よく晴れた日の事。それでも最近10月に入ったことで涼しくなった空気を感じながら、俺たちは畑に水やりをしていた。
ジャガイモを植えたレイズドベッドには緑色の葉が並んでいて、無事に育っていることが分かる。しかしその茂り方は写真で持たモノよりも弱々しい。季節外れに植えたからだろう。収穫量に期待はできなかった。
とはいえそれは分かっていたことで、次代の種イモが手に入れば十分だ。育成環境が悪く弱々しい出来になったからといって、遺伝子に問題があるわけではない。下がった気温の中ちゃんと保管することができれば、次は適切な時期に植えられるだろう。
俺たちは一本ずつホースを手に持って、手分けして水を撒いていた。ホースの根元は雨水をためるタンクにつながっていて、農業用水はこのか、足りない場合は川の水を追加するうにしている。
清潔で飲料可能なペットボトルの水を大切にするためだったが、それでも少し不安が残る。
だから、水やりが終わった後で俺はエマに提案した。
「飲める水に関して、何か手を打っておきたいと思うんだ」
「水?まだまだたくさんあるし、むしろ部屋を埋めるほどだけど……」
街中へ物資回収に向かったとき、見つけたら必ず根こそぎ回収し、トラックの荷台の多くを埋めているのが水だ。
旅館の客室に保存期間ごとにまとめていたそれは瞬く間に一室を埋め尽くし、1階の客室を次々と侵食している。
「確かに保管してる量は多いけど消費する量も多いし、あれだけあっても5年は持たないだろうからね。別に飲料水を作る手段を確保しておいて、それと並行して消費していきたいんだ」
「食べ物と同じようにってことだね。どうするの?雨って飲めるんだっけ?」
「飲めるけれど、農業用水としてもかなり使ってるし、そのままだと衛生面は問題だと思うよ」
確保する雨水を増やすことは、タンクを増設して集水面積を増やせば簡単にできる。しかし集水面積が増えるということは、空へと向けた面積が増えるということであり、そこに付着する汚れも増えるということだ。直飲みはできないだろう。
何か方法を考えないといけない。
■
一度旅館の中へと戻り、手を洗って飲み物を用意して椅子の上に腰を落ち着ける。サバイバルの本から最近見つけたページを、エマへと差し出した。
「ペットボトルの中に小石とか砂とか、活性炭をフィルターとして重ねて作るろ過装置があるそうなんだ。これで綺麗にした水をさらに煮沸すれば、飲むことはできると思う」
「小石とか砂なら、簡単に手に入るもんね。活性炭って、普通の木炭とは違うのかな。ホームセンターで手に入るといいんだけど……」
「多分あるんじゃないかな。ただ問題は効率なんだよね」
もし500mlのペットボトルを使ったとして、その中の1/3をフィルター層で埋めたとする。一度に注げる水は残りの333ml程度で、ろ過が終わるたびに次の水を継ぎ足してやらないといけない。
できればそんなことをせず、朝にろ過を始めて別の仕事をしていたら夜には一日分の水が手に入るようにしたい。
「単純に、ペットボトルの数を増やせばいいんじゃないかな」
「もちろんそれも手だよ。けれど一人当たり必要な飲料水が2Lとか3Lだから、10本弱のろ過装置が必要になるんだよね。フィルターを入れ替える手間を考えると、もう少し効率を良くしたい」
「ペットボトルじゃなくて、別の入れ物を使ったらどうかな。ほら、灯油を入れるやつの白いバージョンみたいな、水の容器があったよね?」
「あれは出口が片側によってるから、水がフィルターを綺麗に通って出てこない気がするな。でも別の入れ物を使うというのは良いね。単純に2リットルペットボトルを使えばいいかな」
それでもいくつか用意しなければならないけれど、これはもう仕方ないことなのだろう。あるいはペットボトルの上部に、水を入れる部分を増設すればいいのかもしれない。
「大きいペットボトル……あ!ボク見たことあるよ!お酒のコーナーに、他に見ないくらい大きいのがあったよね?」
「焼酎が入ってるやつか!確かにあれなら5Lくらい入ってるから、一本で済みそうだね。うん、良い案だ」
「決まりだね!じゃあさっそく取ってこようよ!」
エマが手を叩いて、嬉しそうに立ち上がる。その楽し気な様子が気になって、念のため釘を刺すことにした。
「言っとくけど、中身は飲まないで捨てるからね?」
「え!?な、なんで?もったいないよ?」
「5Lの焼酎なんて、飲み切るのいつになるか分からないよ。ろ過装置は今すぐ作りたいんだから、容赦なく捨てます」
「そ、そっか、そうだよね……」
「…………えーっと、まあ、せっかくならボトル焼酎なんていう安いのじゃなくて、もっといいお酒をついでに回収してもいいけど」
「うん!それなら、もう水の回収は終わった場所にもう一回行ってもいいかも。まだまだ残ってるもんね!」
(山を下りるならついでに水の回収もしたいんだが……代わりに酒を乗せるのか?軽トラにどれだけアルコールを乗せさせるつもりなんだろう……)
その後、俺たちはホームセンターで活性炭を手に入れた後、業者みたいな量の酒類を積んで旅館へと帰ることとなった。
■
ガスコンロで温められた鍋の中、透明な水がグラグラと揺れている。汲んだ時には汚れが浮いていた川の水は、ろ過装置によって外見上は綺麗になったように見えた。
火を止めて、少しの間冷ました後でピッチャーの中に移し替える。そこからさらにコップの中に水を注いで、ひとくちだけ飲んでみた。
「うん。味は特に問題ないように思える。うまくいったんじゃないかな」
「良かった!頑張ったかいがあったね」
テーブルの上には、逆さにされたペットボトルがブックスタンドに挟まれて固定されている。何層ものフィルターが存在するそれは、今日一日で作り上げた傑作だった。
「ボクも飲んでみたいな。少しちょうだい?」
「ああいや、待ってくれ。当面は俺だけがこの水を飲もうと思うんだ」
「先生だけ?」
「うん。まだ絶対安全だと確信できたわけじゃないからね」
書籍の通りに作ったからと言って、それでミスなく出来上がってるかと言う確証が得られないし、この方法で絶対に安全だという保証はない。
本格的な機械で、水質検査をしたわけでもないのだ。
「で、でも、それって先生が危ないってことじゃ……先生だけに、そんな……」
「いざというときに二人そろってダウンする方がまずいよ。俺が体調を崩したら、看病して欲しいし」
「なら、せめてボクが飲むことにするよ!先生の方が働けるんだから、ボクが動けなくなった方がまだマシだよ!」
「そうかもしれないけど、こんなリスクを女子供に背負わせられないよ。……くだらない男のプライドかもしれないけどさ」
「………………」
「あぁでも、ペットボトルの水も賞味期限は無限じゃないし、当面と言わずエマはずっとそっちでもいいかな?飲料水の節約ができればいいわけだし」
「………………」
「エマ?」
黙り込んだエマの様子に気付いて、考え事をそこで打ち切る。彼女の方を見ると顔がすっかり青くなっていて、その表情は恐怖で引きつっていた。
俺が死ぬかもしれない。その事実を思い起こさせてしまったのかもしれない。
「ええと、大丈夫だよ。少しずつ試すし、ダメでもお腹が痛くなるくらいだって」
「でも……それでも……ボクが綺麗な水を出せたら、先生に汚いかもしれない水を飲ませることなんて……」
「気持ちは嬉しいけれどそんなことできないんだから仕方ないよ。魔法使いじゃないんだから」
俺の返事にエマがびくりと体を震わせた。顔色はますます悪くなり、血の気が薄くなっていく。
このままじゃいけない。
「本当に心配いらないよ。正直この対策もやりすぎなくらいだから、念のためってだけでこれくらいじゃ害なんてないよ」
「そう……なの……?」
「もちろん。ただほら、君は今この瞬間も妊娠してるかもしれないだろう?子供にはちゃんときれいな水を飲ませたいじゃないか」
「うん。そうだね……そう、だよね……」
とっさに言った俺の言葉を、エマは信じてくれただろうか。実際にこれは気遣いだけではない。出産と言う大仕事があることを考えると、女の子の健康は優先されるべきだとも思うのだ。
それでも、エマが心から安心できたと、そう確信することはできなかった。
■
夜。いつもの時間にいつものとおりにエマが来る。しかし今日は様子が違った。
彼女は何着もの衣装を持ち込んで、ベッドの上に広げている。異様なほどに高いテンションで、捲し立てるように言葉を並べていた。
「ねえ先生。今日は何着る?メイド服とかどうかな。また何か、凄いおしおきとかする?縛ったりとか蝋燭たらしたりとか、強く叩いたりしてもいいよ」
「えっと」
「あ、ナース服はまだ着てないよね。優しくしてほしいって言ってたもんね。どんなご奉仕すればいいかな?手でするのだけじゃいつも通りだし、お口ですればいいのかな。そういうやり方があるってくらい、ボクだって知ってるんだからね」
「エマ」
「違う。違うね。ごめんなさい。ボクが決めることじゃないよね。先生が好きに決めることだもんね。それでどの服がいい?どれでもいいよ?なんでもするよ?ボク、先生のために頑張るから。だから、だからね先生。あのね」
「落ち着いてくれ、エマ」
彼女に近づいてその肩に手を置く。そこでようやく彼女は口を閉じて、こちらの方を向いてくれた。
気まずさと不安、そんな色に染められた瞳と視線が合う。まるで叱られる直前の子供のような、そんな俺にとっては馴染みのある表情だった。
「………今日は、エッチなことはしないことにするよ」
「な、なんで!?飽きちゃったとか!?」
「そうじゃないよ。ただ今日は、落ち着いて話がしたいんだ。ああでも、一緒には寝たいかな。ほら、何でもしてくれるっていうなら、もう布団に入ろうよ」
俺の言葉に、エマは反論できなかったのだろう。二人でベッドの上の衣類をどけて、布団の中へと潜り込む。枕もとの電気の光量を落とすと、泣きそうなエマの表情が浮かび上がる。
その顔を俺の胸に埋めるように抱きしめて、少しだけ乱暴に頭と背中を撫でまわした。
「ほーれほれほれ、よーしよしよし、いい子いい子いい子」
「んっ……」
あからさまな子ども扱いに、それでも彼女は何も言わない。罪悪感のあまりに、冗談めかした反論すらできなくなっているのだろう。
「エマ。君が役に立ててないと思っているって聞いて、なら俺の趣味に付き合わせれば楽になるかなって、そう思ったわけだけどさ」
「うん……だから今日もコスプレして、頑張ろうと思ったんだけど……」
「でもさ、それは……言い方がよくないけど軽い気晴らしになればいいってくらいの話で、エッチに依存して欲しいわけじゃないんだ」
「い、依存なんて……」
「性欲的な意味で依存してるって言ってるんじゃないよ。心当たりはあるんじゃないかな」
「………」
言うなればアルコールと同じだ。ストレス解消に適量を飲むのなら問題ないが、それがなければ生きていけない、と言うくらいにそれに頼り切ってはいけないのだ。
「正直なところ、俺が読み違えたよ。君の無力感がここまで根の深いものだとは思わなかったんだ。……すまなかった」
「そんな、先生が謝ることなんて――」
「それでも、もしここで君に手を出したら、きっと君はエッチなことをしないと俺に愛されないとか、そう言う風に思ってしまいそうで心配なんだよ」
そういう事例はいくらでも思いつく。子供の場合でも、大人の場合でもだ。そしてその結末は、ろくなことにならない。
「でも……ボクのためにまた先生を我慢させて……」
「我慢だとしても、この我慢なら俺はめちゃくちゃ身勝手に喜んじゃうね」
「なんで……?」
「つまり、俺は好きな子のためなら性欲を我慢できる立派な人間ってことでしょ?凄いね俺。ほら、褒めたたえて」
わざと明るい口調でおどけて見せる。ここでようやくエマから少しだけ笑ったような気配がした。
「ふ、ふふっ。そうだね、先生は凄いよ。いつも本当に凄くて、未来を見てて、立派で……ボクが、全然追いつけなくて」
喋りながら、再び彼女の口調が落ち込んでいく。役に立てないと思っている相手に『凄いね俺』は、方向性をミスっただろうか。
かけるべき言葉を急いで探していると、エマが小さな声で語りだした。
「ねぇ先生。ボクは、先生にふさわしいのかな」
「もちろんだよ。むしろ俺の方が本当は君にふさわしくないよ、年齢の問題で。けれど君が幸せになるならそれでもいいと、今はそう思っているけれど」
「そっか……じゃあボクも、先生を幸せにできるのなら、それで十分なのかな」
「俺はもう十分幸せにしてもらってるよ。世界一可愛い女の子が恋人なんだから」
「どうだろう、ボクの方が幸せだと思うけど」
「いやいや、俺の方が上だね」
そんなことを言って笑いあったあと、二人そろって目を閉じる。
ずいぶんと久しぶりに性的なことをしないままに寝たけれど、それでも好きな人の体温を感じながら、穏やかに眠ることができた。