「それじゃあね、もう連絡してこなくていいから」
「ちょ、ちょっと待てよ花梨…!」
「うるさいわね!いちいち女々しいのよ、男の癖に!」
周囲の野次馬根性丸出しの視線も何ら気にせず、花梨は頭の上から酒浸りになって濡れた男の困惑の声を振り切って店の扉を乱暴に閉めた。騒々しい店の中の様子で入るのを躊躇っていた入口の客予定の人々を気圧させて、花梨は堂々と店を後にする。その道すがらで、テーブルに叩き下ろした金を詰めていた財布をハンドバッグに戻そうか一瞬考えて、しかしこのまま別の店で飲む気にもなれないと判断して、タクシー代の為にそのまま出しておこうと軽く隠し持つようにしたまま流しのタクシーを拾うことにした。
「…それじゃ、ありがとうございます」
つい十数分ほど前まで散々にキレ散らかしていた女とは思えないほどに大人しい様子で花梨はタクシーの運転手に礼を言ってすぐ前に着いたマンションの自動ドアをくぐった。勝手知ったる様子でエレベーターのボタンを押して自身の部屋へ。もう長年住んでいるおかげで安心はできるが、変わり映えのしない寂しい自分の部屋がそこにあるだけ。切なさもひとしおだな、と乾いた笑いが漏れる。そうして、鍵穴に自身の部屋の鍵を挿し込もうとして、違和感に気付いた。鍵が開いている。家族の可能性も考えたが、花梨の脳裏には会いたいようで会いたくなくもある愛しの後輩の姿が浮かんでいた。
「…た、ただいまー…?」
「あ、おかえりなさい。花梨先輩。誕生日なんで、お邪魔かもしれないとは思ったんですけど…。その、どうしても我慢できなくて、来ちゃいました」
キッチン兼用の玄関スペースの、流し台の傍に置いた休憩用の椅子に腰かけながらスマホを触っていた六花は顔を上げると、申し訳なさそうに笑いながら立ち上がって花梨の元へと駆け寄った。そのまま、少々の困惑を浮かべる花梨から鞄を受け取って部屋へと招き入れる。
「…あんた、仕事は?忙しかったんじゃないの?」
「ちょっと無理言って、今日は早引けさせてもらいました。まぁ、少しだけ残りましたけど。…やっぱり、ご迷惑でしたか?」
「…そんなわけないでしょ」
部屋へと向かうべく後ろ手に手を引いていたために見せていた六花の背中に、花梨は思わず抱き着いた。そのまま肩口に額をぐりぐりと押し付けて、それまで堪えていた涙を零した。
「え、ちょ…、っ!?花梨先輩…!?ど、どうしたんですか…!?」
「六花がいてくれてよかった…。六花、りっかぁ…」
「と、とにかく、お部屋行きましょう!?話はそれから聞きますから!って、お酒くさ…!」
***
「…はぁ、何かと思えば。私を避けてる間に、また男作ってたんですか?それで、よりにもよって今日別れたなんて…」
「らって…。私の誕生日なのに、映画のチョイスも、私の趣味とか知ったこっちゃない無難な恋愛映画で…。趣味が合わないって最初に言ったのに、映画終わって反応悪いの見てムッとしちゃうし…。その後のパブの趣味は悪くなかったけど…」
六花が買ってきたガトーショコラとフルーツタルトを肴に赤ワインを傾ける花梨を呆れた目で見ながら、六花はモンブランと苺ショートを乗った皿の傍らに置いてあったアイスラテのグラスに手を伸ばす。そうしてラテを口に含んでいる間にも、花梨はワイングラスに注がれた赤を自身の口内へと流し込みながらぐずりと鼻を鳴らす。
「でも、急に私によかったら結婚しないか、なんて指輪見せて言ってきて…。それで、私も仕事あるんだから急に言われても困るって返したら、そいつ、君がやってる仕事なんて忘れさせるくらいに幸せな日々を過ごさせてやるのに、何が不満なんだ、なんて高圧的な物言いで迫ってきて…。それに、今の仕事が辛いのはそうだけど、それよりも楽しいっていつも言ってるのに、そんなこと聞いてないと言わんばかりに自分勝手なことばっか言ってくれてさ…。今の仕事馬鹿にされた気にもなってなんかすごい腹が立って…、気付いたら頭からモヒートひっくり返しちゃってた」
「うわぁ…。花梨先輩、相変わらず男見る目なさすぎですよ…。それに、半分以上が自業自得かもしれないとはいえ、男の方も可哀想ですね。多分、本人的には花梨先輩の為を思って言ってましたよ?」
「それでも、私の幸せを勝手に決めるなんて、そんなの私のこと考えてないも一緒でしょ!?もう、あんなやつのことなんか知らないんだから!」
「急に叫ばないでくださいよ、びっくりしちゃいますから…。それに、私の誕生日にもききましたよ、その台詞」
そんな酔っ払い特有の気分の乱高下に圧倒されながらも、六花は思わず困ったように笑みを零す。皿に残っていたガトーショコラの塊を頬張りながら、花梨はその笑みに不服そうに頬を膨らまして赤ワインで口内のケーキを流し込む。
「…なに笑ってんのよ?いくら六花でも怒るわよ?」
「ごめんなさい。でも、花梨先輩もいい加減に凝りませんか?私は何時でもウェルカムですよ?この前の誕生日に言ったじゃないですか?」
「…でも、私こんなんよ?迷惑かけるって言ってるじゃない」
「そんなもの知ったことじゃないですって。どうします?もう少し飲みたいなら、生ハムチーズぐらいなら用意できますよ?」
「ほんと、私の好みならいやってくらい把握してるわね…。よし、こうなりゃやけよ!冷蔵庫の奥にベーコンあるからそれもお願い!明日が仕事とか知らないんだから!もう、飲んでやるー!」
「はいはい、分かりました。誕生日だから甘やかしてあげますよ」
いつの間にかフルーツタルトも完食してそれでもなおワインを注ぐ先輩の姿に相変わらず苦笑しながら六花はキッチンへと向かっていった。
***
「んぅ…。りっか~…。まだ、のめるでしょ…?もうすこし、のみましょ…?」
「駄目です、そろそろ日付も変わるんですから。明日もお仕事でしょう?ほら、ベッド行きましょ?」
「あした、やすむから~…」
「それが出来れば、社会人は苦労しません。ほら、早く寝る」
短針が十一の文字盤も大分過ぎた頃、テーブルに突っ伏して朦朧としている花梨を窘めながら六花はテーブルの上を片付ける。終電は逃すことになるだろうから、今日は近くのネカフェにでも行こうかな、なんて考える六花が水桶に浸けた皿に手を伸ばそうとしたそのタイミングで、後ろから何かが圧し掛かる。
「うわ、っと…!ちょっと、花梨先輩、急に寄り掛かってこないでくださいよ…」
「うん、ごめん…。りっかのいうとおり、ねるから…。さいごに、たんじょうびのおねがい、きいてくれない…?」
「…仕方ないですね。なんですか?」
それまで握っていたスポンジをシンクの水切り台の上に戻して、六花はやれやれと言った様子で花梨の話に耳を傾ける。
「…きょう、とまってってよ。それで、おねがいだから、いっしょにねてくれない?」
「…そう、ですか。分かりました」
思いがけない花梨のお願いに、六花は心臓を鷲掴みにされたような衝動に襲われて、思わず震えそうになる声を抑えながらどうにか絞り出してそれに応えた。
「…パジャマ、着ないんですか?」
「んぅ…?いいわよ、めんどうだし…。それに、りっかならべつに…。このまえもだかれたし…」
「…そんなこと言うと、また襲っちゃいますよ?」
スウェットに包まれた六花の胸に顔を埋めながら、下着姿の花梨はそのまま六花に抱き着いて半分夢見心地の様だった。
「んえぇ?りっかはしんしだから、そんならんぼうなことするわけないでしょ?」
「…そうですか」
半分は本気だったんだけどな。そうは思いつつも、恋愛感情を向ける相手にそんな信頼めいたことを言われてしまえば手を出せる筈もない。少しの欲情を堪えながら、六花は何の気なしに胸元に押し付けられた花梨の頭を撫でてやる。くすぐったいのか額を更に押し付けながらくすくすと笑う。
「…ねぇ、りっか」
「ん?何です、先輩?」
「ありがとうね」
「…急に、なんですか?」
ぎゅっとスウェットを握る花梨の手の力が僅かに強まる。
「わたし、すなおじゃないから…。どうしても、いろいろきにしちゃって…。りっかのこともさけてたし…」
「…はい」
「りっかいじょうにいいひと、たぶんいないんだけどさ…。そんないいひと、わたしがどくせんしちゃっていいのかなって…。そうおもうと、わたし、りっかをひとりじめしないかこわくって…」
「…」
何を馬鹿なことを。六花は思う。それこそ、六花が望むことだというのに。
「ねぇ、りっか…?もし、わたしのこと、ほんとうにすきならさ…。しらふのわたしがおれるまで、こんきよくつきあってあげてよ…。わたしも、すなおになれるようにがんばるから、さ…」
そこまで言って、花梨はすやすやと寝息を立ててしまう。六花は溜息を付いて、ぎゅうと強くスウェットを握りながら眠る花梨の頭を起こさないように優しく撫でてやった。
「…言われなくても、最初からそのつもりですよー、だ」
伊達に十何年と片思いしてるわけじゃないやい。そう心の中で呟いて、六花は花梨の柔らかな身体を抱き締めて自身も眠りについた。