アクシズ戦乱の終結から、5年の歳月が流れた。
モユラン島の地下格納庫。巨大な影を落として鎮座するのは、かつてのサイコフレーム兵器とは一線を画す異形の機体――モビルアーマー『ハシュマル』。天使の名を冠したその巨躯を、リンは作業用足場の上から見上げていた。
各地に配備された量産機『リーオー』や『グレイズ』の抑止力により、世界規模の紛争は激減していた。だが、未だ息を潜める『ブルーコスモス』の残党や、過激化したプラント勢力の脅威が完全に潰えたわけではない。世界平和監視機構コンパスの裏で、来るべき不測の事態に備え、整備士となったリンの手でこのハシュマルの構築とメンテナンスが進められていたのだった。
「よし……今日のシステムチェックはこれで完了っと」
スパナを工具箱に収め、汗を拭ったリンは長かった整備作業を終えた。
その日の夜。モユラン島の港町にあるアットホームな居酒屋の個室から、楽しげな笑い声とグラスのぶつかる音が響いていた。
「かんぱーい! リン、ハシュマルの整備、本当にお疲れ様!」
座敷のテーブルを囲んでいるのは、リン、そしてミレニアムの艦長を務めるマリュー・ラミアスと、オーブ代表のカガリ・ユラ・アスハの三人だ。
最初は労いの酒宴だったはずが、料理が進み、酒の杯が重なるにつれて、リンの雲行きが怪しくなってきた。ジョッキを何杯も空け、完全に出来上がったリンは、ついにテーブルに突っ伏して泣き上戸の症状を破裂させた。
「ちょっとぉ……リン!? 大丈夫?」
「うぅ……うあぁぁんっ! マリューさんぁぁ……カガリ様ぁぁ……っ!」
赤くなった顔で涙をぼろぼろと溢らすリンに、マリューが苦笑いしながら寄り添う。
「どうしたの急に、どこか痛いのでも……」
「痛いですよぉ! 心が痛いです! 私、もうアラサーですよ!? 20代も後半に突入しちゃったのに……なんで恋人の一人もいないんですかぁぁっ! 周りはシンとルナみたいにラブラブだったり結婚したりしてるのに、私の春はどこにあるんですかーっ!?」
ジョッキを抱え込みながら、大粒の涙を流して本気で嘆くリン。
「もうっ、モビルスーツの整備ばっかり上手くなっちゃって……私の人生の整備はどうなってるんですかぁぁ!」
泣きじゃくるリンの姿に、マリューはクスッと優しく微笑むと、自分のグラスを置き、リンの肩をトントンと優しく叩いた。
「ふふ、大丈夫よリン。あなたは今まで、世界を救うために誰よりも懸命に戦ってきたじゃない。今は自分の時間を積み重ねている最中なのよ」
マリューは穏やかな眼差しで、大人としての優しい言葉をかける。
「焦らなくても、いつかきっと、ありのままのあなたを理解して包み込んでくれる素敵な相手が現れるわ。私が保証するわね」
一方、既にジョッキを何杯も空けて半分酔っ払っているカガリも、頬を赤くしながら豪快に頷いた。
「そうだぞリン! お前は器用で、熱くて、カッコいい最高の女だ! そんなお前の良さが分からない男なんて、こっちから願い下げだ! ……まあ、何だ、出会いなんてどこで転がってるか分からん! 焦るなっ!」
「カガリ様ぁ……マリューさんぁぁ……! ふえぇぇんっ!」
二人の温かい(そして半分酔っ払った)言葉に余計に涙腺が崩壊したリンは、そのままマリューの膝に顔をうずめて泣き続け、居酒屋の夜は賑やかに更けていくのだった。飲み潰れて泣き上戸になったリンを、マリューは苦笑いしながらも優しく介抱し、ホテルの部屋までしっかりと送り届けてくれた。
「はい、ベッドに着いたわよ。しっかりお水を飲んで休みなさいね」
「うぅ……マリューさん、すみません……ありがとうございましたぁ……」
マリューが去り、静かになった部屋でミネラルウォーターを飲みながらしばらく横になっていると、次第に頭の火照りが引き、冷たい風が酔いを冷ましてくれた。
すっかり意識がはっきりしてきたリンは、ベッドから起き上がると、自室の端末を操作してキラにビデオ通話を繋いだ。服を着替えながら、画面越しのキラとラクスの姿に手を振る。
『あ、リン! こんばんは。酔いは大丈夫?』
画面の向こうでキラが優しく微笑み、その隣にはラクスが穏やかな笑みを浮かべていた。
「うん、マリューさんに送ってもらって、なんとか復活したよ。そっちはどう?」
『ふふ、こちらはとても賑やかですよ』
ラクスが画面を少し傾けると、そこにはすくすくと成長したキラたちの子供が、元気に部屋を駆け回る姿が映し出された。かつて世界を救うために必死で戦っていたキラが、今はすっかり優しい父親の顔をして、愛おしそうに子供を見つめている。
「そっか……もうこんなに大きくなったんだね。なんだかあっという間だな」
服を部屋着に着替え終えながら、リンは画面越しのあたたかな光景に、胸がじんと熱くなるのを感じていた。
「キラ、ラクスさん……すごく、いい幸せだね」
『ありがとう、リン。君が整備してくれたから、世界が平和になって、こうして子供を育てられるんだよ』
キラの温かい言葉に微笑み返し、一通り近況を話し終えると、「またね」と言ってビデオ通話を終えた。
画面を閉じると、今度はメッセージアプリにシンからの着信通知が入っているのに気づいた。開いてみると、そこには生まれたばかりの赤ん坊を大切そうに抱きしめるルナマリアと、その横で鼻の下を伸ばしてデレデレに笑うシンの写真が添えられていた。
『リン! 今日の夕方、無事に元気な男の子が生まれたぞ! ルナも元気だ! 今度モユラン島に来るとき、絶対抱っこしてくれよな!』
添えられたシンの熱量溢れるメッセージと、赤ん坊の小さな手に触れる写真。
「ふふっ……シンも、すっかりパパかぁ……」
端末を胸に抱きしめ、リンは一人静かにベッドへ横たわった。
アラサーだとか、恋人がいないだとか、さっきは泣いて嘆いてしまったけれど。かつて死線を共にくぐり抜け、共に地球を守り抜いた大切な仲間たちが、それぞれ愛する人と結ばれ、新しい命を育み、平和な時を刻んでいる。その世界を、自分の手で支えられている。
(……私、結構……幸せかもな)
胸の奥に溢れる温かな充足感に包まれながら、リンは深いまどろみの中へと落ちていった。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む眩しい太陽の光で、リンはすっきりと目を覚ました。
昨夜の酒も完全に抜け、身体も心も驚くほど軽い。
鏡の前で身支度を整え、お気に入りの上着を羽織ると、リンはカバンを肩にかけた。
「さて……今日も一日、頑張りますか!」
扉を開け、光が差し込む外の世界へと、リンは晴れやかな笑顔で一歩を踏み出した。