※この作品はR-18です。

暴虎は外界を馮る   作:義山硝子

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三章 偶像と人造⑦

 

静間くん。

人という生物の強さとは何だと思いますか。

 

人類の積み上げた技術も連携も、世の外では実の成らない無花果のようなものです。

つまり我々──いえ、各々は文字通り単なる生物として彼らと相対せねばなりません。

彼の地を歩む時、貴方は何を杖としますか。

 

投擲力。持久力。消化効率。

成る程、確かに人類種の長所と言えるでしょう。

実際のところ、私も大いに活用していますからね。

ですが、本質は別にあります。

 

 その言葉が終わるか終わらないうちに、眼前に黒い影が迫った。それが相手の左袖だと判断した直後、強い衝撃が顔面を襲っていた。

 

よく防ぎましたね。

 

 俺の掌は、鳩尾を狙って突き出された右の拳を受け止めていた。

 

いま貴方は眼球を直撃されても目を閉じなかった。

ごく一部の拳闘家が行う訓練を修めていますね。

タオルや新聞紙で顔を殴り続け、長い時間をかけて瞬きの反射を制御する。普段なら目を瞑ってしまい、却って致命的な事態に陥るような状況を回避する。

 

こんな鍛錬をするのは人間だけです。

 

静間くん。

道具を使う生物は人間だけではありません。

連携を取る生物も人間だけではありません。

 

つまり人間固有の強さとは、即ち──

 

 

 

 ──即ち。()()()()()に他ならない。

 

 獣の両顎が閉じ切る直前。俺は手にした錐を上に向けていた。

 獣の口内──上顎の口蓋へ錐が喰い込む。

 同時に無数の焼け付くような感覚が両腕を覆った。

 

 怯んだ獣が()()()に後退しかけた瞬間、俺は逆に前へと踏み出し、その大口へ更に両の腕をねじ込んだ。同時に片手で拳を作り、獣の喉奥まで深く差し入れる。

 両腕の肉に食い込んだ無数の鋭い牙が、容赦なくその深度を増した。

 

 いくつかの筋組織の断裂する感触が、笑い出したくなるような激痛と共に両腕に走る。

 それら全てを意志の力で捻じ伏せた。

 

 獣の咬合力からしてみれば、俺の両腕程度を噛み砕くのは容易いはずだった。だが、そうはならなかった。

 すでに分水嶺は傾いた。

 未知の体系とは言え、獣が生物である事は間違いない。脳があり、体液があり、神経があった。

 喉まで突き入れた拳。嘔吐反射で蠕動する口蓋。

その動き自体により、錐が更に深く突き刺さる。錐が深度を増す度に、引き起こされた屈曲反射によって獣の身体が硬直する。

生存の為に備わったはずの本能が、獣の動きを縛り上げていた。

 

 肉体の反射は脳の指令に優先する。喉奥に異物を差し込まれても、反応しないよう鍛錬する生物などいない。

 

 人間以外には。

 

 傍目には奇妙な痙攣を繰り返す獣の上口蓋から脳髄に向けて、蝸牛の歩みで錐を刺し挿れていく。

 多量の液体が、両腕を伝って脇腹を流れていく感触があった。それが獣の体液か、俺の血なのかは分からなかった。

 

 押し込み続けた錐の持ち手が獣の上顎に触れたとき、一つの命が消える感覚が腕を通して伝わってきた。

 この狂乱の中にあって、酷く静かな感触だった。

 

 ゆっくりと(くずお)れる獣の口から、錐と両腕を引き抜いた。

 

 淘汰はそこで終わっていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 錐を腰に納め、引き抜いた左右の腕を軽く検分する。

 腱が切れたらしく、何本かの指は動かなかった。傷の数自体は多いが、深いものはそれほど多くはなく、動静脈に届いたものが無かったのはただの幸運だった。

 

「──おっさん!」

 

 崩れた石柱の間から這い出した凪が、左足を引きずりながらこちらに歩いてきた。本人は駆け寄っているつもりだろうが、うまく動けないようだった。

 

「なんでっ!……なんで……」

 

 なぜここにいるのか、なぜ獣を倒せたのか、なぜ自分を助けたのか。凪の嗚咽に似た声からは、彼女がどの疑問を浮かべているのか判別が付かなかった。

 

「綾瀬美桜から、君のことを頼まれた」

 

 美桜の名前を聞いた途端、彼女は弾かれたように顔を上げた。

 

「美桜はっ?あの子は大丈夫なのっ!?」

 

「この岩場の外で待機して貰っている。外界である以上、絶対とは言わないが比較的安全なはずだ。少なくとも、ここにいる俺たちよりはな」

 

 凪の肩が震え、両手で自分自身を抱きしめるようにして俯いた。

 

「……よかった」零れた言葉が、砂地に落ちていった。

 

 血と体液に塗れた掌を服で拭いながら、俺は凪に声をかけた。

 

「足を診せてみろ」

 

「……うん」凪は俯いたまま小さく頷いた。

 

 俺が足に触れると一瞬身体を硬直させたが、それ以上の反応は見せなかった。

 見たところ腫れは無く、骨折はしていないようだった。捻挫か、悪くてもヒビがはいった程度だろう。

 

「その……おっさん、私の足よりも──」

 

 本人よりも痛みを感じているかのような表情で、凪が俺の腕を見つめていた。

 自分の両腕に目をやると、なるほど酷い有様だった。

 工業用廃油に穴だらけの生肉を漬け込んだ後、引き上げたらこんな具合になるのかも知れない。

 

「大した事はない、見た目が派手なだけだ」

 

「ちょっと待ってて」

 

 凪が自分の上着を脱ぎ、それで俺の両腕を拭い始めた。

 ひどく優しい手つきだった。

 

「……痛かったら言って」

 

 俺は黙っていた。

 もとより両腕は先ほどから硫酸を掛けられたような感覚を味わっていた。今さら多少痛みが増そうが、大した問題ではなかった。

 

 両腕に付着した形容しがたい液体をあらかた拭い去ると、凪は上着を負傷の大きい俺の右腕に巻きつけた。滲むような出血は止まらなかったが、見た目はだいぶマシになった。

 

「これで安心という訳では無い。すぐにここを離れる」

 

 頷いた凪は、歩き出した途端に顔を顰めた。痛めた足に目をやり、ひどく申し訳なさそうな声で呟いた。

 

「ごめん……外まで歩けそうにない」

 

 俺は彼女に背中を向けて屈んだ。

 

「男で悪いが我慢してくれ。ついでに乗り心地の方も我慢してくれると助かる」

 

 おずおずと身体を預ける凪の感触が背中に伝わった。

 小さく、柔らかな吐息が俺の首筋にかかったが、気にしない事にした。

 

 彼女が少しでも汚れないように、服が巻かれた右腕側で凪を支えると、俺は岩場の出口に向かって歩き出した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 白い砂地に二人分の重さが乗った足跡を残しながら歩く最中、凪も俺も口を開こうとはしなかった。無数の石柱が立ち並ぶ中、辺りに響くのは砂を踏む足音だけだった。

 限界を越える疲労と出血のせいか、先程から頭の中を波打つような鈍い感覚が消えなかった。

 背中に伝わる凪の体温だけが、現実への(よすが)だった。

 

「……ねえ」

 

 凪の小さな声が、耳の裏から届いた。

 しばらく間があった。俺は意識を飛ばさないように心の中で続けていた歩数のカウントを止め、次の言葉を待った。

 

「なんで助けに来てくれたの」

 

 問いかける声は平静だった。 ただ、何かを確かめるような響きが声色に滲んでいた。

 

「さっきも言ったが、綾瀬美桜に頼まれた」

 

 背中で躊躇うような気配があった後、消え入るような声が聞こえた。

 

「……それだけ?」

 

 ありえない仮定ではあるが、もし美桜があの時すぐに逃げようと言い出していたら、俺はどうしていただろうか。

 考えるまでもなかった。

 

「いや、違う」

 

 数呼吸分ほどの沈黙を挟み、凪の口から柔らかな音が零れた。

 

「……そっか」

 

 彼女はそれ以上は聞かなかった。

 首に回した手に僅かに力が込められ、俺の首筋に凪の頬が触れる感覚があった。

 

 その後、岩場を出るまで二人の間に会話はなかった。

 

【挿絵表示】

 

 

 

 自らの足跡を逆に辿り続け、ようやく奇岩群を抜けた。

 目の前に広がる荒野も危険なことに代わりはなかったが、岩の迷路に比べれば余程マシには違いない。

 

「美桜、どこにいるんだろ」凪が背中から声をあげた。

 

「俺の胸ポケットに君たちのくれたお守りが入ってる。帰りを教えてやるといい」

 

 凪はそれだけで理解したようだった。

 後ろから俺のポケットに手を伸ばし、お守りを取り出すと笛に息を吹き込んだ。

 細く糸を引くような音が荒野に響く。笛の音が鳴りやまぬうちに、数十メートル程先にある岩陰から美桜が顔を覗かせた。

 

 こちらの姿を確認した瞬間、美桜は自身に出せるであろう最高速度で駆け寄ってきた。

 彼女が近づくにつれ、あらゆる感情の入り混じった美桜の泣き顔が俺たちの目に届き始めた。

 

 俺は凪を降ろしてやった。

 凪は足を引きずりながらも前へ進み、両手を広げて親友であり、恋人でもある少女を迎え入れた。

 

「────凪っ!」

「美桜っ────!」

 

 二人の少女が互いの名を呼びながら抱き合う様子を、俺はしばらく眺めていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「あの月城とかいうの。獣がまだこっちに気付いてなかったのに、いきなり大声あげて逃げ出してさ」

 

 少女達の再会劇が一段落したところで俺は再び凪を背に乗せ、外界の出口を目指していた。

 凪は月城の行動が余程腹に据えかねたようで、背後から飛び出す文句の数々は留まる事を知らなかった。

 

「扉に入ってからずっと、外界についてそれらしいことばっか言ってたよね……静間さんから教わった事とは全然違いましたけど」

 

 美桜にしても、だいぶ思うところがあったようだ。

 直接的な文句を口にしないのは彼女らしかったが、それでも言葉の端々に生えた棘を隠そうとはしなかった。

 

「しばらくはあの男も喋れないだろう」──君の父親が繰り出したアッパーのおかげで、とは言わなかった。

 

 美桜がこちらに顔を向けた。

 

「静間さん。本当にありがとうございます。ここまで来てくれて……凪を助けてくれて」

 

 大きな瞳が潤んだように俺を映していた。

 

「……あの、さっきの約束ですけど。いつでも大丈夫ですから」

 

 彼女が何を指して言っているのか一瞬分からなかった。少しだけ考え、凪の助けを求める際に、美桜が対価に望むことをすると言っていたことを思い出した。

 

 俺は曖昧に頷いた。差し当たって切実に欲しいのは休息だったが、彼女に言っても仕様がなかった。

 俺の態度をどう受け取ったのか、前を向いた美桜の耳は赤く染まっていた。

 事情を知らない凪が後ろで首を捻っているような気配があったが、気にしないことにしたらしい。

 

「まあ、結局資源は見つからなかったけどね」

 

「いや、もう見つけている。あの獣だ」

 

 原則として外界資源の権利は、それを発見した者が保有する。発見する者が事実上探査員しかあり得ない事に端を発したルールだが、獣については若干異なる。そうでなくては最初に襲われただけで権利者になりかねない。

 

「獣に関しては実際の駆除に関わった者が権利者だ。今回は君たちが誘導して俺が仕留めた。回収証明は三人の名前で出ることになる」

 

 美桜は唖然とした様子でこちらを見た。おそらく凪も似たような表情をしているに違いない。

 

「でも私たち、逃げてただけで……」

 

「逃げ続け、生き延びたからこそ俺が間に合った。もし手遅れだったら、当然だが俺も獣なぞと戦いはしなかった。この結果に関して言えば、二人がいなければ存在しなかったのは事実だ」

 

 俺は前を向いたまま続けた。

 

「目に見える貢献が必要だというのは()()だ。だが生憎、外界には結果しかない。誰もが納得できる正論とやらは、どこかの誰かにでも言わせておけばいい」

 

 間の抜けた沈黙が少しだけ漂った後、少女たちは示し合わせていたかのように一斉に笑い始めた。

 赤い空と荒野に溶けていく長閑な笑い声は、しばらく止むことがなかった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「獣って高く売れるんでしょ?そのお金で違約金払えないかな」

 

 背後から届いた凪の言葉に、俺は少し考えた。

 

「難しいだろうな。残念ながら、あの獣は市場価値が低い」

 

 違約金額の詳細までは知らなかったが、綾瀬の口ぶりでは数千万程度で済む話では無さそうだった。

 礫牙類は転用できる箇所が少なく、企業の買取価格も相応に低かった。

 

 今回の件より以前から、それなりの時間を掛けて調査したであろう事を考えると、あの岩石地帯に資源はないか、あっても極僅かなのだろう。

 要するに、ハズレのエリアにハズレの獣が棲息していた訳だ。拠点から近い割に放置されていたのも、むべなるかなといったところだった。

 

「私は凪と一緒に帰ってこられただけでも十分だよ」

 

 真っ直ぐな美桜の言葉に対し、戸惑うように黙っていた凪だったが、やがて諦めたように大きく息を吐いた。

 

「あーあ、これで私たちも炎上アイドルか。まあ、死ぬよりは全然マシだけど。……おっさん、ネットで見かけたらせいぜい笑ってよね」

 

「面白くない時は笑わないようにしている」

 

「……なにそれ」呆れたように吐き出された凪の声は、穏やかな色を宿していた。

 

 仮に今回の獣が高額で取引されており、違約金の支払いに相当するものだったとしても、それで問題が解決するとは思えなかった。

 アルテミスは次のスポンサー候補に企画を持ち込むだけだろう。むしろ証明書が手に入った今、成約の可能性は以前より比較にならない程に高くなったと言える。

 解決の糸口を探そうにも、疲れ切った今の頭では碌な考えが浮かんできそうもなかった。

 

 

 少女たちの他愛ない話に耳を傾けながら足を進め続けて約一時間後。

 視界の先にようやく扉が見えた。帰還管理信号板は青を示しているようだった。安堵と共に湧き上がってきたのは、相反する別の感情だった。

 信じがたい事に、どうやら俺はこの時間が終わるのを惜しんでいたらしい。

 

 扉に近づくに連れ、二人の口数は減っていった。

 生還を目前にして、これまでの危機が恐怖と共に湧き上がってくるなどよくある話だ。

 扉を出た後の自分たちについて、想いを馳せているのかもしれない。

 あるいは、俺と同じ感情を共有しているのかも知れなかった。

 

 いずれにせよ十六歳の少女たちの胸中について、俺のような男がいくら頭を捻ったところで分かるはずもない。

 見えない何かを振り切るように、俺たちは扉に身体を潜らせた。

 

 

 待機施設内は、拍子抜けするほど普段通りの様子だった。この時間に帰還を予定していた他の回収員たちは、すでに検査区に進んでしまったらしい。

 施設内には警備の自衛隊員しか残っていなかった。

 いや、正確に言えば一人だけは違った。

 

「美桜……!鳴海も……!」

 

 隊員たちの間を縫うようにして駆け寄ってきたのは綾瀬だった。

 

「お父さん!」美桜が父親に駆け寄っていくのを、俺は背中の凪と共に見送った。

 

 抱き合って再会を喜び合う二人の横まで移動し、凪を背から降ろす。彼女の表情にどこか名残惜しさのようなものが見えたのは、おそらく気のせいに違いない。

 俺は近くにいた隊員に声を掛けた。

 

「すまないが彼女を医務室に運んでやってくれ。足を痛めてる」

 

 隊員は、間違って安全ピンを外してしまった手榴弾を見るような目で俺の腕を眺めてから言った。

 

「貴方の方こそ、治療の必要があるように見えますが」

 

 綾瀬が娘から離れ、こちらに向き直った。

 

「静間さん、ひどい怪我を……。本当になんと御礼を申し上げたらよいか」

 

 娘を失くしかけた父親の声は震えていた。

 

「礼なら神社に賽銭でもするといい。彼女たちのくれたお守りがなかったら救助は難しかった」

 

 綾瀬は顔に疑問符を浮かべたが、二人の少女は小さく笑ってみせた。

 俺の仕事はここで終わりだった。

 後ろを振り返り、遅刻した知人を待つように腕を組んで立っていた人物に声を掛けた。

 

「お待たせ。気を遣わせたか」

 

「いいや」角田の兄は小さく首を横に振ると、周囲にいた隊員に声を掛けた。

 

「連れて行け。……馬鹿、手錠などいらん」

 

 背後から、三人が一斉に抗議をあげる声が聞こえた。

 綾瀬の怒りは特に凄まじく、依頼したのは私だから代わりに連れて行けと言う声まで聞こえた。

 俺は首から上だけを後ろに回すと、三人に向かって声を上げた。

 

「明日の朝刊に"アイドル候補生を追い回した男が逮捕"と載っていたら、代わりに弁解しておいてくれ」

 

 言い終わると、少しだけ足を早めることにした。

 俺を呼ぶ美桜と凪の涙の滲んだ声に対して、振り向くのを我慢する手段はそれぐらいしか残っていなかった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 それから二日程の間、俺は退屈を持て余す生活を送っていた。

 

 拠点内の勾留部屋に入るのは初めての経験だったが、自由な外出が禁じられている以外、生活する上で不足は無かった。

 そもそも腕の治療のせいで、大して身動きが取れないのだ。自室のベッドだろうが、営倉の煎餅布団だろうが特段違いなどありはしなかった。

 両腕の損傷は、筋組織の再生力を高める新薬の投与で事なきを得た。げに素晴らしきは外界産業の賜物である。

 もっとも、以前堂島に話した通り、外界に行かなければ傷を負うこともなかった。

 仕留めた第四種についての報告はとっくに済ませていた。回収証明については、問題なく三人の名義で登録されるようだった。

 

 地産地消の治療を受けながら待つこと三日目の早朝。

 看守役の無口な自衛官が施設長室への呼び出しを告げた。遠田がようやく帰還したらしい。

 

 待ち受けるのが叱責だろうが懲戒だろうが、言葉を喋る生き物ならなんでも大歓迎という気分だった俺は、快く出頭に同意した。

 

 

「規則違反については、規定通りの処罰を受けるように」

 

 防衛省との往復の最中に全財産の入った財布を落としたかのような顔の遠田は、俺に向かってそう言った。

 つまりはいつも通りの表情だった。

 俺は内心で先程の考えを後悔し始めていた。

 

「私の命として虚偽の伝達を行った角田2尉の処分についても、同じく規定に則ったものとなる」

 

「彼の処遇について聞いてもよろしいですか」

 

 俺の問いに、遠田は片眉を上げてみせた。

 

「自分の処罰内容よりも気になるかね」

 

 俺が無言でいると、遠田は平静な声で続けた。

 

「安心したまえ。今回は実害が存在しなかった。隊法に基づいた判断では、精々が訓戒程度だ」

 

 つまり厳重注意で済むという事らしい。遠田は俺の()()()()の理由も、角田兄が効かせた融通の理由についても把握しているようだった。

 理由の如何で処分内容を変えるような男ではない。礼を口にするのは的外れと言うものだろう。

 

 今の俺には自分の進退などより、よほど重要な報告があった。

 

「念のために聞きますが。この部屋の盗聴対策は問題ありませんか」

 

 俺の口調から内容の重大さを察したのか、遠田は椅子に座りなおした。

 

「懸念があるとすれば君が身に着けているものだが、拘留室からそのまま来たのであれば心配はあるまい」

 

 俺は頷くと、エリア217で見たものについて話し始めた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 俺の報告の間、遠田は殆ど口を挟まなかった。

 

 全てを聞き終えると机の上で手を組み、大きなため息を吐いた。

 

「よもやそこまで重大な情報を抱えたまま、自ら死地に赴くとはな」

 

 俺は黙っていた。

 後悔の念などあるはずも無かったが、同時に遠田の指摘に対して反論の余地がない事も理解していた。

 

「君への処分は一か月間の外界立入制限および拠点施設内での活動制限だったが、手間が省けた」

 

 遠田は組んでいた両手を崩すと、机の上に置いた。

 

「この件は私の裁量を大きく超えている。しかるべき場所に報告した後、方針が決まるまでエリア217の探査は一時保留とする」

 

 彼はそのまま表情を変えずに続きを口にした。

 

「どう転ぶかは不明だが、再探査時に君のアサインは確定事項となるだろう。腰の重い連中の話し合いが済むまでに、自宅で療養を済ませておき給え」

 

 俺は内心で驚いていた。重要機密を抱えた人間を、この男は外に放り出すと言っているのだ。

 

「よろしいのですか。方針が決まるまでは拘束されるものと思っていましたが」

 

「そんな規則はない」いつも通りの淡々とした声だった。

 

 遠田は面白くもない冗談を口にするように続けた。

 

「知らないかもしれないが、私は規則は守る方だ。……どこかの探査員と違って」

 

 俺は苦笑した。

 不機嫌以外の表情をどこかに置き忘れてきたような上司に向かって頭を下げ、部屋を出た。

 

 それから、誰はばかる事なく帰宅の準備に取り掛かった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 拠点の外に出ると朝曇の空が広がっていた。

 返却された携帯を確認すると、美桜と凪から凄まじい数のメッセージが届いていた。

 最新のメッセージに対し()()()の連絡を返すと、俺は車に向かって歩き出した。

 

 マンションに帰宅したのは昼を少し過ぎたあたりだった。

 両腕を負傷していた俺は、ようやく泣き止んだマリアの献身的な歓迎を数時間に渡って受けることになった。

 

 

 眼を覚ますと窓の外には夕暮れが迫っていた。

 隣で眠る裸身のマリアを起こさないよう注意しながらベッドを抜け出すと、部屋を出て台所に向かい、冷たい水を身体に流し込んだ。

 それからリビングのソファに腰掛けて、今回の件について考え始めた。

 

 彼女たちに残された猶予はもう僅かだった。

 無い頭を散々に捻った結果、後に残ったのはただ一つの結論だけだった。

 

 携帯を取り出すと、結局最後まで掛けることがなかった番号を押す。 

 俺が持ちかけた提案に向こうはひどく驚いていたが、協力を取り付けることには成功した。

 

 それからの交渉には数日を要したが、話は想像していた以上に早くまとまった。

 

 相手から承諾の連絡が届いた翌日の朝。

 俺は全てに決着を付けるべく、この騒動の関係者たちを招集した。

 

 




次話で三章本編は終了です
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