空は一面の赤い雲に覆われていた。
あれが本当に雲かどうかを確かめる術は、今の人類にはなかった。
約40kgの糧食を背負って外界に降り立った俺は、エリア217の方角へ歩き始めた。
外界の平野部は火星の地表を彷彿とさせる荒野が野放図に広がっている。
たまに群生している得体の知れない植物を除くと、周囲は石と砂と岩で構成されていた。
探査の前段階として、俺は目的地まで30キロ毎の地点に簡易拠点を造ることにした。
拠点といっても"比較的見通しが良く" "そこそこ安全そうで" "それなりに保管に向いている場所"という以上の意味はない。
扉から約30キロ進んだ場所を第一地点とし、まずはそこへ物資をひたすらに運搬する。
そこから更に30キロ進んだ地点──エリア217の約10キロ手前──が第二地点となる。
第一地点に貯めた物資を、次は第二地点に運んでいく。
探査期間の大半の時間は、探査の為の事前準備に費やすものというのが定石である。
兵站と補給の重要性を過剰に喧伝する自称軍事通たちの講釈はさて置くとしても、それらが無ければ探査がままならないのも事実だった。
獣の徘徊順路にかち合わないよう周囲に注意を払いながら歩き、おおよその距離を進んだ場所で候補地を探す。
お誂え向きの大岩が一つ鎮座していたので、目印がてらここを第一地点とすることにした。
設置した糧食に目立たないよう覆いをかけ、砂で隠す。扉に戻って再度運搬を続け、ようやく二往復し終わった頃には、既に三十時間が経過していた。
疲れを覚えたので一度拠点に戻り、休息を取ることにした。
扉を潜って拠点に戻り、使用申請済みの個室に入ると、まずはシャワーを浴びる。
全身に微かな倦怠感と鈍痛が残っていた。
第一地点への運搬完了まで、想定している日程は十五日程度。
この程度の作業で音を上げていては探査員は務まらないが、さりとて歓迎したい作業とは言い難かった。
濡れた髪をタオルで適当に拭いながら、部屋に備え付けの金庫から携帯を取り出すと、見慣れない宛先からメッセージの着信があった。
───
静間様。先日お会いした綾瀬美桜です。
相談したい事があります。
会って頂けるならいつでも構いません。
お返事をください。
───
俺はしばらく画面を眺めていた。
美桜が俺の連絡先を知っている理由は、父親経由と考えてほぼ間違いない。
問題は、彼女が俺に会って何を話すつもりなのか。
しばらく考えてから、女子高生が探査員を呼びつけて何を話すつもりなのか、など考えるだけ無駄だと気が付いた。
この件について、出来る範囲で相談に乗ってもいいと言ったのは俺だった。
その相談相手が父親だろうと娘だろうと、大して違いはないはずだ。
会っても構わないとメッセージを返すと、すぐに通知が届いた。
時間は今からすぐにでも。
指定された場所はこの前の喫茶店だった。
俺は休息を訴える身体を宥めすかして、個室を後にすることにした。
◆◆◆
料理を食わせるより、写真を撮らせる事が目的のようなその喫茶店は、相変わらず女性客だらけだった。
店内に入った俺は、女性専用車両に間違えて乗り込んだかのような居心地の悪さを感じていた。
しかも、今日はそれを分かち合う相手がいなかった。
奥のテーブルには、綾瀬美桜が一人で座っていた。
こちらが視線を向けると、美桜も気づいたように顔を上げた。
彼女の前にはドリンクの入ったグラスが置かれていた。
一体どういう飲物なのかは、大して若くもない男にとっては判別不能だった。
互いにぎこちなく挨拶を交わし、店員にコーヒーを注文すると俺は口を開いた。
「俺の連絡先をどうやって知った」
「お父さんの携帯をこっそり見ました」
父親には無断で俺に会いに来たらしい。
美桜の返答を最後に、テーブルの上を沈黙が横切った。
ウェイトレスがやってきて俺の前にコーヒーを置いて下がり、俺がカップを口に運んだところで、小さな声が聞こえた。
「ごめんなさい」
相変わらず薄いコーヒーだった。
全く味覚に集中できず、おかげで一回り以上離れた少女の申し訳なさそうな声が耳に入る羽目になった。
「……その、この前の事です。静間さんにとっては、いきなり呼び出されて訳の分からない話に巻き込まれたって感じですよね。なのに私は……あの場で何も言えませんでした」
美桜は目の前のよくわからない飲み物に手を伸ばしたが、口には運ばなかった。
きまりが悪そうに、グラスの表面を手のひらで撫でていた。
「これまでの事は、お父さんから聞いてますか?」
俺は黙って頷いた。
「……全部、私が悪いんです。お父さんは私のせいで仕事を失いました。悪い事なんて何もしていないのに、私を守ったせいで事務所を辞めさせられて、今は危険な仕事までしています。だから、なんとかしたかったんです。……お父さんが失ったものを、少しでも取り戻したかった」
父親がそうであるように、娘の方も罪悪感を持て余しているようだった。
「いえ、それだけじゃありません。私は……夢を、諦めきれませんでした」
独白に似た告解だった。だが赦しを与えるはずの聖職者は生憎ここにはいなかった。
「外界に行けば話題になるなんて、本当にどうかしてたと思います。本当は分かってたんです。こんな事して、まともにデビューなんて出来る訳ないって。私達がどれだけ危険なことをしようとしてるか、きっと大勢に嫌われるって事も、全部分かってました。……それでも、どうしても捨てられなかったんです。お父さんの人生を壊してまで残った夢だったからかもしれません。ここで諦めたら、わたしたちが失ったものまで全部無意味になる気がして……」
美桜の口調が冷たい熱を帯びた。
「もう止まれないんです。私が言い出して、事務所が動いて、企業まで巻き込んで。お父さんには話してませんけど、この企画を成功させたら事務所は訴訟を取り下げるって話まで出ています。だから、もう私一人が止めたいと言って済む問題じゃないんです。……わかってます。これが全部、私の自業自得だってことくらい」
俺は黙って話を聞いていた。
部外者の無責任な慰めなど、口にする気はなかった。
それともう一つ。
すでに事情を聴いているだろう俺に、わざわざ己の気持ちを説明する為だけに呼び出すはずがない。
本題は別にあると考えるのが自然だった。
俯いていた彼女が顔を上げて口を開きかけた時、後ろから大きな声が飛んできた。
「美桜!」
鳴海凪だった。
彼女は美桜の元まで駆け寄ると、その肩を掴んだ。
「凪……なんでわかったの」
「美桜、嘘が下手だから。抜け出す理由ならもう少し考えた方がいいよ」
美桜に話しかけている凪は、こちらに一瞥もくれなかった。
どうやら徹底的に俺をいないものとして扱うらしい。
「美桜、もう帰ろう。助けてくれる人なんてどうせいない。私たちでやるしかないよ」
凪の言葉に、美桜は小さく首を横に振った。
隣に立つペアの少女から目を離し、こちらに向き直った。
「静間さん。一緒に行って欲しいとは言いません。その代わり、私たちに外界で生き残る方法を教えてください」
そう言うと彼女は深く頭を下げた。
「ちょっと美桜──」
凪が眉を吊り上げかけたが、頭を上げた美桜は俺から視線を外さなかった。
「あの後、お父さんが静間さんは信頼できる人だって言ってました。本当は私なんかがお願いできる立場じゃないのは分かってます。それでも──」
そこまで言うと、美桜は凪に顔を向けた。
「お願い。私は凪も死なせたくないの。自分に出来ることがあるなら全部やっておきたい」
凪はしばらく考え込んでいたようだが、やがて大きなため息をついた。
「……わかった」短く答えると、それ以上何も言わなかった。
四つの大きな瞳が、俺の返答を待つように向けられた。
俺はコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「悪いがこっちは外界探査で忙しい。帰らせて貰う」
こちらを見つめる美桜の表情に翳りが差した。
「次に俺がこちらへ戻るのは二日後だ。それまでに準備品のリストを作ってみろ。間違っていても構わない。外界で何が必要だと思うか、思いつく限り書いてこい」
「静間さん……それって」美桜が恐る恐るといったように口に出した。
「それから、外界に入るまでにできるだけ基礎体力を上げておけ。筋力ではなく持久力を重視しろ」
美桜は真剣な顔で頷いた。凪は返事をしなかったが、否定もしなかった。
「それと、一つ条件がある」
凪の体が強張り、顔に警戒の色を浮かべた。
「次に会う時はこの喫茶店以外で頼む。ここにいると肩身が狭い」
俺はテーブルの上の伝票を掴むと、目を丸くした少女たちに背を向けて、アウェイから退却することにした。
◆◆◆
拠点に戻った俺は、身体を横にしただけの休息を終えると再び運搬作業を再開した。
ひたすら反復される単純労働は肉体以上に精神を削るものがあったが、シーシュポスと比べれば、こちらは意味と終わりがあるだけマシだった。
予定分の作業を日程通りに済ませると、拠点に戻り美桜にメッセージを送った。
新しく案内されたのはやはり喫茶店だったが、こちらはレトロさを感じさせる落ち着いた雰囲気が漂っていた。
肩身を狭くすることなく店内を歩くと、テーブルに座っていた二人の前に腰をおろした。
準備品のリストは出来たかと確認すると、美桜は両手で捧げ持つようにして一枚の紙を差し出してきた。
「作ってきました!」留年が掛かった論文を渡す生徒のようだった。
凪は頬杖をついて明後日の方向を向いていたが、美桜が肘で突くとその姿勢のまま、空いている方の手でリストを寄越した。
美桜のリストにドライヤーと化粧水を見つけた時は頭を抱えたくなったが、とりあえず黙って最後まで目を通す。
相方と比べると、凪の方はだいぶマシだった。少なくとも生存に不必要なものは含まれていなかった。
二人のリストをテーブルに広げ、外すべきものと必要なものについて、なるべく丁寧に説明をしていく。
美桜はスマートフォンをしきりに叩いてメモを取っていた。
凪は相変わらず気の無い姿勢を取っていたが、自分の作ったリストの"採点結果"はやはり気になるようで、ときおり視線がテーブルの上のリストに向けられていた。
一通り説明を終えた頃には、店内の客の顔ぶれが半分ほど入れ替わっていた。
◆◆◆
「最も回避すべきは外界生物との遭遇だ」
俄拵えの講師は二人の生徒に講習を続けていた。
「外界での死因は多岐にわたる。群集時のペナルティ、転倒や転落死。遭難した場合でも救助は見込めない。だが探査員の死に関して言えば、その原因のほぼ全てが外界生物.……つまり、獣にあると言える」
「あの」美桜が手を挙げた。
「外界生物ってそんなによく出会うものなんですか?」
俺は頷いた。
「既に探査済みのエリアですら突発的に遭遇しない保証はない。そして未踏のエリアには必ず獣が棲息していると言っていい。つまり──」
「つまり、私たちが資源を探しに行くなら必ずそこには獣がいる……ってことでしょ」
発言したのは凪だった。思わず目を向ける。
「────何」凪は不機嫌な顔で見返してきた。
「その通りだ。だからこそ、外界探査において獣を避けることは、生存率を上げることとほぼ同義になる」
凪すごいね、という美桜の無邪気な声に凪は顔を逸らした。
美桜に褒められたのは嬉しいが、発端が俺であるため素直に喜びづらいようだった。
「もし獣に出会ったらどうすればいいですか」美桜は真剣な表情で尋ねてきた。
「逃げろ。間違っても交戦などを考えるな」俺は即答した。誰に何を聞かれても答えることは同じだった。
「……あの、もし逃げ切れない時は」
美桜がおずおずと質問を重ねた。遠慮というよりは、あまり聞きたくない内容だからだろう。
「常に最善を探せ」
短く答えた。これについては、どれだけ言葉を重ねても正解などはない。
そんなものが都合よく転がっていたら、人類はとっくに外界を攻略しているはずだった。
「……諦めるなって言いたいわけ?」凪が口を挟んだ。
「半分正しい。だが、それは最初から持っていくものだ」
諦めない事など、前提条件に過ぎなかった。
「今際の後悔は事前に済ませておけば無駄がない。土壇場で覚悟を決めるくらいなら、その余力は状況の打破に使え」
俺は彼女たちの顔を見ながら告げた。
「外界で生き残る為に最も重要なのは、覚悟でも根性でもない。状況に応じた最適な選択だ」
今の言葉について、二人の少女は考えているようだった。
「外界って何なんですかね……」
独り言のような美桜の呟きの答えは、人類が求めて止まないものだった。
それから二週間ほどの間、外界から戻る度に俺は不出来な講義を続けた。
美桜は、優秀かはさておくとしても熱心な生徒である事は間違いなかった。
凪は、相変わらずこちらを見ようともしなかったが、時おり質問を挟むようになった。
第一地点への物資運搬が完了したのは、予定通り十五日後の事だった。
◆◆◆
その日は酷い雨だった。
フェアレディを降り、入口まで辿り着くまでの短い時間に、俺はすっかり濡れてしまった。
喫茶店に入ると、テーブルに座っているのは凪一人だった。
携帯が振動したので取り出すと、美桜からのメッセージが来ていた。学校での用事が外せなく、少し遅れるとの事だった。
目を上げると、同様のメッセージを受け取ったらしい凪も携帯を眺めていた。
俺は凪の正面に腰を下ろした。
片手で頬杖をつき、明後日の方向を眺めるいつもの姿勢は変わらないが、舌打ちされる事はなくなっていた。
それからしばらくの間、互いは沈黙を貫いていた。
凪は若者らしく携帯を弄るでもなく、そのままの姿勢で黙って座っていた。
俺は凪の向こう側にあるガラス壁、それを伝って流れる滝のような雨を眺めていた。
「ねえ」
不意に呟くような声が聞こえた。
「アンタの教えた事を守れば、私たち外界から無事に帰ってこれると思う?」
凪は口だけを動かして俺に問いかけた。
「難しいだろうな」俺は正直に答えた。
二人の熱心さは目を見張るものがあった。
だが、国内屈指の専門家達ですら死を覚悟する程の環境に挑む力を持つことは、到底不可能だった。
凪は激昂することも、こちらを睨むこともしなかった。
「……だよね」
そう小さく呟くと、何かを諦めるように目を閉じた。
雨のせいか来客者は全く見えず、いつの間にか店内は俺たちだけになっていた。
「俺からも聞きたいことがある」
凪は頷かなかったが、拒否の態度も示さなかった。
「君は、なぜ外界に行く」
以前からの疑問だった。
「アイドルになるため、父親のため、という目的がある綾瀬美桜と違い、君には命を賭してまで外界に行く理由がない。どうしてもアイドルになるという願いを持っているようにも見えない」
凪は黙っていた。
俺が返事を諦めかけた時、小さな声が聞こえた。
「……美桜が行くから」
目を閉じたまま、凪は答えた。
「私のいないところで美桜が死ぬなんて絶対にイヤ。もし美桜が死ぬなら、その時は一緒にいたい」
執着かそれとも依存か──と思いかけた時、俺はようやく気づいた。
あの温厚で他人に気を使う美桜が、凪が死地について来る事についてはほとんど是非を口にしていなかった。
「……つまり、君たちは」
「そう、恋人同士。私と美桜は付き合ってる」
といっても子供のままごとみたいなもんだけどね、と凪はつけ加えた。
「恋人同士といっても、たぶん美桜は私に合わせてくれてるだけ。でも、私はそれでも構わない」
「君が男性に対して厳しいのは、それが原因なのか」
凪はこちらを睨んだ。今日はこれが初めてだった。
「おっさん、調子に乗り過ぎ。そこまで聞いていいとは言ってないんだけど」
俺は何も言わなかった。
凪も黙り込んだ。
強さを増す雨音だけが、店内に響いていた。
壁に掛かった時計の秒針が三周程した時、凪は独り言のように口を開いた。
「私、父親の顔覚えてないんだよね」
平坦な声だった。
「私が生まれたすぐ後に死んじゃったみたいでさ。で、だいぶ経ってから、母が再婚したんだけど」
凪はそこで言葉を切った。
虚空を眺める横顔から、一切の感情が抜け落ちた。
「中学に上がる少し前、義父に襲われたの」
まあ、未遂で済んだけどね。と凪はつけ足した。
「見た目も言葉も、優しそうな男だったよ。私なんて最初に会った時、これが新しいパパなんだ、とか無邪気に喜んでたくらい。笑えるでしょ」
あんな下衆なんかを、と吐き捨てられた言葉には、怒りよりも純粋な嫌悪が滲んでいた。
自嘲するように口元を歪めたが、それはすぐに消えた。
「中学入ってからは、男どころか人と喋るのも無理でね。気づいたら、ずっと一人だった」
店内には雨音と凪の静かな声しか存在していなかった。
「私に話しかけ続けてくれたのは美桜だけだった。なんで私なんかに話しかけるのって聞いたら、あの子何て言ったと思う?『私、アイドル目指してるから。人を笑顔にする練習させてよ』だってさ」
呆れるような言葉とは裏腹に、凪の口調は柔らかかった。
「美桜と居るだけで、襲われかけた時の嫌な記憶が薄くなっていくのに気づいた。美桜にアイドル事務所に誘われた時も、あの子が行くなら迷わず頷いた」
思い返しているのだろう。
険しかった目元からは、僅かに強張りが抜けていた。
「……こんなこと言ったら怒られるだろうけど。私、本当はアイドルなんてどうでもよかった。歌もダンスも、上手くできたら美桜が喜んでくれたから頑張ってただけ」
凪の声音には、後ろめたさよりも懐かしむような響きが混じっていた。
「でも美桜に気持ちを伝えた時、『凪が本気で私と一緒にいてくれるならいいよ』って答えが返ってきた。美桜には見抜かれてたんだ。私がアイドルに本気じゃないってこと」
彼女は一度口を閉じた。
表情に、いつか美桜が見せた冷たい熱が浮かび始めていた。
「美桜に本気でアイドルやるって約束して、一緒にデビュー目指して頑張ってきたのに」
凪の口調が、例えようもない憎悪を帯びた。
「また男の汚い欲のせいで!今度は美桜の夢まで台無しになった!」
テーブルの上で、指先が強く握られる。
爪が食い込むほど力を込めている事に、本人は気づいていないようだった。
「大人のくせに美桜を止めなかった寺垣も、自分たちの事しか考えてない事務所の連中も、美桜の命を金儲けの道具としか思ってないような企業も」
それは激情というより、長い時間をかけて蓄積された周囲への怨嗟に聞こえた。
「……私は絶対に許さない」
──そう呟いた凪は、泣いている子供のように見えた。
◆◆◆
凪の話が終わっても、俺は口を開かなかった。
月並みな慰めのセリフならいくらかは思いついた。
だが、それらを言葉にはしなかった。
こんな時、適切な言葉を投げかける事ができる人間がいるとしたら、それは一体どのような人物なのだろうと考えた。
こちらが黙っている間に、凪は少し落ち着いたようだった。
人に本心を晒した事がほとんどないのだろう。
こちらを伺う表情には、気まずさと気恥ずかしさが浮かんでいた。
「……普通、なんか言うとこだと思うけど」
「したり顔で、人間の素晴らしさについてでも一席ぶてばいいのか。あまり上手くやる自信はないが」
凪は顔を背けた。
少しだけ笑いをこらえてるようにもみえたが、おそらく気のせいだろう。
そういえば、と凪はこちらを見た。
「おっさん、アンタ私たちが生き残れないと思ってるのに、そんなに一生懸命教えてるの矛盾してない?」
「別に矛盾していない」俺は答えた。
「なんで」
「人間が必ず死ぬ事と、死に抗い続ける事は、両立が可能だからだ」
凪は俺の言葉の意味を考えているようだった。
しばらくすると少し目を伏せて言葉を継いだ。
「おっさんはさ、外界の事を私たちに話す時、いつも私たちが聞きたくないような事を言うよね」
気休めで物事がうまく運ぶのであれば、俺もそうしていた。
「私の周りにいた大人達は、みんな私たちに都合のいいことばかり言ってきた。そして後になって、みんな揃って手のひらを返した」
その後、ようやく聞き取れるくらいのちいさな声でつけ加えた。
「だから……外界の事についてだけは、おっさんを信用してもいいと思った」
鳴海凪は、こちらに顔を向けた。
「おっさん、『私たちの最後』まで付き合ってよね」
彼女の笑顔らしき表情を見たのは初めてだった。
例えそれが、諦観と自嘲が滲むものであったとしても。