「じゃあ、探査済みエリアって言っても全部調べてる訳じゃないんだ」
「エリア内でも特殊な地形は、資源が見つかりやすい代わりに獣との遭遇率が跳ね上がる」
探査を行う上での天秤として、よくあるケースは森林部が挙げられる。
人類にとって有用な資源に、植物由来のものが多いのが利点。
視認性が下がり、相手に捕捉される危険性が増すのが欠点だった。
「うまく獣を避けつつ、その内部を隈なく調査できれば御の字だが、そうできない場合は『そこには踏み込まない』という形で探査が終わった事になる」
「そっか。こちらを発見しない限り、獣は縄張りから出てこないからってやつね。例外が徘徊型だっけ」
「正解だ」
ふぅんと息を鳴らした凪は、こちらを瞠目している美桜に気づいた。
「美桜、どうしたの」
「……えっと、こっちが聞きたいよ」
学校の用事とやらをようやく済ませ、雨の中を歩いて喫茶店に到着した少女は、ドアを開けた先が見知らぬ異国に通じていたような顔をしていた。
凪が何かに気づいたように顔を伏せた。
「……別に。外界に関しては、話を聞いてもいいかなって思っただけ」
ペアであり恋人でもある少女の微妙な変化に気づいたらしい。美桜はどこか穏やかな声で問いかけた。
「そっか。話したんだね、私たちの事」
「……うん。それと、私の事も」
勝手に話してごめん、という凪の言葉に美桜は首を横に振った。
「ううん、凪に相談できる人が増えたことは、私もうれしいな」
そこまで言うと、美桜は凪の顔を覗き込むようにした。
「ふーん、それにしても凪がねえ」声色には揶揄うような調子が混じっていた。
「男の人と普通に喋ってるの初めて見たかも」
「……これは必要な事だから」
凪は顔を背けたが、向けた先には俺がいた。
結局、下を向いて黙り込んでしまう羽目になった。
忍び笑いを漏らした美桜は、俺に向き直った。
「静間さん。凪のこと、ありがとうございます。私たちを
穏やかな表情だったが、その言葉の意味するところは先程の凪と同一だった。
瞬間、沸騰するほど強い感情に襲われた。
侮っていたのは俺の方だった。彼女たちはとっくの昔に自分たちの行く末を予感し、受け入れている。
俺の心の何処かを突き刺す痛みは、恥と呼ばれるものに違いなかった。
努力して表情を取り繕い、無言で頷いた。
上手くいったかどうかは分からなかった。
◆◆◆
外界の講義が一段落したところで、美桜が思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ。寺垣さんから連絡がありました」
「あったんだ」凪は顔を顰めてみせた。
「凪、寺垣さんの電話出ないから」
美桜は苦笑しながら続きを口にした。
「そろそろ外界に行く準備をしなさい、だって」
例の企業との契約期限は確かに余裕のあるものでは無かったが、それ以上にアルテミスの経営状況が逼迫しているようだった。
彼らからすれば一刻も早く二人を活動させ、資金繰りの目処を立てる必要があるのだろう。
皮肉なことに、彼女たちのデビューに現在もっとも熱心なのはアルテミスと言えた。
「探査員の目処については、何か聞いているか」
俺が尋ねると、美桜は首を横に振った。
「いえ、どこに声をかけても断られているみたいです。私たちが静間さんへのお誘いの時一緒にいたのも、直接お会いできる初めての探査員の方だったからのようです」
大抵は声を掛けた時点で見向きもされないようですよ、と美桜は付け加えた。
いくら事務所が逼迫していようが、女子高生二人だけで外界へ放り出すつもりはないだろう。
三人一組。特殊環境探査が制度化されてから、変わることのない大原則だった。
二人が回収員として入るなら、残る一枠は探査員で埋めるしかない。
もっとも、それは不可能と言ってよかった。
仮にも探査員と呼ばれる人間なら引き受けない。
例え今が探査期間で無かったとしてもだ。
理不尽とも呼べる厳しい試験を乗り越えた資格保持者が、三人で連携しても完全に死を排除できない。
大原則を守るなら、実質は探査員の単独探査と変わりない。
いや、それより更に酷かった。
例え単独探査に特化した俺であっても、少女を二人も連れていれば生還の可能性は著しく下がる。
少なくとも、全員を無事に連れ帰る自信など欠片も無かった。
そんな依頼を引き受けるような探査員は、とっくに淘汰されている。
美桜はそんな事情を知ってか知らずか、ただ静かに微笑んだ。
「大丈夫です」
その言葉には何の根拠もなかった。
だが、何も知らない人間特有の楽観的な響きもなかった。
「静間さんに教えてもらったこと、無駄にはしませんから」
その言葉に込められていたのは、俺への信頼だった。
俺と目が合った美桜は微笑んだまま軽く頷いた。
それだけで十分だと言うように。
凪は何も言わずにこちらを見つめていた。
瞳の奥には不安と、それを従えようとする意志の力が揺らめいていた。
俺はただ黙っていた。
もし、それ以外に出来る事があれば、どれほど良かっただろう。
◆◆◆
例え果ての見えない物事も、いつかは終わりを迎える。
何事につけても人生に例えたがる連中が喜びそうな言葉ではあるが、こちらの内実としてはただの事前準備だった。
第二地点への物資運搬は、ほぼ予定通りに完了した。
外の世界でも中の世界でも、予定通りという言葉は大抵の場合、何も起きなかったという意味ではない。
起きた事柄が、どうにか想定の範囲内に収まったというだけの話だ。
生じた差異の原因については、自分で引き受けた事なので考えない事にした。
多少の誤差はあったものの、第二地点の補給拠点は形になった。
少なくともエリア217へ踏み込む最低限の準備は整ったと言っていい。
拠点に戻った俺は、半日ほど身体を休めた。
ここから先は、余程の事がない限り探査の完了まで外界から戻らない。
出発前に、二人へ別れの挨拶くらいはするべきだった。
外界で消えるのは彼女たちかも知れないし、俺かも知れない。あるいは、その両方であっても不思議ではなかった。
願わくば──と思いかけてその考えを止めた。
希望を持つのは自由だが、根拠のない願望は妄想を弄ぶのと大差がない。
感傷などという贅沢は、生還してから愉しむべきだった。
二人に連絡を取り、いつの間にか教室代わりとなった喫茶店に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
店内は相変わらず落ち着いた雰囲気を保っていたが、テーブルに座る二人の表情はいつもと違っていた。
美桜と凪の間に、見覚えのない男が座っていた。
年齢は俺より少し若い、二十代半ば程度だろう。
長めの黒髪、細身の体に清潔感のあるジャケットを合わせている。
顔立ちは整っており、おまけに人当たりのよさそうな笑みまで浮かべている。なかなかの好青年といった風情だった。
並べてみるまでもなく、俺などよりよほど人間社会に適応しているように見えた。
美桜はいつも通り姿勢を正して座っていたが、少々困惑しているように見えた。
凪は不機嫌さを隠そうともしなかった。初めて出会った時のような仏頂面で、背を椅子に預けた格好のまま、隣の男から露骨に身体を離していた。
三人はこちらに気づいた。
少女たちの表情に、わずかな安堵が混じったように見えた。
俺を見ると、男は席を立った。
「はじめまして。静間さん、ですね」
差し出された手は、指先までよく手入れされていた。
清潔感があり、主に女性たちに好印象を与えそうではあったが、死地に赴く者の手ではなかった。
「月城と言います。今日はお礼と引継ぎに来ました」
俺は握手に応じず、軽く頷くだけにした。
月城は目を瞬かせたが、すぐに笑みを戻した。
「静間さんは、握手がお嫌いなんですか」
天気を話題にするような口調で月城が尋ねた。
「親交を結ぶなら相手くらい選ぶ。君とそうするべきかはまだ判らない」
それに──と、月城が口を開く前に言葉を継いだ。
「俺に限らず、まともな探査員は初対面の人間に利き手を預けたりしない。そういった"不用意さ"を引き摺ってるようでは務まらない」
月城と名乗る青年は苦笑を浮かべた。
苦笑までもが爽やかだった。
「まずはお礼を。この二人に色々教えていただいて、ありがとうございます」
礼儀正しい言葉に優しい声色。
大抵の相手には好印象を与えるのだろう。
俺は空いている席に腰を下ろした。
「同行者は君か。探査員としては見ない顔だが」
「いえ、僕は回収員です。二年ほど活動していますが、探査員の資格取得は考えていません。まあ、受かるとは思っていますが、他にやりたい事もありますので」
本気でそう考えている口調だった。
「なぜこの仕事を受けた」
月城と名乗る男は、唇を片方だけ吊り上げた。
「困っている女の子を助けるのに、理由がいるんですか」
俺は何も答えなかった。
あまりに芝居がかったセリフに、思わずカメラを探そうとしたが、どうやら撮影中では無いらしい。
アルテミスがこの男を選んだ経緯について詳しくは知らない。
おそらくは探査員が確保できず、ある程度経験を積んだ回収員まで候補を広げたのだろう。
曲がりなりにも一度外界へ足を踏み入れた回収員は、却って未探査エリアには近づきたがらないものだ。
だが寺垣がそうであったように、危険というものを言葉だけで理解したつもりになっている人間は、存外珍しくなかった。
月城は姿勢を正し、整えた眉毛を僅かに顰めてこちらに視線を向けた。
「僕からも、貴方に一つ言いたいことがあります」
美桜が申し訳なさそうな顔でこちらを見た。
「この娘たちから、貴方が教えた内容について簡単に聞きました。静間さん。貴方は彼女たちを必要以上に怖がらせていませんか」
月城の声は穏やかだった。
責めるというより、諭すような響きがあった。
「年下の女の子を安心させてあげるのが、大人の男ってものだと思いますけど」
けだし正論と言えた。
年長者として、男として、反論の余地が無いほど正しい言葉だった。
そして外界では、正論は何の意味もなさなかった。
美桜が胸の前で小さく手のひらを合わせた。
どうやら謝っているらしい。
俺は月城に反論する気は無かった。
どちらが正しいか、などを安全な場所で議論する事ほど無意味な事はなかったし、同行するのが俺でない以上、こちらの仕事はもう終わっていた。
この男に言うべき事柄など一つも無かった。
月城は俺が反論しないのを納得したと取ったのか、満足そうな顔で頷いてみせた。
彼は美桜に顔を向けたが、その表情にうかぶ俺への謝意を不安と受け取ったらしい。
身を乗り出し、美桜の顔を覗き込むようにして、声を掛けた。
「安心して。君たちは僕が護るから」
おそらく本人は本気でそう思っているのだろう。
可能かどうかは別の話ではあるが。
凪が椅子の肘掛けを掴む指に力を込めた。
美桜は困ったように微笑んだまま、ほんの少しだけ視線を下げた。この心優しい少女にしては珍しく、顔色には微かに冷たいものが混ざっていた。
月城はその反応にも気づいていないようだった。
今度は凪の方へ顔を向けた。
「鳴海さんも、そんなに気を張らなくて大丈夫だよ」
言いながら、月城は自然な動作で凪の肩に手を置いた。
瞬間、凪の身体が跳ねるように動いた。
椅子が床を擦る音が店内に響く。
凪は月城の手を払い落とし、睨みつけていた。
「触んな」
そう言い放った凪は立ち上がるとテーブルを周り、俺の隣に腰掛けた。
なぜか美桜が羨むように相方を眺めていたが、隣に座った凪の表情は分からなかった。
月城は驚いた表情のまま凪を見ていた。
善意がどこでも善意として受け入れられる事を疑わない人間の反応だった。
「すみません。凪、男の人に触られるの苦手なので」
美桜の口調はいつも通り穏やかだったが、声色には彼女と話してきた者にしか分からない程度の苛立ちが含まれていた。
月城は気まずそうに笑って、凪に軽く頭を下げた。
俺の隣に座る凪が、何か反応を見せた気配はしなかった。
俺は目の前の好青年に目を向けた。
月城が二人に向ける視線に、下心らしきものは感じなかった。この男は悪人ではないのだろう。今の時点では本気で守るつもりでもいる。
だからこそ厄介だった。
正論だけで構成された理屈は、前提自体が意味をなさない現実を無意識にでも認めたがらないからだ。
俺は立ち上がった。
「引継ぎなら必要ない」
月城がこちらを見たが、俺は美桜と凪だけを視界に入れていた。
「俺が教えたことは、二人が覚えている。必要なら彼女たちに聞くといい」
何かを言いかけた月城よりも先に口を開いた。
「俺はこれから探査エリアに入る」
俺を見返していた二人の表情が変わった。
講習の終わりを告げるには、十分だった。
「以降は戻るまで連絡がつかない。予定通りに戻る保証もない」
美桜の唇がわずかに開いた。何か言おうとしたようだが、結局言葉にならないようだった。
凪は真っ直ぐに、俺だけを見ていた。
「最後に一つだけ教えておく」
二人へ向けて言った。
「希望を持つ事と、能天気さを取り違えるな」
さすがに自分の事だと理解したらしく、月城の顔から笑みが消えた。
「静間さん、それは幾らなんでも──」
「最悪の状況でも最善を探し続けた先にこそ、希望とやらは落ちている。偶には、だがな」
二人の少女は俺をしばらく見つめた後、揃って頷いた。
月城だけが、何か言い返すべきか迷っているようだった。
俺は伝票を手に取った。
この場にいる理由はもうなかった。
「お互い、生きて会えるのを楽しみにしてる」
それだけ言って、二人と一人に背を向けた。
思わず根拠のない願望を口に出してしまった事を恥じる気持ちはあったが、そのくらいは許されて然るべきだった。