やんごとなき王族を乗せている所為か、やけに緊張しているフェアレディを走らせ、クラシックホテルに帰ってきた頃には陽が沈みかけていた。
継承戦──『選定の儀』の期間は一か月。護衛を引き受けた以上、毎日優雅に自宅通勤という訳にもいかない。依頼の完了日まで、俺もこのホテルに滞在する必要があった。
幸い彼女たちがフロアそのものを貸し切っているおかげで、空き部屋に困ることは無かった。
ロビーに常駐している警備局の人間たちに面通しを済ませると自宅へ電話を入れ、しばらく帰れないことを伝えておく。ついでに俺が戻るまでは、なるべく外出を控えるよう念を押した。
レフォルマトルが継承戦に関わってくるかは定かでないが、錦辺の口振りでは都市内で破壊活動が起こる可能性すらあり得た。
私室として拝借したシングルルームで電話を切った俺が作戦本部──セラフィナが自分の部屋をそう呼んだ──に入室すると、三人はセンターテーブルを囲んだ赤いソファーに腰を掛けていた。
手前の空いている長椅子に腰を下ろすと、向かい側に座っていたセラフィナが勢いよく立ち上がった。
わざわざ移動してくると俺の真隣に腰掛ける。さらに喜色満面で身体を摺り寄せてきた。
「んふふっ、コテツ! コテツ!」
「セラ、気持ちは分かるけど少々はしたないよ」
長い足を組んで座っていたレオンは微苦笑を浮かべて妹を窘め、ルシアは立ち上がるとカウンターでコーヒーを淹れ、俺の目の前に音もなくサーブした。
脇腹に纏わりつく小さな身体を感じながら、俺はコーヒーを一口啜った。重厚感のある味も青薔薇の描かれたカップも絶品だった。
大倉陶園の名作をソーサーの上に戻した俺は、レオンに話しかけた。
「では、早速方針を聞かせて頂きたい」
「その前に、ひとついいかしら」傍らから聞こえた声に視線を落とすと、セラフィナが俺を眇めた目で見上げていた。
「伺いましょう、王女殿下」
「それよ!」セラフィナが俺を指差した。
「王女殿下じゃなくて、セラ。私もコテツって呼ぶんだから。あと、私たちしかいない時は普通に話して」
俺は向かいに座る二人へ視線で助けを求めた。
「僕もレオンで構わないよ」傍系の王子は楽しそうに口を開いた。
「これから一か月、一緒に動くことになるんだ。毎度毎度『殿下』だの何だのと呼ばれていたら肩が凝る。ここでくらいは気楽にさせてくれ」
ルシアはいつも通り顔色ひとつ変えなかった。
「私は従者ですので、客人でもあるシズマ様に敬称を付けて頂く道理は元よりありません」
敢え無く見捨てられた俺が視線を戻すと、セラフィナが期待に満ちた顔でこちらを見上げていた。ほんの数時間前、『依頼人の意向に沿うことが仕事』などと抜かしたどこかの間抜けがいたらしいが、文句のひとつも言ってやりたい気分だった。
「……公式の場では今まで通りだ。それで構わないな、セラ」
「うん!」セラフィナ王女は──セラは威勢よく頷いた。
俺は顔を上げて、こちらを眺める両名に声を掛けた。
「では改めてよろしく頼む。レオン、ルシア」
それぞれ異なる表情を浮かべていた二人は、揃って同時に首肯した。
すっかりご機嫌な様子のセラが張りきった声を上げた。
「それじゃあ、作戦会議を始めましょう!」
柔らかな銀髪が二の腕をくすぐるのを肌で感じながら、不意に自分が何かとんでもない間違いをしたのではないかという考えが頭の中を横切った。
後悔とは全く別種の、形容しがたい感情が脳裏を悠然と通り過ぎていくのを、俺は両手を上げて見送った。
「まずは状況を整理しましょう。今回の選定で一番大きな争点になっているのは、外界から得た資源を王家がどう扱うか。そこに尽きるわ」
セラの言葉に、聴衆三名は頷いた。ルーマニアではこれまで王家が育成した探究者を外界へ送り込み、回収された資源は
「エルネス姉様は、外界資源を一部に集中させるべきではないと考えてる。出来るだけ多くの企業が参入できる市場を作って、そこで自由に取引させることで国全体を豊かにする。それが姉様の考え」
「そして、長男の方針は逆だね」レオンが合いの手を入れた。
「ええ。アダルベルド兄様は外界資源を有力な企業へ優先的に供給して、その力で大規模な開発を進めるつもり。道路や鉄道を始めとする五大インフラ……国の基盤になるものを短期間で整備するなら、確かにその方がずっと効率がいいわ」
「他の候補者はどう立ち回るかな。シズマ、君の考えはどうだろう」
俺は彼らの演説を思い返しながら口を開いた。
「ボリスの背景は国軍、それと軍産複合体企業だったな。拠点都市にも軍事産業に関わる企業は多い。おそらく、防衛装備品の輸入を餌に協力を要請するつもりだろう」
この国の兵器輸出先は協定締約国に限定されていたが、お得意様が約束されているなら内閣を動かす材料としては充分だった。
「ハルレッドは版図拡大──いや、彼に言わせれば
レオンは音を立てずに拍手した。
「うん、さすがだね。彼らの構想が実現するとしたら、この国で最も利益が見込めるのは軍事関連事業となる。乗ってくるのは重工業や電機会社を傘下に持つ企業グループってところかな」
「眼鏡の王子に関しては正直読めない。科学技術の発展と言っても範囲が広すぎる。どこかに共同研究を持ちかける腹積もりだとは思うが」
「クレメンテ兄様は王位自体にあまり興味はなさそうなの。ちなみにルーマニアから連れて来た5人も、全員アカデミーの研究者よ。継承戦に参加しに来たのか、
どうやら第二王子は、王位よりも日本の資源転用技術にご執心のようだった。
「エルネスの構想に研究機関への定期的な資源投資を加えれば、彼の背景共々味方に引き込めるかもしれないね」
レオンの言葉に頷いたセラは大きく頷いた。
「これが継承者たちの方針と、そこから予想される戦略。そして私たちが絶対に越えなければいけない壁が、最有力候補者でもあるアダルベルト兄様ね」
「日本でも兄様は大企業を狙うはずよ。ルーマニアで計画している巨大事業に参加できるだけの資本と技術を持った企業。つまり、この国で正式に外界への参入を認められている企業との関係を作ろうとする」
俺は舵木の追従を遮ったアダルベルドを思い出した。いかに王族とはいえ、彼の言動はまるで従属者に対する振る舞いだった。そして経産省と関係が深いのはセラが上げた外界認可企業なのは言うまでもない。
「この国の経産省は、すでに勝ち馬に乗った気か」
「たぶんね。向こうは数を集める必要がないの。この国の大企業を何社か味方につけて、これだけの投資と技術協力を約束させました、と示せればいい」
「では、我々も対抗して認可企業と交渉するのですか」
ルシアの問いに、セラは首を横に振った。
「それじゃ絶対に勝てないわ。だから、私たちは逆をやる」
銀髪の少女は、どこか不敵な笑みを浮かべて続きを口にした。
「この都市には外界に関係する仕事をしているのに、直接外界資源を扱えない会社がたくさんあるでしょう?」
俺は頷いた。外界関連企業と一口に言っても、正式に認可を受けて探査員を抱えられる企業は一握りだ。その下には回収資源の加工、輸送、保管や、それを利用した製品の製造などを請け負う会社が無数にぶら下がっている。
「そういう会社にとって、エルネス姉様の構想は魅力があると思うの。ルーマニアに自由市場が出来れば、日本では外界資源を直接買えない企業にも参入する機会が生まれるから」
アダルベルドが既に外界という実りを手にしている者を集めるなら、こちらはその果実を切望しつつも手が届いていない者たちを集める。
「兄様が大企業からどれだけ大きな投資を引き出せるかなら、私たちはどれだけ大きな市場を作れるかで勝負する」
「つまり"質"対"量"か」
俺の要約に、王女様は大きく頷いた。
「向こうが一社で百を持ってくるなら、私たちは十を持ってる会社を十一社集めればいい」
レオンが苦笑した。「随分と単純化したね」
「分かりやすいでしょう?」セラは満足そうに笑った。
「だから、これから私たちがやることも単純よ」
そう言って少女は立ち上がると窓際に駆け寄り、ガラスの向こう──闇の中に光り輝く無数のビル群を背景に両腕を拡げた。
「この都市にある会社を片っ端から口説き落とすの!」
◆◆◆
翌朝から、俺たちは本格的に動き始めた。
やるべきことは単純だった。拠点都市に存在する外界関連企業の中から、認可企業の下請けや孫請けとして資源を扱っている企業を拾い上げ、エルネスが構想する自由市場への参加を手当たり次第に持ち掛けていく。
顔を洗ってひげを剃り、ルームサービスの朝食を済ませて作戦本部に顔を出すと、既に三人は作業に取り掛かっていた。
センターテーブルにはノートパソコンと資料が広げられ、アール・ヌーヴォーの雅趣漂う貴賓室は、わずか一晩で零細企業の営業所じみた有様になっていた。
「おはよ、コテツ」
ソファーに座ったセラが顔を上げる。パソコンの画面を睨んでいたレオンがこちらに向けて手招きをした。
「ちょうどいいところに来てくれた。まずはこれを見てもらえるかな」
画面をのぞき込むと、リスト化された企業名が並んでいた。所在地や資本金に主要取引先、さらに事業概要まで添えられている。
「ずいぶんと仕事が早いな」
「大部分はAIに拾わせた。それからエルネスの従者たちが調べた分も合わせてある」
画面に指を置き、スクロールさせてみる。名前を知っているところもあれば、初めて見る会社もあった。
「ここは外した方がいい。表向きは資源加工会社だが、裏に反社勢力が付いてる。後になって取り分でゴネだしかねない」
レオンは頷くと企業名を塗りつぶした。
「これはどうかな。事業規模を考えれば優先順位は高そうだけど」
「悪くない。何度か資源を売却したことがある。俺の名前を出せば、少なくとも門前払いはされないだろう」
立ち上がったルシアが画面を覗き込むのを横目に入れながら、俺はレオンの指の動きに合わせて流れるリストを眺めていった。
「ここも優先順位を上げてくれ。元請けの認可企業は取適法も意に介さない買い叩きで評判が悪い。こちらの構想に興味を持つはずだ」
ルシアが小さく嘆息した。「良く御存知ですね」
「十年も
「フリーの探査員だからこそ、か。シズマがどこかの企業の専属だったら、こうも上手くは行かなかっただろうね」
「図らずも」俺が答えて画面から目を上げると、向かいのソファーでは得意顔のセラが小さな胸を張っていた。
「さすが。シズマを選んだセラフィナ王女殿下は、誠に慧眼でいらっしゃる」冗談めかして義妹を讃えたレオンは、全員を見回した。
「役割を決めよう」彼の声も表情も一瞬のうちに精悍と呼べるものに切り替わっていた。
「僕はエルネス側と情報を共有しながら候補企業を増やしていく。それと、他の候補者がどこへ接触しているかも調べる。競合する相手が分かっていれば、こちらも動きやすいからね」
「候補リストは俺が確認する。問題のある企業を弾いて、ついでに優先順位を付ければいいんだな」
レオンは頷いた。「シズマとの取引があるなら、それだけで面談への確度はかなり違うはずだ」
「私は各企業への連絡と日程の調整を担当致します」ルシアが言った。
「メールで趣旨と概要を送り、反応のあった企業から順次予定を組みます。先方から電話での確認を求められた場合は──」
彼女の視線が俺へ向いた。「シズマ様にお願い致します。先方に都合よくルーマニア語を理解できる手段があるとは思えませんので」
俺は渋々頷いてみせた。まさかこの歳まで碌な社会経験を積まないまま、国家事業の営業マンを勤める事になるとは思わなかった。
「ありがとう、コテツ」向かいから嬉しそうな声が飛んできた。
「セラは──」レオンが口を開きかけると、本人は待ってましたとばかりに胸を張った。
「もちろん直接交渉ね。任せておいて!」
レオンが候補を探し、俺が選別する。ルシアが扉を叩き、最後にセラが乗り込んで交渉する。
「アポイント先にセラが出向く際は、護衛としてシズマとルシアも同行して欲しい。僕はここに残るよ」
「あら。レオン兄様はお留守番?」揶揄うようなセラの言葉に、レオンは首を竦めた。
「エルネス側との連絡、候補企業の調査、他陣営の動向確認。それに、こちらが外へ出ている間にも返事は来る。誰か一人はここで全体を見ていた方がいい」
レオンは敢えて口にしなかったようだが護衛の問題もあった。いくら心得があるとは言え、王族が一人増えるだけで警護の難易度は跳ね上がる。
「先にGPSで互いの位置情報を共有しておきましょう。万が一の場合にも、これで現在地を確認できますので」
ルシアが携帯を取り出すと、全員がそれに倣った。
昨今の位置情報アプリはGPSだけでなく周辺通信まで拾うため、屋内でもかなり正確に現在地を絞り込める──という話を、何かで流し読んだ記憶があった。
俺が普段関心を持つ軍用情報は、そんな
「これでポジションも決まりね」セラが両手を合わせた。
「では、確定している企業へ打診を開始します」ルシアがそう言い終わるや否や、細い指がキーボードの上を走り始める。
乾いたタイピング音を皮切りに、即席の営業チームが動き出した。
俺は携帯を取り出すと、セラに向けて声を掛けた。
「返答が来るまで手持無沙汰も忍びない。すぐにでも会ってくれそうな所から始めよう」
◆◆◆
蒼生製薬株式会社は、拠点都市の中心部から車で二十分ほど離れた南区の臨海工業地域に本社を構えていた。
白いセラミックのタイルに覆われた外観は、周囲の墓石のような旧式ビル群の中で穏やかに佇んでいるようにも見えた。
俺は正面玄関脇の駐車場にフェアレディを停め、セラとルシアを連れて受付へ向かった。
三十代半ばの受付嬢に名前を告げようとしたところで、ロビーの奥から慌ただしい足音が近づいてきた。
「静間さーん!」
聞き覚えのある声と共に駆け寄ってきたのは、スーツ姿の小柄な女だった。
「急に連絡が来るとびっくりするんですけど!お久しぶりです!会社に行くから社長に会わせろっていきなり言われましても!」
脈絡なく喚きながらこちらに近づき、目の前で急停止した篠塚こよりは、混乱した顔で俺を見上げた。
パーソナルスペースとやらに何かと厳しいご時世において、人事部門が飛んできそうなほどに距離が近かった。
「何も準備できてませんし……下着だって今日はお気に入りのじゃなくて」
俺は要らぬ情報を口走り始めた篠塚を、予備の通訳イヤホンを押し付けて黙らせた。
「準備ならこちらが済ませて来た。代表の予定も問題ないと聞いていたが」
キャパシティが少々控えめなOLは、そこでようやく落ち着いたようだった。
平静さを取り戻すと同時に、俺の両隣に立つ二人の存在に気付いたらしい。まず長身のルシアに、次いでなぜか笑顔を浮かべたセラへ視線を移す。
「そちらが……」
「初めまして。ロムニエル家第二王女のセラフィナ・ティス・ロムニエルです」
篠塚がイヤホンを耳に着けるのと同時に一歩前へ出たセラが、王族らしく優雅に会釈した。
「今日は仲介ありがとう。
てっきり物怖じするかと思いきや、篠塚は負けじと笑顔を浮かべた。
俺には推し量る事の出来ない何らかの感情が、気弱な女営業員の委縮を上回っているようだった。
「ご丁寧にありがとうございます、セラフィナ王女殿下。蒼生製薬株式会社、第二営業部の篠塚です。静間さんとは
にこやかな微笑みを浮かべた二人の視線が、俺の目の前で交錯した。
真横から注がれるルシアの物言いたげな視線に気付かない振りをしながら、俺は本題を口にした。
「挨拶が済んだなら、案内してくれないか」
「あっ、そうでした」篠塚が細身の腕時計を確認した。
ご案内します、と一礼して進み始めた篠塚にセラが追い付くと、隣に並んで小声で何かを喋り始めた。
会話の内容は聞き取れなかったが、少なくとも険悪な雰囲気には見えなかった。
俺の隣に並んだルシアが、独り言のように呟いた。
「シズマ様は多方面に親しい方がいらっしゃるようですね」
俺は無性に何かを弁解したい気分になったが、何を弁解すべきか思いつかなかったので黙っていた。
◆◆◆
篠塚に案内された社長室は、十畳ほどの広さを持つ角部屋だった。執務デスクと資料が収められたキャビネット以外に目立った家具はなく、一企業の代表の部屋としては殺風景とすら言えた。部屋に入ると、デスクについていた五十代半ばほどの女性が立ち上がって我々を迎えた。
佐伯と名乗った女性の髪には僅かに白いものが混じり、黒紫のテイラード・スーツを隙なく着こなしていた。彼女の鋭利な眼差しが、無骨な社長室の内装を機能的かつ実務的な印象へと変えていた。
佐伯にイヤホンを渡して互いに挨拶を済ませると、セラはデスクの手前に並んでいた三脚の椅子の一つに腰をおろした。俺とルシアは着席を辞退し、王女の後ろに並んで立った。
篠塚は、教師の机の横で立たされる生徒のように社長デスクの脇に控えていた。
「本日お伺いしたのは、私の姉であるエルネスティーナが構想している外界資源市場について、御社にも参加を検討して頂きたいからです」
落ち着いた口調で切り出したセラはルシアから資料を受け取り、相手に向けるとデスクの上へ置いた。
ルーマニア王家が獲得した外界資源について、現在は政府を通して国内へ供給していること。
エルネスが次期当主となった場合、その配分を政府の裁量だけに委ねず、広く民間企業が参加できる自由市場を形成すること。
そして一定の審査基準こそ設けるものの、海外企業にもその門戸を開く方針であること。
佐伯は途中で口を挟まず、時おり資料に目を落としながら話に耳を傾けていた。
一通り説明が終わると、セラに向けて質問を重ね始めた。
「つまり、御国で市場が開設された場合、我々も外界資源を直接購入できる可能性があると」
「ええ。御社が参加資格を満たしていることが前提となりますが。少なくとも日本のように一部の認可企業だけに取引資格を限定するつもりはありません」
「資格について、現段階での指標はありますか」
「まだ策定の途中です。ただ、財務状況や事業実態の審査に加えて、不正流出を防ぐための追跡義務は必要になると考えています」
僅か十一歳の少女とは思えないほど、セラの応答は堂に入っていた。
何かあれば口を挟もうと考えていた俺自身が恥ずかしくなる程に。
質疑を終えた佐伯はしばらく黙っていたが、やがて深く頷いた。
「セラフィナ王女殿下。現時点では参入の確約ではなく、構想の支持を表明すれば良いという事ですね」
「勿論です。そちらとしても、実現の不確かな市場を前提とした事業計画を策定することは難しいでしょうから」
篠塚が慌てた声を上げた。「社長、よろしいんですか。グループの上位会社が苦情を入れてきそうですけど」
佐伯は山賊の女頭領のような笑みを浮かべた。「盆暗な元請け連中に先んじて、わが社が自由市場の窓口を務める。大変結構な話じゃないか」
続けて目を回し始めた篠塚に向けて恫喝するような声を出した。「篠塚、お前のパートナーが持ち込んできた話だろう。お前が支持してやらなくてどうする」
俺は苦笑しつつ、女丈夫な社長に向けて口を開いた。
「こちらからも提案したい。これから俺個人が外界で回収した資源は、お宅に優先して売却する。無論、期間は定めさせて貰うが」
セラの小さな肩が一瞬動いたが、全ては初めから織り込み済みだという風に黙って微笑んでいた。
俺の提案に篠塚は喜色を浮かべたが、佐伯は黙ったまま話の続きを待っていた。
「代わりに条件がある。同じ立場の受託企業にこの話を広めて貰いたい。外界資源を扱っているが認可を持たない会社で、もし好感触があれば紹介して欲しい」
「承りましょう」女社長は短く答え、再びセラを見た。
「エルネスティーナ王女殿下の構想、及び静間様のご意向についてわが社は全面的に賛同致します。法務に確認させますが、後日正式な同意書をご用意しましょう」
ルシアが後ろに組んだ手で拳を握るのが、視界の端に移った。
「他の経営者には私から声を掛けますが──篠塚。お前が窓口として、まとめた候補を殿下までお送りしなさい」
篠塚の返事と共にイヤホンを外した佐伯は、セラに向かって右手を差し出した。
握手を終えて立ち上がった少女と我々を視界に収めて微笑むと、見事な
「
悪戯を成功させた子供のように含み笑いをする佐伯を残して、俺たちと篠塚は社長室を後にした。
◆◆◆
初商談を無事に終わらせた我々が白タイルのビルから出た頃には、太陽は空の中心にかかっていた。
「静間さん、進展があったら連絡します。セラ様もまた来てくださいね!」
セラと篠塚が会話をしていたのは移動中の僅かな時間だけだったはずだが、ずいぶんと仲良くなったらしい。
ウィンドウ越しに手を振り合う二人をミラーに収めたまま、俺はフェアレディのイグニッション・キーをまわした。
南区には扉の出現以前から残る建物も多く、車窓を流れていくのは中心街の摩天楼とはかけ離れた雑居ビルや倉庫ばかりだった。煤けた外壁に新しい企業看板だけを掲げた建物の谷間を大型トラックが行き交い、頭上では錆の浮いた高架道路が冬の日差しを遮っていた。
臨海工業地域から中央区に繋がる縦貫道路に入って運転のペースが落ち着くと、セラがおずおずと礼を口にした。
「コテツ……その、ありがとう」
「気にしなくていい。どのみち、資源はどこかの企業に売る必要がある」
アダルベルドはともかく、中堅企業については残りの候補者もいずれ手を伸ばすだろう。
彼らに先んじて自由市場の情報網を広げておくことができれば、争奪戦に於いてかなりの優位に立つことができる。
俺の手持ちのカードはそう多くはない。アイソレーションには最適のタイミングだった。
バックミラー越しに紅い瞳と視線が合うと、セラは僅かに頷いて見せた。
すぐに気分を切り替えたらしい。王族に必要な資質かどうかはさて置いて、生き残るために得難い素質ではあった。
「次はどこへ行くの?」早速フェアレディの後部座席から弾んだ声が飛んできた。
「差し当たり今日の予定は終わりだ。後はホテルに帰ってメールの返事を確認する」
「じゃあ、少し街を見て回りたい!」
鏡の表面に沿って目を動かすと、セラの隣に座ったルシアが僅かに眉を寄せていた。
「セラ様。不要な外出はお控え頂きたいと申し上げたはずですが」
「でも、戻ってもすぐに出来ることはないでしょ。せっかく
セラは期待の目を、ルシアが助けを求めるような目を、鏡越しに俺へと向けた。
俺は四つの瞳が映ったミラーから視線を外して周囲の車を流し見た。
「尾行の気配が無いのはそちらも気付いている筈だ。見通しの良い場所を少し歩くくらいなら構わないだろう」
「シズマ様まで……不要なリスクを負う必要はないと思いますが」
この国に残るリスクと比べれば、外出程度は利息のようなものだった。そこには触れず、俺は別の事を口にした。
「
ルシアは俺とセラを交互に見詰めた後、小さく息を吐いた。
「……三十分です。それ以上は認めません」
「やったぁ!」
先ほどまで歴戦の経営者と渡り合っていた王女殿下は、後部座席で両手を上げた。
◆◆◆
フェアレディが向かった先は、この国に無数に存在する「セントラルパーク」という名を冠した都市公園だった。
名だけでなく実についても没個性そのもので、広い芝生と遊歩道、その周囲に植えられた木々という名前から想像できる範囲を一歩も出ない造りをしていた。
平日の昼間にもかかわらず人影はそれなりにあった。ベビーカーを押す母親や犬を連れた老人、昼休みらしい会社員の一団が車座に座り、芝生では子供たちがボールを蹴っている。遠くには中央区の高層ビル群が木々の向こうから頭を覗かせていた。
都市の真ん中を四角く切り取ったような公園の駐車場に、俺は車を乗り入れた。
後部座席を降りた途端、セラは俺たちを置いて数歩先まで駆けていった。
噴水を見つけては立ち止まり、露店を覗き込み、芝生を横切る鳥の群れにまで興味を示す。十一歳の少女としては何もおかしくない振る舞いなのだろうが、宣誓式や先ほどの商談に臨んでいた王女としての姿とは、まるきり別人のような趣だった。
すれ違う人間の半分が微笑ましいものを見るような目を向け、もう半分は西洋人形のような彼女の容姿に感心したような目を向けていた。
周囲の視線を集めていたのはセラだけではなかった。
ルシアはセラから数歩と離れず、時おり周囲へ目を配りながら歩いていた。拠点都市では外国人など珍しくもない。
だが、氷の彫像のように整った顔立ちと少々自己主張の激しすぎる肢体は、すれ違った者が振り返り、ベンチに座っていた男が連れに何か囁く程度には目立っていた。
本人は集まる視線に気付いていないのか、気に留めてもいないのか、いつもの無表情を崩さなかった。
三十分という約束は、途中でセラが見つけた売店によって早くも危機に瀕した。
身振り手振りで何とか購入に成功したソフトクリームを片手に戻ってきた少女は、まず俺に一口勧め、断ると今度はルシアに差し出した。
従者にも断られ、一人で食べながら歩き始める。紅い瞳に映る全てが、王女の興味の対象のようだった。
公園を一周する頃には流石に疲れたらしく、遊歩道沿いのベンチを見つけると真っ先にセラは腰を下ろした。
腕を引かれた俺が隣に座り、ルシアが反対側へ腰を下ろす。つい先ほどまで途切れることなく続いていたセラの喋り声は次第に間隔が長くなり、やがて完全に聞こえなくなった。
不意に、肩口に柔らかな感触が触れた。
隣を向くと、セラが俺の肩に頭を預けて目を閉じていた。銀色の髪が上着に流れ、規則正しい呼吸に合わせて小さな身体が僅かに上下している。
「……シズマ様。申し訳ありませんが、しばらくそのままでいて頂けますか」
ルシアは眠る主人の幼顔を見つめたまま、静かに口を開いた。
俺は背もたれへ身体を預けた。約束の時間については口にしなかった。
しばらくの間、俺たちは口を開かなかった。少し離れた遊歩道を人が行き交い、噴水から絶え間なく水音が届いてくる。
「セラ様がこれほど楽しそうになさっている姿を、私は初めて見ました」
ルシアが独り言のように口を開いた。独り言だったのかも知れない。
ただ、続けて語られた言葉は間違いなく俺に向けていた。
「……お話しすべきか迷いましたが、シズマ様には知っておいて頂きたいことがあります」
俺は返事をしない事で、彼女に続きを促した。
「セラ様のお母上は、殿下を出産された直後に亡くなられています。その頃には、すでに外界への扉が出現していました。政府による調査が成果を上げられない中、王政を復活させる千載一遇の好機だったのでしょう。当主様は文字通り、外界の攻略に全てを捧げるようになられたそうです」
彼女は膝の上で両手を重ね、視線だけをこちらへ向けた。
「生活に不自由はありませんでした。王族として最高の教育を受け、多くの使用人に囲まれ、望めば大抵の物は与えられました。ただ、幼い子供が本当に欲しがるものまで、使用人が代わりを務められるとは思いません」
王室という特殊な環境なのだから、一般家庭と同じ親子関係など求むべくもない。そう
「セラ様を気に掛けてくださったのは、エルネスティーナ様とレオン様だけでした。しかし、お二人とて常にお側にいられるわけではありません。今でこそ王家にとっての重要性を理解され、ご自身でも熱心に勉強なさっていますが、幼い頃のセラ様は外界を憎んでいたと申し上げた方が近いでしょう。父親を自分ではないものへ夢中にさせ、周囲の誰も彼もが外界を口にするようになった。殿下にとっては他人を惑わせ、自分から奪っていくものだったのだと思います」
「俺に外界について随分と詳しく聞いてきたが」
「
酷く静かな声だった。
「セラ様がお生まれになったのは、シズマ様が探査員になられたのとほぼ同じ時期です。もちろん貴方の存在を知ったのはずっと後ですが、ご自身が生まれた頃から外界へ挑み続けている一人の日本人がいると知った時、強い興味を持たれたそうです。外界で得られる富や名声に魅せられ、人生そのものを変えてしまう者もいる。殿下が幼い頃から見てきたのは、外界によって何かを失った人間か、外界に何かを捧げてしまった人間ばかりでした」
彼女の家族──継承者たちのように。
言外にそう告げたルシアは一度言葉を切り、俺の肩で眠る少女へ目を向けた。
「けれど貴方はどこにも所属せずたった一人で外界へ入り、必ず帰ってくる。何度傷を負っても挑み続ける。外界に奪われ続けるのではなく、其処から生を拾ってくるように。それからです。貴方の探索記録を掻き集め、僅かに掲載された記事を読み、貴方の師であるイバ氏まで調べ始めたのは」
黄金の瞳が、静かに俺を見詰めた。
「ですから、ひとつだけ訂正させて頂くなら、セラ様は外界が好きだからシズマ様に興味を持たれたのではありません。外界について知りたがるのは、そこに貴方がいたからです。セラ様は外界愛好家ではありません。昔からずっと変わらず、コテツ・シズマという探査員の
──彼女は君の熱心なファンなんだ。
レオンの言葉が脳裏を過った。
肩に掛かる少女の重さを意識しながら、俺は何も答えず前を向いた。
当の本人は俺の心境など知る由もなく、穏やかな寝息を立て続けていた。
「私がセラ様に初めてお会いしたのは、十八歳の時でした」
それまでとは違い、ルシアの声には僅かな躊躇が混じっていた。
「現在のドラグレスクは、ルーマニアでもそれなりの規模を持つセキュリティグループを経営しております。父が私をロムニエル家へ派遣したのは、一種の箔付けでしょう。或いは王家の復興に伴い、何らかの恩恵を期待していたのかもしれません。稼業は長子が継ぐことが決まっていますので、生まれた時から私に求められていたのは、精々が血を残すことだけでした」
ドラグレスク家の跡目について心配する必要は無さそうだった。俺が巻き込まれるお家騒動は、ひとつであっても多すぎる。
「セラ様はまだ幼児とも呼べる年齢でした。王女として必要とされるものは何もかも与えられているのに、ご本人を必要としている人間だけが傍にいない。誰からも、肉親にすら大して必要とされなかった者として、私はセラ様に自らを重ねていたのかもしれません」
見た目通り、常に氷のように冷静だった従者の声が、初めて軋むような音を含んだ。
「不甲斐ない話ではありますが……正直申し上げて、私は会う前から貴方に嫉妬していたのです」
俺は黙ったまま彼女の話に耳を傾けていた。
「私は長くお側に仕えてきました。それでも、今日のセラ様のようなお姿を見たことはありません。貴方とお会いしてからの殿下は、私の知らない顔ばかりを見せてくださいます」
眠っている少女の頭が僅かにずれた。肩を動かして元の位置へ戻すと、それを眺めていたルシアの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「最初にセラ様がシズマ様へ護衛を依頼すると仰った時、私は反対しました。貴方の能力を疑っていたわけではありません。逆です。コテツ・シズマがどれほど優れた探査員なのか、殿下から嫌というほど聞かされておりましたから」
「買い被りだ。俺は映画に出てくるヒーローのように、敵の弾の方が勝手に避けてくれる体質じゃない」
「ええ。そもそも探査員と護衛では仕事が違います。私は何よりセラ様が貴方を信頼しすぎていることが不安でした。私にとって最も重要なのは殿下を無事に帰国させることです。その考えは今でも変わりません」
何かを考えるようにしばらく黙り込んだ後、呟くような言葉が漏れた。
「ただ……昨日からのお二人を見ていて、それだけで良いのかと考えるようになりました」
顔を上げたルシアは、そこで僅かに姿勢を改めた。
「シズマ様、護衛方針についてまだ決めていないことがあります。いざという時には私が囮になりますので、シズマ様はセラ様を連れて退避を優先してください。シズマ様にも死んで頂く訳には参りません。……もし自分のせいで貴方が亡くなりでもしたら、セラ様の絶望は取り返しのつかない深さになるでしょう」
「つまり、君を盾に使えという訳か」
ルシアは迷いなく頷いた。彼女の次の言葉なら解っていた。
「私はセラ様の為なら死んでもいいと思っています」
「誰かの為に死ぬ人間など、この世に存在しない。そう言う人間は、たいてい自分の何かの為に命を使っているだけだ」
赤髪の護衛は何も言い返してこなかった。ただ黙って俺の顔を見詰めていた。
「人間が欲しがる『他人』はそれぞれ違う。ある者にとっては従順な侍女かもしれないし、別の誰かは忠実な護衛を求めているのかもしれない。……君が知るセラフィナは、自分の為に死ぬという他人を欲しがる少女だったか」
彼女の視線がゆっくりと俺から外れ、穏やかに眠る少女へ落ちた。
「だから君の提案は飲めない。ついでに言えば、俺の受けた依頼内容には従者から指図される項目は含まれていない。従者を見殺しにする項目も含まれていない」
しばらく返事はなかった。
噴水の水音に混じって、遠くから子供の笑い声が聞こえてきた。
やがてルシアは、ひどく珍しいものでも見るように俺の顔を眺めた。
「人間関係の機微には疎いという自覚はあるのですが。もしかしてシズマ様は、私を励ましてくださっているのですか」
俺は肩をすくめて見せた。ついでに顔を背けたのは、どうしようもない気恥ずかしさを隠す為だった。
「
ルシアはしばらく俺を眺め、それから小さく微笑んだ。
そういえば、セラ以外に向けられる彼女の微笑を見たのは初めてだったかもしれない。
制限時間はとうの昔に過ぎていたが、俺もルシアもそれを口にしようとはしなかった。