今日はエマよりも早く起きることができた。
そのことに気付いたときに急いでベッドから飛び起きて、衣類を整え扉へと向かう。俺の動きで目を覚ましたエマから声をかけられる前に、軽い挨拶だけをして逃げるように部屋を飛び出した。
それが功を奏し、ずいぶんと久しぶりに朝から性的な行為をすることもなく、こうして川への道を歩けている。
思えばエマを残し、一人きりで行動すること自体がずいぶんと久しぶりの事だった。どろりとした人肌の生暖かい空気から解放されたような、そんな感覚に心が涼しくなっていく。
もちろんエマの事は大好きだ。その事実に揺るぎはないが、恋人や夫婦であっても四六時中、何日も一緒にいたら息がつまるし、一人の時間だって欲しくなる。
帰ったら、エマになんて声をかけようか。俺としてはエッチなことをするのは夜だけにしたいと言ってみるべきか。いや、少し誘われただけで我慢出来てないのは俺の方だと言われたら正直そこは反論できない。
あーでもないこーでもないと、語るべき内容を考えてみる。久しぶりであっても歩きなれた道であり、考え事をしながらでも足は勝手に動いてくれた。
そのまま歩き続けること数分後、道の端に白いものが転がっているのを見つけた。きっと罠にかかったウサギだろう。おいしいお肉を食べれば気分も明るくなるかもしれないと、そう思って期待しながら近づく。
しかし、白いのは俺から見えていた部分だけだった。
ウサギはすでに死んでいた。罠にかかって動けなくなったところを、他の動物に食べられたのだろう。体は裂け、すでに荒らされ、その体表と地面を赤黒く染めている。
死んでから時間も立っているのか、周囲では羽虫が飛び回っていた。
(ああ…………)
このウサギが罠にかかったのは、何日前の事だったのだろうか。掴まえてすぐ回収できていれば、俺達のものにできたかもしれない。
しかし、俺は連日セックスばかりに溺れて仕事をおろそかにした結果、エマに食べさせるべき貴重な肉を、こうして一つ無駄にしたのだ。
俺の怠惰とその罪に、軽くなったはずの心が再び重くなっていった。石を飲んだかのように胸が重くなり、嫌な予感をひしひしと感じる中、それでもまた川へと向けて歩き続ける。
普段であれば川に設置してあるペットボトルの罠を、中に入った魚ごと回収して新しい次の罠を仕掛ける、それが毎朝のルーチンだった。
しかし予感した通り、その罠の中でも魚が死んでいた。ペットボトルの中というよどんだ水の中で腐り、異臭が発生し始めている。
ペットボトルから出られなくなって死んだ理由は餓死か酸欠か。いずれにせよ匂いの染み付いたペットボトルを再び罠として流用することはできないだろう。俺はそれを森の奥へと放り投げ、持ってきた新しい罠を川の中へと沈めた。
(何を……何をやってるんだ、俺は……)
成果が何もないままに、手ぶらでとぼとぼと帰り道を引き返す。これが俺の怠惰のつけで、そのせいで彼女に食べさせてあげるべきものを腐らせてしまった。
旅館の近くに来ると、二人で作り上げた畑たちが目に入った。いつも気にかけていたそれはここ最近さぼった結果、雑草が目立ち始めてきていて、農作物もどこか元気がないように思えた。
思えばせっかく作った水のろ過装置も、ほとんど使うことの無いままにうっすらとほこりをかぶっていた。ここまで作り上げてきたものが少しずつ腐り落ちていく感覚に、言いようのない恐怖を感じる。
「おかえり、先生」
「あ、ああ。ただいま、エマ」
「…………?」
リビングとして使っている休憩室に戻り帰宅のあいさつをすると、エマが不思議そうにこちらを見上げてきた。当然だろう。普段であればここでペットボトルを見せて、何匹掴まえられた、一人何匹ずつ、さあ朝食にしようなんて、そんな会話をしていたのだから。
なのに俺はその手に罠すら持っていない。疑問に思って、当然のことだった。
「ごめんな、エマ。魚は……捕れなかったよ」
「そうなの?」
「うん。何日も回収しなかったから、ペットボトルの中で死んで腐ってて……ダメだった」
恋人の前で、自分が情けない男だと、使えない男だと、重大なミスをしたのだと告白する。それがあまりにも苦しくて、ズタズタになったプライドと共に崩れ落ちるようにソファーへと座った。
エマはそんな俺の隣に座って、優しく俺を慰めてくれる。
「そっか……それは仕方ないね。先生は悪くないよ」
「俺がしっかりしてれば良かったんだ。そうすれば、君にちゃんとしたものを食べさせてあげられたのに……」
うじうじと、くだらない弱音が口から漏れる。こんなことを言ったら彼女は慰めてくれるに決まっている。これではまるで、それを期待して愚痴を吐いているようなものじゃないかと、自分の女々しさにさらに情けなくなる。
そして思った通り、エマは優しい言葉を俺にかけてくれた。
「そんなこと気にしなくていいよ。こうして生きていけるだけで、全部先生のおかげだもん」
「けれど、俺はもっと君に幸せになって欲しいんだ。おいしいものを食べて、健康的な生活をして……そうして笑っていてくれれば、俺自身も良かったんだ。そのはず、だったんだ」
「んーー……」
絞り出すような懺悔の言葉。それに対してエマは言葉を選ぶように悩み、そして言う。
「でもね、それはボクも同じだよ。先生が幸せに笑っていてくれれば、ボクも嬉しいんだ。逆に今みたいに苦しんでいると、ボクまで苦しくなっちゃうよ」
「それは……」
それは確かに
俺が今考えるべきことは―――
「だからね、先生。【苦しまないで】」
「あ……」
少女の甘い言葉を聞いたとき、心の重荷が取り払われたような気がした。
「【悩まないで】」
頭から思考能力が抜ける。俺が悩まなければエマが幸せなら、それが一番いいと思う。
「【後悔しないで】」
確かに俺は失敗したが、別にいいだろう。エマがいいと言っているのだから。
「【悲しまないで】【辛くならないで】【不安にならないで】【疑わないで】【傷つかないで】【怖がらないで】【反省しないで】【自分を責めないで】【無理をしないで】【泣かないで】【考えないで】【怯えないで】【頑張らないで】【落ち込まないで】【嘆かないで】【怒らないで】」
「あ……あ……あ……」
心の中を埋めていた負の感情。それら全てが溶けて消えていく。そうした残った空っぽの器を染めるのは、ただエマの言葉だけだ。
「先生……」
そして、そのエマが言う。
「【気持ちいいこと、しよう?】」
■
股間が気持ちいい。
全身が気持ちいい。
ただ腰を前後に動かすだけで、夢中になるほどの快楽があちこちを駆け巡った。
エマは固い床に転がっていて、一定のリズムで体を揺さぶられている。
俺は彼女に覆いかぶさって、ただその中を犯し続けていた。
「んっ……先生……あっ……」
「エ……マ……」
朝ごはんを食べることもせず、朝から淫行にふけっている。ここ最近のいつも通り、結局はこうなってしまった。
そのことを反省しようとして、なのにその考えはすぐに頭の中から溶けて霧散してしまう。
マイナスの感情がないままに、ただ快楽だけがすべてになる。
「先……生……【気持ちよくなって】」
「あっ……」
その言葉を聞いただけで、もたらされる快楽が一段上がる。今までしてきたセックスの中で、一番気持ちいいと断言できるほどの強い悦楽が全身を走る。
「【気持ちよくなって】」
「ひぁ……」
一番気持ちいい快楽が、たやすく更に上の快楽で更新された。思考も動きも全てがそれに支配されて、ただセックスのことしか考えられなくなる。
「【気持ちよくなって】」
「う……うぅ……」
がくりと、俺の上体から力が抜けた。行き過ぎた心地よさのあまりに力が入らなくなって、エマの方へと崩れ落ちる。
彼女が両腕で支えてくれたから、それで顔を打つことはなかった。ゆっくりと体を下ろされて、エマの頭のすぐ隣の床、そこに優しく顎が着地する。
視線を前に向けると、部屋の隅にほこりが溜まっているのが見えた。思えばここ最近掃除もさぼっていたから、そろそろやらないといけないだろう。
どこか冷静な自分の一部が他人事のようにそう思いながら、それでも腰の動きは止まらない。上半身には力が抜けているのに、下半身だけは気持ちよさを求めて、繰り返し動き続けていた。
エマがほんの少しだけ頭を動かす。首を回してこちらを向くと、彼女の口元がちょうど俺の耳のすぐそばに来た。
そして、囁く
「【気持ちよくなって】」
「あ……あ……あ……」
また快楽の桁が上がる。一番気持ちいものが再び更新されて、人生経験の上位全てを占める。
「【幸せになって】」
「あ、あは……あは、は……」
脳内に多幸感が溢れ出す。脳みそが甘いシロップに漬けられたかのように染められる。
「【ボクの事だけ見てて】」
「う…うー……うぅ……」
エマの存在がすべてになる。過去の苦しみも未来への不安も、全て消えてなくなっていく。
彼女に責められているわけでもない正常位。女性側の方が声を上げているはずの姿勢なのに、今は彼女の方が静かで、俺ばかりが嬌声を上げていた。
それも普段の嬌声とは違う、力が抜けて脱力したような、情けないうめき声。なのに腰だけには必死に力を込めて、カクカクとエマの中を往復し続ける。
ぼんやりとした視界で部屋の汚れを眺めながら、まるで壊れた人形のように同じ動きを繰り返す。
今の俺にはそれしかなかった。
そして、突然絶頂が訪れた。
ビクンとから全身が震え、それと同時に少女の中へと白い精液が吐き出されていく。ため込まれた気持ちよさのせいで射精自体も今まで以上の快楽を伴っており、それがまるで暴れるかのように全身を何度も跳ねさせた。
エマの四肢が、両腕と両足が、そんな俺へと絡みつく。暴れる俺の体を逃がさないとでもいうように拘束して、互いの肌がこすれあった。
そんな些細な刺激ですら気持ちよく、さらに絶頂が引き延ばされる。獣のようなうめき声を上げながら射精する俺の頭を、エマが優しく撫でてくれる。
「ふふっ。先生気持ちいい?気持ちいいよね?嬉しい?幸せ?」
そんな声を聴き、エマの存在だけを全身で感じながら、俺の意識は闇の中へと落ちていった。