俺が毎朝やっていた魚を捕りに行くという習慣。それはエマが行うようになった。彼女の方が森をより早く移動できてすぐ帰ってこられるし、罠の事前準備も必要ないからだ。
また、罠の場合は一匹も捕まえられなかったり、あるいは食べきれないほどたくさん取ってしまうこともあったが、彼女の魔法の場合そんな心配もなかった。このメリットが大きすぎて、エマに任せた方がいいという結論になったのだ。
帰ってきたエマはそのまま厨房へと向かい、魔法で宙を動く包丁を操ったり鍋のお湯を一瞬で沸騰させたりしていた。そうして手早く朝食を用意し、テーブルの上に並べてくれる。
そんな作業の間、俺は言い訳のように綺麗な部屋を軽く掃除してエマの作業を待っていた。
会話を交わしながら食事を終え、エマの魔法によって食器類が洗われる。
今までは水の節約のために使い捨ての物を使っていたこれらも、その心配がなくなってからはデザインのいい、しっかりしたものに変わっていた。
そうして一通りの作業を終え、エマが声をかけてくる。
「ねえ先生。今日は何する?必要な備えって、もう終わっちゃったよね?」
「ああ、そうだね。何しようか……」
エマの魔法が分かってから、いくつかの準備は行った。
贅沢に、大量に使う前提での水の確保。
プラスチック製品に魔法をかけて作るガソリンの精製。
エマの並々ならぬ執念によるビン詰めの保存食の確保。
壊れる心配がないなら電子データで情報を保存してもいいから、俺は最近書籍のスキャニングを行っていた。
そう言った準備がある程度終わると、行わなければいけない仕事なんてなくなってしまった。今までと違って、不確定な時間の先に遺産が失われる未来、それに備えなくても良くなったのだ。エマの魔法なら事前準備が無くとも問題があったときに、その場の対応で何とかできる。
だからもう、残りの本のスキャニングみたいに今でなくてもいいような、そんな仕事しか残っていない。
「何だか、やることがなくなっちゃったな。エマの魔法は本当に凄いから」
「………先生、なんだか元気ない?」
エマが心配そうにこちらの表情を伺ってくる。そんな優しさが精神のヒビに染み渡って、ほんの少しだけ弱音が漏れてしまった。
「そうだね。今までの俺の頑張りが小さかったような……なんだか無駄だったように思えてね」
「そ、それは……」
「ああいや、ごめんな。ちょっと、気分切り替えるから」
こんなことを言われても、きっと彼女も困ってしまうだろう。聞きようによっては魔法のことを黙っていたエマの事を責めているようにもとらえられるかもしれない。
俺の言葉を聞いたエマは少し慌てた様子で考え込んだ後、こちらを励ますように明るい口調で言った。
「で、でも、ボクは嬉しかったよ!先生がボクのために一生懸命に頑張ってくれるのが、すごく嬉しかった!」
実際それはその通りなのだろう。そして大好きな女の子が喜んでくれていたという事実は確かに頑張ったかいがあったともいえる。
だがしかし、それはそれとしてだ
「…………なあエマ。君が善意で言ってくれてるのは分かっているし実際励まされたけど、それでもツッコミを入れたくてたまらないから言いたいことがあるんだ」
「えっと、何?」
「『貴様の今までの無駄な努力は、全て私を楽しませるためにあった』は、完全にラスボスのセリフじゃないか?」
「ラスボス扱いされちゃった!」
人類にとってはラスボスみたいなものだしなあ、というブラックジョークは流石に心の内に秘めておく。
「ともかくね!先生が今までずっと頑張ってきてくれていたのは本当だし、だからその分お休みしててもいいんじゃないかな。必要なことは、全部ボクがやってあげるから」
「確かに、今まで頑張ってきたことも、君に任せて問題ないことも事実なんだろうけどな……」
もしここで俺が全ての仕事を投げ出したとしても、何も問題ないのだろう。エマも不満に思わないし、むしろ仕事の効率は良くなる。問題なのは、俺の小さなプライドだけだ。
「けれどな、エマ。役に立つことを求められない、ただ幸せでいることと懐いてくれることだけを求められる生活なんて、ペットのそれと変わらないじゃないか」
「ボ、ボクはそんなつもりじゃ」
「分かってるよ。ただ、俺はそんな人生は嫌だなってだけの話でね」
このままでは、先ほどのラスボス台詞の後に『今後は我が側でペットとして侍るがいい』も付け加えられてしまう。
エマが役に立てないことを申し訳なく思っていた時に俺が農業を振ったように、今はむしろ俺に何かしらの仕事を振って欲しかった。
(まあ、そこまでの機微を15歳の少女に求めるのは、少し早すぎるかな)
とはいえ、この他愛ないやり取りと、エマが俺を気遣ってくれて愛してくれているという事実で、ほんの少しだけ自己肯定感を取り戻せた。
気分を変えて椅子から立ち上がり部屋の中を見回す。何か足りないものはないかと首を回した後で、カレンダーを見て気付いた。
「もう11月になったね。秋服の時期も終わって、冬服を用意しないといけない頃合いだ」
「じゃあ、今日は冬服をどこかからとりに行く?」
「そうしようか。ちなみに、魔法で服も作れるんじゃないか?」
「作れるけど……その、デザインがね。それを考えるのもそうだけど、器用に操作するのも大変なんだよ」
以前にエマは液体操作の魔法を、彼女の話に出てきた少女のように絵を描くのに使うことはできないと言っていた。なるほど、魔法が使えるということとデザインセンスの有無は全く別の話だ。
さらに言えば念動力が使えても、それで針の穴に糸を通せるかというとそうとも限らないだろう。
魔法も万能ではない。そう考えると、何かまだ俺にできることはあるのかもしれなかった。
その後少しして、秋服を少しだけ着こんで、ライフルを自身の背中に回した。気になって同じく準備をしていたエマの腰元を見ると、俺が護身用にと渡した拳銃を律義にちゃんと装備している。でも本当は、こんなものエマには必要なかったのだろう。
それと連想して思い出すのは、俺たちが銃を持つようになったきっかけの、野犬に襲われた時のことだ。あの時エマは大きな商品棚を投げつけることで俺のことを助けてくれた。今思えば、きっとあの時正体がバレる覚悟で魔法を使って、俺のことを助けてくれたのだろう。
そのことに思い至るとなんだか心が温かくなって、暗い淀みが溶かされているような気持になった。
(やっぱりちゃんと時間をかければ、この理不尽な感情も飲み込める。きっと、何とかなる)
ドアを開けるとすっかり冷たくなった空気が俺の体を震わせる。手をつないできたエマの体温に冷えた体を温められながら、止めてある車のもとへと一緒に向かった。
■
今までは服を含め、何か必要なものがあったら近くのデパートへと向かっていた。エマの過去を聞くこととなった、本屋の入っているあの場所だ。しかし今回、冬服を確保するためにはそこではだめだ。
何せ人類が滅びたのは5月のことで、冬服はすでに店頭に置いていない時期だ。これが夏服ならまだ良かった。服としてはTシャツ一枚でも十分で、そんなものは季節を問わずいつでも置いているものだから。
しかし冬服となるとそうはいかない。季節外れの売れない衣類などスペースを圧迫するだけで、バックヤードにすら置いていないだろう。だからこそ俺たちが向かったのは比較的大きな古着屋だった。ここにはむしろ、売られた冬服こそが多く確保されていた。
とはいえすぐ売れるわけではないから置いている場所は売り場ではなく、その奥の倉庫の方だった。買い取られた衣類の一部はハンガーに、そして多くは段ボールに入れられて、高い戸棚にしまわれていた。
「段ボールに入ったままだと、どんな服があるのか分からないから大変だね」
「そうだな。選ぶのは家に帰ってからにするとして、とりあえず全部トラックに詰め込もうか」
「最後にはそうしても良いけど、せっかくお買い物に来たんだよ?帰り道に着る服を選んで、一緒に着て帰ろうよ」
女の子からすればそうやって選んで悩むというの自体が一種の娯楽なのだろう。必要性は感じないが、その方が楽しいというなら協力することは構わなかった。
「それなら売り場にあったハンガーラックから夏服外して、代わりにこのダンボールの中身をかけていこうか」
「うん!えっと、ボクに合うサイズの服は、これかな」
古着屋に持ち込まれる服は当然統一されたものではないため、段ボール箱は服のサイズと上下の別程度の分類でそれぞれ収められていた。その中からエマのサイズに合う衣類が収められたダンボールを売り場に持ち込んで開ける。
その途端、長期間放置された結果のかび臭い匂いが漂った。その実開ける前からうっすら香っていたから覚悟はしていたことで、虫が湧いていないだけましともいえる。
とはいえ、そんな匂いもエマの魔法ですべて綺麗になり、中古ゆえのほつれや擦り切れも治癒の魔法で元通りになった。これならエマの言う通り、ここで選んですぐ着て帰ることができるだろう。
そうして目当ての段ボールを全て開けた後、そこには店一つ分に十分な品揃えが並んでいた。
「ねぇ先生、どの服がボクに似合うと思う?」
「ぐ……やはり来たか、その質問が」
「服を選ぶのも初めてじゃないのに、まだ得意じゃないの?」
私服とは全て私服であり、着れれば大した違いなんてないように思える。もっともそんな事を正直に言うわけにはいかないので、少し言葉を言い換えて告げた。
「どの服を着てもエマは可愛いからね。どれでもいいんじゃないかなって思うよ」
「…………」
俺の言葉に対して、エマはいぶかしげな視線を向けてきた。なぜだろう、このセリフを使った一回目や二回目くらいは、それなりに喜んでくれたのに。
「考えてみると、先生がちゃんとボクのために選んでくれた服って、コスプレ衣装だけな気がする」
「待て、頼む待ってくれ。そんなことないだろう?それじゃあまるで俺がクズみたいじゃないか?」
確かにコスプレ衣装は俺が率先して選んだ。私服に対して同等の情熱を持っていないことも認めよう。しかし服を選ぶことになるたびに、使いまわしはあれど毎回頑張って多少のコメントはしているはずだ。
そんな内容を慌てて言って、かえって言い訳っぽくなってる言葉の羅列を口に乗せると、俺の様子が可笑しかったのかエマはクスリと笑って言った。
「うん。先生がいつも頑張ってくれてるって知ってるよ。だから今日も頑張って、先生が一番可愛いって思う服装をボクに教えてね?」
悪戯っぽい笑顔でそんなセリフを俺に向けてくるエマは、この時点でもう十分に可愛かった。