※この作品はR-18です。

逆強姦桃色施設 カルデア   作:紫道麻璃也

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幕間

 深夜のカルデアは静かだった。

 食堂の照明はほとんど落とされている。だが厨房の一角だけは、まだ橙色の灯りが残っていた。

 

 換気扇の低い音、鍋の中で小さく揺れるスープ、包丁がまな板と奏でる一定のリズム──その全部が、妙に落ち着く。

 

「眠れないのか」

 

 振り返りもせず、エミヤが言った。白いシャツの袖をまくり、明日の仕込みをしている。いつもの頼りある背中だ。

 

 立香は入口で少し迷ってから、小さく笑った。

 

「……まあ、ちょっと」

「座っていたまえ………今、何か作る」

 

 ぶっきらぼうな言い方なのに、不思議と拒絶感はない。

 立香はカウンター席へ腰を下ろした。深夜の厨房は、昼間とは別の場所みたいだった。

 騒がしさも、人の気配もない。ただ火の音だけが、静かに空間を温めている。

 

 エミヤはそれ以上何も聞かなかった。代わりに、温め直したスープを一杯、立香の前へ置く。

 

「飲め。少しは落ち着く」

 

 湯気が立ち上る。優しい匂いだった。

 立香はスプーンを手に取る。けれど一口飲んでも、胸の奥のざわつきは消えなかった。

 

「……エミヤってさ」

「ん?」

「『初めて』のことって、あとから変に重くなること………ある?」

 

 包丁の音が止まった。ほんの一瞬だけ、厨房が静まり返る。エミヤはすぐには振り返らなかった。

 

「……何があった」

 

 問い詰める声ではない。ただ、確認するような静かな声音。

 その優しさが逆に辛くて、立香は視線を落とした。

 

──脳裏に浮かぶ

──青い髪

──愉快そうに細められた瞳

──耳元へ落とされた甘い囁き

──触れられるたびに、逃げ道を奪われていく感覚

 

──メルトリリス

 

 彼女の姿を思い出しただけで、熱がぶり返す。

 

「嫌だったわけじゃないんだ」

 

 掠れた声で言う。

 

「……ああ」

「むしろ、ちゃんと好きだったと思う。でも……」

 

 言葉が詰まる。

 何が引っかかっているのか、自分でも上手くわからない。

 嬉しかった、幸せだった。

 あんな風に誰かに求められたのは初めてだった………

 

──なのに、思い返すたび胸の奥が妙に苦しくなる。

 

 エミヤは続きを急かさなかった。

 鍋の火を止め、ゆっくりとこちらを見る。

 

「嬉しかったのに、後悔してる気がするのか」

 

 核心を突かれて、立香は黙り込む。そんな立香にエミヤは小さく息を吐いた。

 

「別に間違いだったとは言わん」

「……」

「だが、“初めて”というのは、後から妙に意味を持つものだ」

 

 静かな声だった。

 経験者の言葉──と立香は思った。

 

「特に、君みたいに真面目な者はな」

 

 立香は苦笑する。

 

「笑えないって……」

「だろうな」

 

 エミヤは肩をすくめた。

 

「だが、相手を嫌っていないなら、それは後悔とは少し違う」

「違う?」

「君は、多分──」

 

──その時だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなに、お辛かったのですか?」

 

 鈴を転がすような声が、厨房入口から響いた。

 立香の肩が跳ねる。

 そこに立っていたのは、清姫だった。

 淡い寝間着姿、淡い青緑の髪は湯上がりなのか、少しだけ湿っている。

 柔らかく微笑んでいるのに、その瞳だけが妙に熱かった。

 

「き、清姫……?」

「はい、旦那様」

 

 ことり、と厨房へ踏み込んでくる。

 静かな足音なのに、なぜか逃げ場が狭まっていく気がした。

 

「お湯をいただき眠れずに探しておりましたら……そんなお話をしていらしたのですねぇ」

 

 優しい声──責める響きはない。

 それなのに、立香の喉が妙に渇く。

 エミヤは、ほんのわずかに眉を寄せた。

 視線が立香と清姫の間を行き来する。空気が変わったことを理解した顔だった。

 

「……私は片付けをしている」

「え?」

「見なかったことにしてやる、という意味だ」

 

 あまりにも鮮やかな撤退だった。

 立香が助けを求めるように視線を向けても、エミヤはもう鍋を洗い始めている。

 完全に巻き込まれたくない姿勢だった。

 こと、と小さな音。

 清姫が、向かいではなく隣へ腰を下ろした音だった。

 

──近い

 湯上がりの熱と、甘い香の匂いがふわりと届く。

 

「旦那様」

 

──優しい声

 けれど立香は、なぜか本能的な危機感を覚えた。

 

「……聞いてたの?」

「少しだけ」

 

 清姫はにこりと笑う。

 

「ですが安心いたしました」

「安心?」

「無理やりではなかったのでしょう?」

 

──真っ直ぐな問い

 立香は言葉を失う。否定できなかった。

 

 すると清姫は、ほっとしたように胸へ手を当てる。

 

「でしたら良かった」

 

 本当に安心している顔だった。だからこそ、次の言葉が怖い。

 

「ですが……」

 

 細い指先が、立香の袖をそっと摘む。

 

「そんな顔で、その方との時間を語らないでくださいませ」

 

 心臓が跳ねた。

 清姫は怒鳴らない。

 責め立てもしない。

 

──ただ静かに、逃げ道を塞いでくる。

 

「嬉しかったのでしょう?」

「……それは」

「気持ち良かったのでしょう?」

 

 問いが重なるたび、距離が縮まる。

 立香は反射的に視線を逸らした。

 

──すると清姫は、小さく笑った。

 

「嫉妬しております」

 

──さらりと言う。

 まるで“今日は少し寒いですね”とでも言うように。

 

「わたくし、ずっと旦那様を見ておりましたから」

「清姫……」

「ですから、わかるのです」

 

 今度は袖ではなく、手首へ触れられる。

 

──熱い

──体温ではない

 触れられた場所だけが、妙に熱を持つ。

 

「旦那様は、“初めてを失った”ことではなく……」

 

 清姫はそっと顔を寄せる。耳元へ落ちる吐息が甘い。

 

「その後も、心を奪われていることに困っているのでしょう?」

 

──図星だった

 立香が息を呑むと、清姫は満足そうに目を細める。

 

「でしたら」

 

 絡め取るように、指が重なる。

 

「今夜は、わたくしが上書きして差し上げます」

 

『逃げられない』

 

──そう思ったのに

──不思議と、嫌ではなかった




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