激突の凄まじい衝撃がコックピットを襲い、リン・ベルナルの意識を闇へと引きずり込みます。どれほどの時間が経ったのか、熱を帯びた機体の軋む音で、彼女は辛うじて目を開けました。
【砂の檻:中破した半身】
目の前に広がるのは、ひび割れたモニターと、火花を散らす無数のケーブル。機体は砂丘に深くめり込み、右腕のフレームは完全に歪み、脚部スラスターは爆発して沈黙していました。かつての精悍な姿は見る影もなく、実質的な中破状態となって砂の海に横たわっています。
「(あ……あ……っ)」
リンは震える指でハッチを開けようとしましたが、力が入りません。サードアイの片側は黒く潰れ、残された一方が力なく明滅していました、、
「……っ、ハァッ、ハァ……!!」
激しい過呼吸が、狭いコックピット内に響き渡ります。戦闘中に流れた鼻血は止まるどころか、顎を伝ってパイロットスーツを赤く染め続けていました。
酸素が足りない苦しさと、鼻を突く血の匂い。それが、彼女が必死に封じ込めてきた**「過去の嫌な思い出」**を鮮明に呼び覚まします。
冷たい実験室の硬い寝台、無機質な機械音、そして自分を「人間」ではなく「調整対象」としてしか見ない大人たちの視線。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!!」
リンの脳裏を支配するのは、自分の「力」によって引き裂かれたキラのストライクの姿でした。守りたかったはずの仲間を、自分が最も恐れていた「兵器としての本能」で傷つけてしまった。
「キラ君……ごめんなさい……。私が、私が壊した……」
自分が「強化人間」であるという事実は、もはや隠し通せる秘密ではなく、自分自身を蝕む毒となって彼女を責め立てます。キラに向けた刃の感触が、今も右手に残っている。その忌まわしさが、彼女の精神を粉々に打ち砕いていきました。
「私は……ここに、いちゃいけない……化け物、なんだから……」
止まらない鼻血を拭うことも忘れ、リンは熱を帯びたコンソールに顔を埋め、暗い砂漠の夜に向かって、届くはずのない謝罪の言葉を、何度も、何度も、途切れ途切れに吐き出し続けました。アークエンジェルは何とか北アフリカの砂漠に着艦したものの、その被害は甚大でした。しかし、クルーたちの心を最も重く沈ませていたのは、機体の損傷よりも、降下直前に起きた「信じがたい光景」でした。
ストライクのコックピットで、キラは「種」が切れた後の激しい脱力感と、肩を深く切り裂かれた機体の警告音に包まれていました。
「……リンさん……? どうして……」
キラの脳裏には、最後に視界をよぎったリンの機体――片目が黒く潰れ、もう一方が血のように赤く光る、あの異様な姿が焼き付いて離れません。自分を助けてくれたはずのリンが、なぜ自分を殺そうとしたのか。そして、なぜあんなに悲しそうな声で「逃げて」と叫びながら、重力の底へ消えていったのか。
「僕が……僕のせいで、リンさんは……」
シャトルを守れなかった無力感と、仲間だと思っていたリンから刃を向けられた衝撃。キラは震える手でコンソールを叩き、彼女が消えた砂漠の地平線を、ただ何も映らない瞳で見つめ続けていました。
「嘘だろ……リンがキラを襲ったなんて……何かの間違いだよな!?」
格納庫でストライクの惨状を目の当たりにしたトール・ケーニヒは、激しく狼狽していました。いつも一緒に食事をし、戦場を生き抜いてきた「頼れる仲間」のリン。その彼女が、アークエンジェルの守護神であるキラを傷つけ、行方不明になったという事実に、ミリィたちも言葉を失い、泣き崩れるしかありませんでした。
「あんなに一生懸命だったリンが、そんなことするはずないよ……」
トールの叫びは、砂漠の静寂に吸い込まれていきました。彼らにとってリンは、どんな時も一緒に笑ってくれる大切な友人だったのです。
ブリッジでは、マリュー・ラミアスが唇を噛み締め、行方不明となったリンの機体の捜索指示を出していました。しかし、副長のナタル・バジルールは、冷徹に現状を突きつけます。
「艦長、あのストライカーブラストの挙動は異常でした。あれは……意図的な攻撃と判断せざるを得ません」
「……わかっているわ、ナタル少尉。でも、彼女は私たちを守るために……!」
マリューは言い返しながらも、リンが時折見せていた、何かに怯えるような、そしてすべてを見透かしているような「不自然な瞳」を思い出していました。
その頃、中破したコックピットの中で、リンは止まらない鼻血を拭う気力もなく、激しい過呼吸の中でうわ言のように謝り続けていました。
「ごめんなさい、トール……ミリィ……。私は、皆の隣にいていい人間じゃなかった……」
過去の実験室の記憶が、砂漠の熱気と共に彼女を包み込みます。自分が「強化人間」という兵器であることを突きつけられた今、キラたちの優しさを思い出すことさえ、彼女にとっては耐え難い拷問となっていました。
「キラ君……殺して……お願いだから、私を……!!」
夜の砂漠に、血を吐くようなリンの叫びが響きます。しかし、それを聞く者は、今はもう、誰もいませんでした。「ハァッ……、ハァッ、ハァ……!!」
リン・ベルナルの過呼吸は、止まるどころか激しさを増していました。止まらない鼻血が顎を伝い、パイロットスーツの胸元をドロドロの赤に染め上げています。意識が混濁する中、彼女の脳裏には、砂漠の熱気よりも熱く、冷酷な「過去の記憶」が濁流となって流れ込んできました。
白く、無機質な実験室。拘束台に固定され、自由を奪われた幼い自分。
「神経接続、同調率を上げろ」
冷徹な声と共に、脳を直接焼かれるような激痛が走り、神経の一本一本を針で突き刺されるような感覚が全身を支配する。
「やめて……痛い、痛いよおぉ!!」
泣き叫んでも、大人たちはデータの数字しか見ていない。彼らにとってリンは、意志を持つ子供ではなく、性能を調整(アジャスト)すべき「部品」でしかなかった。薬物投与によって無理やり研ぎ澄まされた感覚。強制的に引き出される、死への恐怖をトリガーにした「未来視」。
「(……あの時と同じ。私の中には、自分じゃない誰かが植え付けた『怪物』が住んでいる……)」
キラを傷つけた時の右手の感触が、脳内の実験室の記憶と重なり合います。自分の意志に関わらず、人を殺すための道具として機体を操らされたあの瞬間。
「……ッ、げほっ……う、ぁ……!!」
こみ上げる激しい吐き気と、過去の忌まわしい記憶、そして血の匂いが混ざり合い、リンはついにコンソールを汚しながら激しく嘔吐しました。
胃の中にあるわずかなものと、苦い胆汁、そして鼻から逆流した血が混じり合い、足元に広がります。拭う気力もありません。ただ、汚物にまみれたまま、リンは嗚咽を漏らしました
「キラ君……みんな……汚い、私は……汚いよ……」
自分自身の肉体も、魂も、誰かに弄られ、歪められた。その「汚れ」を外に出そうとしても、出せるのは吐瀉物と涙だけ。
アークエンジェルのみんなが自分に向けてくれた笑顔。トールの陽気な声、マリューの温かい手。それらを思い出すたびに、自分が犯した「味方への牙」という大罪が、鋭い刃となって彼女の精神を切り刻みます。
「死なせて……お願いだから、もう……こんなの、嫌だよ……」
砂漠の静寂の中、中破した漆黒の機体は、ただ主(あるじ)の壊れた心と共に、静かに熱に焼かれ続けていました。リンは、汚れた手で自分の体を抱きしめながら、暗い闇の底でただ震えることしかできませんでした。