地響きのような砲撃音が、ベルリンの燃え盛る空を真っ黒な硝煙で染め上げていた。
地球連合軍が放った最悪の大量虐殺兵器、デストロイガンダム。その圧倒的な火力の前に、キラのフリーダムガンダム、そしてリンのナラティブガンダムB装備は防戦一方の苦戦を強いられていた。スティングのカオスやネオのウィンダムによる執拗な援護も加わり、戦況は最悪を極める。
そこへカガリのストライクルージュとオーブのムラサメ部隊が救援に駆けつけ、さらに現地のザフト軍を支援すべく、満身創痍のミネルバからシンのフォースインパルスガンダムが猛然と飛び出してきた。
「よくも……よくもこんなめちゃくちゃなことを……ッ! 止まれぇぇーーッ!!」
怒りに燃えるシンがデストロイへ斬り掛かろうとしたその時、漆黒のウィンダムが強引に割り込んでくる。ネオ・ロアノークだ。ネオは通信を繋ぐと、悲痛な叫びをシンに叩きつけた。
「そのデストロイに乗っているのは……ステラだ!!」
「え……?」
シンの思考が完全に凍りつく。自分が命懸けで逃がした、あの守るべき少女が中にいる。動揺したシンは、攻撃を完全に躊躇してしまった。
しかし、戦場は待ってくれない。シンを庇うように動いたネオのウィンダムへ、キラのフリーダムとリンのナラティブの鋭い連撃が容赦なく襲いかかる。フリーダムの精密射撃が主翼を射抜き、リンの有線式ドラグーンが逃げ場を塞ぐようにしてウィンダムを撃と落とした。
地上に激突し、コックピットから投げ出されるネオ。アークエンジェルのモニターに映し出されたその素顔を見て、マリューは「ムウ……!?」と愕然と立ち尽くす。
その瞬間、戦場に異様な『波長』が満ちた。
デストロイのコックピットから放たれる、ステラの異常なまでの恐怖、殺意、狂気の精神波。それがナラティブのサイコフレームと最悪の形で共鳴し、機体のシステムを強制的に書き換えていく。
『NT-D SYSTEM ACTIVATED』
「あ……ああ、あああああッ!!」
ナラティブのコックピットで、リンは突然頭を割られるような激痛に襲われ、絶叫した。
機体のフレームが生き物のようにスライドし、体内に眠っていたフルサイコフレームが剥き出しになっていく。禍々しい深紅の光を放ちながら変形していくナラティブ。
(殺せ……! 敵のサイコミュ機を……あの巨大な化け物を、完全に破壊しろ……!)
システムから直接脳へ流れ込んでくる、圧倒的な破壊衝動。リンの意識は一瞬、その狂気に呑まれそうになる。ツインアイが血のような赤に染まり、機体がデストロイへ向けて勝手に動き出そうとした。
「……くっ……、舐め……んじゃないわよ……ッ!!」
リンは血が出るほどに唇を噛み締め、狂暴なシステムの手綱を強引に引き剥がそうと、操縦桿を握る手に血流が止まるほどの力を込めた。
(私は……ロンド・ベルの、リンよ! 人形みたいにプログラムに踊らされて、あの子たちと同じ化け物になってたまるもんですかぁぁッ!!)
強靭な精神力と、強化人間としての意地。リンは脳を焼き焦がすような負荷に耐え抜き、ついに暴走するNT-Dの主導権を自分の意志でねじ伏せた。赤く染まっていたツインアイが、リンの意志を反映するように鋭い緑の輝きを取り戻す。
「システム制御、完了……! あんな化け物、これ以上野放しにはさせない……ここで破壊するッ!!」
完全に機体をコントロール下に置いたリンは、フルサイコフレームの圧倒的な追従性を引き出し、デストロイを仕留めるべく一気に加速した。
その異様な変貌を遂げた深紅のガンダムを見て、インパルスの中のシンは強烈な引っかかりを覚える。
(なんだ……? あのモビルスーツ、どこかで見たことがあるような……?)
かつてラボの暗がりでハッチの隙間から一瞬だけ見た、不気味に赤く光る脚部の記憶。だが、今のシンにはそれが誰の機体かを思い出す余裕などない。
「クソッ、今はそんなこと考えてる場合じゃねえ! ステラを……ステラを助けなきゃ!!」
ネオを撃墜され暴走するステラ。メガ粒子砲がキラのフリーダムを弾き飛ばす中、シンはインパルスをデストロイの懐へと滑り込ませ、死に物狂いで叫んだ。
「ステラ! 俺だ、シンだ! 分かるだろ、ステラ!!」
「しん……? しん……」
シンの魂の叫びがステラの狂気を引き剥がす。その手に握られた、貝殻の入った小瓶。デストロイの砲門の光が消え、機体が完全に停止した。シンの言葉に、ステラは心からの安らぎを覚え、深く息を吐き出す。
不条理な戦場に訪れた、奇跡のような静寂。
しかし、デストロイの裂けたコックピットの隙間から、ステラは見上げてしまった。
すぐ目の前まで迫っていた、全身を禍々しい深紅に発光させた異形の機体。NT-Dを制御し、冷徹にデストロイの急所へビームサーベルを突き立てようと迫る、ナラティブガンダムの姿を。
それは強化人間のステラにとって、最も恐ろしい『実験施設の記憶』、自分たちを縛り付ける『ガンダム』という存在の、究極の恐怖そのものだった。
「……ひっ……、あ……あああああッ!!」
安らぎは一瞬にして消し飛び、ステラの顔が恐怖で完全に引き攣る。
「ガンダム……! 赤い、ガンダム……! ステラを、殺しに来た……! こわい……こわいぃぃぃーーーッ!!」
「ステラ!?」
シンの悲鳴を置き去りに、ステラは再び恐怖の絶叫を上げながら全砲門を限界出力で立ち上げ、最悪の暴走を再開してしまうのだった――。「ガンダム……! 赤い、ガンダム……! ステラを、殺しに来た……! こわい……こわいぃぃぃーーーッ!!」
恐怖に狂ったステラの絶叫とともに、デストロイガンダムの巨体が再び不気味に脈動を始めた。全身の砲門が再び禍々しいエネルギーの光を放ち、周囲の空気を歪めていく。
「ステラ! やめろ、もうやめるんだ!!」
シンは半狂乱になってインパルスのレバーを押し込み、駆け寄ろうとした。だが、暴走するデストロイの銃口は、無慈悲にも目の前のインパルスへと向けられる。
「来ないでぇぇーッ!!」
ズドォォォンッ!!
容赦のない高出力ビームがインパルスを襲い、シンは防戦一方のまま弾き飛ばされた。
その隙を、リンは見逃さなかった。
NT-Dを力ずくで制御下に置いたリンの脳内には、デストロイが次に放つであろう攻撃の軌道、そしてこのまま暴走を許せばベルリンが、いや、自分たちが完全に消し飛ばされるという最悪の未来が克明に描かれていた。
(……やるしかない。これ以上、この化け物を暴れさせるわけにはいかない……っ!)
リンは奥歯を噛み締め、覚悟を決めた。
ナラティブガンダムの操縦桿を強く引き絞ると、機体の体内から溢れ出す深紅のサイコフレームの輝きが、さらにその光度を増していく。人間の精神波をダイレクトに反映するフルサイコフレームが、リンの「街を、みんなを守る」という強い意志に呼応し、機体の出力を限界以上に跳ね上げたのだ。
「これで……終わりにするッ!!」
深紅の残光を引きながら、ナラティブはデストロイの懐へと超高速で肉薄した。構えるのは、最大出力で高熱の光刃を形成するビームサーベル。狙うは、装甲が裂け、完全に剥き出しになっているデストロイのコックピット。
確実に息の根を止める。リンの手が、引き金にかかった。
――その、刹那だった。
ドクン、とリンの脳裏に、激しい衝撃波のような『光』が走った。
ニュータイプ能力の開花、あるいはサイコフレームがもたらした、時空をも超える刹那の未来予知――。
リンの脳裏に、激しい閃光とともに、一つのイメージが鮮烈に流れ込んできた。
ナラティブのビームサーベルがコックピットを貫き、その熱線の中で、金髪の、まだ幼い少女が悲鳴を上げながら焼き尽くされていく光景。その少女の胸には、小さな貝殻の小瓶が抱きしめられていた。
(――え……!?)
リンの思考が完全に凍りついた。
その少女の波長を知っている。かつて自分が地球連合のラボから逃げ出す時、一緒に地獄の底にいた、あの実験体の子供たち(あの子たち)と全く同じ、薬物と狂気に汚された、だけど本質は酷く怯えているだけの純粋な魂。
(ステラ……!? 嘘、あの中にいるのって、ステラ……、。……あの子なの……!?)
「っ、あぁぁぁぁーーーッ!!」
殺せない。あの子を、自分の手で殺すことだけは絶対にできない。
だが、ナラティブの突撃速度はすでに制動不可能な領域に達していた。ビームサーベルの先端は、まっすぐにコックピットへと向かっている。
リンは狂ったように操縦桿をへし折らんばかりに引き剥がし、サイコフレームの力を爆発させて強引に軌度を変えた。
「ズれてッ!! お願いだから、ズれてよぉぉぉーーーッ!!」
ガギィィィンッ!!!
間一髪、ナラティブのビームサーベルの矛先は、コックピットのわずか数センチ上――胸部高エネルギーレーザーの発射口のすぐ上の装甲へと、力任せに突き刺さった。
ドズゥゥゥッ!!!
高熱の刃がデストロイの胸部を深く貫く。だが、そこはエネルギーの通り道である駆動ブロックの集中地帯だった。
「――あ」
リンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
直撃こそ免れたものの、超高出力のビームサーベルが胸部の機関を焼き切ったことで、デストロイの内部で爆発的なエネルギーの逆流が始まったのだ。
「嫌……、嘘……! 壊すだけのつもりだったのに……!!」
リンの必死の回避行動も虚しく、デストロイの巨体は内部から激しい閃光を放ち、制御を失って後ろへと大きく傾いていく。
「ステラァァァーーーッ!!」
シンの絶望に満ちた絶叫が戦場に木霊する。
次の瞬間、デストロイガンダムは凄まじい大爆発を起こし、ベルリンの地へと激しく崩れ落ちた。大破した巨体から、黒煙と激しい炎が天を突くようにして立ち上る。
「……何で……何でこんなことに……っ!」
ナラティブのコックピットの中で、リンはガタガタと身体を震わせ、レバーを握る手を血が滲むほど強く握りしめた。助けようとした。殺さないように、軌道を変えたはずだった。なのに、自分の放った一撃が、結局はデストロイを大破させ、あの子を業火の底へと叩き落としてしまった。
あふれ出る後悔と、かつての自分と同じ境遇の少女を救えなかった絶望に苛まれながら、リンは燃え盛るデストロイの残骸を、ただ涙で見つめることしかできなかった――。「ステラァァァーーーッ!!」
大破し、激しい炎を上げて崩れ落ちていくデストロイガンダム。
インパルスのハッチが勢いよく開くと、シンは命綱もつけずにコックピットから飛び出し、まだ熱気の冷めない砂煙と黒煙の中を、がむしゃらに走り出した。
「ステラ! ステラ、どこだッ! 返事をしてくれ、ステラァッ!!」
崩れ落ちた巨大な装甲の隙間、炎に包まれるコックピットの残骸のなかに、シンはついにその小さな身体を見つけた。
「ステラッ!!」
シンは火傷も厭わずにステラを引っ張り出し、爆炎から遠ざけるようにして砂まみれの地面へ抱き起こした。
だが、その腕の中の身体は、驚くほどに軽くて、冷たかった。直撃こそ免れたものの、大破した機体の凄まじい衝撃とエネルギーの逆流は、すでに限界を迎えていたステラの小さな命の灯火を、容赦なく消し去ろうとしていた。
「嘘だろ……ステラ、目を開けてくれよ……! 俺だ、シンだ! 終わったんだよ、もう戦わなくていいんだ!!」
シンの涙が、ステラの煤み汚れた頬にポロポロと落ちる。
その温かさに触れて、ステラの長い睫毛がゆっくりと震え、うっすらと大きな瞳が開いた。
「しん……?」
「そう、シンだ! 分かるか、ステラ!」
ステラは弱々しく微笑んだ。その瞳からは、先ほどまでの恐怖も狂気も完全に消え失せ、ただただ穏やかな、いつもの無垢な光だけが宿っていた。
彼女は残された最後の力を振り絞るように、シンから貰った貝殻の小瓶をそっと胸に抱きしめ、シンの顔を見つめた。
「しん……ステラ、しんに、あえて……よかった……」
「ステラ……、喋っちゃダメだ! 今、お医者さんを……!」
「しん……すき……。ステラ……しん、すき……」
「っ……!」
「よかった……ね……」
満足したように、もう一度優しく微笑むと、ステラの瞳から静かに光が失われていった。
胸に抱えられた小瓶が、コトリと音を立てて砂の上にこぼれ落ちる。
「ステラ……? おい、ステラ……嘘だろ……?」
シンの呼びかけに、腕の中の少女が応えることはもう二度となかった。眠るように、あまりにも静かに、ステラは息絶えた。
「ああぁぁぁ……っ!! いやだ、いやだ、いやだァァァッ!!」
シンの絶叫が、ベルリンの燃え盛る空へと虚しく響き渡る。
また、守れなかった。自分の目の前で、大切な人が、大好きな少女が、理不尽に命を奪われた。あの時のマユと同じように、冷たくなっていくステラを抱きしめながら、シンは狂ったように泣き続けた。
だが、激しい絶望の底で、シンの心の中に、どす黒い別の感情が急速に鎌をもたげ始めた。
(……なんでだ……。ステラは、止まったはずだ……。俺の声を聞いて、ちゃんと、止まってくれたのに……!)
じゃあ、誰がステラを殺した?
誰が、あのタイミングで、あの子に致命傷を叩き込んだ!?
シンは涙に濡れた目を、ゆっくりと上空へと向けた。
そこには、爆炎の向こう側に滞空する、全身のフレームを禍々しい深紅に発光させた、あの異形の機体がいた。
ナラティブガンダム。
ステラをただの化け物として見做し、コックピットを、ステラの命を明確に狙って刃を突き立てた、あの残酷な赤きガンダム。
「お前だ……」
シンの瞳の奥で、何かが完全に壊れ、そして弾けた。
溢れていた涙がピタリと止まり、その両目には、これまでの人生のどれよりも深い、底無しの殺意と憎悪の炎が宿る。
「お前が……お前があの時、ステラを撃ったから……!!」
シンはナラティブガンダムを見つめたまま、歯がパキリと鳴るほどに奥歯を噛み締めた。
もう、言葉の通じる相手だとは思わない。地球連合軍も、オーブ軍も、そしてザフトの敵として戦場を引っかき回すあの赤いガンダムも、すべてがステラを死に追いやった仇だ。
(次に会った時は……絶対に殺す)
インパルスのコックピットへ戻るシンの足取りには、もう迷いも躊躇いもなかった。
(どんな言い訳も、綺麗事も聞かない。あの赤いガンダムのパイロットを引きずり出し、この手で、必ずステラの仇を討ってやる……ッ!!)
燃え盛るベルリンの地獄の中で、シンはナラティブガンダムを完全に「呪うべき宿敵」と定め、冷徹な復讐鬼へと変貌を遂げるのだった――。