人類が滅んだ後の食卓は味気ない。何せ食べるものは、基本的に毎日保存食なのだ。
できればちゃんと新鮮な食品を食べたいところだが、電力がなくなりスーパーの冷蔵機能が全て死んだ結果、生鮮食品はあっという間に腐ってしまった。
根菜のように少しは長く持つ食品も存在するが、それらはすでに動物に荒らされていて見つけることはできなかった。
日々食べられるのは缶詰や、お湯で戻す乾燥した食材。インスタントラーメンなどになる。まったくバリエーションがないわけではないが、それでも食事がどことなく作業のようなものになっている。
俺一人ならそれでもいい。だが桜羽さんに、そのようなわびしい思いをさせるわけにはいかない。そう思って行った対処の結果が、今目の前にあった。
「先生見て。もやしって、本当に瓶の中で育つんだね」
「土すら必要なく水だけで育てられるから、手間もかからないし、今はすごくありがたいな」
瓶の中いっぱいに、もやしが発芽して長く伸びていた。瓶の中に種を入れたのが10日ほど前。そこから毎日水を替えて、日光の入らないカバンの中に保管しておく。ただそれだけの手間で、十分に食べられる分が育っていた。桜羽さんはその瓶を期待の目で眺めていた。文句を口にしたことはなかったけれど、彼女も内心今の食生活に辟易していたのかもしれない。
収穫したもやしを味塩コショウで炒める。今日の朝食には、そんなあまりにも簡素な料理が出ていた。しかしそれは今までと違う、シャキシャキとした歯ごたえのある味わいだ。
「ただのもやしだけど、なんだか自分で育てたってだけでおいしく感じるね」
「家庭菜園とかやる人たちの気持ちがわかるな。これだけおいしいなら、ちゃんと手間をかけようと思える」
そう言ってベランダを見る。そこにはいくつもの鉢植えが並んでいた。
各地の店を回って、ネズミなどにかじられる前の種をたくさん集めまわった。その中でも比較的育てやすいもの、すぐ育つものを中心にあの中で育てているのだ。
「とはいえ、もやし以外が育つのには時間がかかるからね。しばらくはもやし生活だ」
「それでもいろいろバリエーションを考えていこうよ。ごま油でナムルにしたり、スープの具にしたりもできるよ」
「おお、いいね。じゃあしばらくはいろいろ試してみようか。その間に次にとれるようになるのは、カイワレ大根かな」
「楽しみ。マヨネーズつけて食べたいな」
「ああ、えっと、マヨネーズはちょっと怖いな。電力が止まって冷房も効いていない外で、まだ食べられるか不安だ」
「そっか、残念」
文明が滅んで、一生食べられないであろう食材がある。そんな話題をしているのに食卓の空気は明るかった。
なにせここには希望がある。昨日より今日、今日より明日、日々の生活がより良いものになっていくという期待がここにはあったのだ。
できることはまだまだある。ペットボトルの上の部分を切り、ひっくり返してまた同じペットボトルにくっつける。そんな返し構造を持った入れ物をいくつも作っていると、水やりを終えた桜羽さんがリビングに戻ってきた。
「先生、これってなにかな?」
「これはびんづけって言われるもので、魚を捕るための道具だよ」
「お魚!?」
桜羽さんは思わずと言った様子で声を上げる。その声はとても嬉しそうだった。
彼女のためにと思って行っている行動で素直に喜んでもらえる。それだけで俺も嬉しいと感じていた。
「このペットボトルの中に、魚のえさを入れて川に沈めておくんだ。中に入った小魚は返しがついてるから外に出られない。そういう罠だよ」
「先生っていろんなこと知ってるね。やっぱり先生だから?」
「まあ、そうだね」
この知識は本来、教師であることと全く関係がない。それでも明確に、教師だったからこそ知った知識だ。
「もやしを育てるとか、ペットボトルで魚を捕るとか、夏休みの自由研究で提出してきた子がいたんだよ。その子たちに、教えてもらったんだ」
皆の勉強が、俺を生かしてくれている。過去の思い出は、もうはるか昔のことのように思えた。
(でもきっと、卒業した子たちも、もう誰も生きていないんだろうな)
少しだけ心が落ち込んで、暗く沈んでいく。だがそんな雰囲気に桜羽さんを巻き込みたくなかった。心の内を知られないように笑って続きを話す。
「まあ、大変な子たちだったけどな。このびんづけって、実は条例違反なんだよ。それを知らないで自由研究として提出してきて、恥ずかしながら俺もそれを知らないで受け取っちゃったものだから、一緒に方々に頭を下げることになったからね」
「え?これって違法なの?」
「回収を忘れるとゴミになって自然を汚すからね。さらには放置されてる間延々と魚を取り続ける」
あの時は本当に大変だった。教師というものは、学校の勉強だけ分かっていればいいのではないと切に思い知らされたものだ。
「もやしを育ててきた子の成果は走り書きときれいな字が混在していてね。明らかに夏休みぎりぎりになって、親に手伝ってもらって完成させましたって仕上がりだった」
「あー……そ、そうなんだ……」
俺の言葉に、桜羽さんは気まずそうに相槌を打った。
「もしかして、桜羽さんもぎりぎりになって宿題やってた?」
「あはは、まあね。もしかして、バレてた?」
「いや、ちゃんと夏休み明けに提出してくれてたからね、気づかなかったよ。本当に遅い子は期限が切れてから提出してくるからね」
「夏休みの終わりが近くなると、ヒロちゃんのチェックが入ったんだよ。そして夏休みの終わりまでの計画を立てさせられるの」
二階堂ヒロ。桜羽さんと幼馴染だった彼女の名が桜羽さんの口から出るのは、再会してから初めてのことだった。
きっと死んでいるだろう彼女のことについて触れないようにして来ていたのだが、ちゃんと飲み込めたのだろうか。
「そっか、二階堂さんはしっかりした子だったからね」
「先生から見ても、ヒロちゃんってすごかった?」
「成績もよかったし、何より立ち居振る舞いが小学生とは思えないほどだったからね。先生に対しても礼儀正しくて、敬語もちゃんと使えていたし」
「あっ……!」
話の途中で、桜羽さんが突然声を上げた。
「敬語……、あの、もしかしてボク、先生に敬語を使わないとダメだったかな?」
「あー、そういえば……」
俺が最初に桜羽さんの担任になったのは小学3年生の時だ。敬語が使える子もいれば、使えない子もいて、中には使えるけれど教師に対しては使わない、という子もいた。
そして彼女は全く俺に敬語を使わなかった。もちろんそこに悪意があるわけではないから気にしなかったけれど。
彼女が六年生の時もう一度担任になったが、今までの習慣から敬語に変わることもなく、そのまま卒業していったのだ。
「そうか。桜羽さんも敬語が使える年になったのか……」
「えぇ!?敬語くらい使え……ますよ!」
「そうだよね。もう15歳だもんね」
「な、なんだかすごく小さい子扱いされている気がします……」
桜羽さんの不満げな表情に思わず笑ってしまう。
「でも、別に敬語じゃなくていいよ。むしろ敬語を使われる方が嫌かな。なんだか、距離を取られてるみたいで」
「そういう、ものかな?」
「ああ、そういうものだよ」
敬語というものは、単純な敬意とは別に、壁のようなものを感じさせるものだ。社会人になってからは特にそう思う。
もはや世界でただ一人となった相手からそれを作られるのは、とても心にこたえるものだ。
そんな話をしている間に、ペットボトルによるびんづけの作成は終わった。とりあえず10個作ったそれを、近くの川に設置しなければいけないわけだが。
「中に入れる餌を、どうしたものかな」
夏休みの宿題として提出した子はパンを餌として入れていたが、もはや今となっては手に入らない。魚のえさとして何か適当な食品を入れるべきか、あるいは虫か。いくつかパターンを試してみる必要があるだろう。
「ということで、俺は虫を捕ってるから桜羽さんは――」
「虫取り?それじゃあボクも手伝うね」
そう言って彼女は立ち上がる。どうやらついてくる気らしい。
「いや、虫取りってほど気楽なものじゃなくてね。多分外見がよくない虫を捕ることになるし」
「ミミズとか蠅とかかな、魚のえさになるのって。分からないけど、いろいろ捕ってみるよ」
「……桜羽さんって、結構虫とか平気なほう?」
「うん。特に気にならないかな」
正直に言えば、意外だった。俺が接していた小学生たちは、虫が平気な男子と嫌がる女子、と言う傾向があったからだ。
だが確かに、彼女は小学生のころから虫が平気な質だったように思える。高校生になっても変わらないとは思わなかったが。
「それじゃあ手伝ってくれるかな。俺一人だと、少し大変そうだし」
「任せて。突然ボクの近くで見たことのない虫が湧いても、素手で捕まえられるよ!」
それはどんな状況だろう。
■
虫を入れたペットボトルを持って、二人で近くの川に到着した。
人類がいなくなっても当たり前のように自然はその営みを続けており、川の水は今も変わらず流れている。
太陽の光を反射してきらめく小川へと俺たちは服の上から胴長を履いて侵入し、重りを付けた人界のプラスチックをどぷりと沈めた。
「お魚、入るといいね。やっぱり野菜だけじゃなくてお魚も食べたいな」
「入らなかったとしてもまた方法を変えて試せばいいさ。時間はいくらでもあるからね」
「学校も仕事もないもんね」
「野菜を育てて、魚を捕って、なんだか毎日が夏休みみたいだなあ」
自分でものんきなことを言っているとは思う。でも悲観しても仕方ないのだから前向きに生きていた方がいいだろう。
なにより、桜羽さんに不安を感じてもらいたくなかった。彼女には笑っていてほしいと切に願う。
作業を終えると、気付けば日はだいぶ高いところに上っていた。時間は10時か、11時ごろだろうか。今日はまだ始まったばかりで、今後のためにできることはいろいろある。
(人類の遺産は、時間が経てばどんどん使えなくなっていく。種・医薬品・工具、他にも色々集めた方がいい。今ここで回収できるかで、五年後、十年後が大きく変わってくる)
思考に没頭していると、ひゃあ、という桜羽さんの声で意識が表層へと浮かび上がった。
声のした方を見ると、桜羽さんが川の水の中に手を入れていた。
「水が冷たい。なんだか気持ちいいな」
「そっか、夏になったからこの時期だとちょうどいいね」
大魔女が人類を滅ぼしたのが5月。俺が彼女と再会したのが6月の中旬で、今は7月になろうとしていた。
「暑いし、昼の間はここで涼んでいかない?」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、昼ご飯も食べないといけないからなあ。次からはここで食べられるお弁当か何かを持ってくるのがいいかもね」
「ボクあれやってみたいな。漫画とかである、焚火で魚焼くやつ」
「いいね。鉄串と、何か火をつける道具も用意しよう」
「楽しみだなあ」
二人で未来の希望を語り合う。人類は滅んでもお互いさえいれば、幸福は確かにここにあった。