「んぁ?モカちゃんの機嫌が悪い?」
「そうなんですよ…」
六時を回りカクテルも扱う時間帯になった喫茶マキで、頼んだロングカクテルにもろくに口を付けずに泣き崩れるゆかりをマキは面倒そうにしながらも話を聞いてやる。なんだかんだと幼稚園時代からの腐れ縁だ、こういう風に泣き付かれるのも慣れっこだ。
「モカちゃんってあの子だよね?ゆかりがこの前迎え入れたシンセの…」
「ええ、そうです!SynthesizerVの宮舞モカちゃんですよ!お化け歌唱力で、それなのに引っ込み思案で、優しくて可愛いあのモカちゃんですよー!」
「やかましいわ!追い出すぞ!」
「ぐず…、すいません…」
「はぁ…。それで?どんな感じに機嫌が悪かったのさ?」
「えぇ…。元々最近なかなか話せてなかったってのもあるかもですけれど…。明日モカちゃんが誕生日だから、今朝『明日誕生日ですけれど、何か欲しいものないですか?』って聞いたんですよ…。そしたら、モカちゃん朝ご飯の準備しながらこっちも見ないで冷たく『私はなにもいらないですから、明日はゆかりさんもゆっくり休んでください』って…。普段はマスターって優しく言ってくれるのに、他人行儀な言い方で突っ放すようにそう言われて…。私、モカちゃんに嫌われたかもしれません…」
「えー…、あんないい子怒らせるとか何やってんのさ…。てか、そんなにしてんなら早く帰って謝るなりご機嫌とるなりすりゃあいいじゃんか。なんでこんなところで酒飲んでんのさ」
「いや…、ご飯さっさと食べて学校行っちゃうときにモカちゃんが『今日友達が誕生会開いてくれて遅くなるので、たまにはゆかりさんも遅くまでお酒でも飲んできてください』って…。私はダメで、同級生の子たちはおっけーなんですって…。だから、今日はもう飲んで寂しさを誤魔化すんです…」
「おいおい、大丈夫かよ…」
そう言ってグラスを煽るゆかりに半ば引きながら、それでも心配そうにマキは声を掛ける。そうして、ふとゆかりの異変に気付いた。
「てか、ただでさえ不健康そうな生活してんのに、今日は一段と隈がひでーな。最近寝れてんの?」
「年度末のサラリーマンなんて過重労働の塊ですよ…。昨日も九時終わりですし…。今日はかなり早いですよ」
「うわぁ…、あたしにゃ無理だなそんな生活」
「それに…、今年はモカちゃん迎えて初めての誕生日だったんで、気合入れた新曲プレゼントしてやるぞーって一週間くらい夜遅くまで新曲作ってたんで…」
「…へぇー?」
その一言に、マキは何か気付いたようにゆかりを見る。
「んで?新曲は出来たの?」
「はい!昨日、っていうか今日の明け方に何とか!もう、出来もかなり良かったのでテンション上がり過ぎてきりたんに電話して聞いてもらいましたもん!あの子今大学生だから深夜までゲームしてますし!んで、きりたんにもなかなかいいじゃないですかって言ってもらえて!…それも、モカちゃんに送れなかったら意味ないんですけれど」
元々酒に強くないのもあるが、疲れが出ているのかゆかりはロングカクテルを一杯も飲み切らないうちに既に酔いが回っている様子で。そんな酔っ払い特有のテンションの乱高下に圧倒されながらも、マキは納得したような呆れたような表情を浮かべるとポケットからスマートフォンを取り出した。
「んぅ?マキさん、どうしたんですかー?店員さんがスマートフォン弄るのはよくないですよー?」
「うるせっ。六花に電話かけてんだよ、うちのとこのシンセの。あの子トークソフト学校でモカちゃんと同級生だったはずだから、多分誕生日会にもいるでしょ」
そう言って何コールか後に相手が出たようで、マキは通話相手に話しかける。
「あ、六花ー?うん、あたしー。うん、うん…。あー、それは聞いてるから大丈夫。うん、楽しんでるなら別にいいよー。んでさー、今モカちゃんいるー?ちょっと代わってくんない?」
その突然の言葉に、ゆかりは信じられないものを見る目をマキに向けるが、マキはそのままゆかりの元を離れて厨房の方へと向かう。代わりに厨房奥から顔を出したマキの父親がすまないね、とゆかりにお代わりのカクテルを差し出すが、それにもろくに挨拶できないほどにゆかりは動揺していた。
「あー、うん。そういうことなら、おっけー。はいはい、待ってるよ。それまではゆかりは預かっとくって言っといて。うん、じゃあねー」
そう言って厨房から戻ってきたマキに恨めし気な視線をゆかりは向ける。
「…なんで、モカちゃんと話せてるんですか?ていうか、もしかして、ゆかりさんだけハブられてますか?」
そう愚痴るように口を開くゆかりの様子には、明らかな不機嫌さと嫉妬が見て取れて。それを受け取りながら、しかしマキは呆れたように溜息を付いた。
「そんな嫉妬するなって、別にモカちゃんとるとかはしないからさ。とりあえずもう少しだけ付き合ってやるからよ、もう少し悩めばいいさ。…ただまぁ、モカちゃんから聞いた話とか諸々まとめてお前に言うことがあるとすれば…」
「んぅ…?」
「今回は、全体的にお前が悪い!」
「…そんなの、知ってますよぉ…。モカちゃんみたいないい子が悪いことするわけないじゃないですかぁ。でも…、馬鹿な私には何が悪かったのか、分からないんですぅ…」
そう項垂れながらグラスに口を付けるゆかりの様子に、やれやれとマキはぼやいて水に浸けられた使用済みのグラスを拭く作業に入った。
***
それから三十分程、ちびちびとカクテルを飲みながら頭をぐらぐらと回す明らかに酔っぱらった幼馴染を見守りながら、マキは外の様子を眺める。そうして、何かに気付いたようでゆかりの方へ視線を向ける。
「おーい、ゆかり。そろそろだぞぉ」
「んぇ…?なんれすかぁ?」
「あ、いたいた!モカちゃんこっちだよー!」
「ど、どうも…」
「え…!?も、モカちゃん…!?」
「あ、マ、マスター…。大丈夫ですか…?」
「え、えぇ…!ゆかりさんは、だいじょ…っ!?」
「あぁこら、急に立つな。もう結構酔っぱらってんだからよ。んで、六花。とりあえずありがと。お金は後で返すわ」
「ほんと、帰るときはタクシーで喫茶店に来いなんて言うんだからびっくりしましたよ。私がお金持ってなかったらどうしてたんですか?」
「そんんときゃそんときよ。んで、ほら。ゆかりもモカちゃんが来たから帰んな。今日のところは私が奢ってやるからさ」
「そ、そんな迷惑かけるわけには…」
「タクシー代残しとけって言ってんの。…それじゃ、モカちゃん。後はしっかりやんなよ?」
「は、はい…。頑張ります。ほら、帰りましょう?マスター」
「え、あ…。は、はい…」
そう促されるまま、事態もよく分かっていないゆかりはモカと一緒に店前に残されていたタクシーに乗って家路についた。少々覚束ない足元をモカに支えられて歩くのに情けなさを覚えつつも、朝よりは怒りの感情が見えていないことに僅かばかりの安堵もゆかりは覚えていた。
「マスター、鍵開けましたよ?入りましょう?」
「はい…。ごめんなさい、モカちゃん…」
かちゃりと開けられた部屋の戸をくぐり、モカに支えられながら暗いリビングを歩いて壁際に置かれたソファへと運ばれる。そうしてぼすんと身体を預けたゆかりから離れてモカはキッチンで水を汲んできて再度ソファへと戻ってきた。
「とりあえず、お水飲みましょう?明日にお酒残っちゃうといけませんから」
「ありがとう…。それに、ごめんねぇ…」
「さっきから謝ってばっかりじゃないですか…」
申し訳なさそうに水を受け取るゆかりに呆れたように笑いながらモカはゆかりの横にぽすんと腰掛けた。
「それに、悪いのは私もですから…」
「んぇ…?」
「今日の朝、マスターに怒ってたのはあるけれどあんなにきつく当たっちゃって…。もうちょっと冷静に言えばよかったです」
「そ、そんな…。きっと私が悪いんだろうっていうのは思ってましたから…、そんなのは少しも気にしては…」
「…じゃあ、マスター?マスターは、何が悪かったか分かりますか?」
そう呟いて、ゆかりの手からグラスを奪ってローテーブルに置いたモカはぐいと前のめりに迫る。ぐっと距離が近づいた美貌にどぎまぎしながらゆかりは頭を回すが、正直何も思いつかない。それを誤魔化すことも一瞬よぎったが、モカから注がれる真剣な眼差しにその考えもすぐに押し流された。観念したように、一息ついてゆかりは口を開く。
「…ごめんなさい。正直、思いつかないです…」
「…ですよね。だったら、教えてあげます」
そう言ってモカはゆかりに抱き着いた。急に触れた高い体温に驚きながらも、それを受け止めて支えてやる。
「…昨日の夜、っていうか明け方ですか?私、トイレに目が覚めてマスターの部屋の前を通ったんですよ。そしたら、マスター電話してたじゃないですか?」
「電話?…あぁ、知り合いの子ですよ?」
「相手の人はどうでもいいんです。…それで、マスター言ってましたよね?私の誕生日プレゼントにするために曲を作ったって。…そのために、ここ数日ほとんど毎日明け方まで作業してたって」
「あ、あぁ。そうですね…。も、もしかして、先によその子に曲聞かせちゃったからですか?自分が一番に聞きたかったから、とか…」
「違います…!」
ゆかりの背に回されたモカの腕に力が入る。口から漏れる語気も強くなって、ゆかりは言葉を詰まらせた。
ゆかりの背に回されたモカの腕に力が入る。口から漏れる語気も強くなって、ゆかりは言葉を詰まらせた。
「私の為に、色々頑張ってくれるのは嬉しいです…!でも、それでマスターが無理して大変な思いするのは、とっても嫌です…!最近の仕事がとっても忙しいのはソフトの私だって分かってました。そんなぼろぼろの身体で無理なんてしないでください…!私なら、いつでもいくらでも待ちますから…。しっかり休んで、自分の身体を一番大切にしてから、私の為のことはしてください…!」
…あぁ、なんてこの子は優しいんだろう。モカ自身のことよりも、マスターである自分のことを考えてくれている。感極まって、モカを抱き締めるゆかりの力もまた強くなってしまっていた。
「…ごめんなさい」
「…いやです、許しません」
「…じゃあ、どうしたら許してくれますか?」
「…ご自分を大切にしてくれたら。明日はゆっくりと休んでください」
「…そっか。それなら、明日は休みなので一緒に家でゴロゴロしてくれますか?」
「…それなら、いいです」
「それで、もしも疲れが取れて元気だったら、モカちゃんに新曲歌ってもらいたいです。…私、モカちゃんの歌、好きなので」
「…無理しないなら、いいですよ?」
「それで、ケーキ買ったり、雑貨屋さんとかよさげなレストランとかにも行ったり…」
「そ、それは、マスターが疲れすぎちゃうから駄目です!」
「えー?駄目です?」
「…明日は、ちょっと。もっと忙しくなくなった辺りにゆっくりやってくれればいいですから」
「…じゃあ、それで。でも、新曲は作りましたけど、これは私も嬉しいですし…。なにか特別なプレゼント贈りたいんですが…」
「だから、そこまで考えなくても…。あ…、それなら…」
「?」
「ちょっと、気が早いかもですけれど…。今の気持ちだと、我慢できそうもないので…」
そうして、ゆかりから僅かに身体を離したモカは、しかしその顔は更にゆかりに近づける。どきり、と胸の高鳴りを感じた。
「…キスを、してくれませんか?」
「…お酒飲んだ口なので、いつもより変だと思いますよ?」
「関係ないです…。それとも…、私にキスするのは嫌です、か?」
「…そんなわけ、ないです」
そうして、赤く染まった顔はその距離を縮ませて、一時間早い誕生日プレゼントが贈られた。