喫茶店の一角には形容しがたい雰囲気が漂っていた。
程々の年月を生きてきたが、値踏みと委縮と敵意を同時に向けられた経験はなかった。
なにより芸能事務所が探査員に何の用があるかなど、完全に俺の想像の外だった。
俺は通りすがりのウェイトレスにコーヒーを頼んだ。
寺垣が俺の背後に立ったままの綾瀬に声をかけた。
「綾瀬さん、ご苦労様。もう結構よ。部外者は外して頂戴」
綾瀬は縋るような声を出した。
「待ってくれ。私にも話を聞く権利くらいあるはずだ」
寺垣は少し考えてから口にした。
「まあ、いいでしょう。そのかわり話の邪魔だけはしないようにして」
寺垣の声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいるように聞こえた。
綾瀬が動く気配がしたので目で追うと、少し離れた壁際に飾られている観葉植物の隣に立った。
美桜と呼ばれていた少女がその姿を目で追っていたが、その表情にはどこか後ろめたさが混じっているように見えた。
「では早速本題に入りましょう。静間さん……でしたね。貴方は探査員で間違いないですね」
間違いだ、と言ったら帰っても構わないか──思わず口をついて出かけた言葉を飲み込んで、曖昧に頷いた。
「静間さんは、現代の芸能界についてご存じですか?」
知っているはずもない、というような顔だった。
事実なので俺は黙っていた。
「昨今のご時勢、普通にアイドルを売り出しても成功するのは難しいんです」
寺垣の口調は、出来の悪い生徒に基礎を教える教師のようだった。
「歌、ダンス、容姿。そんなものは、今や一定以上あって当たり前です。毎月何十という新人が出てきては、そのまま消えていく」
そこまで喋ると含みのある視線をこちらに向けた。
「だから今は、“話題性”が必要なんですよ」
寺垣は言葉を切ると、隣に座る二人へ視線を向けた。
「この娘たちは、うちの事務所のアイドル候補生です。ほら、二人とも静間さんに自己紹介を」
美桜と呼ばれていた、制服姿の少女がこちらに頭を下げた。
「
どうやらこの少女が綾瀬の娘らしい。
壁際の綾瀬に目を向けたが、この位置からは表情を確認できなかった。
美桜は頭を上げると、膝の上で揃えた指先を落ち着かなさげに握り直した。
もう一人の少女は無視を決め込むつもりのようだった。
寺垣が再度促すとあさっての方向に顔を向けたまま、渋々口を開いた。
「……
美桜が軽く咎めるような視線を送ったが、凪は気にしていないようだった。
ウェイトレスが俺のコーヒーを運んできた。
一口飲んだが、なんの変哲もないアメリカンだった。
「この二人は、アイドルユニットとしてのデビューを予定しています」
寺垣はこちらへの話を再開した。
「ですが申し上げた通り、今の時代は普通に売り出した程度では埋もれる。歌える人間も、踊れる人間も、顔の良い人間も、それこそ掃いて捨てるほどいるんです」
先程から酷く嫌な予感がしていた。
大抵の理性ある者が避ける道を、堂々と踏み越える人間が、この世には一定数存在する。
「で、話題作りか。彼女たちに募金活動でもさせるつもりか」
寺垣は、ここにはいない重役連中にプレゼンでもしているかのような勿体を付けた口調で言った。
「この二人には外界に行ってもらいます」
俺は黙って薄いコーヒーを口に運んだ。
目の前の女へ声を荒げるのを我慢するにはそれくらいしかなかった。
「静間さんも、外界の話題が連日のようにメディアで流れているのはご存じでしょう?今のこの国において、話題性というならこれ以上はありません」
お分かり頂けたでしょうか、と寺垣は得意気につけ足した。
「彼女たちの被る危険について、お宅がどの程度真剣に考えているかは置いておく」
俺は音を立てないようにカップをテーブルに戻した。
「だが今時、回収員を務めたくらいでは大して話題にならないだろう」
日常を過ごしているだけでも、回収員の体験談とやらはそこかしこで見かけた。
ただ、回収員になる事自体には特に資格が必要な訳ではない。己の死を許容できれば誰でも外界に入れた。
世間の興味はあくまで外界にあって、回収員個人に向けられている訳ではなかった。
「もちろん、私達もそれで十分とは考えておりません」
そこで寺垣はわざとらしく間を置いた。
ご自慢の企画のお披露目会は、まだ終わっていないらしい。
「ですから今回、二人には本来のルートを外れて行動してもらいます」
美桜の肩が小さく震えた。
対照的に、凪は挑むような目をこちらに向けた。
「未踏のエリアに踏み入り、独自に資源を発見し、持ち帰る。探査員の試験は合格率一割未満──そんな選ばれた人間達と同等の成果を、現役女子高校生アイドルユニットが挙げたとなれば」
寺垣は芝居がかった仕草で両手を広げた。
「間違いなく、世間は飛びつきます」
◆◆◆
しばらく沈黙だけがテーブルの上に漂っていた。
寺垣は最初、取っておきのニュースに相手が驚くのを期待するような顔をこちらに向けていたが、俺が反応しないので拍子抜けしたようだった。
「いくつか確認したい」
「答えられる範囲ならお答えします。ただ、この企画の件も含めて他言無用でお願いします。他事務所に真似されないとも限りませんから」
そんな間抜けは世界にお宅らだけだ──と口に出しかけたが、そうも言いきれなかった。
芸能界隈については門外漢というのもあるが、世間には他人の真似をするだけの生き方をしている人間が想像以上に多かった。
「知っているだろうが、外界では機械の類は使えない。資源を回収すると言っていたが、写真も撮らずにどう証明する気だ」
「そこはもちろん考えています。回収された資源について、どの企業も権利を持っていない場合は、まず国が預かる事になっているそうですね。その際に資源回収の証明書が発行されるとか」
思わず出かけた舌打ちを堪えた。その制度を一番知っているのは俺自身だった。
「もちろん映像と比べるとインパクトには欠けますが、逆に言えば成果を国家が保証してるようなものです。ヤラセだのと疑われる可能性も低いでしょう。……何より、その取得は今回の条件でもありますので」
最後の言葉は独り言のように聞こえた。
「次に聞きたい。外界探査員の死亡率を知っているか」
「年間二割と聞いています。確かに危険な数字ですが、それは探査員の皆さんが年間通して活動された結果でしょう。一度行って帰ってくるだけならリスクは許容範囲と判断しました」
この女の言うリスクとは、他人の命を指して言うらしい。
「お宅の言う一割未満の試験合格者達が三人揃って年間二割だ。そんな場所に女子高生二人を放り込んで無事で済むと思っているなら、正気の沙汰じゃない」
「見解の相違ですね」寺垣は歯牙にもかけなかった。
話の流れから、俺に何をさせようとしているのかは薄々分かっていた。
「最後に。俺を呼んだ理由は何だ」
寺垣はやっと本題に入れるとばかりにため息をついた。
「あそこにいる綾瀬から聞いた話では、静間さんは優秀な探査員らしいですね。単独での行動を取ることもあるとか。であれば今回の企画にはうってつけです。この二人の外界探査を現地で補助して頂きたい」
「お断りだ」俺は短く答えた。
寺垣は俺の言葉が飲み込めていないようだった。
「……なぜでしょうか。もちろん報酬なら──」
「報酬の話ではない。訓練もしていない、しかもまだ子供の女を二人も連れて、外界での無事など約束出来ないからだ。出来ないことは引き受けられない」
「そんな──」と口を出しかけた美桜を、別の言葉が遮った。
「だから最初から言ってるでしょ。こんなおっさんなんか頼る必要ないって」
「凪、そんな言い方──」
「だいたいそんな場所に男と一緒に行くなんて絶対に嫌。このおっさんが引き受けてたら私が反対してたから」
「ちょっと、あなた達は黙ってて!」
寺垣の声に二人はとりあえず口を噤んだ。
「静間さん、お考え直し頂けませんか」
寺垣は態度を一変させていた。その目には美桜と名乗る少女に似た切羽詰まった何かが浮かんでいた。
「結論は変わらない。話は終わりでいいか」
俺は財布から品のない顔の実業家が描かれた紙幣を取り出してテーブルに置き、席を立った。
入口に向かって数歩進んだところで振り返るとこう言った。
「例え全て上手く運んだとしても、本来資格者以外は立ち入れない未探査区域に、故意に入った事実は残る。非難の声は必ず出てくる。場合によっては称賛の声より大きいかも知れない。それを分かっているのか」
寺垣の声音が初めて荒れた。
「そんな事は言われなくてもわかってます!例え炎上だろうが無名よりはよっぽどマシでしょう!例え貴方に断られようが、我々は絶対にこの企画を実現します」
「お宅らのような人間が口にする"絶対"が通用するかどうか、自分で外界で確認しに行ってみたらどうだ」
寺垣は答えなかった。
綾瀬美桜は俯いて両手を膝の上で握りしめていた。
鳴海凪はそんな美桜を見つめていた。
美桜の父親は落胆と安堵が混ざったような複雑な顔をしていた。
それら全てに背を向けて、俺は喫茶店のドアを出た。
◆◆◆
俺は店を出るとフェアレディの運転席に腰を落ち着けた。
車を出さず、そのままの姿勢で待つことにした。
ここからはあの喫茶店の入口がよく見えた。
十五分程経った時、寺垣とアイドル候補生二人が店を出てきた。姿勢を低くしたが、三人は俺の車とは逆方向に歩いていった。
更に五分程待つと、綾瀬が店を出てきた。
車の近くに通りかかった時、クラクションを一回鳴らすと、俺に気づいたようだった。
俺はフロントガラス越しに見えるよう、助手席を指差した。
綾瀬は頷いて車の前を周ると、ドアを開けて助手席に乗り込んだ。
車を走らせ始めてから二分間、俺たちはどちらも口を開かなかった。
赤信号で止まった時、綾瀬が口を開いた。
「静間さん、今日は手間をお掛けして申し訳ない」
「それは構わない。が、お宅の知っている事情は聞かせて貰いたい」
綾瀬は考えているようだった。
信号が青に変わる。 車が三つ目の交差点を抜けた辺りで、綾瀬は口を開いた。
「分かりました。静間さんには、事情を全てお話ししましょう」
◆◆◆
私はもともとアルテミスで働いてました。事務所は新興で同族経営ですので、自分で言うのも何ですが経営の実務については、実質私が取り仕切っていました。
ええ、美桜は私の娘です。幼い頃から私の仕事を見ていたからか、本人もアイドルになるという夢を持ってくれていたようです。
親の贔屓目も有りますが、器量が良く運動神経も悪くは無いので、中学生の時に事務所に入れました。
いえ、私は娘に応募の許可を出しただけです。
ちゃんと私以外の人間が面接を行なって合格しましたとも。まあ、多少の忖度はあったかも知れませんが。
何年かレッスンを進め、鳴海凪とユニットを組んで売り出そうとした時でした。
静間さんも裏接待という言葉はご存知でしょう。
彼女たちのデビュー後にスポンサーとなるはずの大手企業の担当者から、それとなく打診がありました。
当然断りましたよ。どこの世界に大切な娘の貞操を差し出す親がいるものですか。
ですが、その代償は大きいものでした。
スポンサーの話は白紙になり、デビューに際してのプロモーション費用も、その企業からの出資に頼っていた為、あの二人はデビューを諦めざるを得ませんでした。
それどころか、その企業は今後アルテミスのタレントは採用しないとまで言って来たのです。
弱小事務所が歯向かってきた事が、よほど腹に据え兼ねたのでしょうね。
責任問題となり、私は事務所を追われました。
それどころか事務所に損害を与えたと訴訟まで起こされています。
まだ係争中ですが、裁判というものはお金がかかるものですね。あっという間に蓄えを食い潰し、少しでも稼ぐために回収員に志願しました。
お金が必要な理由はもう一つありました。
美桜のレッスン費用です。
娘はまだアイドルになる夢を諦めませんでした。
いえ、それどころか必ずならなければならないという、ある種の強迫観念を持ってしまったようです。
私が馘首になった経緯は、隠し通そうとしても隠しきれるものではありませんでした。何しろ美桜自身が渦中の本人ですからね。
美桜は泣きました。
私は娘を守った親であると同時に、娘のアイドルとしてのデビューを潰した張本人でもあります。
娘も気持ちの整理がつかなかったのでしょう。
美桜が、アイドルになるという夢に逆に囚われてしまったのはそのせいかも知れません。
自分がアイドルになりさえすれば、私の立場も元に戻ると思い込んでいたようです。
静間さん。
外界に行って話題作りをするというアイディア、寺垣のものだと思ってますよね。
違うんです。
あれは、
アルテミスが廃業の窮地に陥っていた寺垣は、娘の出した考えに縋ってしまいました。
彼女はもともと私の部下です。事務所が傾く原因となった私に、よい感情を向けていないのは先程の会話でお分かりでしょう。
昔から生真面目なところがありましたが、私がいなくなり経営状況も厳しく、だいぶ心をやられているようです。
だからと言って、彼女のやろうとしていることは肯定される訳ではありません。
しかし、それも元はといえば美桜の考えなのです。
もちろん私は美桜を止めようとしました。
死の危険を冒してまで、アイドルになる必要なんてないと。
娘は気を使って隠していますが、この企画が実現したらアルテミスは私に対する訴訟を取り下げると言っているようです。
美桜が死地に赴く理由は、私の為でもあったのです。
娘と話し合っている最中の事でした。
焦った事務所の経営陣が、寺垣を通して別の企業にこの企画を持ちかけたようです。
資源回収証明書の獲得を条件に、達成した場合はデビューに関わる費用の負担を約束させることまでしてしまいました。
企業としては弱小事務所のアイドル程度、炎上だろうが話題になればそれで充分なのでしょう。
悪い事に契約には条件が付いていました。 期間内に履行できなければ、巨額の違約金が発生します。
外界行きを拒否すれば、アルテミスは当然立ち行かなくなるでしょうし、同時に美桜のアイドルとしての将来も絶たれるでしょう。過去にそんな企画に関わった人間を、アイドルとして育てようなんて人間はいる訳ありませんからね。
ですが、外界に行けば娘は生きて帰れないでしょう。
もし、奇跡が起きて資源を無事に持ち帰ったとしても、その時は静間さんが仰った通り、炎上アイドルの誕生です。娘が大勢の人間から非難されるだろう未来しか残っていません。
美桜は、全部自分が言い出した事だからと。 どんな結末になっても受け入れるつもりでいるようです。
静間さん。
貴方にお声がけした時の言葉は本当です。
いま、確かに娘の命が掛かっているのです。
しかし、私は。
もう、どうしたらいいのかが、分からないのです。
◆◆◆
綾瀬の独白のような話が終わった時、俺たちは拠点の駐車場で停まった車の中にいた。
あの喫茶店で語られた言葉の裏にあった事情は殆ど理解できた。
同時に、すでに手の施しようのない状況であることも理解できた。
まさしく八方塞がりと言う他なかった。
「一つ聞きたい。あの鳴海凪という娘はどう考えているんだ」
「私にもわかりません」綾瀬は答えた。
「鳴海は中学生の時に美桜と親交が始まりました。美桜が事務所に応募した際に、一緒についてきた形となります。今の状況をどう考えているかまでは……少なくともユニット脱退を自分から申し出てはいない、と言うことくらいしか」
「娘の友人で、お宅が事務所にいた時は指導もしていたんだろう。それでも分からないのか」
「ええ、彼女は容易に本心を話すタイプではありませんし、なによりどうも男性を嫌悪しているきらいがあります。それでも私は美桜の父という事もあり、多少は話を聞いてくれていたのですが、裏接待の件があってからはどんな男性にも心を開こうとしません」
彼女の考えだけは不明だったが、それを知ったところでどうにもならなかった。
いずれにせよ、俺にできることなど何もなかった。
隣で俯いたままの綾瀬は、拠点で俺に声をかけた時どうなる事を期待していたのかを考えた。
おそらく、本人にもわかってはいないのだろう。
しばらくして、綾瀬は車のドアを開けた。
「静間さん、本日はご迷惑をお掛けしました」
綾瀬が頭を下げ、ドアを閉める前に俺は口を開いた。
「俺の連絡先を教えておく」
綾瀬はドアに手を掛けたまま止まっていた。
「お宅の娘を外界に連れていくことはできない。だが、俺が可能だと判断した範囲で相談に乗るくらいは構わない」
俺は携帯を取り出すと、自分の番号が表示された画面を綾瀬に向けた。
「もっとも、これから俺は探査に入る。外界にいる間は返事ができないがな」
「構いません。……静間さん、ありがとうございます」
綾瀬の背中が遠ざかり、拠点の入り口に消えるまでの間。
俺は運転席に座ったまま、娘を守って娘の夢を壊した父親と、父親を救うために自分の命を捨てようとする娘について考えていた。
互いが互いの事を想いあっていても、却って深刻な結果を招くことがある。
例えそれを理不尽と嘆こうが、神ならぬ我が身ではどうすることもできなかった。