公園もまた、他の施設と同じく廃墟のような雰囲気を醸し出していた。
生垣の植物は伸び放題に繁茂していて、道の方まで侵食してきている。その道自体からもブロックの隙間に雑草が生えていて、かなり荒れてしまっていた。
そんな道をエマとともに歩いていく。俺の手には日傘が握られていて、その一本の傘が作る小さな影の中に、二人そろって入っていた。
「あ!リスいるよリス!山から下りてきたのかな?」
「そうかもな。もうここは人間じゃなくて動物のものになっているのかもね」
「可愛いな。カメラ持ってくればよかった」
そう言いながら道を外れて木に近づく。俺も日光がエマに当たらないように気を付けながらその後に続いた。
「あれって何食べてるんだろう……木の実?」
「なんだろう。種っぽくないか?」
「なんだろうね」
エマがそっと手を伸ばすも、それを察したリスはどこかへと走り去ってしまった。
「やっぱりダメか」
「野生動物を触るのは無理だろうね。警戒心も高いだろうし」
「ペットならいけるかな。何か飼ってみない?」
「流石にそこまでの生活の余裕はないかな。食料的にも、時間的にも」
「ちょっと待った!家畜として飼うならいいんじゃないかな?」
「可愛がったペットを最後に屠殺するのはきついと思うよ。サイコパスじゃないんだから」
「サイコパス扱いされちゃった!」
再び道に戻って並んで歩く。傘で繋がっている二人の影が、明るい日差しの中で揺れていた。
「街中ではあまり動物って見ないよね?ここと同じで、山から下りてくると思ったんだけど」
「人間もいなくなって、すでにそこにある食べ物もなくなったら食料が何もないからね。コンクリートに覆われた街は、住みにくい場所なんだと思うよ」
「そっか。新しい食べ物は出てこないもんね」
「だからあそこが動物の住みかになるのはもっと後かな。コンクリートが風化して、隙間から植物がどんどん成長していって、動物が来るのはきっとその後」
人類の痕跡が、自然の中へと消えていく。きっと並び立つビル群も、ただの遺跡となるのだろう。
「まあ、最近はこの光景もそう悪くないと思ってきたけどな」
「そうなの?」
「うん。廃墟の写真が好きな人たちの気持ちが分かった気がする」
この雰囲気をなんと表現すればいいだろうか。詫びさびか、あるいは儚さか。人間に整えられることのなくなった雑然さの中に、名高い芸術作品のような美しさが感じられた。
「それに、好きな子と世界で二人きりってのも、なかなかにロマンチックじゃないか?」
「それは、その、よく分かるけど……」
エマが顔を赤くしてそっぽを向く。臭いセリフを言ってしまった気がして俺自身も恥ずかしくなってしまった。
■
「わあ!綺麗だな!」
花畑にたどり着く。夏の花が植えられたそこは、誰に見せるためでもなくただ咲き誇っていた。
「意外だな。正直なところ、人の手が入らなくなったらすぐダメになると思ってた」
「運がよかったね」
花畑の中には道が通っていて、その中心には小さな広場があった。そこにレジャーシートを広げて、二人並んでおにぎりを食べる。
具材は焼き魚や野菜の塩漬け、そしておにぎりの素を混ぜ込んだものだ。乾燥しているおにぎりの素は賞味期限が長く、この状況ではとても助かった。
「仕事じゃないピクニックは気楽でいいな」
「仕事……そういえば小学校には遠足があったね」
「そうそう。単純に楽しんでいいピクニックは……子供のころ以来かな」
「恋人出来たことないって言ってたもんね。どうして作らなかったの?」
「どうしてっていわれてもな」
純粋な疑問の目でこちらを見上げてくる。おそらく大人になったら恋人ができるものだと疑いなく思っているのだろう。だが現実は理由があるから恋人を作るのであって、恋人がいないこと自体には特別な理由はないのだ。
「特に誰も好きにならなかったからかな。好きになったらから恋人になるのであって、恋人にするために人を好きになるのは順序が違うだろう?」
「そっか……でも逆は?先生が好きって言わることはなかったの?」
「それは、あるにはあったが、微妙なところでな」
誤解を生みそうであまり人には言えなかったのだが、こんな世界ならもういいだろう。少しだけ考えてから続きを話す。
「俺を好きだと言ってくれたことがあるのは、皆教え子だ。だから当然全員お断りした」
「もしかして、先生って結構モテてた?」
「あれをモテてたって言っていいのかな。単純に、大人の男性との恋愛への憧れみたいな子もいるだろうし」
全員がそうだと決めつけるのはさすがに失礼だとは思うが、そういった要素もきっとあると思う。
「ねえねえ、もしかして告白してきたこの中にボクのクラスメイトっていた?」
「それはさすがに言えないよ。あまりにもプライベートなことだし」
「いたんだ!いなかったらいないっていうもんね?ねえ誰!?」
「女の子はコイバナが好きだよなあ」
興味津々と言った様子でこちらににじり寄ってくる。でもさすがに言いふらすわけにもいかず、俺はそのまま話題を彼女に返した。
「エマの方はどうなんだい?恋人を作らなかった理由って」
「理由は、その、まだボクには早いかなって。中学生だったし。興味は、その、あったけど」
「興味か。恋愛ものの少女漫画読んだり?」
「うん。そういうシーンが出てきたときに、ボクもしてみたいなって。あ、でも漫画と現実が違うことは分かってるよ?そこまで夢見がちじゃないよ?」
少女漫画は、ある意味女の子の理想を詰め込んだものだ。エマに何をすればいいか考えた時に参考になるかもしれない。
そう思って読んだことのある少女漫画を思い出そうとするも、興味があって読んだのは全て戦闘要素のあるものばかりだった。女の子がときめくのも危ない敵から守ってくれた時や強い力を見せた時ばかりで――現実の俺には、まったく真似できるものではなかった。
「恋愛の漫画だと、エマはどういうシーンが好きかな」
「えっと、一つの傘で一緒に帰ったりとか、夕暮れの教室で、キ、キスしたりとか」
「なるほど。そうだ、今度好きな少女漫画でも貸してくれないか。参考にしたいから」
「それは、その、してくれるってこと?」
「まあ。鋭意努力はする」
「そっか、分かった。あ、でも全部のシーンがしてほしいことじゃないからね?お気に入りじゃないシーンもあるし」
「それもそうか……そうだ、じゃあして欲しい場面のページに付箋貼ってもらうとか」
「そんな恥ずかしいことできないよ!?」
そんな雑談をしながらお弁当を食べ進めていく。誰もいない二人きりの世界で、花畑の中、優しい風に吹かれながら一緒に笑いあっている。今も十分、少女漫画的なんじゃないかと思った。
■
その後もいろいろなことをした。
持ってきたフリスビーやバトミントンで遊んだり、散歩をして別の花や動物を見つけたり、枯れた噴水や管理施設みたいな、普段は入れないところに入ってみたり。
そのうちに時間は過ぎて、日は徐々に落ちていく。赤い夕陽が世界を染める中、俺たちは最後に街を見下ろせる高台に来ていた。
「先生の言った通りだね」
「なにがだい?」
「悲しい風景なのに、悪くないねって」
遠くから見下ろすと、人の白骨や血痕は見当たらない。少しずつ緑に飲み込まれていく街並みが、赤い光の中に沈んでいる。
文明が滅んでいく景色が、残酷なまでに、美しかった。
「さっき、エマに好きな漫画のシーン聞いたけどさ」
「うん」
「日傘だけど、一つの傘を二人でっていうのは、もうやってたね」
俺の持っている傘は、西日を防ぐために少しだけ傾けられていた。俺自身よりもエマを守るために作られた影が、彼女の顔に影を落としている。
「そう言えばそうだったね。今日一日持ってくれてありがとう」
「どういたしまして。それで、もう一つの方も今できると思うんだ」
「もう一つって――」
お互いの顔を近づける。それだけで察したのだろう。エマは急に黙り込んでしまった。それを許可だと受け取ってそのままさらに進み、お互いの唇を重ねる。
口づけをした後、少し距離を取って見つめあい、そのあともう一度口づけをする。
日傘を引いて近くに寄せた。見えない誰かから隠れるように、陰の中、二人だけの秘め事を繰り返す。
しばらくして離れた時には、彼女の顔は夕日の中でもわかるくらい赤くなってしまっていた。
「教室じゃないのは、悪かったけどね」
「べ、別にいいよ。公園の高台だって、十分、素敵だったよ」
はにかむエマが可愛らしくて、ついその頭に手が伸びる。優しく撫でるその動きを、何の抵抗もなく受け入れてくれた。
「そう言えば先生、その気づいちゃったんだけど」
「なにかな?」
「ボクに、その、手を出さないってことだけど、キスはセーフだよね?」
その言葉に、少しだけ考えてみる。女子高生とのキスがセーフかアウトかで言ったら、普通はアウトだ。それが大問題として取り扱われた教師なんていくらでもいるだろう。
だが既にしてしまったことを実はダメでしたと言うのも、なんだか変な話だ。それに人類が、法律が、裁判所が滅んだ世界で昔の法律なんて気にしても仕方ない。俺たちはあくまで俺たちの間のルールで生きるべきだ。
それを踏まえて考えると、
「まあ、キスはセーフでいいんじゃないかな」
「だよね!うん、良かった!」
そう言って笑うエマの頬をなでる。キュートアグレッションと言う奴だろうか。なんだか少しからかってみたくなった。
「エマは、もしキスがアウトだと困った?」
「え!?それは、まあ、そうかも……」
「どうして?」
「それは……だって、その……」
目線をそらし、もごもごと口の中で何か言った後、こちらのことを見上げて、言った。
「その、先生とキス、したいし……」
あまりのかわいらしさに俺の方が我慢できずに、さらに何度か、愛を交換した。