境界線の向こう側 〜配信中の銀色の聖女を、俺だけが穢す〜 作:与次郎
30:配信の熱と、親友の違和感
「ふんふんふーん♪」
キッチンの小さな流し台に、弾むような鼻歌が響く。
夏川みずきは、明るめの栗色をしたセミロングをぴょこぴょこと跳ねさせながら、手際よくフライパンを洗っていた。
大学2年生。一人暮らしを始めて2年目になるこの1Kの部屋は、ウッディな丸テーブルやオレンジ色のクッションなど、陽だまりのような温かさで統一されている。今日も講義の帰りにスーパーの特売で買い込んだ食材で作った野菜炒めは、彼女の旺盛な食欲によって綺麗に平らげられた後だった。
カジュアルなオーバーサイズのトレーナーに、短いスウェットパンツという飾らない部屋着。だが、流し台の前で身を乗り出すたびに、厚い生地を押し上げるふくよかな膨らみが、確かな重量感を伴って柔らかく揺れる。小柄ながらもきゅっと引き締まった細い腰、そこからスラリと伸びる白い脚。少しお湯を使っただけなのに、色白な首筋がほんのりと桜色に染まるほど、彼女の肉体は瑞々しい生命力に満ちていた。
「よし、片付け終わり!」
お気に入りのタオルでパタパタと手を拭き、壁の時計を見上げる。
針は、お目当ての時間の数分前。
「ルミナちゃんの配信、今日も楽しみだな~!」
彼女は冷蔵庫から冷えた麦茶のボトルを取り出し、コップに並々と注いだ。
大人気VTuber「ルミナ・ステラ」のASMR配信。それは、忙しい大学生活における至高の癒しだった。
中の人である星野光莉は、同期のライバルであり、本当の姉妹のように何でも話し合える親友だ。誰よりも「リスナーに純粋な癒しを届けたい」と活動に魂を削っている真面目な彼女を、みずきは心から尊敬していた。そんな光莉の清らかな声に包まれる時間は、みずきにとっても特別なオアシスだった。
みずきは弾むようにベッドへ飛び込むと大きな枕を背もたれにし、スマホを三脚に固定する。お気に入りの密閉型ヘッドホンを頭に装着した。
耳をすっぽりと覆う肉厚なパッド。外界の雑音が遮断された瞬間、そこは、大好きな親友の「声」だけを網膜と鼓膜で独占できる、少し甘い緊張感を孕んだ密室へと変わる。
「よし、音量も完璧!」
麦茶をゴクリと一口飲み、乾いた喉を潤してからスマホの画面に視線を落とす。カウントダウンがゼロになり、「配信開始」の通知が画面に弾けた。
『こんばんは……今夜もお越しいただき、ありがとうございます。ルミナ・ステラです……ふふ、皆さんと一緒に、ゆっくりと、心安らぐ時間にしましょうね……』
画面の向こうで、お馴染みの銀髪の聖女が、いつも通りの優雅で儚げな微笑みを浮かべてリスナーに語りかけ始める。
「あー……これこれ。今日も最高に染みる……」
ベッドの上で足をパタパタさせながら、みずきは画面に釘付けになった。
ライトに照らされて星屑のように輝く銀髪、神聖な純白のドレス。そして耳元を優しく撫でるようなウィスパーボイス。そのすべてが完璧で、親友の素晴らしい表現力に誇らしささえ覚える。
だが――配信が始まって十数分が経過した頃だった。
みずきは、胸の奥にかすかなざわつきを覚え、ぴたりと足を止めた。
(……ん? 今日、ルミナちゃんの声……いつもと、どこか違う?)
スピーカー越しなら聞き流してしまったかもしれない、ごく微細な揺らぎ。
しかし、耳を密閉する高性能なヘッドホンは、ルミナの声の裏に潜む「異質な音」を、無慈悲なほど鮮明にみずきの鼓膜へとダイレクトに送り込んできた。
いつもより少しだけ、声の輪郭が甘く、湿り気を帯びて掠れている。
言葉を紡ぐ合間に、ルミナがごくり、と喉を鳴らして熱い唾液を飲み込む密やかな音。衣服の擦れる音の奥で、小さく漏れる「はぁ……」という熱を孕んだ吐息。
清楚な聖女の口から漏れ出た、聴いたこともない生々しい「艶」。それを耳の奥で感じた瞬間、みずきは理由も分からず背筋にゾクゾクとした粟立ちを覚え、自身の心臓がドクンと跳ね上がるような、奇妙な胸騒ぎに襲われていた。
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配信が中盤に差し掛かる頃には、みずきはベッドにうつ伏せになったまま、スマホの画面に息を潜めて見入っていた。鼓膜を震わせるルミナ・ステラの声は、もはやいつもの穏やかな癒やしとは明らかに違う、異質な熱を帯び始めていた。
『……皆さんが今日、一生懸命頑張った分……私が、ぜんぶ、癒やしてあげますね……っ。はぁ……』
バイノーラルマイクのすぐ側で囁かれた声は、どろりと甘く溶け、言葉の端々に切ない吐息が混ざり合っている。
みずきは思わず、ゾクッと身震いした。密閉されたヘッドホンからダイレクトに脳へと送り込まれる親友の声が、あまりにも生々しい。ただ聴いているだけなのに、衣服に包まれた胸の頂点がツンと硬く自己主張を始め、下腹部の奥がキュッとせつなく窄(すぼ)まる。ちょっとした刺激ですぐに赤くなってしまうみずきの肌は、今や耳たぶから首筋にかけて、鮮やかな桜色に染まりつつあった。
(ルミナちゃん……今、声が震えて……? えっ、待って、私までなんでこんなに変な汗かいてるの……っ)
画面の中の聖女は、ゆっくりと上体を傾け、リスナーの耳元に唇を寄せるようなモーションを見せる。だが、その動きに伴うドレスの布擦れの音が、いつもより激しく、どこか落ち着きなく乱れていた。
『ん……ふふ……皆さんの疲れ……ぜんぶ、溶かして、あげたい……はぁ、んっ……』
セリフの合間に、ルミナの喉から小さく、耐えかねたような甘い鼻声が漏れた。
その瞬間、配信画面の右側を流れるコメント欄が、一気に沸騰した。
【待って今の声なに!?!?】
【ルミナ様今日エロすぎ死ぬんだが】
【おいおい腰の動きヤバいだろこれwww】
【なんか中ベースで動いてない?】
【ルミナ様、色気の進化ガチで神。神回確定】
急速に加速していく欲望のテキストを見て、みずきはスマホを握る手のひらに、じっとりと汗がにじむのを感じた。
(やっぱり、私だけじゃなかった……! みんなおかしいって思ってる……!)
画面の中のルミナは、椅子に座ったまま、微かに太ももをキュッと擦り合わせるような仕草を繰り返していた。フレアドレスの裾から覗く脚のラインが、艶めかしく揺れる。
カメラを見つめるルミナの青紫色の瞳は、まるで熱病に浮かされたように潤んでおり、桜色の唇は微かに半開きのままだ。画面越しからでも、彼女の呼吸が浅く、切迫しているのが痛いほど伝わってくる。
(待って、ルミナちゃん……本当にどうしちゃったの? 喉の調子が悪いなんてレベルじゃないよ……。まるで、配信しながら、誰かに――)
脳裏をよぎりかけた最悪な想像を、みずきは必死に頭を振って打ち消した。しかし、ヘッドホンから聞こえる「はぁ、はぁ……」という熱い衣擦れの音は、太陽の天使の純潔な心を激しく揺さぶり、怯えさせていくのだった。
ここからは新章、星野光莉の親友、夏川みずき編になります。
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