境界線の向こう側 〜配信中の銀色の聖女を、俺だけが穢す〜 作:与次郎
――天峰零
現実世界の喧騒から完全に隔離された、漆黒の薄暗い部屋。
天峰零は、本革の重厚な椅子に深く背もたれを預け、冷徹な瞳で眼前のマルチモニターを見つめていた。液晶画面の一つには、先ほどまで陽ノ川ひまりによってデスクの上で無残に蹂躙され、胸をはだけたまま机に突っ伏して荒い息を吐いている夏川みずきの姿が、広角カメラの映像のように克明に映し出されている。
歪んだ快感の余韻で細い肢体をピクピクと震わせ、涙に濡れた顔で自分の名前を呪うように呟いている彼女の姿を見て、零の薄い唇の端が、冷たく、ゆっくりと歪んだ。
「……ふっ。随分と必死だな、みずき。期待通りの素晴らしい歪み方だ」
彼は低く喉を鳴らして嗤い、手元のマグカップを口元へ運んだ。冷めかけたコーヒーの苦味が、彼の舌を心地よく刺激する。
みずきがどれだけ必死に自分の痕跡を調べ、どれだけ怒り、どれだけこの干渉に抵抗しようとしているのか――そのすべての行動を、零は最初から完璧に監視し、コントロールしていた。
「負けず嫌いの自信家。電子の足跡を追い、知略で俺の喉元を噛み切ろうとするその反抗心……玩具としては最高に面白い。お前が俺を調べ、憎悪を深めれば深めるほど、そのエネルギーそのものが、お前をより深く、逃れられない俺の網の中心へと引きずり込んでいく」
零は不敵な笑みを浮かべ、キーボードを滑らかに数打した。
画面が切り替わり、みずきが先ほど必死に解析していた光莉の配信データと、彼女のPCのローカルログが同期されて表示される。みずきが必死に手に入れた音声の超音波ノイズも、3Dモデルのボーンの座標ズレも、すべては零が彼女に見つけさせるために意図的に残した、足跡に過ぎない。
彼女の知識なら必ずここに気づき、そしてこれらを繋ぎ合わせれば、一つの発信元の仮想座標――すなわち、星野光莉の自宅マンションのネットワークノードへと、必然的に辿り着くように設計された完璧な誘導罠だった。
「さて……そろそろ、もう一つのピースを動かすとしよう。お前がその賢しらな頭で導き出した『答え』を確信し、自ら光莉の元へと足を運ぶように」
零の昏い瞳に、悪魔的な愉悦の光がどす黒く明滅する。みずきが怒りに駆られて能動的に動けば動くほど、彼女は自ら進んで零の足元へと跪くことになる。その完璧なチェックメイトまでの手順を眺めることが、支配者である零にとって、たまらない極上の興奮だった。
「夏川みずき。お前は光莉よりも、ずっと美味に壊れる最高の玩具になるかもしれないな……」
零はゆっくりと息を吐き、椅子を静かに回転させて、別の独立したシステムモニターに向き直った。
「さあ、光莉。お前の大好きな親友に、最後の招待状を送ってやれ。……お前たちの主が、特等席でお待ちかねだ」
暗闇の中で、魔王の冷徹な嗤い声が、静かに、しかし確実に深淵の底へと響き渡っていった。
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深夜2時を過ぎても、夏川みずきはデスクの前から動くことができずにいた。
はだけたキャミソールを震える手で直し、冷え切った自室の空気の中で、じっとモニターを見つめる。画面には、先ほどまでの執念の解析によって導き出された、あのノイズの発信源――星野光莉の自宅マンションのネットワークログが、決定的な『答え』としてポツンと白く浮かび上がっていた。
「……やっぱり、光莉ちゃんの部屋がすべての起点になってる。あいつ、そこにいるんだわ……っ」
みずきは何度も何度もデータを検証した。だが、どこをどう検証しても、データはあまりにも完璧に光莉の部屋を示している。ひまりに肉体をめちゃくちゃに汚された疲労と虚脱感で、全身の筋肉は悲鳴を上げていたが、脳裏にこびりついた零への怒りが、彼女の意識を無理やり覚醒させていた。
その時――デスクの隅に置かれたスマートフォンが、静かに、しかし重々しくブブッと振動した。みずきはビクッと肩を跳ねさせ、反射的にスマホの画面に視線を走らせた。
画面に表示された名前を見た瞬間、みずきの背筋に強烈な戦慄が走った。
【星野光莉】
届いたばかりのメッセージを開く。
【光莉】
みずきちゃん、最近本当に大丈夫?
なんか元気がないみたいで、光莉、すごーく心配してるの。
今日の夜、私のうちに来ない? ハーブティーを淹れて、待ってるね。
みずきは画面を見つめたまま、完全に思考を凍りつかせた。一見すれば親友を気遣う優しさに満ちた文面。だが、今の彼女には、その文字の行間から蜘蛛の巣へと獲物を誘い込もうとする、底知れない狂気の気配が透けて見えて仕方がなかった。
「……光莉ちゃん」
頭の片隅で、冷静な理性が警鐘を激しく鳴らしている。
(これは罠だ。あいつが光莉ちゃんを使って、私を誘い出そうとしてるんだわ。今行けば、私も光莉ちゃんやひまりちゃんみたいに、あの男に――)
自分の身体を強制的に絶頂させられた、あの悍ましい指先の感触が脳裏をよぎり、下半身の奥がキュッと切なく疼いた。しかし、みずきはスマホを強く握りしめ、液晶画面を睨みつけた。
(でも……ここで逃げたら、一生あいつの正体には辿り着けない。光莉ちゃんを、あいつの檻から助け出せるチャンスは、もう二度と来ないかもしれない……っ!)
みずきは湧き上がる恐怖を、胸の奥で燃え盛る反抗心で強引に圧し潰した。どれだけヤバい怪異だろうと関係ない。自分が導き出したデータと、この意志だけを武器にして、あの男の掌をひっくり返してやる。
「……行くよ。あんたがそこでお茶を挽いて待ってるって言うなら、その面、直接拝みに行ってやるわ」
返信を打つ指先は、確かに恐怖で小刻みに震えていた。それでも、夏川みずきのプライドと言葉は、一文字の迷いもなく画面へと打ち込まれていった。
【みずき】
わかった。今日の夜、そっちに行くね。
私も光莉ちゃんに、詳しい話、いっぱい聞きたいから。
送信ボタンをタップした瞬間、無機質な電子音が、まるで取り返しのつかない破滅へのカウントダウンのように室内に響いた。みずきはスマホをデスクに置くと、深く、長く息を吐き、もう一度モニターに映る発信源の座標を睨み据えた。
「零……。私は絶対に、光莉ちゃんをあんたの汚い手から奪い返してみせる」
薄暗い部屋の静寂の中で、自ら罠へと飛び込む誘蛾灯に奔るように、夏川みずきの決意の炎は、静かに、しかし破滅的に燃え続けていた。