そのライブハウスは、数百人の熱気を受け止めるには十分な広さを持っていた。
チケットは完売したと綾瀬から聞いていた。立ち見も含めれば、会場はほぼ埋まっているようだった。新人のデビューライブとしては破格と言っていい規模らしい。証明書の件は
綾瀬は特別席を用意すると言っていたが断った。できるだけ直接、会場の雰囲気を味わっておきたかった。周囲の客層は男性が殆どを占めていたが、中には若い女性の姿も見えた。
唐突に辺りの照明が落ちた。
暗闇の中、どこからともなく手拍子が始まる。それが波及して会場全体が一つのリズムを刻み始めた。
ステージに光が当たり、立っていた者の姿を照らし出した。
二人がいた。
綾瀬美桜は、いつもの制服姿からは想像のつかない衣装に身を包んでいた。桃色を基調とした衣装が照明を受けて輝いている。
あの喫茶店で微笑んでいた温和な少女と、今ステージに立っている人間が同一であるとは咄嗟には信じられなかった。あどけなさの残る可憐な顔立ちと、それに反してグラマラスな肢体は男性の心を掴んで離さなかった。美桜が客席に向けて笑顔を向けた瞬間、会場から歓声が上がった。
鳴海凪は、微笑みこそ見せていたが冷たく澄んだ印象を崩さなかった。
熱狂を増す会場の中で、彼女の表情はかえって際立っていた。青を前面に押し出した涼やかな衣装は、彼女によく似合っていた。凪に向けられた声援には女の占める割合の方が多かった。中性的な美貌が同性の心を強く惹きつけているようだった。
並んで立つ二人の対比が、周囲の眼を惹きつける不思議な引力を生んでいた。
軽快な音楽が流れ始め、生まれたばかりのアイドル達が動き出した。
ライブとやらに参加するのは生まれて初の経験だったが、例えその道に通じていなくとも人間の本気は伝わるものらしい。ステージの上で踊る二人の本気は周囲に伝播し、過熱を引き起こしていた。
美桜は全身で表現していた。おそらくは、今この場に立っている事への歓喜、その全てを。
凪の動きは静かさを感じさせるほど洗練されていた。この域に達するまで、どれだけの努力を重ねたのだろう。
俺の胸に到来したのは、ある種の感慨に近いものだった。
少女たちは、ひとつの夢を叶えたのだ。
曲が終わり、会場が揺れるような歓声が挙がった。
美桜がマイクを握った。
「今日は来てくれてありがとうございます。私たち、
二人の名を叫ぶ熱狂を帯びた声は、消えることなく続いていた。
◆◆◆
時刻はすでに夕暮れをすぎ、冬空は暗くなっていた。
俺はアルテミスの事務所に戻り、綾瀬の案内を受けながら社長室に向かっていた。
ここに顔を出すのは、買収直後に一度訪れたきりだ。途中すれ違ったここの事務所のスタッフらしき人物たちも、俺の顔は知らない様子だった。
以前来た時よりも、事務所内で見かける人間が増えていることに気付いた。
廊下からガラス張りの壁越しに見かけたレッスンルームらしき場所には、この時間にも関わらずトレーニングウェアに身を包んだ何人かの少女たちが、ダンスの練習をしているようだった。
階段を上がり、実務一点張りといった社長室に入り、隅にあった応接用ソファーに腰を下ろした。
「静間オーナー。本日はご足労頂き、ありがとうございます」
経営者として復帰した綾瀬の顔は、精悍と言っていいものに変わっていた。
あの日、拠点で声を掛けてきた時の病人のような弱々しさは欠片も残っていなかった。
「ずいぶんと繁盛しているようだ」俺は見たままの感想を口にした。
まだまだですが、と言いつつも、やり手の経営者は頷いた。
「ここ数年で事務所を離れてしまったスタッフも次々に戻ってきてくれています。彼らには寺垣が声を掛けてくれました。最近辞めた者の中には彼女に良い印象をもっていない人間も少なくなかったので、最初のうちは厳しい言葉を投げられることもあったようです。ですが彼女は、『これは自分がやるべき事ですから』と」
そう語る男の目は穏やかだった。
「事務所を離れたあと個人で生徒を取っていた者は、復帰の際にその生徒も連れてきてくれました。彼らの紹介もあって入会者も増えています。それに──」
綾瀬は自信に満ちた笑みを浮かべた。
「今日のライブで希望者はさらに増えるでしょう」
経営者としての自負か、父親としての自慢か。おそらくその両方だろう。
プロの目から見ても、二人のライブは上々の結果だったらしい。
己の審美眼も満更捨てたものではない──と自惚れかけたところで、何もかも二人の努力の結果だと思い直した。
「ところで用件は。経営状況の報告だけじゃないだろう」
いかにも多忙といった風情の綾瀬が、電話で済むような話の為に俺を事務所に連れてくるとは思えなかった。
まさか男二人でこれからライブの
「娘たちが……いや
綾瀬は腕時計を確認した。
「もう事務所に戻っているはずですから、ここでお待ちください。私は一足先に失礼させて貰います。明日の朝早くから打ち合わせがありまして」
「娘と一緒に帰らないのか」俺の問いに綾瀬は首を振った。
「美桜は打ち上げで、今夜は鳴海の家に泊まるそうです。明日の夜まで帰ってこないと聞いています」
ぜひ二人を労ってやってください──そう言い残すと、綾瀬は部屋を出て行った。
しばらくの間、俺は一人居慣れない部屋で手持ち無沙汰に座っていた。
窓の外に目を向けても、隣のビルの暗い窓しか目に入らなかった。どこかから微かに聞こえる練習生の歌声が、あのライブの余韻を呼び起こした。
やがてドアの向こうから聞こえてきたのは、廊下を小走りする二つの足音だった。
「静間さん!見てくれました!?」
「おっさん!私たちどうだった!?」
ノックもせずに部屋に飛び込んできたのは、美桜と凪──今や念願のアイドルとなった
息を切らせながらこちらを伺う二人の様子は、最後に会ったあの日の喫茶店前を思い起こさせた。
先ほどまで華やかな衣装に身を包んでいた二人は、今は私服に着替えていた。
どこかでシャワーを浴びたらしく、少しだけ艶のある髪が部屋の照明を受けて淡く光っていた。頬には赤みが差していたが、それが湯上りの為か、ここまで走って来た為なのかはわからなかった。
ようやく落ち着いた二人は、ソファーに座った俺を囲むようにゆっくりと詰め寄ってきた。
「ねえ……私たちのライブ、どうだった……かな」
凪がこちらを窺うようにしながら尋ねた。美桜も感想が気になるようで、胸の前で握った二つの小さな拳に力が込められていた。
「飾りとはいえ、自分がオーナーだと思い直した」
俺の返答に二人は揃って疑問符を浮かべた。
「でなければ立場を忘れそうだった。先程のライブは、聞いたものをそうさせる力があった」
少し遅れて俺の言葉を理解した二人の顔は、咲き誇るような笑顔に変わっていった。
外まで聞こえるような音を立ててハイタッチを決めると、誇らしげに胸を張った。
しばらくの間、二人はステージに立っていた側からのライブについて、会話の花を咲かせていた。まだ興奮の熱が残っている彼女たちの口調には、どこか緊張した様子が混ざっているようにも見えた。
やがて演者の感想に一区切りがつくと、美桜と凪は二人で俺の正面に並びなおした。
「私たちから、静間さんに伝えたいことがあります」背筋を伸ばした美桜が口を開いた。
綾瀬はお礼と言っていたが、張り詰めた二人の様子からはそれ以上の話題を切り出す気配があった。
「理由を数えればキリがありません。いえ、理由なんてどうでもいいんです」
「だから、結論だけ言うね」
二人は立ったまま片手を繋ぐと、俺の目を真っ向から見つめた。
「静間さん……好きです。男の人として、好きです」
「私も、おっさんのことが好き……大好き」
頬を染めた彼女たちの言葉を理解するまでに、若干の時間を要した。
彼女たちの真剣な告白に対し、どう返答すべきか考えるよりも先に気になる事があった。
「二人の気持ちはありがたい。だが、君たちは──」
美桜と凪は、全て承知しているかように微笑んだ。
「私たちは今も恋人同士です。でも、二人とも同じ男の人を好きになっちゃいました」
「二人で決めてたの。デビューライブが終わったら一緒に告白するって」
彼女たちの想いは、俺には過ぎたものだった。
それに二人は先程ようやくアイドルとしての入り口に立ったばかりだ。男と──しかも所属事務所のオーナーと親密な関係になる事は、その将来を閉ざすことと同義だった。
俺の考えを予想していたかのように、凪が口を開いた。
「私と美桜はこれからもアイドルとして活動を続けたい。だから、付き合って欲しいとかは言わない」
美桜が笑みを浮かべてこちらを覗き込むようにした。
どこか蠱惑的な仕草だった。
「その代わり──今から皆には内緒で、私たちを受け取ってもらえませんか」
自分たちを一度に抱いて欲しい──美桜の口から出たのは、男にとってあまりに甘美な提案だった。
年端もない少女たちを諭す言葉を口にする前に、思わず目を向けたのは凪の顔だった。男性を嫌悪していたはずの彼女が、俺に抱かれる事を望んでいるのだろうか。
はたして彼女は目を逸らさなかった。少しだけ潤んで見える瞳が、俺の視線を受け止めた。
「男とそういう事するなら、アンタ以外ぜったいイヤ。……ううん違う。私が、おっさんにして欲しい」
この場を誤魔化す理由は、幾らでも用意できるように思えた。
年齢の差。お互いの立場。発覚した際の危険性。
だがこれだけ真っ直ぐな想いを前にして、もっともらしい言葉の一つも俺の口から出ることはなかった。
「アイドルは続けたい、静間さんにも愛して欲しい……ふふっ、私たちずいぶん欲張りですよね」
二人は顔を見合わせ、少しだけ笑いあった。
「おっさんがいなければ、私も美桜も外界で死んでるとこだった。……その時やっと気づいたの。たとえ外界でなくたって、普通に生きていること自体が奇跡みたいなものだって」
美桜が言葉を継いだ。
「だから二人で決めたんです。いつ死んでもおかしくないなら、もう欲しいものを我慢したりしない」
最後まで諦めないって、静間さんが教えてくれたんですよ──微笑む美桜に対し、俺は返すべき言葉を持たなかった。
「それとも私たち、静間さんの好みじゃなかったりします……?」
一転、不安そうに問いかける美桜に向けて、首を横に振った。見た目はもちろん内面すらこれほど麗しい少女たちを前にして、そんな嘘を吐けるはずもない。
「おっさんさあ、現役JKアイドルが二人も処女あげるって言ってるんだから、ありがたく受け取っておけば?」
照れ隠しの為だろう。敢えて蓮っ葉な口調で言い放った凪の顔は、それでも羞恥で赤く染まっていた。
彼女たちの選択に対し、これ以上大人を気取って分別を説くのは無粋というものだろう。
──俺は自分にそう言い訳をすることにした。
「わかった。ありがたく受け取ろう」
俺の言葉に返って来たのは、はにかむような二人の微笑だった。
◆◆◆
『あの、行きたいところがあるんです。ちょっとお値段しちゃいますけど……』
美桜が携帯で見せてきた場所に向かって、ベースボールキャップを目深に被った二人を乗せた車を走らせた。
車内で交わされた会話は穏やかなものだった。デビューライブまでの苦労話に耳を傾けながら、夜の街を進むこと二十分程。
車は目的の場所に到着した。
そこはワンガレージタイプのラブホテルだった。
淡い月光を浴びて佇むその建物は、郊外に建てられた瀟洒な邸宅のようにも見えた。
外からの視線を遮られたガレージの中にフェアレディを乗り入れた。どうやら車庫から直接部屋に向かえる造りらしく、これなら彼女たちが誰かに顔を見られることもないだろう。
「ここですね。早く行きましょう!」
黒いボストンバックを抱えた美桜はさっさと車を降りると、弾むような足取りで歩き始めた。
俺は彼女の後ろ姿を眺めながら、同じく取り残された凪に声を掛ける。
「ずいぶん乗り気のようだが」
凪も相方の高揚した様子に困惑している様だった。
「えっと……美桜がずっと目指してた念願のデビューライブ直後だし、その上おっさんに告白までして……ちょっとテンションおかしくなってるみたい」
美桜、おっさんの事大好きだから。と呆れたように呟いた。
「君はどうなんだ」俺が問いかけると、凪は顔を背けた。
「……言わせないでよ、バカ」目を伏せた彼女の口から囁くような言葉が漏れる。
顔を赤くした凪はそのまま足早に美桜に追いつくと、二人の少女は揃ってこちらを振り向いた。
綾瀬美桜と鳴海凪。
あの喫茶店での日々の積み重ねは、いささか不適切ではあるが父性に似たものを俺の胸に残していた。
タイプは違えど、二人ともとびきりの美少女と言って差し支えない。
前途有望なアイドルユニット。
俺に真っ直ぐな信頼と好意を向けてくれている少女たち。
そんな二人を──今からこの手で女にする。
胸に到来したのは罪悪感にも似た若干の後ろめたさと、それを遥かに上回る昏い情欲だった。
美桜の急かす声が聞こえ、俺は黙ったまま足を進めた。
上辺は瀟洒を装った、男女が交尾する為だけの専用施設へと。
ようやくハーレムタグの実績解除できそうです