「わあ、涼しいね」
キャンピングカーに乗り込むなり、桜羽さんが声を上げる。早朝とはいえ蒸し暑い中、あらかじめエンジンとエアコンを入れておいたかいがあったというものだ。
「ここなら快適に生活できるな。いや、ここでしか快適に生活できないというか」
「コテージの中も暑くなってきたもんね」
季節は本格的に夏に入ってきて、エアコンもなしに生活するには辛い気温となっていた。
いや、むしろ七月に入ったというのにまだ生活できていたことだけでもまだましだと言えるだろう。それはここが人里離れた森の中であることも理由の一つであるだろうし、人間が消えた結果として車や電化製品、そして人間自身と言った発熱源が消えたことも原因だろう。
とはいえエアコンなしの生活は、もはや現代人たる俺たちには限界だった。だからこうして、キャンピングカーという天国のように涼しい空間に安息を求めている。
「夜中も、暑くて最近は寝苦しいよね。ベッドもついてるんだっけ?今晩からここで寝てもいいかな」
「そうするかい?それなら後で枕とか、寝具一式持ってくるといいよ」
「先生はどうするの?暑くて寝られなかったりしない?」
「まあ、確かに暑いが……どうするか……」
正直言えば迷うところだ。普段であれば年頃の女子高生と同じ車内で寝るなど、あまりよくないと断るところだ。
しかし、最近は本当に暑いのだ。このままだと寝不足による不注意でミスをしてしまいそうであり、今の環境ではそれは命にかかわりかねない。いや、それ以前に熱中症で死にかねない。
「なにか根本的な解決方法があればいいんだがな。ずっとキャンピングカーの中で生活しているというわけにもいかないし」
「集めたいろんなものはコテージにおいてあるもんね。この狭い空間に押し込められてるのも、なんだか牢屋みたいで嫌だし」
そう言う彼女の表情には、珍しく強い忌避感が浮かんでいた。さすがの彼女も、プライベートな空間は欲しいところなのだろう。
「寝るのは車の中にするとして、コテージの中はどうすれば涼しくできるかな。打ち水とか?」
「打ち水を室内でやるわけにもいかないからなあ」
「じゃあビニールプール持ってきて、ずっとそこに浸かって生活しちゃうとかどうかな?」
「あー……うむ……」
どういう生活を想定しているのだろうか。プールに足だけ浸ける、と言う話なのか。あるいはプールに全身入るために、ずっと水着で生活するということなのか。
その質問をすること自体がセクハラに該当するように思われて、つい言葉を濁してしまう。
「窓の外に日除けでも作ろうか。後は乾電池で動く小型扇風機でも探してみるとかもいいかもしれない」
「そっか、乾電池があったね!乾電池でエアコンって動いたりしないのかな」
「さすがに電力が足りないんじゃないかな」
「そうだよねー。車って、ガソリンを電力に変えてるんだよね?この電気って、室内に持ってこれないのかな」
「なるほど。ちょっと本を読んで検討して……いや……」
そう。エネルギーはここにある。人がいなくなって発電所は止まったが、俺たち二人分の生活のためにそんな大規模な施設は必要ないわけで。
「うん、いいアイディアだね。というか、すぐ思いつけばよかった」
「車の電気を持ってこれるの?」
「車のじゃないけど、ガソリンを電気にすればいいんだ。ちょっと街中を探してみようか」
■
コテージに戻ってきて、回収してきた機械を地面に設置した。大型のトランクケースの倍くらいの大きさのそれは、様々な目盛りやボタンがついており、マニュアルを見てようやく操作できるくらいの複雑なものだ。
ガソリンをすでに入れてある機械のスイッチを押すと、バイクのキーを回した時のようなエンジン音が鳴る。わずかな振動とともに排気ガスを吐き出し始めたそれは、正常に動いているようだった。
「桜羽さん!こっち動いたよ!そっちは!?」
「動いた!エアコンの電源ついたよ!」
コテージの中に声をかけると、桜羽さんの嬉しそうな返事が返ってきた。どうやらうまくいったらしい。機械の様子を確認していると、桜羽さんがパタパタと外に出てきて、こちらに向かっていた。
「すごいね。こんなに小さいのに、ちゃんと発電機なんだ!」
「ああ。これでいろんなことが楽になるね」
街から持ってきたのは小型発電機だ。小型、と言ってもその中でも最も高規格で、発電量の多いものである。災害時は当然としてイベント会場でも利用されるそれは、二人分の生活を賄うのには十分な能力があった。
「これで冷蔵庫とか電子レンジとかも動かせるね。お料理の幅が広がりそう」
「小麦粉や砂糖があればお菓子すら作れそうだな」
「わあ!レシピ集めなくっちゃ!」
そんな話をしながら並んでコテージの中へと戻る。そのままエアコンの真下にまっすぐ向かい、二人そろって電力の偉大さをかみしめていた。
■
夜になると、今まではすぐ寝ることにしていた。暗くなれば何もできることなどないからだ。
懐中電灯やアウトドア用のガスランタンなど、明かりをともすものが無かったわけではない。だがそれらの資源も有限であるし、何より起きていたからと言ってすることがあるわけではなかったからだ。
だが今は違う。電力があるのなら出来ることは格段に増えるのだ。
「先生!助けて!手伝って!」
「了解。少しの間逃げ回っててくれ」
二人並んでソファに座り、テレビ画面を見つめている。その中では国民的な英雄であるピンクの球体が、桜羽さんの操作により敵にボロボロにやられていた。
俺と桜羽さんの間ではこの手のゲームの腕前に差がありすぎて、本気でやると彼女の活躍する場面がなくなってしまう。だからささやかなサポートに徹していたのだが、どうもこのままではまずそうだ。
敵の前に出て攻撃を繰り返し、手早く敵を片付ける。幸いなことに、桜羽さんのHPがなくなる前に終わらせることができた。
「これで次のステージに進めるね」
「でも、今日はこれくらいにしておこうか。もう10時だしね」
「え?まだ10時だよ?寝るには早くないかな」
「その分朝早く起きればいいさ、今まで通り。朝5時とかならもう日も出てて、明かりを使わずに活動できるよ」
各地のガソリンスタンドを回ったり車から抜きとったりすれば、十分なガソリンは手に入る。それでも、節約できるところは節約しておくべきだろう。
ゲーム機とテレビの電源を落とす。ゲーム音がなくなると途端に静寂が訪れる。テレビの明かりが消えると周囲は急に薄暗くなったように感じた。
電力があるとはいえ、動かせるのはコンセントによる電化製品だけだ。だから今使っている明かりもコンセントで動くものであり、いくつかの間接照明が部屋を照らしていた。
「ちょっと待っててね、これだけ飲み切っちゃうから」
「焦らなくていいよ。ゆっくり飲んでいいから」
彼女の手元のマグカップにはココアが入っていた。粉末のココアは比較的賞味期限が長く、手に入るものが多かったのだ。
「先生って、ゲーム上手かったんだね」
「まあね。ゲームがうまいくらい、そんなに自慢できる特技でもないけど」
「ボクは全然下手だったから、羨ましいな。今回も僕に合わせてプレイさせちゃって、少し悪いなって」
「いいよいいよ。俺としては、それで君が楽しめれば十分だから」
年下や初心者への接待プレイは基本中の基本である。なにより、それで自分の好きなコンテンツを他の人が好きになってくれるなら、それはとても素晴らしいことだと思った。
「…………そっか。先生はいつも僕に気を使ってくれるよね。こんな世界になって、生活に必要なものも全部整えてくれて」
「桜羽さんも手伝ってくれたじゃないか。二人で作ってきたものだよ」
「ボクがしたのなんて、本当に手伝い程度のものだよ。先生に言われたとおりにやっただけで」
桜羽さんは気づけばずいぶんと近い位置にいた。普段のテーブルを挟んで向かい合って座るのとは異なり、すぐ隣に座っている。あとほんの少しだけ動けば、肩と肩が触れ合ってしまいそうなほどだった。
「どうしてそんなに良くしてくれるの?ボクなんかのために」
「それはその、俺は大人だからね。子供は守るものだし、君の方が優先されて当たり前なんだよ」
「でも、それじゃあ申し訳ないよ。先生ばっかり大変じゃない」
「俺はいいんだよ。いや、申し訳なく思う必要は本当にないんだ。なんていうかな――」
少しだけ言葉に迷ってしまう。これから言うのはある意味では身勝手な言葉だ。だがその身勝手さが、彼女の罪悪感を晴らすのには必要なのかもしれない。
「君の役に立って君を守ることに、自己満足を覚えてるんだよ。男っていうのはそういうものなんだ。自己犠牲とかプライドとか、そんなもので満足できてしまうんだ。それで俺は十分幸せだから、君は気にしなくていいよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「でも、それって先生が平気な理由であって、僕が先生に甘え切っていい理由にはならないと思うんだ」
「真面目だねえ」
「ねえ、先生」
そう言って桜羽さんがこちらの目を見る。身長差から見上げるとともに、ほんの少しだけ上目遣いになる。そんな仕草が、なぜだか普段より可愛らしく思えた。
「ボクも先生に、お返ししたいな」
「あー……えっと……」
「何かボクにできることはないかな」
間接照明のオレンジ色の明かりが、彼女の体を照らす。
夏用の薄手のパジャマは彼女の体の形をそのままに浮かび上がらせている。
暑かったからか桜羽さんの胸元のボタンは少し外されており、その隙間がやたらと気になった。
「先生は、僕にしてほしいことはないかな」
甘い香りがした。それが彼女の使っているシャンプーの匂いなのか彼女自身の匂いなのかは分からない。それを感じた瞬間心臓の鼓動が速くなり、体が熱くなり、衝動が心の中で芽生え始めて――
(あー、この雰囲気は、まずいな)
ぱっと立ち上がる。それだけで桜羽さんとの距離は離れて、少しだけ心は落ち着きを取り戻した。
「それに関しては、おいおい考えていこうか。前に言った農業とか、君に任せたい仕事はいろいろあるからね」
「うん!何かできることがあったら教えてね、ボク頑張るよ!」
桜羽さんは素直に、そして嬉しそうな声色でそう答えた。朗らかな笑顔は、何も裏のない純真さをうかがわせる。
当然だ。彼女は純粋に、俺の役立ちたいと言ってくれているだけだ。
「ココアはもう飲み終わっただろう?寝る前にちゃんと歯を磨こうな」
「だから、子ども扱いしないでってば」
「15歳はまだまだ子供だよ」
(そうだ桜羽さんは子供で、俺は大人だ。流されるな、まったく)
桜羽さんにばれないように静かに深呼吸して、自分自身を戒めた。