大激戦の末、満身創痍の状態でアークエンジェルの格納庫へと帰還したストライクガンダム。
コックピットハッチがプシューッと音を立てて開くと、そこには放心状態のまま、ボロボロになったパイロットスーツの袖を掴んで震えているキラの姿がありました。
「やったなキラ! あのすばしっこい黒い奴を仕留めるとは、大金星じゃねえか!」
「さすが最高機密のガンダムを動かせる奴は違うぜ! これで俺たちも少しは枕を高くして寝られる!」
真っ先に駆け寄ってきたチーフ整備士のコジロー・マードックや、興奮冷めやらぬ整備兵たちが、キラに向かって次々と賞賛の声を浴びせます。彼らに悪気はありません。自分たちの命を脅かしていた強力な敵ガンダムを撃破してくれたキラは、間違いなくアークエンジェルを救った「英雄」だったからです。
しかし、その言葉は、今のキラの心に鋭いナイフとなって突き刺さっていました。
(違うんだ……。僕は、あいつを殺したくて戦ったんじゃない……。アスランを、アスランの仲間を……)
キラはコックピットの縁で拳を血がにじむほど強く握りしめ、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、やりきれない表情で床を見つめることしかできませんでした。生き残るために引き金を引いた。だけど、その結果として、誰かの大切な存在を奪ってしまったという生々しい罪悪感が、彼の若い心を容赦なくすり潰していきます。
その様子を、少し離れた場所に停泊したストライカーブラストの足元から、リン・ベルナルは静かに見つめていました。
機体のデバイスには、まだあの不完全な、薄い紅い光がチカチカと不穏に点滅しています。自分の内に眠る「強化人間」としての冷酷な記憶とトラウマ。それと共鳴しかけた恐怖で、リン自身の足もまだ少し震えていました。
けれど、それ以上に、今にも壊れてしまいそうなキラの背中を、放っておくことなんてできませんでした。
「マードックさん、みんなも……少し、キラ君を一人にさせてあげて」
リンが静か、だけど強い口調で割って入ると、マードックたちはキラのただならぬ様子にようやく気づき、「……あ、ああ。すまねえな」と察したように、静かにその場を離れていきました。
静まり返った格納庫。
リンはゆっくりとストライクのキャットウォークを上り、キラのすぐ隣へと歩み寄りました。
「……キラ君」
リンが優しく名前を呼ぶと、キラはビクッと肩を揺らし、涙で濡れた瞳をゆっくりと向けました。
「リンさん……。僕、あいつを……。本当は、戦いたくなんてなかったのに。僕が……僕のせいで……っ」
「……うん。分かってる、分かってるよ、キラ君」
リンはキラの震える拳に、そっと自分の手を重ねました。
リンだって、あの瞬間、目の前でブリッツガンダムが爆発する未来を見て、間に合わなかった。その無力感に胸が引き裂かれそうでした。それに、自分自身の過去を思い知らされ、何が正しいのか分からなくなりそうでした。
「キラ君が今、そんなに苦しんでいるのは……君が、人の命の重さをちゃんと知っている、優しい人だからだよ」
リンは真っ直ぐに、キラの瞳を見つめました。
「皆を守るために戦うことは、すごく残酷なことかもしれない。でもね、キラ君が今日、必死に手を伸ばしてくれたから、アークエンジェルの皆は生きてる。……そして、私も、生きてここにいられるの」
薄い紅い光を灯したままの愛機を見上げ、リンは覚悟を決めたように言葉を続けます。
「だから、自分を責めないで。この『人殺しの道具』みたいなガンダムに乗って、同じ痛みを背負う人間が、ここにもいるんだから……。一人で全部を抱え込もうとしないで、キラ君」
リンの言葉は、ただの綺麗な慰めではありませんでした。自分自身も血塗られた過去を持つ「強化人間」かもしれないという恐怖を抱えながら、それでもキラの傷に寄り添おうとする、魂からの言葉でした。
キラは重ねられたリンの手の温もりを感じながら、堪えきれずにポロポロと大粒の涙を流し、格納庫の喧騒の中で、静かに泣き続けるのでした。そして広大な海上を移動していたアークエンジェル。しかし、復讐の念に燃えるザラ隊は、執念で再びその姿を捕捉していた。
「ニコルの仇ぃぃぃぃッ!!」
通信回線を狂気で震わせながら、海面を滑るように突入してきたのは、アスランのイージスガンダム。そして、左腕を失いながらも執念で戦線に復帰したイザークのデュエル、ディアッカのバスター。
親友を失った彼らの怨嗟は、激しい業火となってアークエンジェルへと牙を剥く。
「キラ君、アスランが来る……! アークエンジェルには近づけさせないで!」
「分かってる、リンさん……! これ以上、誰も殺させない!!」
ストライカーブラストのデバイスは、未だにあの不完全な、薄い紅い光を明滅させていました。強化人間としての忌まわしき記憶が脳の裏側を引っ掻き、機体が異常なまでの追従性でリンの神経と同調していく。それでも、アークエンジェルを、そして隣を飛ぶキラを守るため、リンは操縦桿を強く引き絞って海上へと飛び出しました。
ガギィィィィィンッ!!!
キラのエールストライクがアスランのイージスと激しく刃を交え、リンは残された改良型アーマーシュナイダーを構え、海面を蹴って肉薄するイザークのデュエルを必死に押し戻します。
しかし、復讐に燃えるザラ隊の猛攻は、個々の連携を越えた狂暴さを持っていました。
リンとキラが前線で必死に敵のガンダムを食い止めている、まさにその瞬間。
「墜ちろぉぉぉッ、足つきがぁぁぁ!!」
死角。リンたちがガンダムの相手に手一杯になっている隙を突き、ディアッカのバスターガンダムが、海上に浮かぶアークエンジェルへとその砲口を完全に固定していました。
超高インパルス長射程狙撃ライフルと対装甲散弾砲を連結させた、最大出力の連結バスターライフル。その凶悪なエネルギーが、激しい閃光と共に放たれたのです。
ズドォォォォォォォンッ!!!!
「キャアァァァッ!?」
「右舷ドックに直撃!! 浸水、制御不能ッ!!」
回避の間に合わなかったアークエンジェルの右舷水線付近に、凄まじいビーム攻撃が突き刺さりました。
海水が沸騰するほどの爆炎が上がり、巨大な白い船体が激しく傾ぎます。衝撃で上がった巨大な水柱が雨のように降り注ぐ中、悲鳴を上げるマリュー艦長たちの声が、通信を介してリンの耳に届きました。
「アークエンジェル……!!」
振り返ったリンの視界に映ったのは、激しく炎上し、黒煙をなびかせながら海上で立ち往生するアークエンジェルの姿でした。
「ハハハッ! ざまあみろ、まずはその船から血祭りにあげてやるぜ!!」
イザークの残酷な嘲笑が響きます。
仲間たちの危機。そして、目の前で再び「大切な場所」が壊されようとしている現実。
その瞬間、リンの頭の中でパチン、と何かが弾ける音がしました。
チカチカと頼りなく点滅していたストライカーブラストのデバイスが、激しい電子音と共に、今度は**【悍ましいほどの真っ赤な輝き】**へと一気に染まり変わっていく――。アークエンジェルが右舷から激しい火柱を上げ、海面へと傾いていく。逃げ場を失った白い船体に、再びあの緑のガンダム(バスター)の砲口が向けられようとしていた。
「もう二度と……誰にも、手出しはさせない!!」
その時、一筋の鋭い直線が戦場を切り裂きました。アークエンジェルのカタパルトから、トール・ケーニヒの駆るスカイグラスパーが、決死の覚悟で発進したのです。
トールは緑のガンダムの死角へと強引に飛び込み、ミサイルポッドを全弾発射して、敵の連携を激しく分断します。
「トール君ッ!?」
「リンさん、僕も……僕も守りたいんだ! この船を、みんなを!」
トールの命懸けの陽動により、イザークのデュエルは足止めを食らい、緑のガンダムの狙いがわずかに逸れました。その一瞬の隙を、リン・ベルナルは見逃しません。
「今よッ!!」
ストライカーブラストのデバイスから放たれる悍ましい紅い光が、機体の全出力を強制的にブーストさせます。リンの脳裏には、もはや強化人間としての忌まわしき過去も、恐怖もありませんでした。あるのは、仲間を守り抜くという強烈な意志のみ。
ストライカーブラストは海面を爆風で抉りながら、緑のガンダムへと一直線に肉薄します。
「なっ……なんだこの加速はッ!?」
緑のガンダムのパイロットが狼狽してライフルの射角を修正しようとしますが、リンはその砲身を真っ向から中型アーマーシュナイダーで弾き飛ばしました。
ズダァァンッ!!
弾かれた機体の姿勢が崩れます。リンは追撃の手を緩めません。
アーマーシュナイダーを突き出し、緑のガンダムのコックピットのすぐ脇、主砲の接続基部を正確に切り裂いたのです。
「ぐわぁぁッ! Savageが……っ!?」
激しい火花が散り、緑のガンダムは海上に浮かぶ残骸の中で、ついに全ての火器を沈黙させました。動力ユニットが完全に損傷し、機体の機能が完全に停止します。
リンはストライカーブラストの切っ先を、動かなくなったコックピットの装甲に突きつけたまま、荒い息を吐きながら全周波数の通信を入れました。
「もうやめて……! これ以上戦っても、誰も幸せにはなれないわ!!」
沈黙するコックピット。敵のパイロットは機体の制御を失った絶望の中で、回線を開きました。
……通信の向こうからは、怒号ではない、震えるような若い男の溜息が聞こえてきます。
「……チッ……嘘だろ……。こんな、化け物じみた機体に……。あぁ、わかったよ……降参だ。これ以上は、機体がもたねえ……」
男の投げやりな、しかしどこか諦念を含んだ言葉と共に、緑のガンダムのカメラアイが完全に消灯しました。
ついに、アークエンジェルを追い詰めていた強敵の一角が沈黙し、降伏の意思を示した瞬間でした。「アスラァァァァァッ!!」
「キラァァァァァッ!!!」
海面を激しく叩きつける爆風の中、残されたイージスガンダムが、キラのストライクへ向かって猛然と一騎打ちを敢行した。ニコルを殺された激しい怒りと憎悪に燃え、アスランは獣のような絶叫を通信回線に響かせる。
ビームサーベルが激しく火花を散らし、互いの装甲を削り合う、文字通りの死闘。
「キラ! 諦めるな、僕が――っ!!」
その時、ストライクの危機を救うため、トールのスカイグラスパーが再び決死の覚悟で突入していった。イージスの死角を突き、キラを援護しようと機首を向ける。
しかし、復讐の狂気に囚われたアスランの反応速度は、トールの予測を遥かに超えていた。
「――邪魔をするなぁぁぁッ!!!」
紅いイージスが、強引に機体を静止させ、その鋭い盾(シールド)を投擲しようと腕を振りかざす。その凶悪な軌道の先には、トールのスカイグラスパーがあった。
(だめ……っ! トール君、逃げてぇぇぇッ!!!)
リン・ベルナルの脳裏に、最悪のビジョンがフラッシュバックする。
ストライカーブラストのデバイスは悍ましい真っ赤な光を放ち、機体は海面を爆発的に引き裂きながら、トールのスカイグラスパーの前へと飛び込んだ。
間に合え、間に合え、間に合え……っ!!!
リンは機体の腕を伸ばし、トールの機体を突き飛ばそうとした。しかし――。
「あ……」
ドンッ……!!!
凄まじい衝撃が、ストライカーブラストを突き抜けた。
アスランの放った鋭利なシールドは、必死に割り込んだストライカーブラストの**【胸部の一部を、無残にも貫通】**していったのだ。
「リンさん……っ!?」
すぐ真横で、トールが息を呑む音が聞こえた。
ストライカーブラストの胸部装甲が砕け散り、その隙間から、赤い輝きを放つ内部フレームが火花を散らして剥き出しになる。信じられないほどの衝撃波が、すぐ後ろを飛んでいたスカイグラスパーをも襲った。
リンの決死の盾。それは、ストライカーブラストの胸部を深く貫いたものの、確かにシールドの直撃の軌道をズラした……はずだった。
だが、バラバラに砕け散りながら弾け飛んだシールドの残骸と、ストライカーブラストの胸部装甲の破片、そして激しい爆風の塊が、回避運動の限界を迎えていたスカイグラスパーのキャノピーを容赦なく直撃した。
パキィィィン……!!!
「う、あ……ッ!!」
通信の向こうで、トールの短い悲鳴が響く。
次の瞬間、コントロールを失ったスカイグラスパーは、リンとキラの目の前で、あまりにもあっけなく激しい爆炎に包まれた。
「トール……? トール君……っ!!」
リンの叫びは、虚しく黒煙の中に消えていく。
胸部を貫通され、赤い光を明滅させながらバランスを崩すストライカーブラストの中で、リンは引き裂かれるような絶望に襲われていた。
また、守れなかった。
トールを、みんなの大切な仲間を――トールは、戦空に散ってしまった。
「トォォォォォォォルッ!!!!!」「トールーーーーーッ!!!!!」
キラの、そしてアークエンジェルの仲間たちの、血を吐くような絶叫が、紅い海へと響き渡る。激しい爆風と、胸部を貫通された致命的なダメージによって、ストライカーブラストの機体制御は完全に失われた。
「あ……あぁ……っ!」
警報音が狂ったように鳴り響くコックピット。デバイスの悍ましい真っ赤な光が火花と共にパチパチと弾け、リンの意識を激しい衝撃が襲う。海面を猛烈な勢いでバウンドし、煙を吹きながら吹き飛ばされていく機体は、そのまま海岸線を越え、無人島の内陸へと凄まじい勢いで転がっていった。
ズズズズズズンッ……!!!
何本もの大木をなぎ倒し、土煙を巻き上げながら、ストライカーブラストは山の斜面へと激突する。山道付近の荒れ地へと叩きつけられ、ようやくその巨体は動きを止めた。
「う、ぅ……っ……」
コックピットの中で、リンは弱々しく呻き声を上げた。
頭部から流れた血が視界を赤く染めている。胸部を深く貫通されたストライカーブラストからは、不気味な駆動音と、ショートしたデバイスの鈍い光がまだ消えずに明滅していた。
トールが目の前で散ってしまった、あのあまりにも残酷な光景が脳裏に焼き付いて離れない。
「トール君……キラ君……みんな……」
動かない身体で、リンは血の滲む操縦桿をなんとか握り直そうとする。しかし、メインモニターはほとんどが砂嵐を映し出し、アークエンジェルとの通信回線も完全に途絶してしまっていた。
静まり返った山道に、ストライカーブラストのきしむ金属音だけが虚しく響く。
海上の戦場から遠く引き離されたこの孤絶した場所で、満身創痍のリン・ベルナルは、一人意識を失いかけていた。
山の斜面に激突し、煙を上げるストライカーブラストのコックピット。
頭部から流れる血の冷たさと、押し寄せる静寂の中で、リン・ベルナルの意識は深い闇の底へと急速に落ちかけていた。
(……ああ、このまま眠ってしまえば、もう誰も死ななくて済むのかな……)
諦めかけた、その瞬間だった。
ガチガチと、凍りつくような冷徹な記憶が、意識を失いかけたリンの脳を無理やり覚醒させた。
――『被験者12号、脳波同調率上昇。さらに負荷をかけろ』
――『痛みを忘れるな。お前はただの、兵器だ』
心臓が跳ね上がる。
白衣を着た大人たちの冷酷な視線、無理やり投与される薬物、冷たい手術台の上で拘束され、叫ぶことすら許されなかったあの地獄。人としての尊厳をすべて剥ぎ取られ、ただ「戦う人形」として調整を施されていた、**【強化人間】**としての本当の記憶。
過去に自分に施されたすべての非道な実験、奪われた自由、植え付けられた恐怖の全てが、鮮明なフラッシュバックとなって一気に脳内へ押し寄せる。
「はっ……、ぁ、が……っ!!」
激しい過呼吸が、リンの喉を締め付けた。
酸素がうまく吸えない。自分の意志とは関係なく、心臓が爆発しそうなほどの警鐘を鳴らす。
過去の悍ましいトラウマ。
そして、その恐怖に耐えかねて手を伸ばした先で、トールが、あんなにも優しかった仲間が、目の前で跡形もなく吹き飛んで散ってしまったという、あまりにも残酷な現実。
「嫌だ……、いやぁぁぁぁぁッ!!! トール君……っ!!」
過去の呪縛、そして今味わった最悪の絶望。
二つの巨大な感情の濁流が、リンの心の中で完全に決壊した。
その瞬間、リン・ベルナルという一人の少女の『悲鳴』に呼応するように、ストライカーブラストの最深部で眠っていた悪魔のシステムが、ついに完全な覚醒の産声を上げた。
ピキィィィィィン――!!!
不完全だった薄い光などではない。
キラが施してくれたパッチやリミッターのすべてを内側から焼き切り、粉々に粉砕して、デバイスのすべてが**【禍々しく、血のようにドス黒い、圧倒的な紅い光】**へと染まり変わる。
システム、NT-D。
それは強化人間としてのリンの憎悪と絶望を燃料にして、機体全体を闘争の権化へと変貌させていく。
「あ、ああ、あああああああァァァァァッ!!!!!」
過呼吸で狂いそうな呼吸の中、リンはただ、魂をかきむしるように絶叫した。
胸部を貫通されたはずのストライカーブラストが、デバイスの紅い光を激しく点滅させ、キチ・キチ・キチと不気味に駆動システムを再起動させていく。山道の闇の中で、その機体はまるで、復讐の血に飢えた獣のように紅く、紅く燃え上がっていた。
――激動の運命が、ついに暴走を始める。
戦場は、誰も引き返せない、本当の地獄へと変貌していった。