「おはよう。桜羽さん」
「あ、うん。おはよう、先生」
あれから数日。俺は桜羽さんと暮らしていた。
再会したときは以前の性格とはまるで違うほど暗かった彼女だったが、今では少しだけ明るくなってくれたように思える。
「お湯は沸かしておいたから、好きなの選んでね」
「ありがとう」
そう言って桜羽さんは部屋の隅の段ボール箱へと向かった。そこには各地から集めた非常食が入っている。
そこからお湯で戻せるアルファ米と、おかずとして魚の缶詰を一つ持って戻ってきた。
「「いただきます」」
そう言って二人で食卓を囲う。共に暮らすようになってから、いつもそうするようにしていた。
一人暮らしをしていたころは一人で食べることに特に苦痛はなく十分に満足だった。しかし、強烈な孤独を経験した後だからだろうか、今はできるだけ共にいたいと思っていた。
思えば彼女はよく俺についてきてくれたものだ。懇願したときの俺は必死過ぎて冷静ではなかったが、改めて考えると成人男性が女子高生を家に誘うなど、明らかに不審だっただろう。
それでも来てくれたのは、彼女の優しさか、先生として信頼してくれていたか―――あるいは、彼女も孤独が辛かったのかもしれない。
「今日も、外に行くの?」
「うん。缶詰とか水とか、後乾電池とか。まだまだ食べられるもの、使えるものは残ってるはずだからね。今のうちに回収して管理しておかないと」
いくら賞味期限が長いからと言って、人間の管理のはずれたところで長期間置いていたら、何があるか分からない。すでに二人で数か月生きられるだけの備蓄はあるけれど、数年後のことを考慮すれば、今から動いておく必要があった。
「先生は、ちゃんと先のこと考えるんだね」
「せっかく生き残れたんだからね。まだまだ、諦められないよ」
いや、もしも自分一人だったら、俺も正直いろいろなことがどうでもよかった。
でも今は桜羽さんがいるのだ。彼女の生活のことを考えると、適当なことはできなかった。
昼には軽トラに乗って、一緒に街へと降りてきていた。水道や電力が維持できているキャンピングカーは万が一にも壊せないため、動かすのは基本的にそれ以外の車両だった。もっとも、やろうと思えばどの車両も動かし放題ではあるのだが。
「学校以外で災害時の物品が備蓄されている場所というと、公民館や市役所とかかな。そこに行くの?」
「むしろそこは後回しかな。今はまだ、普通のペットボトルの水が使えると思うんだ。備蓄専用の水より、先にそう言った足の早いものから回収して使っていこう。飲む以外にトイレにもシャワーにも、いくらでも使い道があるからね」
助手席の桜羽さんと話をしながら車を進める。この地域の人々が滅亡した時間は15時ごろであり、幸い通勤ラッシュの時間からは外れていたため、大通りであれば車で移動することができた。
通りには砕けた人骨が所々に転がっていて、その数がかつての繁栄を思い起こさせる。路面の隙間からは徐々に雑草が生え始めていて人間社会を侵食してきていた。
人類の終焉を実感させる風景の中を、文明の名残であるエンジン音を響かせながら、ゆっくりと進んでいった。
向かった先は近くのショッピングモールだ。予定通りの水や、缶詰などのまだ食べられる食料品を二人で協力してトラックへと積み込んでいく。バックヤードまで探索し、とりあえずはこれくらいでいいだろうと思えるだけ積んだ後、桜羽さんに聞いてみる。
「桜羽さんは、何か欲しいものあるかい?」
「どうだろう。この状況で生きていくのに必要なものは、もう用意できたんじゃないかな」
「必要なものだけじゃなくてさ、服とかおもちゃとか、何か欲しいのがあったらそれも車に積んでいこう。まだトラックには余裕があるからね」
「うーん、そうだね……」
俺の提案に彼女は少し悩んだ後に言った。
「すぐには思いつかないから、お店の中を見てくるね。それなら何か見つかるかも」
「分かった。ああ、ただ行くのなら俺も一緒に行くよ。野生動物が入り込んでたりしたら、危険だからね」
「ありがとう先生。それと―――」
そこまで言った後に彼女は少しすねたように言った。
「ボク、もうおもちゃとか、そういう年じゃないよ?」
「あ、ああ、そうだよね。ごめんな?小学生の頃の印象が残っててな……」
彼女はもう15歳の女子高生なのだ。気づかずに失礼なことをしてしまいそうだと少しだけ不安になった。
■
人類滅亡時、化け物になって暴れた人がたくさんいたのだろう。ショッピングモールの中は荒れ放題だった。
とはいえ、それはあくまで無軌道に暴れただけだ。難を逃れた商品棚は残っているし、床に落ちてても無事な商品もいくらでもあった。
ショッピングモールのなかは昼間でもかなり薄暗い。照明により照らされる前提の設計であり、採光窓など殆どないからだ。
俺たちは水等を回収したときと同様に、それぞれの手に懐中電灯をもって静寂の中を進んでいく。
「何が欲しいかって考えるとね、家具が必要だと思うんだ」
「家具か?コテージに備え付けものじゃ足りないかな」
「そうじゃなくて、見た目がこう、味気ないというか……」
なるほど、確かに。あのコテージはキャンプ場に併設されたアウトドア用のものだ。非日常を体験するためのものであり、その外見は野性味の溢れる木目調で統一されている。
俺からすれば、家具なんて使えれば何でもいいが、女の子からすればデザインは重要な要素なのだろう。
少しだけ楽し気に家具の間を回る桜羽さんの後ろをついてしばらく歩くと、不意に彼女が立ち止まった。
「ねえねえ、これなんてどうかな?」
そこにあったのは一つベッドだった。白を基調としてピンク色のラインで装飾されたそれは、いかにも少女が好みそうなものだった。
しかし、問題がある。
それはデカくてごつかった。
まずそもそも横幅がセミダブルのサイズだ。ベッドを支える四つの足は図太く、重厚さと高級感にあふれている。実際、値札に書かれている金額も他の商品に比べて1段と高いものだった。
俺は情けなさをかみしめて告白した。
「ごめんな桜羽さん。君のためならなんだって頑張ってあげたいけど、ちょっとこれは俺には運べないかな……」
「それじゃあボクも手伝うよ!二人で両端を持てばいいし、それならどうかな?」
「桜羽さんが……?」
そういう彼女の腕を見る。細い、あまりにも華奢な腕だった。女子高生の腕なんてじろじろ見たことはないが、平均よりもかなり頼りなく、儚さがあるように感じる。
「その、言いづらいんだけど、その腕じゃ無理じゃないかな」
「ちょっと待って。ボクが根性見せればなんとかなるんじゃないかな?」
「そんなヤンキーじゃないんだから」
「ヤンキー扱いされちゃった!」
そう言う桜羽さんは断られたというのにニコニコと笑っていた。おそらく、そもそも本気ではなかったのだろう。だが、今住んでいる部屋が殺風景だということ自体は事実だった。
「シーツとか布団とか、そういう布系で飾り付けるのはどうだい。それなら自分たちで持ち運べるし」
「それいいかもっ」
一緒に少しだけあたりを探すと、シーツ類のおいてあるコーナーを見つけた。幸い動物にも荒らされておらず、棚の上にたたまれて、整然と置いてある。桜羽さんはそれら一つ一つに懐中電灯の明かりを向けて、どんなものがあるか確認していた。
「ねえ、どれがいいと思う?」
「そろそろ夏に入るし、吸汗性があって涼しく感じるやつがいいんじゃないか?」
「そうじゃなくて、デザインがどうかなって」
「う……む……」
大人の男相手に少女好みのセンスを求めるのは無茶と言うものではないだろうか。何も言えずにいると、桜羽さんは仕方ないなとでも言いたげに優しく笑うと、商品を見る作業に戻っていた。
内心で戦力外扱いされた気がする。
それから30分ほどが経過した。たかが布切れを選ぶのになぜそんなに時間がかけられるのか、俺からすると不思議でたまらない。
節約のために懐中電灯の電気を消し、隅の椅子でぼーっと座って待っていると、当たり前のことに気付いてしまった。
「なあ桜羽さん。思ったんだが、いっそ全部持って帰ればいいんじゃないか?」
「全部!?」
彼女が驚いた様にこちらを向く。買い物気分でいた桜羽さんからしたら、それは想定外の意見だったのだろう。
「実際、それができちゃう状況だしね。それにシーツを洗うのにいちいち水を使うのに比べたら、使い捨てて新しいのに交換していった方が、現状だと理にかなってると思うんだ」
カートを転がして桜羽さんのもとへと戻る。棚にある商品を掴んでは、ポイポイとかごの中に入れていった。
「な、なんだかすごく贅沢なことしてる気分」
「そうだね、世界がこうなる前だったら絶対できなかったことだな」
「だよね。みんながいなくなったおかげで……おかげ、で……」
言葉の途中で桜羽さんの語調が一気に沈んでいった。
まずい、と思うと同時に、彼女が口を開く。
「ボク、今すごく不謹慎なこと考えちゃった」
「桜羽さん―――」
「みんな、みんな死んじゃったのに。これだって盗んでるのと同じで、本当はボクのものじゃないのに」
「それは仕方ないよ!だってもう誰も―――」
「でもボクが!ボクが悪いのに!ボクのせいで!」
「桜羽さん!」
彼女の声を隠すほどの大声をあげて、強く腕を引いた。
そうして無理やり、桜羽さんの意識をこちらへとむける。
「君は悪くない。そんなこと絶対にないんだ。」
「でも…でも……」
「大丈夫、君は悪くない」
言い聞かせるように、何度も繰り返す。とにかく彼女のことを落ち着かせなければいけない。
突然に自分が悪い、なんて支離滅裂なことを言い出した理由には予想がつく。
(多分、サバイバーズギルトだ)
その気持ちはよく分かる。俺もあの日、全ての人間が化物となり人間を殺していく中、俺は子供たちを見捨てて逃げ出したのだ。
守るために集めていた子供たちの中からも化物になるものが出てきて、協力していた他の教師にも同じ症状が発生した時点で、俺は、俺自身すら子供たちにとって害になりえると判断したからだ。
結果として生き残った時点で俺の判断は間違っていたのかもしれないが、とはいえあの段階では最善の判断だったと思うし、そこは割り切っている。大人である俺は理不尽な現実を飲み込むことくらいはできた。
だが、心優しい桜羽さんにとって、それは辛いことだったのだろう。
あの人類滅亡の日、彼女に何があったのかは分からない。きっと人を見捨てたと思ってしまうようなこともしたのかもしれない。だからその判断に後悔をしているというのなら、何度も言い聞かせることしかできない。
「そうだ、君は悪くない。」
「先生、でも、ボクは―――」
「いいんだ、桜羽さん。君は悪くない。だって……悪いのは全部、大魔女じゃないか」
「え……?」
俺の言葉に、桜羽さんは今までと違った反応を返した。パニックが収まったのなら、この方向が一番説得力があるのだろう。
「ニュースでも見ただろう?大魔女が人類を滅ぼしたって。みんなが死んだのも、俺たちがいまこんなに大変な目にあってるのも、全部大魔女のせいなんだ。だから、君は悪くない」
できるだけ穏やかに喋って、彼女の心を落ち着かせていく。まだこちらの服を握る手は震えているけど、少しずつ冷静さを取り戻していっているようだった。
「悪いのは、全部、大魔女」
「そうだ、桜羽さん」
「ボクは、悪くない」
「君は悪くないよ。君のせいじゃない」
「…………ボクのせいじゃない?」
「もちろんだよ。君はいい子だって、先生はちゃんとわかってる」
それからもしばらくの間声をかけ続けると、ようやく彼女は落ち着いたようだった。
「えっと、先生。もう大丈夫。ありがとう」
「そっか。良かった……」
「それで、その、手を……」
「あ、あぁ!ごめんな!」
桜羽さんの腕をぱっと離す。彼女は困ったような笑みを浮かべてこちらから少し距離を取った。
(やっばい。やっちまったか……?)
彼女はもう小学生ではない、とつい先ほど思ったばかりなのに距離感を間違えてしまった感がある。
いや、女子小学生相手でもアウトだろうか。だが、しかし……。
そんなことをうだうだと考えている間に彼女はもう立ち直ったようだった。最後に数個、何かのカバーを買い物かごに入れていた。
「このくらいあればいいかな。足りなかったら、また取りに来ればいいし。」
「そうだね。じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
そうお互いに声を掛け合って、二人並んで車へと戻っていった。
■
帰りの車の中、ボクは助手席に座って外を眺めていた。
窓の外を陰鬱な風景が流れていく。転がる人骨。割れた窓。歩道に乗り上げた車や、日陰にうっすらと残る血痕の跡。
人類の微かな形跡だけを残すままに誰も整えることのないその惨状は、誰も生き残っていないのだということを強く感じさせる。
それは、ボクがやったことだ。
目覚めた「魔女殺しの魔法」をふるい、ユキちゃんに囁かれるまま、胸の中に湧き上がる殺意に従って皆のことを殺しつくした。
世界中を巡って誰もいない街並みを見た時点で満足したらしく、ユキちゃんは復讐を果たして成仏していった。
それと同時に「みんな死ねばいい」という思いも消えて、ボクはもとのボクに戻った。崩壊した世界の中、ただ一人取り残されたんだ。
もしかしたらそれは、最後に残った人類であるボクに対しての、ユキちゃんの復讐だったのかもしれない。
罪を背負って一人で生きろという。それはボクにとってはとても耐えられることではなかった。
だからあの日、本当は死ぬつもりだった。
何処で死のうかと思ったときに思いついたのが小学校だった。中学校はもう辛い思い出ばかりに思えてしまったから、ヒロちゃんと仲良くできていた最後の幸せな場所だった。
用意していたトレデキムをそこで飲んで、終わりにする。そのつもりだったのに――そこで先生に再会した。
人類を滅ぼした時、建物の中一つ一つまで確認したわけではない。だから生き残りがいたなんて、ユキちゃんも気付いていなかったのだろう。
何故「魔女殺しの魔法」が効かなかったのか。理由は分からないけどそれはきっと奇跡的なことで、もしかしたら最後の人間なのかもしれない。
そして、先生の一人は嫌だというその言葉に共感したときに、ボクに死ななくていい理由ができた――できてしまった。
ボクが死んだら先生は一人になってしまうから、ボクは死んではいけない。死ななくてもいいし、生きていていい。いや、きっと生きるべきなんだ。
それに今日、先生も言ってくれたから。
『悪いのは全部、大魔女じゃないか』
(そうだよ。悪いの全部ユキちゃんだ)
『君は悪くないよ。君のせいじゃない』
(ボクは悪くない。ボクの、せいなんかじゃ、ない……)
視線を窓からそらして運転席の先生を見る。それだけで、この狭い車の中だけが世界の全てに思えた。
(ボクがいないと、先生は一人になっちゃう。先生がいれば、ボクは一人じゃない)
車の椅子に背中を預けて、先生の運転に身を任せる。コテージへと向かってボクの体はゆっくりと運ばれていった。