぶことができる。
ネッサローズにとって、それはただ便利な道具ではない。
陽の光を避けねばならぬ彼女にとって、ヨルシッパは命綱だった。
夜明け前に必ず城へ戻る。
どれほど遠くへ出向いても、自分の寝所へ逃げ帰る。
そのための靴。
それが、消えた。
「あの女……」
ドロシーが盗んだ。ネッサローズはそう決めつけていた。
城が荒らされた夜。ドロシーが逃げた夜。その前後に、ヨルシッパは消えている。
ならば犯人はあの女に違いない。
「捕まえたら、まず脚を潰してあげる。逃げられないようにして、それからゆっくり、女に生まれたことを後悔させてやる……」
扉の外で、侍女が震えた。
ネッサローズは顔を上げる。
「ねえ。お姉ちゃんに繋いで」
侍女が青ざめながら進み出る。
彼女の固有魔法は念話。自分と他人、あるいは他人と他人の意識を繋ぐ力だった。
マンチキンでは、魔法を持つ子供が生まれると、必ず城へ届け出なければならない。
危険な力なら摘む。
使える力なら飼う。
侍女もまた、そうしてネッサローズの手元に置かれた魔女の一人だった。
やがて、遠く離れた西の地へ思念の糸が伸びる。
炎の匂いがした。
甘ったるい声が、頭の内側に響く。
『あら、ネッサローズちゃん。どうしたの? 猿が足りなくなった?』
「お姉ちゃぁん」
ネッサローズの声が、途端に甘くなる。
玉座で翼猿を焼き殺した時とは別人のような、幼い妹の声。
「ひどい女に襲われちゃったのぉ。ヨルシッパ、取られちゃった」
『まあ……!』
声の向こうで、炎が膨れ上がる気配がした。
『怪我は? ネッサローズちゃん、どこか痛いところはない?』
「平気。でも、あの靴がないと困るの。ピンクの髪を三つ編みにした、黒い服の魔女」
『へえ』
西の魔女、エルファバの声から、甘さが消えた。
『覚えたわ。安心して、ネッサローズちゃん。お姉ちゃんが取り返してあげる。あなたのものに手を出したこと、後悔させてあげるから』
次の瞬間、思念の向こうで怒号が弾けた。
『何をぼさっとしている! 翼猿どもを飛ばせ! 西だけでなく、北の境にも目を張れ! 桃色の髪の魔女を探せ!』
接続が切れる。
ネッサローズは、くすくすと笑った。
「お姉ちゃんってば、ほんと扱いやすい」
それから、侍女へ視線を向ける。
「マンチキン全域に触れを出して。桃色の髪、黒い服、ドロシーという名の魔女。見つけた者には褒美。匿った者は一族ごと処刑」
侍女が震えながら頷く。
ネッサローズは窓の外を見た。
夜の向こう。
すでに国境へ近づきつつある獲物の姿を思い浮かべる。
「逃げられると思わないでね、ドロシー」
東の魔女は、楽しげに微笑んだ。
その笑みは、月明かりの下で、どんな獄鬼よりも邪悪に見えた。