夢を見ている。
あの日の夢だ。
子供たちが次々と化物になって、互いを殺しあう様子。飛び交う血しぶきと、その体の中身。
そしてその後の光景。並ぶ沢山の死体と腐臭。その中を駆けずり回った記憶。
今もこの手に残る腐った肉体の感触と共に、子供たちを埋めていった。何人も、何人も、何人も。
そうして作り上げたランドセルの墓標。絶望と共に目を上げたそこに。
骨の翼を生やしたエマがいた。
「…………っ!?」
悪夢に飛び起きてベッドから体を起こす。全身を湿らせる不快な汗に、嫌な悪寒が背筋を走った。
激しい鼓動を深呼吸して落ち着ける。一度、二度と頭の中で回数を数え、どうにか全身の震えを収めていったときに、
「先生……?」
隣から声がしてそちらを向くと、エマもまた目をこすりつつ体を起こそうとしていた。
相変わらずの可愛らしい姿。白く、毛先だけがピンク色になった頭髪。気温が下がってきて少し厚めのパジャマに覆われた全身。その姿が、夢で見た魔女の姿と重なる。
びくりと震えそうになる体を、無理やりに意思の力で抑え込んだ。
「どうしたの?」
「……えっと、なんでもない。おはようエマ」
「おはようって言っても、まだ陽も昇ってないよ」
この時間の部屋は暗いままで、起きる時間にはまだまだ早い。どうやら悪夢を見て飛び起きてしまったようだった。
「そうだね。寝なおさないとな……起こしちゃってごめんな」
「ううん。大丈夫だよ」
少しだけ言葉を交わした後、再びベッドに横になって目を閉じる。それでも眠ることができずにそのまま朝を迎えてしまった。
その間ずっと、頭の中では思い出したくもないあの日のことが繰り返し浮かび続けていた。
■
エマは大魔女から600を超える魔法を継承し、それがいまだに使えるらしい。その中には生活の役に立つものもあるということで、まずはそれを見せてもらうことになった。
外に出て、雨水を溜めているタンクのところへと行く。晴れの日は閉めている天板を開けて、エマに言われるまま俺は少しだけ距離をとった。
「あの、先生。今から少しだけ姿が変わるけど、その方が魔法がうまく使えるんだ。だから、驚かないでね?」
「それは分かったけど……」
姿が変わる、というのはどういうことだろう。と思った次の瞬間、ほんのわずかに、それでも確かに外見が変わっていた。
エマの背中から、小さな骨の翼が生えている。それはほんの少し飛び出しているといった程度の大きさだが、それでも明らかに異形なものだ。
写真の姿への完全な変態ではないがそれと近い姿に、ぞわりと肌が泡だった気がした。
「ど、どうかな……」
ほんの少し爪が伸びている手を不安げに口元に当てながら、こちらへと問いを投げてくる。彼女自身、俺がその姿を見て嫌悪するじゃないのかと恐れているのだろう。
怖がらせちゃいけない。
「どうって……服とかと違って可愛いと思うとも言えないし……生えてるね、としか」
「生えてるねって、それは、まあ生えてるけど、他に何かない?」
「………白くて生えてる?」
「先生は相変わらず外見の感想を言うバリエーションがないね」
俺が服についてコメントしたときと同様に、仕方ないなと言いたげにエマは笑ってくれていた。下手な感想しか言えないことが今はとてもありがたい。
恐ろしい、という感想を正直に口にしなくても疑われなかった。
「それじゃあ、始めるね」
エマがそう言って右手をタンクの方へと向けると、そこから水球がふわりと浮かび上がった。サッカーボールほどの大きさのそれがエマの前へと移動する。
そのまま十秒ほど水球を回転させた後、彼女は言った。
「……終わったんだけど、目立たなくて分かりにくいね」
「そうなのか?」
「うん。ボクの足元を見て」
言われるままに地面を見ると、水球の真下に周りとは色の異なる砂がほんの少しだけ広がっていた。
「これが水から除去した砂なのか。もともと目に見えないほど細かい汚れもあるだろうし、それを除去できても目視だと分かりにくいな」
「それでも、ちゃんと全部とれてるはずだよ。今ここには液体しかない状態なんだ」
液体操作の応用で、液体と固体を分離する。ろ過装置と比べると圧倒的に早く、容易に汚れを除去できていた。
「なら、後はこれを煮沸すれば飲み水としては使えそうだね」
「うん。それもすぐできるよ!」
水球に向けられていた右手に加え、さらに左手もその下の方へと向ける。ボウッというという音と共に業火が走り、水球の真下でとどまった。
よほどの高温なのだろう。離れているこちらまで熱気が伝わってくる。その圧倒的な熱量により水はすぐに熱せられ、中空に浮かんだままにボコボコと沸騰し泡立ち始めた。
「これで煮沸も大丈夫!あ、何なら圧力鍋みたいにして100度以上の温度にすれば、もっと安全な水になるかも!」
「あ、ああ、なるほど。なるほどな……」
目の前で起こる魔法という非現実的な光景に、つい生返事を返してしまう。それと同時に、なるほどと思った。
浄水器を作った日にエマがとても動揺し、苦しそうにしていた理由。彼女は本当ならこうやって水が作れたから、それを黙っている罪悪感やいたたまれなさで辛い気持ちになっていたのだろう。
「このお水はどこかに保存しておくとして、他の魔法もどんどん試していこうよ。いろんな魔法があるんだよ!」
「そうだね、それじゃあ次に行こうか」
そんな彼女が、役に立つことができると嬉しそうに笑っている。それはとてもいいことだと思った。
■
それから、様々な魔法を見せてもらった。600を超えるたくさんの魔法は多様性に満ちていて、生活する上ではとても役に立ちそうだ。
狩猟に使える魔法があった。野菜を育てられる魔法と、収穫に使える魔法があった。料理も、掃除も、魔法を使えばどうとでもなった。
魔法を一つ一つ教えてもらうたびに、本当に何でもできることが分かってくる。そして、思ってしまう。
(これ……俺がいらなくないか?)
魚を捕ること。物を運ぶこと。それ以外の様々な作業。俺の仕事が、次々と取られていく。
エマ一人でやった方がよほど効率がよく、俺は役立たずなのだと突きつけられるようだった。
その感覚に不安を覚えていると、急にあたりが静かになった。
そう、静かになったのだ。今俺たちは外にいて、近くに置いてある発電機が大きな低温を響かせていたのに、操作もなしに急その動作を止めた。
「発電機、壊れちゃったのかな?」
「そうかもな……ちょっと見てみようか」
発電機のもとへ行き、いくつかボタンを押してみるも、何の反応も返してこない。思えばずっと外に置いていて、長時間稼働させ続けていたのだ。壊れてもおかしくないのかもしれない。
「とりあえず予備の発電機につなぎ直して、こっちは俺が修理してみるよ。電化製品は貴重だしね」
人類の遺産はいつか壊れて使えなくなる。それは予想通りで、だからこそこれまで準備してきたのだ。本を読んで勉強し、重い工具を集めておいて、ニコイチ修理で練習したりもした。
魔女の魔法とはいえ、人類の科学技術に対応まではしていないだろう。俺にもまだ役に立てることがあるという事実に、不謹慎な喜びを感じていると、エマが発電機に近づいていた。
「多分、ボクが何とかできるよ。ちょっと待っててね」
そう言ってエマが発電機に手をかざす。ほんの少し光っているように見えるそれを様々な角度から発電機に向ける。その後に発電機のボタンを押すと、機械は再び唸り声をあげて動き出した。
「エマ……それは……」
「これは治癒の魔法だよ。治癒って言いつつ、無機物すらも治す強力な魔法なんだ」
エマがこちらへ振り返り、嬉しそうに、誇らしそうに、胸を張って宣言する。
「だから機械が壊れる心配ももうしなくて大丈夫!全部ボクに任せてくれていいよ!」
「そ、そうか……うん、凄いな……本当に」
エマは善意でやっている。この感情が間違っているのもわかっている。それでも、どうしても思ってしまうのだ。
(だったら、俺が今まで頑張ってきた意味って、なんだ……?)
■
ソファの上で、一人横になる。魔法の力をふるうエマによって使っていなかった部屋を含めた全ての場所の掃除が開始され、役立たずの俺はこうして何もできず無様を晒していた。
胸の中にはグルグルと不快感が渦巻いている。苦労することがなくなったというのに、俺は逆に苦しみを感じていた。
(まず、まずは、ちゃんと現状を認識しよう)
俺は今、エマに対して不信感や不快感、苛立ちに猜疑心、そう言った負の感情を抱いている。
(年下の女の子の方が俺より仕事ができるから不快だって……?おいおい、そんな器の小さなこと言うなよな……)
そんなことはない、と否定したいがここで目を背けたら余計に拗れてろくなことにならない。まずは、俺自身の心情を認めるべきだった。
実際俺自身、大人の男として少女を守る、俺しかそれができる人がいないというシチュエーションが心の支えになっていたところはあるだろう。それのおかげで皆が死んだという現実から精神が持ち直せたという面はある。
それが実はただの傲慢な勘違いだったという事実が、こんなにも俺を追い詰めている。
他にもいろいろなことを考えてしまう。
人類の滅亡を何とか止めれなかったのかとか、
もっと早く言ってくれたらよかったとか、
俺を洗脳して意思を捻じ曲げたのだとか、
――君は、本当のことを話しているのかとか。
もちろんそれぞれにちゃんと理由はあるのだろう。
大魔女なんて超常的な存在をエマがどうにかできたとは思えない。
それに罪悪感を感じたら正直に言えるはずもない。
不安と絶望のあまり、洗脳してしまうというのも理解はできる。
牢屋敷での出来事について質問したら即座に詳しく帰ってきたから、嘘をついているということもないだろう。
そもそも、エマだってとても辛い目に合ってきたのだ。それを乗り越えてようやく生き残りである俺に会えたのに、そして好いてくれているのに、そんな相手から疑われるなんてエマからしたら理不尽極まりないだろう。
理屈の上ではちゃんと全て理解できる。間違っているのは俺の感情の方で、本当は受け入れてあげるべきなのだろう。
そうすべきだと分かっているのにできない、その理由は何かと考えると。
(多分。今の俺のメンタルに余裕がない)
余裕のない人間は怒りやすくなる。いつもだったら受け入れられることにすら拒否感を示し、感情的に振る舞ってしまう。つまり、今はそういう状態だ。
人類の滅亡。子供たちの死。何百という抱き上げた死体の感触。あれは俺にとって完全にトラウマだ。それにエマが関わっていたという事実が、俺の精神を痛めつけている。
筋道立てて考えればエマの感情も、俺の感情も理解できる。
大丈夫。俺は冷静に、客観的に物事を見れている。
(自覚して、自認して、自制しろ。ここでエマの事責めたりしたら、一生後悔することになるぞ)
どうしようもない理不尽な目にあったとき、あいつのせいだと責任を押し付けてしまいたくなるのはよくある話だ。俺のこの感情も、そう言ったものに過ぎない。
必要なのは時間だけだ。ゆっくりと時間をかければ、エマの真実も飲み込める。この負の感情も、消化することができるだろう。
それでも、弱音を吐きたくなってしまう。
(愚痴を吐ける、誰かが欲しいな……聞いてくれるだけでいいから)
友人たちのことを思い出す。彼らに会いたいとそう願う。
当然それがかなうことはないだろう。彼らもまた、エマに殺されてしまっているのだから。
(そうじゃない!そうじゃないだろう!)
エマが殺したという発想を振り払う。俺のトラウマは、どう考えても根深いものだ。
トラウマを気合と根性で乗り越えるのは、どう考えても無理な話だ。子供に対してそう言う教師がいたら、そいつのことはクズだと断ずる。
けれど今の俺にはそうするしかない。気合と根性で、トラウマを乗り越えるしかなかった。
(恨みたくない。疑いたくない。そうやって、傷つけたくなんてないんだ……)
一番大切だと思ってきた少女が、人類滅亡の原因の一端を担っていた。そんな真実に、心が引き裂かれそうになって。
「先生!掃除終わったよ!」
考え事をしている中に突然聞こえた少女の声に、驚きと共に身を起こす。心の中、確かに存在する恐ろしいという感情、そう思ってしまうこと自体に泣きたくなった。
「あ、ああ。そうか。お疲れ様」
「うん。魔法で全部綺麗にできたんだ!」
「そうか、エマは凄いね」
褒めて欲しいと顔全体に書いてある表情に促されて言葉をかけると、エマはいつもの、とても綺麗な笑顔を浮かべてくれた。俺が子供たちの墓を見せてから失われていた笑顔が、彼女のもとに戻ったのだ。
それもそうだろう。彼女の中にあった不安と罪悪感が取り払われ、好きな人から許されて受け入れられたのだから。あまり役に立ててないと嘆いていた彼女が、こんなにも活躍できているのだから。きっと今、彼女は幸福の絶頂の中にいる。
このきつい状況の中、エマが笑ってくれていることが唯一の救いだと、心からそう思った。
「何か他にボクにできることはないかな。ボク、なんでも頑張るよ」
「そうだね。それじゃあ君の魔法で一体何ができるか、一緒に考えてみようか」
きっと俺は、エマの重荷を代わりに背負うことができたのだろう。そう思えば、この苦しみにも耐えることができる。
そうやって気合を入れて、俺はソファから立ち上がった。