夕食時の喧騒が少し落ち着き始めた頃、ピークを過ぎたとはいえ広い食堂にはまだ多くのサーヴァントたちが残っていた。
遠くでは陽気に酒盛りを始める者たちの笑い声。厨房側から漂う香ばしい匂い。食器の触れ合う音と、誰かが椅子を引く微かな軋み。
その一角だけが、妙に騒がしかった。
「だからよ、あの突撃は完璧だったんだって!」
アキレウスが豪快に笑いながらフォークを振る。その前にある皿は既に三回おかわりした後らしく、量がおかしい。
その向かい側では、イアソンが心底嫌そうな顔をしていた。
「どこが完璧だ馬鹿!お前、俺の命令より先に飛び出しただろうが⁉︎」
「勝ったんだから問題なし!」
「指揮官の胃が死ぬんだよ!」
「大袈裟だなぁ」
「大袈裟じゃねえ!」
ばん、とテーブルを叩くイアソン。
周囲の何人かがちらりと視線を寄越したが、すぐに「ああ、またか」という顔で視線を戻した。
その様子に立香──今は礼装によって外見を偽装した、巌窟王姿の立香は、思わず吹き出しそうになる。
黒い外套──
影の落ちる顔──
低く補正された声──
ダ・ヴィンチ製の礼装は完璧だった………少なくとも“見た目”だけなら──
「……英雄とは」
立香は咳払いしてから、わざと低い声を作る。
「思っていたより、普通なのだな」
一瞬、アキレウスが目を丸くした。
だが楽しそうにすぐ笑う。
「なんだよ巌窟王、お前そういうの気にすんのか?」
危ないと感じ立香は内心で冷や汗を流しながら、平静を装う。
そして立香の質問にイアソンが肩を竦め答えた。
「英雄なんてこんなもんだ。船の上で四六時中カッコつけてられるかよ」
「あー、それはわかる」
アキレウスがイアソンの言葉に共感して笑う。
「というか、英雄なんて基本問題児ですよ」
静かにそう言ったのは、ケイローンだった。優雅な手つきで紅茶を置きながら、穏やかに言葉を続ける。
「自我が強く、能力も高い。加えて譲らない者が多いですから」
「ほら見ろ!」
「先生、それ完全にあんたも含まれてるぞ?」
立香は堪えきれず肩を震わせる。そんな立香を見てアキレウスが訝しげに眉を上げる。
「……お前、今日なんか妙に笑うな?」
「…………」
立香がそのことに『しまった!』と思った時には遅かった。
だが次の瞬間、イアソンが鼻で笑った。
「ほっとけ。たまには機嫌いい日もあるんだろ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
助かった。立香は内心で深く安堵する。
そんな中ケイローンだけが、静かに紅茶を口へ運んでいた。その目が一瞬だけ、こちらを見る──まるで何かを確かめるように。
「そういえば」
立香は話題を逸らすように口を開く。
「アタランテは、当時どのような人物だったのだ?」
その瞬間、空気が少しだけ静かになった。遠くでフォークの落ちる音がした。誰かの笑い声が、妙に遠く聞こえる。
最初に口を開いたのはアキレウスだった。
「俺はこいつらの時の姐さんは知らねぇけどよぉ………真面目だったなぁ」
懐かしむような笑い方。
「あと速かった。あれはかなり」
「他にもクソ真面目だったな」
イアソンも苦笑混じりに続ける。
「融通効かねぇし、正論ばっか言うし」
「説教も長かったですね」
ケイローンが静かに付け加えた。
「先生まで⁉︎」
「事実ですので………彼女だからこそのこともありますしね」
アキレウスが吹き出す。けれど、不思議と悪口の空気にはならなかった。
むしろ──親しさだった。立香はそれを感じ取る。
「……嫌っていたわけでは、ないのだな」
「嫌う?」
イアソンが鼻を鳴らす。
「まさか。むしろ逆だ」
その声音は先程までよりずっと静かだった。
「面倒だったが、必要だったんだよ、ああいうのは」
アキレウスもゆっくり頷く。
「仲間や子どもを見捨てねぇタイプだったしな」
「…………」
立香は自然とケイローンを見る。彼は少しだけ目を伏せ、それから穏やかに言った。
「優しい子でした」
静かな声だった。
「誰かが傷つくことを、とても嫌う子だった」
食堂の喧騒が、遠くに流れていく。
「だからこそ、自分が傷つくことには無頓着だったのかもしれません」
短い沈黙。イアソンは飲み物を揺らし、アキレウスは何も言わず皿を見つめる。
その沈黙に重苦しさはない。ただ、長い旅路を知る者たちだけが共有する静けさだった。
やがて立香が、小さく笑う。
「皆、アタランテのことを好いているのだな」
「はぁ?」
イアソンが即座に顔をしかめる。
「なんでそうなる」
「いや、なんとなく」
「嫌いじゃねぇんだろ?」
横からアキレウスが笑う。
「うるせぇ!」
「はははっ!」
豪快な笑い声が響く。ケイローンはその様子を見ながら、ただ穏やかに微笑していた。
その空気の中で立香は思う。きっと彼らにとって、アタランテはただの英雄ではない。
共に海を越え、戦い、笑い、ぶつかり合った──“同じ船に乗った仲間”なのだと。
──そしてその時間は、不意に終わる。
「じゃ、俺は風呂行ってくるわ!」
アキレウスが食器を持ち立ち上がり駆け抜ける。
「食ってすぐ走るなよお前は……」
イアソンも呆れながら席を立った。
「先生も行きますか?」
「ええ、私はもう少し後で」
やがて二人が去り、食堂の喧騒も少し遠ざかる。テーブルには、立香とケイローンだけが残った。
静かな間──
紅茶の湯気が揺れる──
そして──
「さて」
ケイローンが穏やかに口を開いた。
「そろそろ、その礼装を解いてもよろしいのではありませんか?」
「…………え」
「ダ・ヴィンチ製でしょう。非常によくできています」
ケイローンは静かに微笑む。
「声帯補正、霊基偽装、認識阻害。実に見事でした」
「き、気づいて……」
「ええ。最初から」
終わった──女性陣に見つかったわけではないが、完全に終わった。
立香が頭を抱えかけると、ケイローンは小さく笑う。
「安心してください。私は他言するつもりはありません」
「……なんでわかったんですか?」
「簡単ですよ」
ケイローンは穏やかな声で言う。
「貴方は、“話を聞く時の顔”が変わりません」
「…………」
「興味深い話になると、少しだけ目が柔らかくなる。今日も同じでした」
立香は完全に言葉を失った──そんなところまで見られていたのか。
ケイローンは静かに紅茶を飲む。
「ですが、良い時間だったでしょう?」
「……はい」
自然と、そう答えていた。そんな立香にケイローンは満足そうに頷く。
「ならば何よりです、マスター」
その呼び方だけが、今の立香を“巌窟王”ではなく、“藤丸立香”へ戻していた………
──その後、立香は拉致された………