わたしの名前は森國真奈実。花も恥じらう女子中学一年生である。趣味は人間観察。
……うん、どうかイタいやつだとか思わないで欲しい。
少しばかりカッコつけた言い方になってしまったが、そんなに大した話じゃない。
──例えば机についているとき。気になる男子を目で追ってしまうあの子の仕草とか。
──例えば何人かでトークしてるとき。意中のカレの話題を無意識に避けてしまうその子の話し方とか。
あれやこれやと小さな事が気になってしまう。
お母さんは"お父さんに似たのかな。あの人も小さなことにこだわるの"と言っていた。
自衛隊で技師という仕事をしているらしいお父さんの事は別に嫌いではないが、似ていると言われるとそれはそれで複雑な気分だ。
女子中学生は難しい年頃なのだ。
そんなわたし、森國真奈実のもっか最大の観察対象は、隣の席の静間
学校での彼女は、かなりの有名人だ。
まず何といっても顔がいい。母親がロシア人らしいけど、少しばかり出来過ぎではなかろうか。
透き通るような銀の髪に、紫がかった大きな瞳。スッと通った鼻筋の下には、小さな桜色の口唇。
なんという顔面偏差値の高さ。格差社会の無情をこの年齢で知ることになるとは思わなかった。
身長はクラスでも低い方だけど、これだけの容姿ならかえって人形のようで愛らしい。
にもかかわらず……なに、あのでっかい胸。絶対うちのお母さんより大きい。
頼んだら触らせてくれないだろうか。くれないだろうな。
次に頭がいい。とてもいい。
テストの点数はもちろんだけど、受け答えが大人っぽいなんてレベルじゃない。
あまり表情を変えないことも相まって、その立ち振る舞いはクールの一言。
でも全然イヤな感じはしない。なんだろう……距離感?というやつを計るのがすごく上手い。
ただの共感でもなく突き放すでもなく、こちらの相談にしっかりと考えて答えてくれる。
あまりの美形っぷりに最初は尻込みしていたクラスの女子たちも、気づけば何かと彼女に話を持ち込むようになっていた。
要するに静間リリカという女の子は、可愛い・セクシー・クールの三拍子揃った完璧超人なのだった。
そんなリリカは大層モテた。もう死ぬほどモテた。
だれが死ぬかは知らないけど。……強いて言うならフラれた男子たちだろうか。
入学初日から複数人に告白され、その後も毎日のように呼び出しは続いた。例え三年生でも、入学一ヶ月の彼女より屋上と裏庭に足を運んだ人はいないんじゃないだろうか。
おそらく廃校まで破られることのない告られ回数スコアを最速達成したリリカは、同時にお断りスコアも同数記録していた。つまり全員フっていた。
さすがに数カ月もすると男子たちの勢いも落ち着いてきたけどね。……週一レベルくらいには。
そして現在に至るまで、記録は更新され続けている。
繰り返しになるが、女子中学生は恋バナ大好きである。それも題材が身近であればあるほど良い。
──あの静間リリカの心を射止めるのは、果たしてどんな男なのだろうか。
二学期の席替えで隣になった彼女に、わたしの興味が向くのも仕方がないだろう。ないよね。
◆◆◆
制服が冬服に変わって間もなく。
彼女の様子が少しだけ変わったのに気がついた。
授業中に目を伏せる回数が少しだけ多い。
ほんの僅か。いつも真っ直ぐな背筋が前に下がっている。
いつも彼女を見ているわたしですら、気のせいかな?と思い過ごすほどの微かな変化。当然のように、他のクラスメイトはまったく気づいていないようだった。
休み時間、いつものように悩める女子の相談相手を終えた後。
リリカは次の授業の教科書を取り出しながら、小さく声を出した。
「少し家庭でトラブルがありまして」
最初、自分に話しかけられているとは気づかないほどに自然な動作だった。
「そうなんだ……でも、なんでわたしに?」
わたしのすっとぼけに、リリカは何でもない事のように答えた。
「気になっているようでしたから」
そこでようやく気がついた。
席替えしてからこっち、わたしがリリカを観察している様子を、相手も観察していたのだ。
思わずひえっという声が出そうになった。
「ひえっ」
ごめん、もう出てた。
深淵を……深淵が?……なんとかというやつだった。
しかも相手が遥かに格上。紛うことなく完敗だ。
「えっと……ごめん。わたし、人を見るのが癖というか……」
しどろもどろに白状を始めたわたしだが、当のリリカは大して気にしていないようだった。
「知っています。でも、誰かに吹聴する為に観察している訳じゃないでしょう」
わたしは勢いよく頷いた。
もし誰かの何かを見つけたとしても、それを周りに言いふらしたりはしない。
そこまで人間終わってない。……まあ人間観察自体がアレだよね、とか言われたら返す言葉もないけどさ。
「貴女が秘密を守れる人なら別に構いません。お好きにどうぞ」
紫色に透き通った大きな瞳がわたしを映した。
もしかして、少し面白がってる?いや、そんなはずないか。
「……わかった」
つまり、これはわたしの観察眼に対する挑戦なのだ。ちょっと違う気もするが、たぶんそうなのだ。
それはそうと、こちらをじっと見つめるのは止めて欲しい。なんか目覚めそう。
「あなたのこと、しっかり観させてもらうから」
そんなわけで。
隣のリリカさんウォッチングは、本人公認になったのだった。
◆◆◆
それから二ヶ月程、観察を続けた結果。
──何の成果も!得られませんでした!!
うん、言い訳くらいはさせて欲しい。
リリカさんマジ鉄壁なんだもん。
普段の表情や仕草からは、内心を推し量る取っ掛かりさえ見つけられなかった。
それでも多少は推測できたことがある。
多少の事では顔色ひとつ変えることがないリリカだけど、決して冷淡という訳ではない。
そもそも本当につれない人間なら、場所を変えての告白に律儀に付き合ったりはしないだろう。
その場で事務的に断ったとしてもおかしくないのだ。
女子連中のよろず相談相手を続けていることからも、それは明らかである。
思案の末に頭に浮かんだのは、静間リリカという少女は案外世話焼きなのではないか、という考えだった。
ただ、アウトプットされる手段が極めて実際的なのだ。
情の深い合理主義者と言うべきか。ああ見えて実は相当、愛が重いタイプなのかもしれない。
もし。もしもの話、彼女に想い人ができたとしたら。
なにかもっともらしい理由をつけながら、容赦なく外堀を埋めていくんじゃなかろうか。
まあ、全部わたしの想像に過ぎないけど。
相変わらずリリカはリリカだったし、男子たちから向けられる恋慕の念など何処吹く風といった感じだった。
秋を過ぎ、朝起きて布団から出るのが、そろそろしんどくなり始めた頃。
ある朝、教室に入ったわたしはリリカと挨拶を交わしながら自分の席に着いた。
鈴を鳴らすような声がいつもより柔らかく、椅子に座った背筋は真っ直ぐに伸びていた。
──ああ、なるほど。
「トラブルは解決したみたいだね」
「ええ」
それだけの短い会話だったけど、他のみんなには出来ないわたしたちだけのやり取りが、少しだけ誇らしかった。
それから程なくして、ちょっとしたニュースが校内を駆け巡った。
相も変わらずリリカへ告白しては玉砕していく男子は後を絶たなかったが、話題は彼女の断り方だ。
「ごめんなさい。今は恋愛に興味が持てません」
という入学当初からのお決まりのセリフが。
「ごめんなさい。好きな人がいます」
に変わったというものだった。
誰もがその『誰か』を知りたがった。
当然の流れとして、ある日フラれた一人が「誰だよそれ」と直球の質問をぶつけた。
すでに告白の成就ではなく、リリカの返答が気になってその場面を覗き込んでいた悪趣味な連中は、固唾を飲んで答えを待った。
「皆さんの知らない人ですよ」
リリカは事もなげに口にすると、スタスタとその場を去っていった。後に残されたのは、フラれた男と覗き屋どもとわたしだけだった。
『しつこい男を断わるためのでっち上げだよ』派と『実は本当に好きな人がいるんだよ』派は、熾烈……というほどでもない議論を戦わせた。
当たり前のように決着はつかなかった。
議論の末に確認された事実としては、静間リリカの好きな人は謎だという事と、ウチの中学は他人の噂が大好きな暇人だらけという事だけだった。
うん。別に議論いらなかったよね、これ。
◆◆◆
その日は開校記念日とやらで、授業は午前中だけだった。
もうお爺ちゃんと言っていい担任の先生は"半ドン"と言っていたが、意味は分からない。
朝から緩み気味だったクラスの空気が、先生が出ていくのと同時に解放感に変わって広がっていった。
隣のリリカさんは相変わらずクールな様子で、教科書やらノートやらを鞄に仕舞い始めていた。
よかったらどこか寄ってかない──そう言いかけた時、教室の入り口から声がした。
「静間さん、ちょっといいかな」
ドアを開けた姿勢のまま、立っていたのは上級生の男子だった。
顔は……まあ悪くない。脱いだ学生服を片方の肩に引っ掛けた姿はどうかと思うけど。あれ、本人的にはカッコいいつもりなんだろうか。
「何か御用でしょうか」リリカがいつも通り冷静な声で聞いた。
「ここじゃちょっとね。場所を変えるから付き合って欲しい」
リリカはわたしだけに聞こえるくらいの小さなため息をつくと、キザな上級生の後について教室を出た。
どうせ向かう先は、いつもの裏庭か屋上だろう。
告白というイベントにも、すでに慣れ切ったクラスの皆は大して気にとめていない。
なにより告白される本人が、一番興味なさそうだった。
毎度通りの撃沈パターンならわざわざ観察する意味もない。
わたしは大人しく家に帰ることにした。
◆◆◆
昇降口を出て校門までの前庭には、何人かの大人が立っていた。
お昼の間は普段の送迎バスが走っていない。遠くから登校している子は、親が車で迎えに来ているのだろう。
バリバリの徒歩通学であるわたしには、関係ない話だった。
不意に。下校中の生徒や、子供の出待ちをしている大人たちの視線が、時折ある方向に向けられていることに気がついた。
治りかけの傷口を気にするように、目を向けては逸らす皆の視線の先にいたのは、前庭の片隅に立っている一人の男の人だった。
背はかなり高い。180センチを超えてるんじゃないだろうか。歳は三十歳くらいで、これもかなり珍しい。わたしたちの両親は普通もっと上だ。逆に、誰かのお兄さんと言うには少し離れすぎている。
でも、みんなの注目を集めている理由はそんなものじゃなかった。
あの人が立っているその周りだけ、夜になっているような錯覚。
お花畑の真ん中に停まっている戦車のような。
果物籠の中に突き立てられたナイフのような。
説明の難しい、漠然とした異物感。
お父さんが自衛官──戦う人だからなのかも知れない。
その正体が、わたしには分かった。
先月、映画を見に行った。推しの雄馬くんが出ていたからだったけど、すぐ後悔した。シナリオはヤクザ同士の抗争もので、俳優たちが怒鳴り声を上げながらピストルを撃ち合っていて、とても怖かったからだ。
その時の恐怖が色褪せ、全てが造り物だったとわかるくらい、あそこに佇む男の人は『本物』だった。
普通の世界で生きているわたしたちが、理由もわからないまま視線を向けてしまい、そして目を背けるのも当然だ。
あの人が纏っているのは、死と戦いの気配だった。
目を合わせないよう伏せたまま、校門に向けて前庭を進む。寝ている猛獣を起こさないように、こっそりと忍び足で前を横切るような気持ちだった。
その人の目の前を通り過ぎる瞬間。低い声がこちらに向けられた。
「君。少しいいだろうか」
「ひえっ!……あっすみません。わたし、ですか?」
「一年生の静間リリカという生徒の保護者だが、彼女がどこにいるか知らないか」
リリカの名前を聞いた途端、わたしの恐怖はあっという間に薄れていった。
我ながら単純な事に、友達の家族らしいという事実に安心してしまったのかも知れない。
あるいは。リリカの名前を呼ぶ男の人の声が、とても優しく聞こえたせいかも知れなかった。
「リリカならわたしの友達です!席が隣なんです!」
思わず答えてしまってから、慌てて警戒し直した。超絶美少女のリリカのことだ。なにか良からぬ考えを持った大人が近づいてきても不思議ではない。
それに、確か彼女から聞いた話では──
「あの、リリカのお父さんって……」
男の人は、こちらの様子をチラチラと伺う他の父兄の視線にうんざりしたような顔をしながら答えてくれた。
うっ……近くでよく見ると、この人結構カッコいいかも。
「ああ、俺は亡くなった父親の弟だ。彼女の叔父にあたる」
うん。……考えてみればそんな嘘を吐く必要なんてない。もしこの人が誘拐犯なら、人気の無いところで待つはずだ。こんな目立つ場所で待ち構える意味なんてなかった。
また何人かの生徒が通りすがりながらこちらに目を向けたが、今度はすぐに興味を失ったようだった。
あらぬ疑いをかけてしまった罪滅ぼしくらいはするべきだろう。
見世物扱いに不貞腐れた、動物園の虎みたいな雰囲気のリリカの叔父さんに提案してみる。
「あの。よければリリカが出てくるまで、わたしとお話しませんか?迎えに来た子と喋ってるように見えれば、気にする人も少なくなると思います」
叔父さんはしばらく考えていたが、やがて小さくため息を吐いた。
「……頼めるか」
少しドキドキしながら、わたしは頷いた。
これは単なる人助けだ。困ってるのが友達の叔父さんならなおさらだ。
……だから。年上の男の人との会話を楽しむくらいは、当然の役得というものなのだ。
◆◆◆
リリカの叔父さんとの会話は、思いの外楽しかった。
向こうはわたしをまだ子供だと思っているのは間違いないのだが、単なる子供扱いとも少し違う。
「──リリカって家ではどんな感じなんですか?」
「悪いがそれは話せない。君は父親が同級生相手に、自分の家での様子をベラベラと話していたら許せるか」
……なんだろう。子供のままとして、わたしの事を認めてくれているような。不思議な感覚だった。
「──それで、今も告白されてるトコなんですよ」
「難しいところだな」
「何がですか?」
「叔父として自慢すべきか、心配すべきかだ。前者については、その前に自慢相手を探す必要があるが」
少し皮肉っぽい、平静で整然とした語り口。
ようやく気がついた。この人の喋り方は、リリカにそっくりなのだ。いや、リリカがこの人に似ていると言ったほうがいいのだろうか。
学校始まって以来の美少女と、こんな強面のおじさんがびっくりするくらい似てるなんて……!
思わず笑い出しそうになったわたしを、リリカの叔父さんは片方の眉を少し上げて不思議そうに眺めた。
「あっ、すみません!……それより、リリカ遅いですね。わたし、ちょっと校舎の中見てきましょうか」
「いや。たった今、その必要はなくなった」
振り返ると、鞄を提げたリリカが昇降口から出てくるところだった。紫水晶のような瞳が、わたしを通り越して真後ろの人物に向けられる。背後で叔父さんが頷く気配がした。リリカは表情を変えなかった。ただ少しだけ目を伏せて、こくりと頷き返しただけだった。
それだけ。ほんのそれだけの仕草で、わたしは直感した。
──この人だ。
いつもよりちょっとだけ早足で、リリカがこちらに近づいてくる。
「待たせましたか」
「いや。ただ、野次馬という生き物の生態観察には少々飽きた」
「特に後ろめたい事がないなら、堂々としていればいいのでは」
淡々とした声のラリーには、一見すると恋愛のれの字も見えはしない。
──でも。
普段より僅かに弾んだ声。
クラスの皆には決して見せない、微かに染まった頬。
わたしの直感は確信に変わっていった。
「彼女に話し相手になって貰って助かった。君の友人らしいが」
リリカはわたしに視線を移すと、全校男子が一度は自分にも向けてほしいと願う微笑を浮かべた。
「ええ。何かとこちらを気にかけてくれますし、なにより
口から飛び出しかけた悲鳴を我慢したわたしを、どうか褒めて欲しい。
他人の──それも同い年の女子の笑顔に、これほどの恐怖を覚えた事はなかった。
キツツキみたいに首を振るわたしに、リリカの叔父さんが声を掛けてくれた。
「付き合わせて悪かった。これからも姪と仲良くしてやってくれ」
二人は連れ立って校門を出て行った。
似たもの同士の美少女と猛獣を、わたしは黙って見送った。
普段から他人を観察していると、人間なんて案外わかりやすいなと思うことがある。
でも今日は違った。静間リリカは、まったくいつも通りに見えた。
だからこそ──そのささやかな変化は、わたしの心に静かに響いた。
長年苦戦していた知恵の輪が、あっさり外れたような不思議な感覚。それと同時に浮かび上がったのは、隣の席の友人への素直なエールだった。
……頑張れ、友よ。年の差とか世間体とか、そういう難しい話はひとまず置いておく。
美人で、聡明で、どこか達観したような彼女であっても、一人の恋する乙女なのだ。
学校中が躍起になって探っている真相と、それを知る者のちょっぴりの優越感を胸に、わたしは一人頷いた。
……うん。やっぱり人間観察は、やめられそうにない。