この世界の人間は、大魔女によって殺しつくされた。
文明はなく、食事の確保は不安定で、いつ野生動物に襲われるかもわからない。
最悪、災害一つですべてが台無しになり、そのまま終わりを迎えることすらあり得る。
こんな世界で子供を作り育てることが、正しいことかはわからない。食料的に、時間的に、そんな余裕はあるのか。そして何より、生まれてくる子供はちゃんと幸せになれるのか。
産まれてきた子供本人に、なぜこんな世界に産んだと言われてしまうかもしれない。
正直なところ不安はある。だがエマが子供が欲しいというならば、うだうだと言ってはいられない。必要なのは幸せにできるかという迷いではなく、幸せにして見せるという覚悟なのだ。
古代の昔より、女と子供を養うのは男の責務だ。エマのために、できることをやらねばならない。
「ということで、保存食を作ろうと思うんだ」
「保存食?」
夏も終わり、涼しい朝の空気が部屋を満たす中、今日することをエマと一緒に決めていた。
「君がもし妊娠したら、その時点で労働力は俺一人になると考えるべきだろう?いや、あるいは産んだ後も子育てに時間がとられるかもしれない」
「そ、そうだよね!子育てか……どんな感じなのかな……」
想像してニコニコと笑っている彼女を、少しの間視線で愛でる。この世界でどんな子育てをすればいいのか、従来の子育て論が通じるかは分からなかったが、彼女が楽しそうなのは良いことだ。
「そうなったときに食べ物が確保できなくてもいいように、あるいは食事の確保以外に時間を使ってもいいように、保存食を作る技術は必要だと思うんだ」
「そう言われると、確かに必要かも」
今までは夏だったから、湿度も温度も保存食を作るには適した気候とは言えなかった。だがもはや夏が終わり、秋に入った。冬に備えるためにも、ちょうどいい時期だと言えるだろう。
「保存食って、いったい何を作るの?」
「候補はいろいろとあるとは思うんだ。ほら、前に一緒に海で釣りしたときにも、一度話しただろう?」
「【炙りビン】の話だね?」
「【炙りビン】の話じゃないね」
「軽やかに否定されちゃった!」
エマの謎のこだわりをいなしつつ、話し合った結果塩漬けを試してみようということにあった。
何せ塩ならいくらでもあるのだ。コンビニにもスーパーにも大量におかれていて、消費期限が存在しない。俺たちの一生を使っても使いきれるものではないだろう。
用意したのは今朝取れたウサギ肉、他にいくつかの野菜と魚。そう言ったものに塩をすり込んで、半分を冷蔵庫に、もう半分を風通しのいい軒先につ吊るしておく。
本命は冷蔵庫に入れた方で、外に出した方はおそらく最初は失敗するだろう。それでも、いつか冷蔵庫が使えなくなったときのために知見は得ておきたかった。
■
「気合を入れて始めたんだが、なんだかすぐ終わってしまったな」
「そうだね、数もそんなに多くなかったし。ただ、明日からも色々しないといけないみたいだけど」
一通りの作業を終えた昼下がり、俺たちはお互い椅子に座って、のんびりお茶を飲んでいた。
初日にすることは多くはなかったが、これからは定期的に塩漬けからにじみ出てきた水分を拭きとって、塩を追加するという作業をしないといけない。常日頃しなければいけない作業が一つ増えることになる。
さらに言うなら、数がそんなに多くない、と言うのも問題だ。今俺たちが自給自足している食べ物は日々消費する程度には問題ないが、冬季に食べ続けられるほどの余裕など全くないということだ。
魚は網漁に変えて大量に確保し、まとめて塩漬けにすればいいのだろうか。畑は来年から拡張の必要があるだろう。それだけ数が増えれば塩漬けを作る工程も、たくさんの水気を拭きとり漬け直すという大仕事になる。
文明の残滓が消えた時、圧倒的な人手不足に陥る気がして。
(あれ……子供を作るのって、本当に抜本的な解決策なんじゃないか……?)
「塩漬けがうまく行ったらいいんだけど、それもそれで冬の間中、ずっと塩味の食事になっちゃうのかな」
「食べる時に洗って塩を落として、味噌や醤油で味付けすれば変えられるんじゃないか?………ただ、これらも自給自足を考えないとな」
味噌も醤油も保存の効く食品だが、それでも何年も持つわけではない。大豆を育てて、発酵させる。難易度は高いかもしれないが、米を作るほどではないだろう。
「エマは、他に何か食べたいものってあるかい。とりあえず理想だけでもいいから」
「えっと、理想でいいならタマゴとかかな。もちろん難しいのは分かってるんだけど」
確かに、卵は5月から一度も食べていない食品だ。当然のようにすぐ腐り、他の生き物に食べられてしまったため、もうどこにも残っていない。
「可能性はなくはないんじゃないか。野生の鳥の巣を見つけて、ちょっと拝借すればいい。流石に生では食べられないだろうけど」
「それならいいかも!今度から鳥の巣がないかも探しながら歩いてみようかな」
「ただ、タマゴをとれても割るときに覚悟が必要かも………ほら、有精卵だし」
「あ、ああ、そっか。中身ができてるかもしれないんだね」
肉の解体をしてグロ画像にはもう慣れたが、それでも不意打ちでどろりとしたものが指に付くのは、とてつもなくビビる気がした。
「後は牛乳かな。牛乳とタマゴがあれば、まだ使える小麦粉と合わせてお菓子も作れるんだけど」
「牛乳は……厳しいな。野生に解き放たれた家畜なんて、もう食われてるだろうし」
「牛以外の母乳じゃダメなのかな。ヤギのも飲めるんだよね?」
ヤギの乳を飲む文化はあるから、確かにそれは飲めるのだろう。だが野生にはいない。ではほかの野生の哺乳類から母乳をとればいいんじゃないかと言う話になるが……
「他の動物の母乳を、人間が飲んでいいのかどうかが分からないな。そもそも牛乳だって加熱殺菌とかしてたはずだし……安全面を考えると、やっぱり諦めるしかないかな」
「残念だな。どこかに加工しなくても人間が飲んでもいい母乳を出してくれるような、都合のいい生き物がいてくれればいいんだけど」
「…………」
その言葉に、つい目の間で座っているエマの胸を見てしまう。俺たちは子供ができるようなことをしているのだ。服の上からでも見て取れるその膨らみからも、いつかは母乳が出てくるわけで……
思わず黙り込んでしまい、発生した沈黙。エマが不思議そうに首をかしげて俺の視線を追い、そして表情をさっと赤く染めた。
「あ……っ!あの!えっと……!」
「す、すまん……!ちょっと最低な発想だったよなっ!気にしないでくれ!」
(他に類を見ない最悪なセクハラをしてしまった……!)
急いで視線をエマからそらす。彼女は慌てた様子でとっさに自分の胸の前に腕を置き、俺の視界からその丸みを隠していた。
「そ、その……先生は、飲んでみたいって思ったりする……?」
「それは……えーっとだな、どんな味かなと言う純粋な興味はなくはない。ネットの噂で薄くておいしくないっていう話は読んだことあるんだが」
「そうなんだ……」
「ああ、そうらしい」
「先生、味なんて調べたことあるんだ……」
「…………」
もはや俺は全ての発言権を失った。そう感じた。
いや、本当にただの好奇心で、性的な意味はないんだといくら言葉を尽くしても、かえって怪しくなるばかりである。沈黙することしかできない。
「薄いのなら、砂糖を加えてホットミルクにしたらおいしくなるのかな?」
「ど、どうなんだろう。そうなのかもしれない」
「じゃあその、ボクが妊娠したら、先生にも飲ませてあげるね?」
「お、おう……」
女子高生の母乳を砂糖で甘くして作った、エマのボク色ホットミルク。それはちょっと背徳的すぎやしないだろうか。
■
日が落ちて、夜になる。俺は自室で一人、本を読んでその内容をまとめていた。
塩漬けによる保存食の作成はうまく行くかもしれないが、やはり味がすべて塩味になるのは問題だ。そうでなくても、同じ調理法ばかりのものと言うことになる。
文明的な保存食はまだまだ残っているのだから、もっと時間をかけて難易度の高い方法を試してもいいのかもしれない。
例えば発酵。今日話した味噌や醤油も発酵だが、寿司の一部も確か発酵が関係していた気がする。漬物も乳酸菌発酵だ。でもこれは塩漬けと何か違うのか?要検討。
燻製も保存食の一つだが、何か月も持たせようとすると結局塩の力が必要らしい。しかし風味が変わるというのは助かる。やってみてもいいかもしれない。
ノートに文を書きつけて、書籍に付箋を貼っていく。アナログな方法で情報を整理していると、自室のドアがノックされた。
「どうぞ、入っていいよ」
俺が返事をすると、エマが慣れた様子で中に入ってくる。連日行われたこの習慣に今更戸惑うこともない。何せ彼女の枕はもはや俺のベッドに置きっぱなしになっていて、持ち帰ってもいないのだから。
「先生、この時間まで勉強してたの?」
「まあね。読んでみるとおもしろくてな。切りのいいところまで進めたいから、少し待っていてくれるかい?」
燻製をできるキットは市販されているが、家庭用のそれは一食分しか作れない大きさだ。例えば網漁で大量の魚を取った場合、とてもじゃないが処理しきれない。
大規模に行うならば燻製小屋と言うものを使うらしい。小屋の中全体を煙で満たす大規模なものだ。この旅館の外には倉庫があったから、そこを少し改装すれば同じことができるかもしれない。
「……ねえ、先生」
「うん。ちょっと待っててくれな」
必要なのはもう一つ、燃料となる木材だ。使うのは炭ではないから、ホームセンターのそれを使うわけにはいかず、燻製用のチップが大量にあるとも思えない。
木々はあたり一面にあるし、斧を持ってくれば伐採はできる。ただ生木は切ってすぐ使えるわけではなく何か月も乾燥させなければいけない。動くなら、できるだけ早い方がいい。
ドアが開き、バタンと閉じる音。エマが外に出たらしいが、お手洗いにでも行ったのだろうか。一瞬だけ思考がそちらに向いて、また眼前の本に戻る。
燻製に使える木材は何でもいいわけではなく、サクラ、クルミ、ナラなどの一部の広葉樹に限られる。付近の植生を調べる必要があるだろう。
倉庫を燻製小屋にして、食材を吊るしたり置いたりして、煙で満たす光景を想像してみる。火事が心配だ。適当にやらずにちゃんとした仕組みが知りたい。
「先生。こっち見て」
いつの間にか戻ってきていたエマに声をかけられる。そちらへ視線を向けると、その装いは先ほどのパジャマ姿とは変わっていた。
彼女は紺色のブレザーを着ていた。首元には赤いリボンが結ばれていて、その下には白いブラウスがわずかに覗いている。
落ち着いた色が配色されたチェックのプリーツスカートは膝ほどの長さまで伸びていて、エマがわずかに動くたびにゆらゆらと見える範囲を変えていた。
あの店から持ってきたコスプレ衣装の一つである学生服だ。それをわざわざ着てきて声をかけてくる。そこに隠された桃色の意図は、分かりやすすぎるほどに明白だ。
「先生、保存食が大事だっていうのは分かるよ。ボクとの将来のために、いつも頑張ってくれてると思う」
「お、おう。ありがとう」
エマがこちらへと歩いてくる。それだけで俺はもう彼女の姿から目を離せなくなって、いつの間にかペンが指から離れていた。
「でもそれって、本当に必要なことかな?」
「それは、まあ、手持ちの備蓄食料の賞味期限って、5年くらいのものがほとんどだし――」
「そうだね。でも逆に言えば、あと5年間は手作りの保存食に頼らなくても安全な食べ物がたくさんあるってことだよ。だから、えっと、その……」
そこまで来て、途端に言葉をためらい始めていた。口の中で何かしらもごもごと言って、顔を斜め下に向けた後、視線だけこちらに向けてくる。
「つまり……その……できるだけ早く、赤ちゃんができるように
「…………」
(サキュラバ………エロ……ッ!!)(n敗目)