「先生、この間破傷風の話をしてたよね?」
「ん?ああ、そうだね」
夕飯を食べた後、手持ちの物品のチェックをしていた時のことだった。食器洗いを終えたのだろう桜羽さんが話しかけてきた。おそらく、俺の手に持っている傷薬を見て思い出したのだろう。
「破傷風のことを考えると怪我が怖いってことは、もう海も行けないってことかな」
「まあ、そうなる。やめといた方がいいだろうな」
海に行く、と言うのは当然ただ行くだけでなく、水着を着て遊べるかということだろう。そんな防御力の薄い服装では、転ばなくても気づかないうちに細かな傷がつきそうだ。なんなら裸足で砂浜を歩くのすら恐ろしい。
「そっか。もう海水浴はできないんだね」
「桜羽さんは海で遊ぶのが好きだったの?」
「特別好きだったわけじゃないけど、夏はやっぱり海のイメージってないかな」
「……俺の夏のイメージは、プールの監視員かな」
「お、お疲れ様です」
夏休み中は小学校のプールは子供たちに開放されていて、自由に入ることができた。そして教師たちは持ち回りで、事故が起きないよう常に二人は見張っていることになっていた。
子供たちが夏休みでも、教師は休むことはできないのだ。
「温泉でやったみたいに、どこかのプールを掃除すれば使えないかな」
「それだと水をどこから引っ張ってくるって問題が解決しないね。ペットボトルの水じゃ、何百本って必要になるんじゃないか?」
「さすがにそんな無駄使いはできないよね」
お風呂のお湯を潤沢に使えるのは、湧いている温泉を利用しているからだ。それを街中のプールまで引くわけにもいかないだろう。
「そうだ!温泉の水を冷ましたら、それはもう実質プールと言っていいんじゃないかな?」
「そう、か?確かに水をためてる場所と言う意味では同じといえるか」
「プールの水だって常温なんだし、ならもうプールでいいよ!」
「まあ君が満足ならそれでいいと思うが」
「よし!じゃあ先生、明日は一緒に、プールで遊ぼうね!」
「うん……一緒に?」
桜羽さんの勢いに押されるも、ちょっと今のは聞き流せなかった。いや、確かに今までなんでも一緒にやってきたが。
「うん、一緒に!一人でプールで遊んでも仕方ないでしょ?」
「それはまあ、そうだけど。ちなみに水着は?」
「今は持ってないよ。だから今晩お湯溜めて、明日の午前にどこかから回収したら、ちょうど昼の暑い時間にプールに入れるんじゃないかな。ダメ?」
「ダメじゃないよ。うん、じゃあ明日の予定はそうしようか」
「今年初めてのプール、楽しみだな」
彼女はそう言って笑っているが、俺としては女子高生との――桜羽さんとのプールに少し不安を覚えていた。最近桜羽さんに理性をやすり掛けされている気がするのだ。もちろん本人にそんな意図はないだろうが。
ちゃんと平静でいられるのか、正直なところ、あまり自信がなかった。
■
翌日、水着を回収してきた後で俺は先に着替えて浴場の中にいた。溜めていたお湯はちゃんと冷めていて、まあプールと思えなくもない温度にはなっている。香りは完全に温泉のままだが。
水着の店舗までは二人一緒に行ったものの、どんな水着を選んだのかはお楽しみだと言って見せてくれなかった。いったいどんな姿で出てくるのか。期待するとともに自分が期待してしまっていること自体がまずいことだと思えてくる。
カラカラと浴場の引き戸の開く音に振り返ると、彼女がそこに立っていた。
「えっと、先生、どうかな」
桜羽さんが来ていたのは上下に分かれた白いセパレート水着だった。ビキニに比べたらはるかに露出は少なく、装飾も少ないシンプルなものだ。
ただ装飾が少なすぎるせいで、上に着ているのがまるでスポーツブラのように思えてくる。もちろん材質は水着なのだが、見てはいけないものを見てしまっているような気にさせられた。
腰回りは比較的フリルやスカートのような布で隠れているものの、太ももは大きく露出していて、彼女の細い足が伸びている。
そして最も肌面積が大きいのはお腹周りだ。薄い脂肪は彼女の体を軽く覆うのみで、おへそとその周りの骨や筋肉の形状を、うっすらと浮かびあがらせていた。
「も、もしかして太ってるかな!?」
「いやそんなことはない!むしろもっと食べた方がいいんじゃないか!?」
俺がお腹を見ていたことに気付いた桜羽さんが焦った声を上げる。俺もまた、じろじろ見ていたことを指摘されたようで同じような声を上げてしまった。
「いや、でも、お腹出し過ぎじゃないかなって……」
「先生の水着の露出の基準って、スクール水着になってない?」
「それを言われると否定できないが……」
何せ俺の人生で最も見ていたのがスクール水着である。毎日のように見てきたと言っても過言ではない。
思えば6年生の時の桜羽さんの水着姿も見たことがある。そのころに比べると背も、手足も伸びている。胸も膨らみ、お尻も腰も丸みを帯びていて――そう、
桜羽さんは、女の子の体をしていた。
(だからまずいって!!)
「よし!じゃあ温泉の中に入ろうか!触ってみたら温度はちゃんと下がってたよ!」
「良かった!それと先生、これは温泉じゃなくてプールだよ!まずプールだと思うことが肝心じゃないかな?」
桜羽さんから逃げるように、俺は急いでプールの中へと入っていった。
■
いくら水を冷ましたといっても温泉はしょせん温泉である。具体的に言えば、水位がもう全然違い、クロールでもしようものなら回した手が水底につくかもしれなかった。
なのでできることと言えば本当に些細な水遊びだ。とりあえず用意しておいたビーチボールを使ってみることにする。
「よっ」
「ひゃぁっ」
「パスっ」
「はわわっ」
やっていることは、ただ軽いボールをパスしあうだけだ。動きはゆっくりで、そんな難しくないように思える――これが陸地であれば。
水の抵抗で動きが制限されると、途端に難易度が上がってくる。ボールの動きが目で追えても、体の動きを間に合わせるためにはかなり体力を消費した。
「あ、ごめんっ」
掛け声とともに桜羽さんの上げたボールが垂直よりやや前程度の角度で上がる。俺よりもむしろ本人の方が距離が近いくらいだ。
俺は上を見上げながら急いで近寄ろうとして……
「もう一回ボクが――」
「えっ?」
「きゃっ」
二人ともボールの方ばかり見ていたせいだろう。お互いの体がドンとぶつかった。その衝撃で桜羽さんが後ろの方へとよろける。
「危なっ」
彼女が倒れそうだと思ったとき、とっさに手が伸びていた。彼女の背中に腕を回し、転ばないように引き寄せる。パシャリと、俺たちの脇にボールが落ちた。
「あ、ありがとう先生」
「いや、こっちこそ前見てなかったし」
いつの間にか、桜羽さんを抱きしめる形になっていた。お互いのさらされた肌が触れ合う。少女の胸が、ほんの少しだけ俺の胴体に触れている。
「えっと……」
桜羽さんが顔を赤くして俺の方を見上げてくる。離れようとしないままで、俺の腕の中で小さくなっていた。
「……ボール、落としちゃったな」
「えへへ、そうだね」
平静を装って後ろに下がると、桜羽さんも照れたような誤魔化し笑いを浮かべて距離を取った。
「疲れてきたし、少し休憩しようか」
「うん。ボク何か飲み物持ってくるね?」
「それなら持ってこなくたって、二人で一度浴場から出ればいいんじゃないか?」
「休憩もプールサイドでしないと、プールって感じがしないよ」
そう言って出ていく桜羽さんを見送る。俺の肌には、まだ彼女の温もりが残っている気がした。
■
「それって、スポンジ?」
「ああ。これを今からプールにまくんだ」
俺が持っていたのはかご一杯に入ったスポンジ製のボールだ。踏んでも怪我をせず耐水性もあるこれは、今からの遊びにうってつけだった。
「二人で同時に拾い始めて、多く拾えた方の勝ちってやつだね」
「それ、小学生の時にやったよ?子供の遊びじゃないかな」
「子供の遊びを舐めちゃいけない。鬼ごっこだって大人が本気でやったら、結構楽しいものだよ」
というか、そもそも水深が子供向けプールというのも苦しいくらいしかないから、こういう遊びしかできない。さらに言うと俺はこういう遊びばかり知っている。
「じゃあせめて、何か賭けようか?負けた方が勝った方の言うことなんでも聞くとか」
「本当!?」
「もちろん。ただ俺も簡単に負けてあげられないけどね」
男が体を使う勝負で本気を出すのも大人げないが、鬼ごっこと同じく本気を出してこそである。命令は、なんか適当なのを考えておこう。
そう思っていたらボロ負けした。なんか水が変に動いて波を起こして、スポンジが桜羽さんの近くに勝手に集まっていた。幸運を味方につけたのかもしれない。
■
「バタ足ならこの水深でもできるよ!少しだけ泳いでる気分!」
彼女は温泉のふちを掴んで、バタバタと両足を動かしていた。激しくお湯を巻き上げるその動きは、温泉に他の人いたら明らかに迷惑な行為であり、今だからこそできることだろう。
だが、しかし。
「なんというか、フォームが悪い。それじゃあ前に進まないよ」
「先生にダメだしされちゃった!」
ショックを受けている様子だが、俺も俺で言いたいことがある。
「俺、君にバタ足の指導した記憶があるんだが……小学生の頃の方がちゃんとした形だったと思うよ?」
「そんな昔のこと覚えてないよ……」
桜羽さんが教師の存在意義を言葉のナイフで突き刺してきた。いやでも、中学でもプールの授業ってあるんじゃないか?
「じゃあせっかくだから、もう一回教えてよ」
「よし、いいよ。まずは今の動きを確認したいから、またバタ足して見せてくれるかい?」
「うん分かった」
そして再び彼女が水を跳ねさせる。それと同時に、気付いてしまった。
彼女の水着は下半身にはいくらか装飾の布があり、それが体のラインを隠すスカートのようにふんわりと覆っていた。しかし今はバタ足によって完全にめくれ上がり、少女のお尻の形をした水着が丸見えになっていた。
「先生、ちゃんと見てる?」
「あ、ああ、見てるよ。そうだねまずは――」
その後しばらくの間、指導のために俺は彼女の下半身を見る必要があった。
■
「結構遊んだね」
「そうだなあ。この水深でも遊ぼうと思えば遊べるものだ」
時刻は16時ごろになっていた。夏であり外はまだまだ明るいが、お開きにするにはいいころ合いだろう。
「せっかくだからこのままお風呂も済ませちゃわない?」
「そうするか?じゃあ俺は先に出てるから……」
「そうじゃなくて、一緒に入ろう?」
その提案に驚くものの、すぐに考え直す。おそらく水着を着たままということだろう。それならまあさっきまでと全く変わらないが。
「でも、水着着たままじゃ体の一部が洗えないだろう?」
「一日くらいいんじゃないかな?十三人くらい人がいれば、二人くらいお風呂に入らない子もいると思うよ?」
「その具体的な数字は一体どこから?」
「そしてボクもお風呂に入らなかった場合、全体の25%近くがお風呂に入らないことになるよ!これはもう、お風呂に入らないのが普通じゃない、とは言えないんじゃないかな?」
「その理屈には無理がないか!?」
そんなに体を洗うのが面倒なのだろうか。普段は頻繁にお風呂に入っている気がするのだが。
「というか、君がよくても俺はちゃんと体を洗いたいよ。俺がここで海パン脱いだら君だって困るだろう?」
「え!?……ボ、ボクは別にいいよ!?」
「全くよくないが!?」
先ほどから主張している理屈に無理がありすぎる!
遊びのテンションでおかしくなっているのかもしれない。
「じゃあ、せめて背中流させてよ。日ごろのお礼に。それなら水着着たままでいいでしょ?」
「うーん。そうだな……」
「それとも、嫌……?」
「あー……」
不安そうな瞳で、彼女はこちらを見上げてきた。
俺は先日、嫌なら嫌とちゃんと言いうから、好きなだけ甘えていいと彼女に言ったのだ。つまりここで嫌と言うのは、結構強い意味の否定になる気がする。
罰ゲームなんてなくたって、俺が彼女のお願いを聞かないはずがないのだ。
「じゃあ、背中だけお願いしようかな」
「任せて!少しそこに座っててほしいな」
桜羽さんに言われるままに、浴場の一角の体を洗う場の椅子に座る。シャワーは使えないものの、鏡やシャンプー類を置く台座など、ここはいくらか便利だった。
しばらくすると桜羽さんがお湯と手桶を入れたたらいをもって、俺のもとへと戻ってきた。
「それじゃ、先生の背中綺麗にしてあげるね」
俺の後ろに座った桜羽さんはそういうと、タオルでもスポンジでもなく自分自身の手の平に、ボディーソープを吹きかけた。