※この作品はR-18です。

境界線の向こう側 〜配信中の銀色の聖女を、俺だけが穢す〜   作:与次郎

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50:親友の訪問、蜜色の抱擁

 

 夏川みずきの部屋は、いつもよりずっと静かで、まるで湿った泥のように重苦しい空気に包まれていた。

 みずきはリビングのソファの端に浅く腰をかけ、膝の上で細い指を白くなるほど強く組みながら、壁の時計を何度も見上げていた。秒針が時を刻む音が、まるで彼女の心臓を直接抉るかのように不穏に響く。

 光莉がこの部屋にやってくるまで、あと数分。それだけなのに、胸の奥が不快にざわつき、締め付けられるように痛かった。

 目を閉じると、前回の光莉のマンションでの記憶が、最悪のフラッシュバックとなって脳裏に蘇る。部屋に漂っていた、見知らぬ男の重い香水の匂い。洗面所に無造作に置かれていた、男物の黒いマグカップ。そして何より、どこか淫らで、自分を捕食者のように見つめていた光莉の変貌ぶり――。

 

(……大丈夫。今日は、私の部屋なんだから。あの男の匂いもしない、私がずっと過ごしてきた、私だけの安全な場所。ここなら、少しは冷静に話せるはず……)

 

 みずきは何度も深く息を吸い込み、自らの恐怖を押し殺そうとした。

 けれど、幼い頃からすべてを分かち合ってきた大好きな親友を「信じたい」という悲痛な願いと、あの生配信で自分の肉体をぐずぐずにした「見えない愛撫」に彼女が関わっているのではないかという「信じきれない恐怖」が、胸の中で激しくせめぎ合い、彼女の精神をじわじわと削り取っていく。

 その時、部屋の中にインターホンが鳴り響いた。

 びく、とみずきの肩が大きく跳ね上がる。激しく太鼓を打つ心臓を押さえながら、玄関のドアへと向かった。震える手で鍵を開け、ゆっくりと扉を引く。そこに立っていたのは、どこまでも柔らかい笑みを浮かべた光莉だった。

 

「みずきちゃん、こんばんは。急な雨にならなくてよかった。……ふふ、中、入ってもいい?」

 

 光莉の声は鈴を転がすように優しく、みずきがよく知っている、あの穏やかで安心できるトーンそのものだった。みずきは引き攣りそうな顔を必死に動かして、いつもの笑顔を作った。

 

「うん、どうぞ……っ。上がって。光莉ちゃん、わざわざ来てくれて本当にありがとう……こんな時間に呼んじゃって、ごめんね」

 

「もう、謝らないで?私の方から会いたいって言ったんだから」

 

 光莉は慣れた様子で靴を脱ぎ、リビングへと入っていく。そして、みずきがいつも座っているソファの真ん中へ、流れるような動作で腰を下ろした。みずきの顔を、光莉は下から覗き込むようにして、慈愛に満ちた瞳で見つめた。

 

「一昨日のソロ配信を見てから、ずっとひまりちゃんのことが気になって。こうして直接、可愛い顔を見て話したかったの」

 

「……そっ、か……。お茶、淹れるね」

 

 みずきはキッチンへ向かい、背中を向けたまま、大きく冷たい息を吐き出した。

 淹れたてのハーブティーの入ったカップを二つ、ローテーブルに置く。みずきが隣に腰を下ろすと、光莉はソファの上で身体をみずきの方へと向け、形の良い唇を妖艶に歪めて微笑んだ。

 

「見ていたよ、ひまりちゃんが必死に笑顔を作って、VTuberのプライドを守ろうと頑張ってる姿。……でもね、時々声が掠れたり、腰が可愛らしく動いちゃったりしていたでしょ? 私、心配でたまらなかったの。……ねえ、みずきちゃん。あの時、本当に何ともなかったの?」

 

「……大丈夫じゃ、なかったかも……」

 

 みずきは意を決して、震える声で本音を吐露した。

 

「配信中、急に胸の奥がすっごく熱くなって……誰かに、見えない大きな手で、直接揉まれてるみたいな感覚がしたの。それから……下のほうも、ずっと……知らない人に、指で執拗に撫で回されてるみたいで……。みんなが見てる目の前で、あんな風になっちゃうなんて、本当に思ってもみなくて……っ」

 

 告白しながら、みずきの目から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。すると光莉は、「かわいそうに……」と切なげな声を漏らし、みずきの膝の上で固まっていた手に、そっと自分の温かい手を重ねた。そして、指の隙間に自らの指をじわじわと滑り込ませ、ねっとりと絡め合うようにして強く握りしめた。

 

「ひまりちゃんがそんなに恐ろしい快感に苦しんでたなんて、私、すぐに助けてあげられなくてごめんね……。……ねえ、みずきちゃん。もっと、詳しく話してくれる? どんな風に胸を触られたのか……私にだけ、全部、ぜんぶ教えて?」

 

 光莉の指が、みずきの手のひらを愛撫するようにじわりと動いた。その感触に、みずきは本能的な恐怖で一瞬、全身の肉体をガチガチに硬直させた。

 

「光莉ちゃん……っ。本当に怖かったの。自分の部屋で配信してるのに、あんな感覚がするなんて、絶対に普通じゃないよね……?」

 

「みずきちゃん……そんなに不安に思ってたんだね。いい子だから、もう怯えなくていいよ……」

 

 光莉は絡め合わせた指に、さらにギリ、と艶めかしい力を込めた。自室という最後の聖域にいながらにして、みずきの胸の奥底では、引き裂かれそうなほどの葛藤と不吉な予感が真っ黒な渦を巻くのを感じていた。

 

 (信じたい……光莉ちゃんを信じたいのに……。どうして彼女の手は、私を逃がさないみたいに、強く絡みついてくるの……!?)

 

 

------

 

 

光莉の細い指が、みずきの手にねっとりと絡みついたまま、リビングの空気は静かに、しかし抗いようのない熱を帯びて変わり始めていた。

 みずきは、親友の肌から伝わる高すぎる体温を直に感じながら、胸の奥のざわめきが急速に大きな恐怖へと膨れ上がっていくのを感じていた。

 いつもなら安心できるはずの温もりが、今の彼女には、自分の自由をじわじわと奪い去るための重苦しい鎖のように迫ってくる。

 光莉はみずきの涙で濡れた瞳をじっと見つめ、囁くように言った。

 

「みずきちゃん……。やっぱり、今夜こうして、二人きりで直接会えて本当によかった。画面越しじゃ、ちゃんと受け止めてあげられないもの」

 

 そう言うと、光莉のもう片方の手が、躊躇のない動きでみずきの華奢な肩へと置かれた。伝わる指先の熱が、みずきの肩を優しく、しかし確実に値値踏みするように撫でまわし、ゆっくりと背中、腰のくぼみへと滑り落ちていく。

 

「光莉ちゃん……? 私、配信が終わってから、ずっと一人で考えてたの。どうしてあんな恐ろしいことが起きたのか……。私の身体が、本当におかしくなっちゃったのかなって……っ」

 

 すると、光莉はみずきの腰を抱く手にグッと力を込め、自身の顔をみずきの耳元へと限界まで近づけた。耳朶に触れる光莉の吐息は、以前よりもずっと妖艶で、どこか男の存在を色濃く感じさせる不気味な艶を帯びていた。

 

「怖がらなくていいんだよ、みずきちゃん。ルミナとして、歌や声に、もっと深い感情を落とし込むとね……近くにいる大切な人の肉体にも、その情熱が直接伝染しちゃうみたい。それが、一昨日の生配信でひまりちゃんに起きてしまったんだとしたら……。私がちゃんと『責任』を取ってあげなきゃいけないよね?」

 

 ぴったりと合わさる互いの肉体。光莉の身体から発せられる、どこか淫らで退廃的なオーラがみずきの肌をじりじりと灼く。

 

「責任を、取るって……なに? 今、光莉ちゃんがしてるこの触れ方が、責任を取るってこと……っ? 私、ただ普通に光莉ちゃんと話がしたくて呼んだのに……」

 

 みずきが微かに身をよじって抵抗しようとすると、光莉は逃がさないと言わんばかりに腰の腕にさらに力を込め、耳元でねっとりと甘く囁きかけた。

 

「ふふ、ごめんね……。でもね、みずきちゃんがこんなに真剣に私のことを心配して、涙まで流してくれて……私、なんだか胸が熱くなっちゃって。私、もう一人じゃないから。だからね、みずきちゃんのことも、私がちゃんとこの腕で守って、あげたいって思うんだ」

 

 その瞬間、光莉の口から溢れた――「私、もう一人じゃないから……」――という決定的な言葉が、みずきの胸に鋭いナイフのように突き刺さった。みずきは一瞬、呼吸をすることすら忘れて息を止めた。

 

「……光莉ちゃん、今……『もう一人じゃない』って、どういう意味……?」

 

 みずきは、光莉のマンションで見つけたあの男の影を必死に脳裏から追い出そうとしながらも、震える声を抑えて尋ねた。

 

「私、変なことを聞いてるかもしれないけど……。光莉ちゃん、最近、誰かと一緒にいるの……? 私に隠れて、誰か特別な人と……何か、大きな変化があったの……!?」

 

 光莉はみずきの腰を抱いたまま、その必死な問いかけに答える。

 

「大きな変化……うん、そうかもしれないね。」

 

 さらに、あざ笑うかのように、どこまでも優しく微笑んだ。

 

「ルミナとして、もう一人で全部を抱え込まなくてよくなったの。私のすべてを理解して、正しい導き方をしてくれる……本当に信頼できる人に、相談できるようになったのよ。その人が昼も夜も、私の心と体を優しく支えてくれているんだよ」

 

 光莉の言葉と同時に、彼女の自由な方の指先が、みずきの太ももへとゆっくりと滑り落ちた。柔らかい布地越しに、内側の柔らかい皮膚をじわじわと撫で上げるような動き。

 

「信頼できる人、って……誰なの……っ? その人がいるから光莉ちゃん、そんな風に変わっちゃったの……?私、最近の光莉ちゃんが、なんだかどんどん遠くに行っちゃうみたいで……すっごく寂しい……」

 

 光莉は、みずきの耳たぶに自身の唇を軽く寄せ、脳髄をドロドロに溶かすような、悦びの声を吹き込んだ。

 

「寂しいって言ってくれるの、本当に嬉しいな……じゃあ、もっと近くで、あなたのその不安も、配信で感じちゃった疼きも……全部、私に預けて?」

 

 自分の部屋という唯一の安全地帯だったはずの空間で、みずきは光莉の身体に包まれながらも、心の奥底で、あの見えない愛撫の主の影が、ゆっくりと、しかし確実にすぐ目の前まで近づいてきていることを予感し、恐怖に身震いするのだった。

 

 

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