※この作品はR-18です。

境界線の向こう側 〜配信中の銀色の聖女を、俺だけが穢す〜   作:与次郎

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33:カフェでの再会、熱病を宿した瞳

 

 カチ、カチ、カチ……と、講義室の壁に掛けられた時計の秒針の音だけが、やけに大きく耳に触る。

 大学の講義室の後ろの席で、夏川みずきはノートにシャープペンシルを走らせていた。だが、その頭の中は完全に別の、暗い熱に支配されていた。

 

「……したがって、この時代における『聖』と『俗』の境界線はですね……」

 

 壇上の教授がマイク越しに語る声が、まるで水に溺れているかのように遠くに聞こえる。

 いつもなら真面目な学生として、ノートを綺麗にまとめるタイプのみずきだったが、今日ばかりは集中することが出来ずにいた。

 いくら文字を追おうとしても、昨夜、お気に入りのヘッドホンを通じて鼓膜の奥へ直接送り込まれた、ルミナ・ステラのあの声が脳内で大音量のノイズとなってリフレインを繰り返すのだ。

 

(……っ、は……あんっ……!)

 

 銀髪の清楚な聖女の口から漏れ出た、限界を迎えたような絶頂の響き。

 それを思い出すたびに、みずきはペンを握る指先にぎゅっと無駄な力を込めてしまう。それと同時に、自分の白い首筋から耳たぶにかけてが、カッと熱い火をつけられたように鮮やかな桜色に染まっていく。

 オーバーサイズのトレーナーの奥で、Dカップの豊かな胸がどくん、どくんと早鐘を打ち、その先端が生地に擦れてかすかな疼きを訴える。ショートパンツから覗く白い太ももを無意識にキュッと擦り合わせ、みずきは小さく熱い息を漏らした。

 

(嘘……私、なんでこんな、親友のことで変な風にドキドキして……。でも、本当に大丈夫だったのかな、光莉ちゃん……)

 

 必死に太ももをつねって正気を取り戻そうとするが、ルミナが見せた、あの椅子から腰を浮かせてのけぞるようなモーションの異常さは、ただの「マイクの不調」という光莉の言い訳を、みずきの直感から全力で否定していた。

 

 ――キリキリと胸を締め付けるような焦燥のまま、ようやく1時間半の講義の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

「よしっ……!」

 

 周囲の学生たちが動き出すのと同時に、みずきは弾かれたように鞄に教科書を詰め込み、席を立った。

 夕方のキャンパスには柔らかい秋の日差しが降り注ぎ、賑やかな笑い声に包まれている。「みずき、バイバーイ!」と声をかけてくる友人たちに、いつもの笑顔で元気に手を振り返しながらも、その足取りは自然と小走りへと変わっていた。

 

(今からカフェに行けば、光莉ちゃんに会える……。昨日のは何かの間違いで、いつもの可愛い光莉ちゃんだって、私の目の前で笑ってほしい……!)

 

 大学の正門を抜け、いつもの通学路を急ぐ。

 あの真面目な彼女が、誰か見えない男の影に乱され、穢されているなんて――絶対に信じたくなかった。

 目的地であるカフェの看板が見えてくる頃には、みずきの心臓は、張り詰めた緊張感でパンパンに膨れ上がっていた。

 

 

------

 

 

 カランカラン、とレトロな真鍮のドアベルが、夕暮れの街角に涼やかな音を響かせた。

 大学の正門からほど近い、レンガ造りの落ち着いたカフェ。ドアを押し開けた瞬間、焙煎された深いコーヒーの香りがみずきの身体を優しく包み込んだ。

 夕方の柔らかな間接照明が灯る店内の奥、窓際のボックス席に、お目当ての人物がすでに腰を下ろしていた。

 

「光莉ちゃん……!」

 

 みずきは明るい声を意識して作り、足早に席へと近づいた。

 星野光莉が、ゆっくりと顔を上げる。栗色のセミロングを上品にハーフアップにまとめた彼女は、いつも通りの儚げな微笑みを唇に浮かべた。

 

「こんにちは、みずきちゃん。お疲れ様。こっちこっち」

 

 その声は、聞き慣れた穏やかなトーンそのものだった。

 ――しかし、みずきは向かいの席に腰を下ろした瞬間、強烈な違和感に襲われて身を硬くした。

 

(……え? 光莉、ちゃん……?)

 

 光莉の瞳は、まるで熱病の残滓を引きずっているかのようで微かに潤んでいた。何より、普段は清楚で露出を嫌う彼女が、今日は首元に黒い、少し太めの革のチョーカーを巻いている。まるで、誰かに付けられた痕跡を必死に隠しているかのように。

 向けられた視線はどこか艶っぽく、無防備なみずきの肉体をすみずみまで値探るような、ぞっとするような大人の色気を放っていた。

 

「ご、ごめんね! 授業がちょっと長引いちゃって」

 

「ううん、私も今来たところだから。みずきちゃん、何にする? ここのカスタードプリン、美味しいんだよ」

 

 光莉はそう言って、細い指先でメニューを開いてみせる。

 みずきは動揺を隠すように、大袈裟に身を乗り出した。

 

「あ、じゃあ私、アイスココアと……そのプリンにしよっかな! 光莉ちゃんは?」

 

「私はアイスコーヒーだけ。……最近ね、なんだか、すごく喉が渇くの」

 

 何気ない言葉。けれど、光莉は「喉が渇く」と言いながら、自分の薄い唇を小さな舌先でペろりとなぞった。その仕草が、妙に生々しくて色っぽい。

 注文を終え、店員が去った後も、光莉はいつも通りのトーンで大学の話題を振ってきた。

 

「そういえば、来週のレポートの課題、もう進めてる? 教授、今回は採点厳しいって有名だから、私ちょっと不安で」

 

「えっ、嘘、そうなの!? 私まだ全然手をつけてないや……。光莉ちゃんはもう調べ物とか始めた?」

 

「うん。資料を集めてたら、なんだか夜更かししちゃって……。昨日も、配信の後も、いろいろ『お勉強』させられてたから」

 

「お勉強……? 課題の?」

 

 みずきが小首をかしげると、光莉はアイスコーヒーのグラスの縁を、白く細い指先で愛撫するようにゆっくりとなぞりながら、くすっと含み笑いをした。グラスの結露で濡れた指先が、光莉の唇に触れる。

 

「さあ、どうかな。……でもね、すごく頭が真っ白になるくらい、濃いお勉強だよ」

 

「光莉ちゃん……? なんか、今日の話し方、いつもとちょっと違うっていうか……」

 

 みずきは息を呑み、意を決して本題へと切り込んだ。

 

「……あのね、昨日の配信、私ちゃんと聴いてたんだよ」

 

「うん、メッセージもくれたよね。ありがとう」

 

「……本当に、大丈夫? なんか、声がいつもより掠れて聴こえたっていうか。途中で、その……すごく苦しそうだったから」

 

「大丈夫だよ。みずきちゃんは心配しすぎ」

 

 光莉の完璧な模範解答。しかし、その瞳の奥には、以前の彼女には絶対に存在しえなかった、男の影を想起させる甘く危険な「毒」がはっきりと宿っていた。

 

「でも、ただの喉の調子じゃないように聞こえたよ。マイクのせいとかじゃなくて、あの時のルミナちゃんの声、まるで――」

 

「じゃあ、どんな風に聞こえたの? みずきちゃん」

 

 光莉がテーブルの上でふと手を伸ばし、みずきの手の甲に自らの白い手を重ねてきた。

 

「みずきちゃん。そんなに私のこと、心配してくれて……本当に嬉しいな」

 

 重ねられた光莉の肌から伝わってきたのは、驚くほど高くて濃密な、じっとりとした「熱」だった。その熱が皮膚を通じて侵入してきた瞬間、みずきは頭の芯がクラリと痺れるような、激しい胸騒ぎに襲われるのだった。

 

 

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