※この作品はR-18です。

滅亡世界の生存者   作:トイタトタタン

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40話 犬

 少しだけ涼しくなってきた気がする日差しの中、俺たちは商店の立ち並ぶ街中を並んで歩いていた。物資を回収するためならデパートのような商品の集積地を狙うか、あるいは車で各地を回った方が効率がいい。

 だが今回は特に目的があるわけがない。滅びた街並みを、特に理由もなく歩き回っている。

 

 ありていに言って、デートと言うやつだった。

 

「楽器屋さんがあるよ。先生が引けるキーボードとか、残ってるかな」

「確かにここならありそうだ。覚えておいて、後で車で来てみようか」

「ボクも何か楽器の練習しようかな」

「時間もあるし、趣味としてはいいかもしれないね」

 

 その後も演奏するならどんな曲だとか、普段聞いている音楽は何だとか、とりとめのない会話を楽しんでいた。話をしながらあたりを見回し、話題になりそうな店を見つけては次のテーマへと飛んでいく。

 そんな話をしていると、衣料品を取り扱う店が立ち並ぶ区画に来ていた。ブティック、というやつなのだろうか。

 

「秋に備えて、そろそろ新しい服を用意しようかな」

「俺としては全部かき集めて、使い捨ててもいいと思うんだけど」

「その方がいいのは分かるんだけど……ボクはもっと、組み合わせと着こなしを考えたいよ」

 

 現状では衣類より水の方が貴重であるため、俺は衣類を使い捨ての形で使用している。しかし、エマはお気に入りの一部の服は、洗って着まわすことを選んでいた。

 女の子の衣類に対するこだわりというものだろう。時間をかけて考えたコーディネートを、使い捨てることはできないらしい。服を洗うのに使う水も最小限にするように工夫しているし、それは別に構わないと思った。

 

「あ、あの店……」

 

 エマの声に気をひかれて、彼女の視線の先を見る。そこにはあまりにも俺に縁のない店舗が謎の威圧感をもって、この世全ての独身男性を威嚇していた。

 

 女性用下着の店――ランジェリーショップだ。

 

「なるほど……存在するのは知っていたが、無縁過ぎて意識して見るのは初めてだ……」

「ボクも、中に入ったことはないよ……ねえ、ちょっと見てきてもいいかな?」

 

 そう言ってエマが、ほのかな緊張感を漂わせながらおずおずと歩みを進めていく。

 

「いや、しかし下着だろう……?見せるものじゃないし、洗濯物を増やさなくてもいいんじゃないか」

「ううん。そんなことないよ。だって、その……」

 

 一瞬だけ口ごもる。俺より前を歩いていたエマがくるりと振り返り、上目遣いで言った。

 

「見る……でしょ?先生が」

「お、おう。まぁ……おう……」

「えっと、じゃあ選んでくるね!あ、先生は入ってきちゃだめだよ?その……お楽しみだから」

 

 そう言ってランジェリーショップの中へと逃げるように駆け込んでいった――いや、実際恥ずかしさに耐えかねて逃げ込んだというので合っているのだろう。

 性的なことの経験なんて俺との間の事だけだろうし、相変わらずエマは純粋無垢な少女のままだ。

 

 あくまで、昼の間はだけど。

 

(いざことに及ぶと……というか俺が弱みを見せると、一気に調子に乗って責めてくるからな……)

 

 こちらのことを笑い、イジメて、望むままにこちらの感覚を支配していることを喜ぶあの表情。なのにどこか優しさと愛情を感じさせる、柔らかい声音。

 そして俺自身、少女に弄ばれることがなんだか嫌ではなかった。

 

(まさか俺、エマによってマゾに調教されている……!?)

 

 別にそう言う性癖の作品で抜いたことがないわけではない。だが凌辱物を好む人が現実でそれをやりたいと思っているわけではないように、俺自身にとってマゾ系のプレイはあくまで作品の中だけであり、実際にやりたいとは思っていなかったはずだ。

 

 そんな俺の感覚が、いつの間にか変えられてしまっている気がしてくる。

 

(いやいや、まさかエマが意図的にそんなことするわけがないだろう。そもそも年下の可愛い恋人に優しくからかわれたいというのは、あまねく男が須らく心のうちに持つ普遍的な一般性癖のはずだ)

 

 胡乱な思考を転がしながら、エマが帰ってくるのを待つ。こうしてずっと外にいても苦にならないことに、確かに気温が下がっているのを実感した。

 とはいえエマが服を選んでいる間、ずっと待っているのも暇である。あまり離れすぎない程度に近くの店でも見て見ようかと、周りを見渡した時だった。

 

 一匹の、黒い野犬がそこにいた。

 

 過去に見てきた、飼われている犬とは全然違う。毛並みは荒れ、全身は薄汚れ、餌の不足からか軽く骨が浮き出ている。

 そんな存在がこちらを見つけ、慎重に距離を詰めてきていた。

 

(な……い、いや、なんで……)

 

 今の町中に、まともな食料なんてないはずだった。そもそも犬は群れを形成する生き物だ。単独で行動していることがまずおかしい。

 ……むしろ、だからこそだろうか。追い出されたのか、はぐれたのか、一匹で行動せざるを得なくなった。だから町まで下りてきて、少ない食料でもギリギリ足りた。

 

(いや、理由なんてどうでもいい。この状況はまずい……!)

 

 大声を上げる?背を向けて走る?そんな刺激をしたら、すぐに飛びかかってくるだろう。

 かといってこのまま待っていても距離を詰められるだけだ。

 

 おそらく一番正しい対処法は、刺激しないようにゆっくりと後ろへ下がり、逃げることなのだろう。

 だが今、店の中にはエマがいる。明らかに飢えた様子の獣が、街中で唯一と言っていい大型動物の肉を見逃すとは思えなかった。

 

(なんとかするしか、無い)

 

 腰に手をやる。そこには念のためにと用意しておいた熊スプレーが存在していた。毎朝川に行く俺にとって身に着けることが習慣になっていたこれが、今の俺にとっての唯一の武器だ。

 野犬がゆっくりと近づいてくる。体中を冷や汗が流れる。俺の意識を、全て相手の動きに集中させていく。

 

 そして

 

「先生!決まったよ――」

 

「来るな!!!」

 

 俺の大声をきっかけに、野犬がこちらへと猛然と走り寄ってくる。俺は急いで横へと飛び出し、近くに路駐された車のボンネットへ。俺のいた場所を犬が走りすぎる。そこへスプレーを噴射するものの、すでに届かない場所へと距離をとられていた。

 

(くそっ。速すぎる……)

 

 俺は別に格闘技をやっていたわけではない。運動が得意なわけでもない。当てられるビジョンが、まったくもって見えなかった。

 そもそも当たったとして逃げてくれるだろうか。あの様子からしてかなり飢えている。食わねば死ぬという状況で引いてくれるとは思えず、むしろ激昂して襲い掛かってくるかもしれない。

 

(無傷というわけにはいかないか)

 

 覚悟を、決めるしかないのだろう。腕や脚の一本にかみつかれでても、殴る蹴るの格闘戦に持ち込む。痛みに耐えられるかは、アドレナリンに期待する。

 あまりにも危険な賭けだ。ケガをすることだけではない。噛まれた後のその先もだ。野犬なら、狂犬病を持っている可能性があるのだろうか。そうでなくとも感染症の危険は大いにあるだろう。

 

 勝てても死ぬかもしれないが、それでもいい。

 エマを車に乗せて、旅館に戻るだけの時間はあるだろうから。

 

 野犬が再びこちらへと突進してくる。車程度の高さ、軽々と飛び乗ってくるだろう。

 理想としては直線的な動きを見て、ギリギリ回避してカウンターをしたい。それでだめでも蹴り飛ばす。噛まれても殴り殺す。

 

 交感神経が高ぶり体全体が闘争の準備を固める。いざ、と思った。その時だった。

 

 俺の横にある店。その入り口から風切り音。何か大きなものが、野犬の方へと飛んでいった。犬はとっさに回避をしたものの、当たればぐちゃぐちゃに潰れてしまっていただろう。

 飛来したものは道路にひびを入れた後、歪み、壊れながら、大きな音を響かせて一度バウンドした。もう一度轟音と共に地面にぶつかり、そして止まる。

 

 それは、恐らく棚だった。どこの店にも置いてありそうな商品棚。いったいなんでそんなものがと、そう考え――

 

 

「いい加減にしてくれないかな」

 

 

 声が、聞こえた。その方向へ首を向けると、今まで見たことのない冷たい表情のエマが、そこに立っていた。

 感じられる圧力。漫画の中でしか見たことの無いようなそれが、素人の俺にすら感じられる強度で彼女から発せられている。

 

「ボクの先生に、手を出さないで」

 

 その威圧感は俺よりも、野生の本能により強く響いたのだろう。飢えているはずの獣が、甲高い声を上げて踵を返す。俺へ向かってきたときよりも速く、必死な様子で、野犬は遠くへと逃げ去っていった。

 

 助かったと気づいたときに、体中から力が抜ける。座り込みそうになる膝を止めてくれたのは、大好きな女の子の声だった。

 

「あ、あの、先生……」

「エマッ!」

 

 彼女の方へと振り返る。その全身の様子を観察しながら、急いですぐそばへと走り寄った。

 

「あ、あのね!今の『怪力』は、その……」

「ああ、分かってる。多分火事場の馬鹿力ってやつだ」

「え、えぇ!?」

 

 俺の意見に、エマが驚きの声を上げた。火事場の馬鹿力というのを、あくまで言葉上のイメージだと思っていたのかもしれない。

 

「実際あり得ることなんだよ。人間の力って全力を出せないようになってるんだ。そうしないと反動で体が壊れてしまうからね。そのリミッターが興奮とかで外れることがあって――って、だから!」

 

 理屈を説明している場合ではない。俺はもう一度頭から足元まで、丹念にエマの姿を見た。

 

「君の体はかなり無理をしたはずなんだ。何処か痛いところはないかい?脳内麻薬で痛みを感じないかもしれないから、違和感とかは!?」

「え、えっと……そう言われてみると……全身が、なんとなく、痛い、かも?」

「……っ!」

 

 やはり無理をさせてしまったのだろう。そんなことをさせてしまった俺の弱さに不甲斐なさを感じるが、今はそんな場合ではない。

 

「もう、今日は帰ろう。歩けるかい?それとも、俺が背負った方がいいかな」

「え、あ、それならせっかくだから……おんぶしてもらっていいかな」

「ああ、分かった」

 

 エマに背を向けて、膝を曲げる。するとエマはゆっくりと動いて、俺の首へと腕を回してきた。

 俺自身も腕を後ろに回し、彼女の体を支える。車を止めている場所まで、ゆっくりと歩みを進めていった。

 

「あ、あのね先生。ボク、重くないかな」

「全然重くないよ。羽みたいだ」

「は、羽!?『浮遊』なんてしてないよ!?」

「あくまで比喩表現だから、飛んでるなんて思ってないよ」

 

 しかし本当に軽い。俺が普段背負っていた小学生と同じくらいだ。

 軽すぎて逆に心配になるが、食事量は普段しっかり食べているはず。そう言う体質なんだろうか。

 

「エマ。今日はありがとう。本当に助かったよ」

「そうだね。ボクも助けられてよかったよ…………先生が…………」

 

 エマの声色が変わっていく。だんだんと湿っぽく、嗚咽が混じるものになっていって

 

「先生が、死んじゃうかと思った……!」

 

 首筋に、熱い液体がかかる。エマが俺の背中で泣いていた。

 

「死なないでね先生。絶対に死なないで。先生がいなくなったら、ボク生きていけないよ……」

「そうだね……分かるよ。俺も君がいなかったら、生きていけない」

 

 さっきは、たとえ俺が死んでもエマが助かるならと思った。けど、そしたら意味なんてないんだろう。

 俺が死んだら、多分エマは後を追う。エマが死んだら俺がそうするのと同じくだ。

 

「死なないよ、エマ。君を残しては死なない」

「約束だよ?絶対に死なないで、自分を大切にして。ボクも絶対に、ボクが絶対に、先生のことを死なせないから」

 

 泣きながら言うエマの言葉に、何か自分の身を守るものが必要だと、そんなことを考えさせられていた。

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