アークエンジェルを接収しようとするユーラシア連邦の野心を嘲笑うかのように、要塞の鉄壁を誇る「アルテミスの傘」が内側から崩壊を始めます。
「……ミラージュコロイドだと!? 何が起きている!」
ガルシア司令の悲鳴が響く中、虚空から姿を現したのは、ザフトの黒きガンダム――ブリッツでした。その混乱に乗じて、アークエンジェルは脱出を試みますが、退路は無慈悲に塞がれます。
格納庫へ駆け戻ったリン・ベルナルの視界は、激しい過呼吸によって白く霞んでいました。
「(……っ、ハァ……ハァ……ッ!!)」
機体のハッチを開けようとした瞬間、忌まわしい記憶が奔流となって押し寄せます。
無機質な部屋。体に繋がれた不快な感触。自分という存在が「人間」ではなく、ただの「数値」や「兵器」として扱われていた、あの息苦しい日々。
膝が震え、その場に崩れ落ちそうになります。しかし、彼女は白く震える拳を、先ほど上層部に向けた時と同じように強く握りしめました。
「(……ダメ。ここで私が止まったら……キラ君や、マリューさんたちが……!)」
リンは自分の弱さを塗りつぶすように、無理やりコックピットへと体を押し込みました。溢れ出る涙を拭い、震える呼吸を必死に整えて、彼女は機体を起動させます。誰にも、その震えを悟られないように。
一足先に発進したキラ・ヤマトのストライクは、姿を消すブリッツの変幻自在な攻撃に苦戦を強いられていました。
「どこだ……どこから来るんだ!」
キラの叫びに呼応するように、何もない空間からブリッツのトリケロスが火を噴きます。ストライクはシールドで直撃を逸らしますが、衝撃で機体が大きく跳ね上がりました。
キラは即座に機体を翻し、ビームサーベルを抜き放ちます。目には見えない「気配」を察知し、闇を切り裂く一撃。光刃がブリッツの装甲をかすめ、火花が散った瞬間に、キラはスロットルを全開にしました。
「……そこだっ!!」
ストライクのアーマーシュナイダーが、姿を現しつつあるブリッツの右腕へ肉薄します。しかし、ブリッツもまた巧みな機動でそれを回避し、再び闇へと溶け込んでいきました。
「……さすがだね。でも、僕にだって譲れない理由があるんだ」
通信越しに響くニコルの穏やかな、けれど芯の強い声。その「僕」という一人称に込められた決意が、戦場をさらに冷たく研ぎ澄ませます。
「キラ君、下がって……! 私がやる!」
激しい動悸を抱えたまま、リンのストライカーブラストが戦場へ躍り出ました。彼女の脳裏には、かつての忌まわしい記憶がノイズとなって点滅していますが、それを「守るための意志」へと無理やり変換します。
「(消えたって……分かってる。そこに、いるんでしょう!?)」
リンの叫びと共に、ストライカーブラストの「サードアイ」が紅く不気味な光を放ちました。彼女が抱える「異常なまでの感応力」が、空間に漂う微かな熱源を、まるで実体があるかのように捉えます。
リンは短時間式ビームサーベルをあえて温存し、機体各部のバルカンを特定の空間へ向けて一斉に掃射しました。
「何っ!? なぜ僕の位置が分かるんだ!」
ニコルの驚愕の声が漏れます。弾丸がブリッツのステルス機能を強制的に解除させ、その漆黒の機体が白日の下に晒されました。
「今だよ、キラ君!!」
リンの必死の声が、キラのストライクへと繋がります。過去の痛みを抱え、呼吸を乱しながらも、仲間を守るために立ち上がった少女の意志。その震える拳が、暗黒の要塞アルテミスに一筋の希望を刻もうとしていました。「逃がさんぞ、足つきの新型! その薄汚い黒を、俺が直々に沈めてやる!」
イザークの叫びと共に、デュエルガンダムが急速接近し、ビームサーベルの光刃を振り下ろしました。リン・ベルナルは過呼吸による眩暈に耐えながら、必死に操縦桿を握り込みます。
「(……っ、ハァ……動いて……お願い!)」
リンの手足は、恐怖とトラウマによる震えで思うように動きません。彼女は咄嗟に格闘用ナイフ、アーマーシュナイダーを抜き放ち、迫りくるデュエルへと突き出しました。しかし、震える指先では狙いが定まらず、刃は虚しく宇宙を切り裂くだけに終わります。
「ハッ、素人同然の動きだな! 終わりだ!」
イザークが勝利を確信し、デュエルのサーベルがストライカーブラストのコックピットを貫こうとした、その刹那でした。
リンの脳裏を、走馬灯のような静寂が駆け抜けました。
音も色も消えた世界で、彼女は「未来」を見ました。数秒後に振り下ろされるサーベルの軌道、デュエルのスラスターが放つ微かな火花の方向、そして死の予感。
「(……そこっ!)」
直感に突き動かされるように、リンは震える足でペダルを蹴り込みました。ストライカーブラストは物理法則を無視したような鋭い挙動でデュエルの攻撃を紙一重で回避。紅く発光するサードアイが、イージスやブリッツの時よりもさらに激しく明滅します。
回避の勢いのまま、リンは機体の姿勢を反転させました。
「何っ、避けた……だと!?」
驚愕に目を見開くイザークの視界で、漆黒の機体の脚部が巨大な塊となって迫ります。ストライカーブラストの強力なスラスターが火を噴き、その一蹴りがデュエルの胸部装甲へ重く叩き込まれました。
衝撃波が空間を震わせ、デュエルガンダムは木の葉のように吹き飛ばされます。イザークは制御を失い、背後に漂っていた巨大な要塞のデブリへと背中から激突しました。
「貴様ぁぁぁ!! この俺を……っ!!」
デブリに叩きつけられた衝撃でデュエルの機体各部から火花が散り、通信越しにイザークの屈辱に満ちた叫びが響き渡ります。
「……ハァ……ハァ……守れた……?」
リンは自分の成し遂げたことに呆然としながらも、再び襲ってきた過呼吸に胸を押さえました。彼女が今見せたのは、かつて実験室で「期待」されていた、人間を超越した感応能力の片鱗でした。
「リンさん! すごい……今の動き……」
キラが驚きを隠せない声で通信を入れてきます。しかし、リンはその言葉に答える余裕もなく、ただ震える手で機体のバランスを保つのが精一杯でした。漆黒の機体は、主人の苦しみを知ってか知らずか、静かに次の標的を見据えるように紅い瞳を輝かせ続けていました。