ミネラルウォーターの入った段ボールを台車に乗せて、順次軽トラへと運んでいく。使える水自体は街中に十分あるものの、この作業の繰り返しはなかなかに大変なものだった。
その作業もようやく一区切りし、このコンビニからは全ての水を運び出せた。俺はもう一度倉庫に入って声をかける。
「桜羽さん。そっちの作業はどうかな」
「そうだね、多分これくらいでいいんじゃないかな」
桜羽さんにはもっと軽いものを運んでもらっていた。例えば衣類や、ティッシュなどだ。
だがそれらは水と比べて、店舗にあるものを根こそぎ回収しなければいけないほど、消費するものではない。何をどれくらい積み込むか、それは桜羽さんに決めてもらっていた。
「えっと、生きていくうえで必要なものじゃないんだけど、制汗剤とかも持って行っていいかな」
「もちろんだよ。俺も汗を拭くシートとか持っていこうかな」
話をしながら、持ってきたバッグに商品を入れようとすると、桜羽さんがすっと俺から距離を取った。
「お、おう……なんかすまん……?」
「あ、いや、そうじゃなくて!」
もしかして避けられたのでは、と心理的にダメージを受けていると、桜羽さんが焦ったように否定してきた。
「話をしてたら急に気になっちゃって、ボク自身が、その、汗臭くないかなって」
「それはまあ、こんな世の中じゃ仕方ないんじゃないか?」
「ちょっと待って!?汗臭いことは否定しないの!?」
「あー……いや、うん。気にしなくていいと思うんだけど」
「気にするよ!?」
コテージや車にはエアコンがあるとはいえ、生活のための活動の主体は外がメインだ。こうやって物資回収をしていれば、嫌でも汗をかく。
「でもさ、重い荷物を運んでる俺の方が汗をかいてるし、君に不快な思いをさせてると思う。なら、君も気にしなくてもいいんじゃないかな」
「先生は男の人だから別にいいと思うんだ。それに、その、先生の匂いは、別に嫌じゃないし……」
「あー……そうか、なら俺も……いや、なんでもない」
(俺も桜羽さんの匂いは嫌いじゃない、は完全に変態の発言だな。危ない危ない)
本当にそこまで気にしなくていいと思うのだが。女の子のプライドと言うものがあるのかもしれない。
「なにか、もっと頻繁に汗を流せる方法ってないかな」
「キャンピングカーのシャワーを使う頻度上げるかい?」
「いや、さすがにそれは申し訳ないよ」
キャンピングカーにはシャワーがついている。エンジンとそれによるバッテリーで温水も出る、そんなしっかりしたものだ。
しかし当然、比喩じゃなく湯水のごとく水もガソリンも消費するのだ。それらは街に降りればたくさん存在するが、それを各地から集めてトラックに乗せ、キャンピングカーに継ぎ足すという手間はそこそこ労力のかかるものだ。
「ドラム缶でお風呂作るのはどうかな?」
「火力の調節が大変そうだ。今の時期は水でもいいし、ペットボトルに穴開けてシャワーでもつくってみるか?」
「それって殆ど勢いがでないんじゃないかな」
「水圧が必要になるか。水のタンクを高い位置に置いて、それをペットボトルにつなげば……」
「高い位置に水を運ぶのが大変だよ。だったらキャンピングカーのままと大変さは変わらないんじゃないかな」
二人でこれからについて話し合う。どうすれば生活をより良いものにできるかというのはある意味生きていく意味そのものでもあった。
「温水の確保は難易度が高いな。何かしら妥協する必要がある。例えば水は、雨水や川の水で何とかするとか――」
「あっ!」
突然声を上げた桜羽さんが向かった先は、コンビニの書籍コーナーだった。そこから同じ種類の本を二冊取り出して、片方を俺に渡してくる。
「これなんてどうかな!」
「旅行雑誌?どこか行きたいのか?」
「そうじゃなくて、これ!」
彼女が指さしたのは雑誌の表紙。何の特集かを示す煽り文句だ。
「温泉だよ先生!温泉なら、お風呂入り放題だよ!!」
■
雑誌から源泉かけ流しの温泉を探す。循環式や加温式の温泉では、ポンプやボイラーが止まっている可能性が高い。人の手がなくても湧き続けている場所でなければ、今の俺たちには使えないだろう。
そう判断して、その中でも一番近いところへと向かった。
そこは木造の旅館で、周囲は山で囲われている。建物はいかにも古臭そうなものの、それは雰囲気出しのためのものらしく、腐食などは一切見られなかった。
「なんだか、思ったより小さい建物だね。旅館ってもっと大きいものだと思ってた」
「源泉かけ流しの場合、温泉の規模がわき出る湯量に依存するからね。ただ人気店ではあったみたいだよ。何か月先も予約でいっぱいだって」
中に入ると受付では人骨がお出迎えしてくれた。もはや慣れたその光景を横目に、案内板を探す。
見つけた案内板をもとに、大浴場へと歩き出した。
「さて桜羽さん。覚悟は良い?きつかったら、俺一人でもいいからね」
「そんなことできないよ。ボクも手伝う。大丈夫。マスクも手袋も持ってきたから」
そんな話をしている間に浴場に着く。扉に手をかけて、一回だけ深呼吸。気合を込めて、その扉を開けた。
そこは、カビ天国だった。
詳しい描写は省くが、まあそういうことだ。お湯を流しっぱなしの状態で人類が滅び、そのまま放置されたのだ。それは二か月の間に大繁殖し、それはもうすごいことになっていた。
「……」
「……」
(掃除するのか?これを?)
正直なところ、やめたくなってきた。別に温泉なんてなくても、キャンピングカーがあればシャワーは一日一回は浴びられるのだ。
「な、なあ、これ本当に――」
「お風呂のためお風呂のためお風呂のため、よし、頑張ろう!」
むん、と気合を入れて温泉の中へと突入していく。これはもはや、俺も覚悟を決めざるを得なかった。
まず最初にやるべきことは、これ以上の湯の侵入を防ぐことだ。このままでは湯船の中を掃除できないし、一度湿気を払わないとカビを駆除することもできない。
お湯を止めることができればいいが止め方なんて知らないし、何より電子制御だろう。正規の方法で操作することはできそうになかった。
だからお湯の吹き出し口をすべて袋で覆った。その一部に穴をあけて、塩ビ管をつなぐ。複数本の管の間をジョイントで方向を変えながら接続し、お湯を風呂場内ではなく、室外へと排水するようにした。
その後デッキブラシや洗剤を使って、二人で一緒に掃除する。二か月かけてたまった汚れは多少頑固ではあったものの、大量の洗剤を贅沢に使い力任せにこすっていけば、何とか落とせる程度ではあった。
「なんとか、目立つところは綺麗になったな」
「でもまだ、細かいところが残ってるよ。シャワーや蛇口の裏側とか隅とかも綺麗にしないと。お風呂に入ってるときに目に入ったら嫌だよ」
「残りは桜羽さんに任せても大丈夫かな。多分力がいる内容じゃないと思うし」
「できると思うけど、先生はどうするの?」
「この旅館にいる人たちを、埋めて弔ってあげようかと思う。施設を使わせてもらうんだから、それくらいしないとね」
目につく人全てを埋める余裕なんてとてもない。それでも、この温泉を使う以上、せめてここにいる人たちには礼儀を尽くしたかった。
「……うん、分かった。じゃあ残りの掃除はやっておくね」
「何も全部やらなくてもいいからね。俺もこっちが終わったら、残りは手伝うから」
そして俺は浴場を出て、いくつもの人骨を埋めて回った。
■
「うむ。いいお湯だった」
居室の中で一人呟く。久しぶりのお風呂は、体中の疲れが全て溶けていくようだった。
掃除の終わったお風呂は俺が先に使わせてもらった。桜羽さんに先に入っていいと伝えたのだけど、俺を待たせてると申し訳なくなって、逆にのんびり入れないからとのことだった。
確かにお風呂と言うのは女性の方が長いものだろう。髪や体の手入れがいろいろあるらしい。よく知らないが。
そう考えると、俺が気付かないだけで桜羽さんにはいろいろと我慢させてるのかもしれない。もちろんこんな世界じゃ、それは当たり前のことで必要なことだろう。
それでももっと、あの子のためにできることはしてあげたかった。
「ただいま。お風呂から上がったよ」
どんなことができるかを考えていると桜羽さんが戻ってきた。お風呂上がりの体はほこほこと軽く湯気が立っているようで、湿った髪からは少しだけ水滴が落ちている。
「おかえり。どうだった?」
「あったかかったよ。やっぱりお風呂は大切だね」
そう言って彼女は、部屋の隅に置いた電源タップにドライヤーをつないでいた。それは今室外で稼働させている発電機と繋がっているものだ。
「ああそっか、洗面所のコンセントは使えないもんな。延長コードをそっちにも伸ばせばよかったか」
「そうだね。それに明かりも必要だよ。今は夕方だから何とかなったけど、夜にお風呂に入れないもん」
桜羽さんがドライヤーを掴む。そばのカバンからブラシを取り出して、一瞬だけ考えた後、言った。
「ねえ先生。髪、乾かしてほしいな」
「ん?」
当然ながら、桜羽さんは自分の髪くらい自分で乾かせる。電気がコテージで使えるようになってからは、シャワー上がりにはいつもそうしていたのだ。
(ああ、なるほど。つまりこれは、彼女なりの甘えか)
「いいよ、おいで」
「やった!」
桜羽さんからドライヤーとブラシを受け取ると、彼女は俺の前に座った。
「ただ、人の髪とか乾かしたことないからね。熱かったり、あと、ブラシが痛かったりしたら言ってくれな」
「そうなの?………彼女さんとかは?」
「残念ながら、彼女はいたことないです」
「へぇ、そうなんだ!」
俺の言葉に、桜羽さんは楽しそうにニコニコと笑っていた。嘲笑とは違うその笑顔は何が楽しいのかは分からなかったが、まあ楽しそうならそれでいいだろう。箸が転んでもおかしい年頃なのだし。
自分とは異なる細く繊細な髪を、できるだけ丁寧に、時間をかけて乾かしていく。桜羽さんからは特に注文が来ることはなく、俺にされるがままになっていた。
「ボク思ったんだけど、生活の拠点をコテージからこっちに移せないかな」
「それって、集めた物資を移動させてってことかい?」
「うん。だってお風呂に入ってから車で移動して寝るって、大変でしょ?それに、あのコテージにこだわる理由も、ないんじゃないかなって」
それは確かにそうだ。コテージで暮らしている理由は街の中だと腐臭がするからというのと、最近では川で魚が取れるからくらいだ。確かこの旅館の近くにも川はあったから、そこでも魚が捕れるなら移動しても問題ない。
それに、コテージから移動距離の短い場所の物資は、あらかた回収して回ったのだ。その点を考えれば、むしろメリットがあるともいえるだろう。
「それにここなら、朝も夜も温泉が入り放題だよ!」
「そうだね。じゃあ後で、この周囲の環境を調べてみようか。それでよさそうなら引っ越そう」
「うん!」
とはいえ、日が落ちてから森の中を探索するわけにもいかないのだから、それも明日からだ。今日は湯上がり特有の気怠さを感じる体のまま、車に乗って二人一緒にコテージに変えることにした。