今日は朝から雨だった。
大降りとは言えないものの、雨はしとしととそれなりに降っていて、微かな雨音がコテージの中に背景音のように響いている。
こんな日は川に近づくのも危険だし、ベランダで育てている野菜も吹き込む水分のおかげで水やりの必要もない。
山を下りて街中に物資を回収しに行く手もあるが、わざわざ雨の中行う必要もないだろう。一日二日の差で変わるほど、急ぐことでもないのだから。
そんなわけで俺と桜羽さんは、二人でのんびりしていることにした。思えば最近ずっと動きっぱなしでもあったし、いい休日だとも思った。
そして今、テーブルを挟んで互いに向き合い、真剣な表情で手元を見ている。桜羽さんの行動、今の場の状況。それらすべてを読み切って、俺は勝利を宣言した。
「はい、これで上がり――」
「ちょっと待った!先生UNOって言ってないよ!」
「あ、やべ」
桜羽さんの指摘に思わず声が出た。渋々カードを2枚引くと、青の2と赤の5だ。運がよくないと、しばらく上がれそうにない手札である。
「ボクワイルド出すね。色は青だよ」
「よし、それなら出せる。今度こそUNOだ」
(これで手札はあと1枚。都合よく桜羽さんが青の5や、赤の2を出してくれれば勝てる!)
「ここでボクが出すカードは、これだよ!」
そう言って出されたのは青のリバース。UNOは二人で遊ぶ時、リバースとスキップは連続で自分のターンが回ってくるから、もう一度桜羽さんの手順になる。
そして彼女の手札はあと5枚。まだまだこちらが有利なはずで―――
「次は青のスキップ!緑のスキップ!赤のスキップ!赤のリバース!UNO!赤の6!ボクの勝ちだよ!」
「ぐぅ、また負けたか……」
UNOが始まってから、かれこれ3連敗を喫していた。
「悔しい……これでは、大人の威厳が……!!」
「UNOに威厳はかかったりしないんじゃないかな」
桜羽さんはそう苦笑いをしている。確かに彼女の言うことはその通りなのだが、そうではないのだ。少女の前では強く立派な男でありたいという男心というものがあるのだ!
「それに、さっきやった神経衰弱ではボクの方が負けてたし」
「……なんだか、年下の女の子に慰められてると余計に情けない気分になってきた」
「先生のことを落ち込ませちゃった!?」
テーブルの脇には先ほどまで遊んでいたUNOのほかにトランプがあった。さらにはボードゲームやジェンガと言った、いろいろな無電源ゲームがある。こんなこともあろうかと用意した、娯楽品の数々だ。
「次は何にする?まだやってないのはいろいろあるよ」
「ああ、いや、ごめんな。俺はそろそろ遊ぶのはこれくらいにしようかと思うんだ。読みたい本もたくさんあるしね」
部屋の隅には、街中から集めたいろいろな本が重ねて置いてあった。農業・機械・医療・サバイバル、必要そうなものを片っ端から集めたそれらはこれから生きていくうえで必須の知識と言えるだろう。そしてそれは、必要になってから急いで勉強しても遅いだろうことも想像がついた。
「俺は本を読んでるよ。一人で暇させて申し訳ないけど、漫画でも読んで待っててくれないかな」
「先生、前にも言ったけど、ボクのこと子ども扱いしすぎだよ」
俺の言葉に、桜羽さんは不満そうに反論してきた。
「先生が頑張ってるときにボクだけが遊んでるなんて、そんなことできないよ。ボクも何かしたい」
「そうか。ありがとう、桜羽さん」
「ありがとうとかじゃなくて、二人で協力して生きていかないといけないんだから、ボクにも何か手伝わせてよ」
俺からしたら桜羽さんは生徒であり、庇護すべき対象だと思っていた。だが彼女からすれば対等に扱ってほしいのかもしれない。
(桜羽さんに何も仕事をさせないというのも、逆に彼女を軽んじてることになるかな)
「じゃあ桜羽さんには農業系の本を読んで、その知識と技術の習得を全面的に任せてもいいかな」
「ぜ、全面的に?」
「うん。こういうのは分野ごとに分業した方が効率がいいからね。もちろん力仕事は俺も手伝うけど、やり方を調べて、計画を練って、俺に指示を出してっていうのをできるようになってほしい」
「なんだか責任重大だね」
「大丈夫だよ。保存食の消費期限が切れるまではいくら失敗してもいいから、それまでに技術を身につけてくれればいい」
それに俺の方で魚や肉の確保については検討してみるつもりだった。よほどのことがない限り、飢え死にということにはならないだろう。
桜羽さんは小さな声で「分かったよ」と答えると、部屋の隅に積み上げられた農業関連の書籍に歩いていき、一冊の本を抜き出して戻ってきた。続いて俺も機械に関する書籍を一つ選ぶ。まだしばらくは使える機器もあるだろう。その寿命を延ばすためにも、メンテナンスの方法などを知っておきたかった。
さらに用意していたノートとペン、付箋も取り出して机の上においた。必要なのは単に本を流し読みすることではなく、それらの内容理解し実行できるように身につけることだ。
「必要だったらこれ使っていいからね」
「……はあい」
勉強のための道具が並べられ、いかにも勉強といった雰囲気になった机を見て、桜羽さんは少しだけ落ち込んだようだった。思えば彼女は勉強が苦手な子供だった。高校生になっても、そのあたりは変わっていないようだった。
机に向かって本を読み始める。役に立ちそうなところに付箋を貼って、まとめた内容をノートに記載していく。読んでみてわかったのは、いくら紙面の内容を理解しようと、実際に機械をいじらないと技術など習得できないだろうということだった。
だから練習の必要もあるだろう。雨が上がったら何を試してみるか。そして生活をどうより良くしていくか。そんな計画もノートに追記していった。
そんな作業をしてしばらくすると、桜羽さんの動きが気になってきた。先ほどからしきりに背伸びしたり、姿勢を何度も変えるということを繰り返していた。時計を見ると一時間ほどたっている。彼女の集中が切れる頃合いだった。
「そろそろ一度休憩にしようか。麦茶持ってくるけど、桜羽さんもいる?」
「うん、お願いしたいな」
俺の提案に、目に見えて明るい声で返事をした。疲れてきてはいたものの、自分からやると言い出した手前休憩したいとは言えなかったのかもしれない。
未開封の麦茶を開けてコップに注ぐ。俺はそれを二つ持って桜羽さんの向かいに座りなおした。
「こうしてると、6年生のときみたいだね」
「桜羽さんが中学受験のために頑張ってた時のことかな」
「そうそう。先生にもたくさん手伝ってもらったよね」
「つきっきりで勉強教えていた二階堂さんほどじゃないけどな」
二階堂さんと同じ中学に行くために、彼女は中学受験のための勉強をしていた。基本的には二階堂さんが勉強を見ていたけど、どうしても彼女では教えられないものがあった。
勉強の仕方だ。
典型的な天才型である二階堂さんは、そもそもそこまで自分では勉強の必要がさほどなかったのだ。テストでいい点をとる方法も『教科書の内容をすべて覚えればいい』と言える子であり、ではどうやって覚えるのかと言っても『読めば覚えるだろう』という子だった。
そんなわけで当然のごとく、勉強を教えるのが専門である俺が彼女のことを少しだけ手伝ったことがある。放課後の教室で俺と桜羽さんと二階堂さんが集まって勉強をしていたのだ。
あの頃も桜羽さんは一時間もすると集中が切れて、そこで休憩を入れるようになっていた。確かに今の状況は、その時と少しだけ似ているように思える。
「中学に行ってもちゃんと勉強について行けたかい?」
「中学は…………」
俺の言葉に桜羽さんが固まる。だがそれは一瞬のことで、彼女はすぐに硬い笑顔で返してきた。
「中学は、大丈夫だったよ」
「そっか。勉強頑張ったんだね」
「うん」
情報量の少ない返答。少し落ち込んだ雰囲気。中学で何かあったのだろうとすぐ察せられた。二階堂さんが一緒にいて何か問題が起こるとも思えなかったが、人生の中でそういうこともあるだろう。
「それじゃあ、勉強を再開しようか。俺たちの健康的な生活は、桜羽農業大臣にかかってるよ?」
「もう、変にプレッシャーかけないでよ」
話題を変えてわざとふざけた物言いをすると、それで彼女の空気は元に戻ったようで安心した。
(これでいい。今は、辛い過去を掘り返す必要はない)
そしてまた二人で勉強を始める。未来のための知識を、少しずつ積み重ねていった。