オンゲのフレンドがリアルのセフレになりまして ~フレンドなんだからリアルでもボクと一緒に楽しいことしよ!~ 作:真喜屋五木路
「……はぁ」
重苦しいため息が虚空に吸い込まれる。
翌朝、徹は目を覚ましてからベッドに仰向けになったまま、身じろぎもせず虚ろな瞳で天井を眺めていた。
いや、正確には目を覚ましてからというより、昨夜から寝てすらいないのかもしれない。
記憶は曖昧で、時間の流れは濁った沼のように淀んでいる。
どことなくふわふわと体が漂うように不安定で、まるで今が現実でないような感覚。
けれど同時に重たい泥が体に纏わりつき、胸中にはタールのような黒い感情がゆっくりと渦を巻いている。
何をする気にもならず、ただただ頭の中では同じことばかりが繰り返されていた。
(やっぱりアレって歩の彼氏、なんだろうな……)
昨日の男の姿が脳内にフラッシュバックし、その特徴がかつて歩が嘘だと言っていたはずの大学生の彼氏と重なることに気付く。
(ただの男友達……ってのは楽観的過ぎるよな。年齢が離れすぎだし、そもそもあの距離感は……)
男が苦手だと言っていたはずなのに、彼の隣にいた歩はまるで自分と一緒に家で過ごす時のようなリラックスした雰囲気だった。浅からぬ関係なのは明らかだ。
(だとすれば、いつから……?)
少なくとも、歩の初めての相手は自分だったのは間違いない。
彼氏がいるのにわざわざ処女を他の男に捧げるようなことはしないだろう。
ならば付き合い始めたのはその後のはずだ。
(もしかして告白させてもらえなかったのって、もう彼氏がいたからなのか?)
男女関係が苦手だから断ったのではなく、既に彼氏がいるからあの時断られたのではないか。
いやそれとも、もっと最近のことなのだろうか。
例えば学校でも自分の好きなことについて話せるようになって自信がついたから……?
そう思い至った瞬間、徹は息苦しさに胸を押さえた。
「……もしそうなら。それで歩に彼氏ができたんなら、手伝ったりなんかしなければ――ははははッ!」
思わず自分の口から漏れかけた言葉に、徹は自棄になったかのように笑い声を張り上げる。
(最低だ……最悪すぎる……友達だから手伝ったつもりで、本当は自己満足のためだったってことかよ……!)
歩の笑顔が見られればいいなんて善人ぶっておきながら、彼氏ができた途端に手の平を返すなど、あまりにも醜悪すぎる。
こんなの友達失格で――
「――そう、だよな。俺はあくまで歩の友達でしかないんだよな……」
改めて口にした事実に、指先から凍り付くように全身が冷たくなっていく。
確かにセックスはするけれど、それは恋人だからではなくセフレだからにすぎない。
なのに自分はいつの間にか思い上がって、歩にとって一番の、唯一の存在だと思い込んで。いつかは受け入れてくれると夢想して――勝手に傷ついて。
「はは、は……」
自分の愚かさに乾いた笑いがこみあげてきた時だった。
ピンポーン――チャイムの無機質な機械音が部屋に響いて、徹は跳ね起きた。
「っ……!」
こんな早朝に我が家を訪れる人間など、一人しか心当たりがなかった。
心臓が狂ったように激しく脈動し、過剰に送り出された血流に頭がズキズキと痛む。
悲しいのか嬉しいのか、苦しいのか楽しいのか、自分が抱いている感情が何なのか分からない。
けれどただ一目彼女の姿を見たくて、徹はふらふらと階段をよろめきながらも降りていく。
(そうだ、きっと俺の勘違いだ。勝手に不安になってるだけで。多分あの男は親戚か何かで。だから、ちゃんと歩に聞けば答えてくれるはず――)
俄に湧き上がった希望に徹はドアホンの応答ボタンを押して――画面が映った瞬間、全ての感情が深い絶望に塗り潰された。
画面の向こうの彼女は、昨日着ていたのに似た白のワンピースに髪をハーフアップに編み込んだ、あの清楚そうな出で立ちで。歩自身の好きを誰かの色が上書きしているようにしか見えなかった。
もう自分が知っている彼女はいないのだということを見せつけられたような心地に、徹は力なく拳をドアホンの横に打ち付ける。
「あ、トール! やっほ」
だが、そんな姿など見えない歩はいつものように、楽しそうな笑みを浮かべて画面越しに呼びかけてくる。
そのあまりの変わらなさに、徹の感情はさらにぐちゃぐちゃに引き裂かれ、かき混ぜられた。
「……なんだよ、歩」
なんとか絞り出した声は、酷く平板で無感情なものだった。
機械越しにもその異様さは伝わったのか、歩が驚きに目を見開く。
「え、な、何って、昨日メッセージ送ったと思うんだけど……今日遊びに行ってもいいかなって。その……確かに返事はなかったけど」
あまりにも当たり前のようにそう言う歩に、徹はギリリと歯を噛みしめた。
(なんで……なんで、彼氏がいるのに男の家に平然と遊びに来ようとしてるんだよ……!)
それがどういう誤解を生みかねないか、分かっていないのだろうか。
いや、今まで男女関係を避けてきたらしい歩のことだ。もしかしたらそれがまずいことである、という感覚すらないのかもしれない。
(なら、そんなことすればどうなるのか体に教え込んで――ッ、いや……)
一瞬、暴力的な衝動が炎のように湧き上がり、だがすぐにそれ以上の冷静さが冷や水のようにぶっかけられた。
(そんなの、本当のレイプじゃねぇか……)
自分の浅ましさに徹は声のない笑いをあげる。一時の衝動で歩を傷つけたくはなかった。
そうだ、例え自分の隣にいなくとも歩に泣いて欲しくはない。幸せでいて欲しい。
まだそう思えていることに徹は僅かに口角を持ち上げる。
自分は歩の特別ではなくても、友達ではあるのだからと。
「……悪い歩、メッセージ確認できてなかった」
「あ、そ、そうだったんだ! じゃあごめんね突然押しかけて、もしかして都合悪かった?」
「まあ……そんな感じだ。だからせっかく来てもらって悪いけど、帰ってくれ」
「そっ……か、分かった。ごめんね今週末は色々振りまわしちゃって。じゃあまた学校でね」
「……ああ、じゃあな」
心配そうに何度もドアホンを振り返る歩の姿が消えたところで、徹は溜め込んでいた蟠りを大きく吐き出して、
「クソっ……!」
やり場のない感情を拳に籠めて壁に叩きつける。
拳にじんじんとした衝撃が加わるが、それが痛いのかどうかは分からなかった。
歩には幸せでいて欲しい。
だけど本当は、自分の側で幸せでいて欲しいという気持ちは、どうやっても誤魔化せなかった。
――けれど、それが叶わないならせめて。
「……明日から。明日からはちゃんと歩の『友達』に戻らないとな……』
自分に言い聞かせるような言葉はだが、薄暗い部屋の中に虚しく吸い込まれていった。