それは完全に偶然だった。一応、幸運に分類されるのだろう。いつも通りの川への道。そこを歩いているときにあるものを見つけた。
道のわき、足元に小さな生き物がうずくまっている。それは白く、ふわふわしていて、悲しそうにしながらも俺の仕掛けた罠にかかって動けないでいる。つまり、
ウサギだ。
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「というわけで、これからこいつを解体しようと思う」
自宅に戻り、朝食を食べた後にエマに言った。肝心のウサギは手足を縛られた状態で、床の上に転がされている。
殺してしまっては肉の鮮度が落ちてしまうし、放置しては他の動物に食べられてしまうかもしれない。そう思い連れ帰ってきたのだが、可愛らしい外見で粗雑に扱われている姿を見ると、正直言って心が痛む。
「……解体しようと思う!」
「先生、大丈夫?」
「大丈夫だ。外見に惑わされて躊躇ったりはしない。兎は、ある意味一番都合のいい獲物だからな」
野山にいる生き物の中で、人間が食べられる動物は何か。ジビエとしてよく聞くものはシカやイノシシ、クマになるが、これらは全て大型だ。捕らえたとしても解体するのに一苦労だろう。
その点ウサギは小さく、初めて解体する対象としては最適だ。また、小型の動物の中で人間が食べていいと知っている数少ない動物でもある。
今後も肉を食べたいなら、やるしかない。
「でも、先生スプラッタとか苦手なんでしょ?ボクが代わりにやろうか?」
「エマにとっても辛いことだろう?押し付けるわけにはいかないよ」
「ボクは別に、お肉のためならあまり辛くは――あ、でも!ボクが生き物を殺すのに慣れてるとか、そう言うわけじゃないからね!!」
「いやいや、そんなに悪い解釈したりしないよ」
なるほど、エマはもう割り切ったのかもしれない。彼女がウサギに向けるのは可愛い生き物を愛でる少女の視線ではなく、おいしいお肉を狙う肉食獣の眼光である。
犬歯のような八重歯が、キラリと口元で光った気がした。
「それでも俺は、この作業を君にさせてのうのうと肉を食べるわけにはいかない」
「それってボク自身にも言えることじゃ――」
「分かってる。君の言いたいことは分かってるんだ。それでもここで引き下がることは、大人の男の矜持が許さないんだ!」
ただでなくてもエマにより、毎晩プライドがグチャグチャにされているのである。誇りを取り戻すためにも、ここでエマにかっこいいところを見せるしかなかった。
「解体の手順は覚えた。それじゃあ行ってくる」
「ボクもついていくよ。ボクだって先生に押し付けられないし、それに先生は本を持つこともできなくなるでしょ?」
「まあ、そうだね。じゃあ頼むよ」
二人で協力して準備を始める。解体となれば血も大量に出るだろう。少なくとも、旅館の中でやるわけにはいかなかった。
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川原について、まず最初は解体のための場の設営から行った。キャンプで使うような折りたためるテーブルを開き、その上にまな板と、良く研がれた大きな包丁を置く。脇には保冷剤を入れたクーラーボックスも準備してある。
「……やっぱりその格好って、暑いよね」
「ものすごく暑いね。でも血液を取り扱うなら、必要なことだから」
俺はビニールの手袋と、半透明の雨合羽をつけている。さらには透明なシートを雨合羽の帽子から垂らして、顔面にも返り血が来ないようにしていた。
「エマは血が飛ばないところまで離れていてくれな。もし俺が何すればいいか忘れたら、本を読んで教えてほしい」
「うん。それじゃあ、えっと……頑張ってね、先生」
「ああ」
包丁を持って、まな板の上のウサギに向き直る。もはや暴れる余力もないのか、白く小さな生き物がぐったりとして横たわっていた。
ごめん、と言葉が出そうになる。だがそんなこと、殺される側からしたらならやるなと言いたくなることだろう。そう思うと何も言葉が出てこなくなって
結局俺は無言のまま、その体へと刃を入れた。
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「「いただきます!」」
昼食時、二人合わせて声上げる。机の上には米や野菜が並ぶが、特に目を引くのはメインディッシュ、こんがりと焼かれたウサギの肉だ。
シンプルに味塩コショウで味付けされた最大の特徴は大きさだ。缶詰などの保存食の肉はとても小さいが、これは一口では食べられないような大きさで肉の塊であることを主張してくる。
用意しておいたナイフを手に持って、エマが自分の分の肉を切り分けた。箸を使って口に運び、大切にかみしめ、そして飲み込む。
「おいしい……!」
彼女が声を上げて、嬉しそうに顔をほころばせた。
初めての解体はかなり大変で、夏の暑さと汗も相まってとても辛い作業だったけれど、エマがこんなにも喜んでくれるなら頑張ったかいもあったと思う。
「すごくおいしいよ!ほら、先生も食べたら?」
「ああ、そうだね」
促されるままに、俺も自分の肉を食べ始める。噛むと鶏むね肉のような、脂身の少ない淡泊な味が広がった。
脂身が少なく、少しだけパサついている。品種改良された家畜には、味の面で及ぶものではない。
だというのに、数か月ぶりの新鮮な肉はとても美味に感じられる。体の中の栄養が満たされていくような幸福感があった。
「確かにおいしいね。ウサギってこんな味だったんだ」
「鶏肉、みたいな感じかな」
「ウサギ飢餓、何て現象があるくらいだからね。脂肪分がすごく少ないんだろう」
「ウサギ飢餓って?」
「脂分が少なくてたんぱく質ばかりの肉を食べ過ぎると、中毒症状を起こしちゃうんだよ」
もっとも、それはウサギばかり食べた場合に起こる症状だ。他にもいろいろ食べている今の生活では、特に気にする必要はないだろう。
「油が足りないってことは、油をもっと使う調理方法にすればいいのかな」
「そうなのかもな。ウサギ料理のレシピ本なんて見つかってないし、自分たちで考えてみるしかないね」
「マヨネーズ……は、もう使えないから、ドレッシングとか……揚げ物は卵がないけど、素揚げなら……」
エマがあれこれと考え始める。おいしい調理方法を考えているだけでも楽しそうで、ただ焼いて味を付けただけの肉を食べる手は素早く動き続けていた。
俺も自分の分の肉を食べ続ける。やはりジューシーさはなく、固めである。それすらも肉だという強い主張であり、おいしく感じる要素だと思った。
「まだ残ってるお肉はあるけどすぐ食べきっちゃうだろうし、もっとたくさん捕まえられるといいね」
「動物の痕跡の探し方について、もう少し気合入れて勉強してみるか」
「次はイノシシが捕まえられるといいな。あれって、つまり豚肉だよね?」
「大物だな。頑張って解体するよ」
今回のことで解体には少しだけ慣れた。スプラッタな光景も、やってしまえば意外と越えられるものだった。
イノシシが来たとしても、エマの望むとおり頑張って解体して見せよう――いやでもやっぱり、まだしばらくはウサギで練習したいが。
「先生ってやっぱりすごいよね。こんな世界でお肉を用意して、お魚も、畑を作ったのも先生だし。いつも本当にありがとう!」
「ああ、えっと、どういたしまして」
エマのストレートな言葉に、つい照れながらも返事する。
男なんてのは単純なもので、可愛い女の子にすごいねって言われるだけで嬉しくなるし、ありがとうって言われるだけで誇らしくなる生き物だ。
好きな子の役に立った。その事実に、男としてのプライドが徐々に立ち直っていって
「今日の分、今晩はちゃんとお返ししてあげるね?」
「え?」
エマの言葉に、つい聞き返してしまう。
彼女は少しだけ考えるように目を閉じた後、「うーん」と小さな声で悩み、目を開けた。
「正直、今は思いつかないんだけど、夜までに考えてみるよ。楽しみにしてて?」
昼間の明るい笑顔の中に、ほんの少し夜の妖艶さをにじませて言う。
せっかく立ち直ったプライドが、即座に折られてしまう気がした。