※この作品はR-18です。

暴虎は外界を馮る   作:義山硝子

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四章 継承と弔鐘⑥

 

 

 尾行と監視の大前提とは、標的がそれを想定していないことだ。

 例えどんな技術の粋を尽くそうが、相手がその気になって警戒していれば無意味な代物だった。

 

 俺は顔の向きを固定したまま、横目で周囲を見渡した。五十メートルほど離れたベンチで、群青のスエードジャケットに黒のスラックス姿の男が一人、携帯を弄っていた。

 一見すれば、休憩がてら画面を眺めているだけの男だった。だが、先ほどから何度かこちらへ視線を寄越していることには気づいていた。

 遠目なので顔立ちまでは分からない。短く刈った黒髪だが、体格からすると日本人ではない可能性が高かった。

 少し遅れてルシアも気付いたらしい。さすがと言うべきか、不用意に相手に目を向ける事はしなかった。

 

「後ろにもいる。人数は分からないが」

 

 前を向いたまま小声で告げるとルシアは携帯を取り出し、何気ない手つきでカメラを起動した。画面を操作するふりをしながら背後へレンズを向け、表示された映像へ目を落とす。

 

「二人です」

 

 眠るセラを挟んだまま、内緒話をするようにルシアに身を寄せた。携帯をのぞき込むと、四、五十メートルほど後方の遊歩道と芝生の境目で、二人の男が立ち話をしていた。

 こちら以上の長話ともなれば、相手の半生どころか親戚たちの名前まで()()で言えるに違いない。

 俺たちはセラを起こし、何事もなかったようにベンチを後にした。

 車へ向かう間も平静を装い、必要以上に周囲を見回すような真似はしなかった。セラはまだ眠気が残っているのか、何度か小さな欠伸をしながら俺たちの間を歩いている。先ほどの男たちが動き出す気配はなかった。

 

 フェアレディの後部座席に二人を乗せ、そのまま駐車場を出る。

 しばらく走ったが、こちらを尾けてくるような車は見当たらなかった。信号を二つ越えたところでバックミラーを見ると、さりげなく主人の肩に手を置いたルシアと目が合った。

 

 彼女は小さく首を横に振ってみせた。どうやら結論は同じらしい。

 

「コテツ、お腹空いてない?レオン兄様は、もうお昼済ませたかしら」

 

 後ろから飛んでくる無邪気な声に適当な返事をしながら、俺は先ほどの連中について考えていた。

 蒼生製薬を訪ねることを決めたのは今朝になってからだ。道中で尾行らしい車は見なかった。商談が終わって社屋を出てからもだ。

 彼らの素性についても判別しかねた。レフォルマトルとかいうテロ組織か、あるいは他の候補者が現地で雇った人間という可能性もある。

 今のところ判断できる材料は何もなかった。

 

 鏡の中ではセラがルシアに笑顔で話し掛け、赤髪の従者はいつも通りの冷静な顔で相槌を打っている。

 

 確かなことはただ一つ、何者かの手がこちらに迫りつつあるという事だけだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 貴賓室──もとい作戦本部に戻った我々を迎えたのは、レオンの穏やかな笑顔だった。

 

「お帰り。上手くいったみたいだね」

 

 蒼生製薬との話がまとまった件については、移動中にセラがレオンとエルネスティーナに向けて簡単に報告を送っていた。

 空腹を訴える王女殿下のご意向に従い、ホテリエが運んできた昼食を取りながらお互いの経過を共有することになった。

 正式な支持表明だけでなく、他の受託企業への根回しまで漕ぎ着けた経緯を話すとレオンは感心したように眉を上げた。

 

「道理でエルネスが驚嘆する訳だ」

 

「エルネス姉様から連絡があったの?」

 

「ああ。初日から想像以上の成果を上げてくれました、とね。それとシズマにも感謝していた。まさか水平連携を実現してくれるとは思っていなかったらしい」

 

 随分と他人を過大評価したがる姉妹だ。こちらからしてみれば、資源の売却先がしばらく固定されるだけの話だった。

 自分の作戦が上手く回り出したことに気を良くしたのか、セラは得意満面の笑みを浮かべていた。

 

 腹ごしらえを済ませると、第二王女営業本部は午後の業務を開始した。

 朝の打ち合わせで分担した内容に沿って、各々が作業を進めていく。何社かとは連絡が取れ、明日以降のスケジュールも順調に埋まりつつあった。

 

「シズマ様。先方からの返信で、上手く翻訳しきれていないと思われる箇所を見て頂けますか」

 

 ラップトップを受け取って画面を確認する。起業家を自称する大学生のスピーチのように横文字を多用した文章は、邦人である俺にとっても些か意味不明だった。

 近年、翻訳機能の向上は凄まじいものがあったが、記述者の衒気と過剰な自意識を上手く補える程では無いようだ。

 

 考古学者の苦悩を味わいながら、一文節ずつルシアに伝えていく。

 俺の指先を追って画面を覗き込む彼女の赤い艶髪が、こちらの肩をなぞるように流れていった。

 

「……ねえ」

 

 向かいに座っていたセラが、いつの間にか手を止めてこちらを眺めていた。

 

「セラ様、如何しましたか」

 

 王女の視線が俺と従者の間を何度か往復した。

 

「二人とも、なんか近くないかしら」

 

【挿絵表示】

 

 

 俺とルシアは顔を見合わせた。黄金の瞳に、眉根を寄せた俺の顔が映っていた。

 おそらくこちらの瞳にも、小首を傾げた彼女の顔が映っているに違いない。

 

「気のせいじゃないか」

 

「気のせいではないでしょうか」

 

 謂れのない疑いを掛けられた被告人たちは同時に異を唱えた。

 セラは納得していない顔で俺たちを見比べていたが、やがて小さく頬を膨らませると、手元の資料へ視線を戻した。

 何故かレオンが小さく含み笑いをしていたが、気にしないことにした。

 

 その日の作業は夕食を挟んで夜まで続いた。

 今後のスケジュールを確認し終えたところで解散となり、俺はセラたちと別れて自分の部屋へ戻ることにした。

 

「明日も頑張ろうね!おやすみなさい、コテツ」

 

 王女と、主人の世話をするため部屋に残るルシアに就寝の挨拶を告げ、レオンと共に部屋を出た。

 

「シズマ」

 

 自室へ向かおうとしたところで、背後から呼び止める声があった。

 振り返ると、レオンはまだ部屋の前に立っていた。

 

「よかったら、少し話さないか」

 

 俺は頷くと、進みかけていた足を絨毯に下ろした。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 重い鉄扉を押し開けた途端、冬の風が吹き込んできた。空調の効いた室内に長くいたせいか、頬を撫でる夜気は余計に冷たく感じられた。

 

 いざという時の避難場所でもあるクラシックホテルの屋上の向こう、漆黒の中に無数の灯が浮かんでいた。

 高層ビルの窓から漏れる明かり。大通りを流れていく車列。巨大な広告塔の光が、無機質な建物の壁面を絶えず染め替えている。

 夜景なら普段の住処でも充分お目に掛かれたが、何も遮るものが無い眺望はまた別の趣があった。

 この都市(まち)に蠢く四百万の他人は、すぐそこに居るようで、果てしなく遠くにも感じられた。

 

 レオンは何も言わず、薄暗い屋上の端まで歩いていった。俺もその隣に並び、あちこちに錆の浮いた手摺に身体を預ける。

 しばらくの間、俺たちは無言のまま都市の灯火を眺めていた。

 

【挿絵表示】

 

 

「……すごいな」レオンが独り言のように呟いた。

 

「地方都市なのにブカレストの倍は人口があるとは聞いていたけど、この繁栄振りには舌を巻くよ」

 

「こうして眺めている分にはそうかも知れない。いざ住むとなると、この都市(まち)は些か卑俗に過ぎる」

 

 見た目だけは整った厄介な隣人のようなものだ。廊下ですれ違うだけなら構わないが、関わり合いになった途端に閉口する。

 

「経験者は語る、というやつかな。……卑俗な都市か。富を巡って兄弟同士で相争う来客たちには、お似合いなのかもしれないね」

 

 レオンは手摺の向こうに目を向けたまま、口の端を小さく歪めて見せた。遠い血の繋がりしかない継承者たちの争いを、彼はどう考えているのだろうか。

 不夜城の瞬きを眺める横顔は、嗤っているようにも、嘆いているようにも見えた。

 

「シズマ、君は兄弟はいるのかい」

 

「妹が一人。兄もいたが、一年前に死んだ」

 

「……すまない」

 

 吐息と共に漏れた声は、吹き抜ける風に攫われそうなほど小さかった。

 

「謝られるとこっちが聞き返し辛くなる。それを狙っているのかは知らないが」

 

「その心配なら要らないよ。僕は一人息子さ。ご先祖様よろしく、父がどこかで子供を拵えてない限りはね」

 

 レオンの王族ジョークは、少々反応に困る代物だった。

 

「元より継承権すら無いんだ。王室では誰かと敵対することは無かったよ。……こうして誰かと対等に話すこともね」

 

 傍流の後胤が王室の中でどのような立場に置かれているのかなど、俺には想像もつかなかった。

 遮るものの無い高風が、顔の表面を通り過ぎていくのを感じながら口を開いた。

 

「そう言えば、君は何故セラについた」

 

 こちらの問いに対し、レオンは柄にもなく自虐的な笑みを浮かべた。

 

「彼女が何も持たなかったから、かな。王室の居候としては、他の継承者たちの不興を買うことはなるべく避けたくてね。セラについたところで継承戦への影響は少ない。誰も彼もセラをエルネスの付属品(オマケ)だと思ってる。……あの子自身すらね」

 

「自分を悪く見せるのが好きなようだな」

 

「はは、君ほどじゃないよ。今の話も本当さ。ただ……そうだね。ルシアからセラの事を聞かされたはずだ……彼女の様子を見ればわかる。僕もルシアと同じ理由だよ。誰からも顧みられなかった者としては、不憫な妹に肩入れのひとつもしたくなるというものだろう?」

 

 続けて、揶揄うような視線をこちらに向けた。

 

「ルシアが他人にセラと自身の過去を話すなんて、僕の知る限りでは無かったよ。彼女が誰かの傍にあれだけ無防備に身を寄せるのもね。まったく、すいぶんと信頼されたようだ」

 

「仕事仲間としては及第点を貰えたらしい。まだ内定といった所だがな。すぐにでも勤労する事になりそうだ、せいぜい期待外れにならないように気を付けよう」

 

 俺の口調に不穏なものを感じ取ったらしい。レオンの表情から笑みが消えた。

 

「と言うと?」

 

「昼間、俺たちを監視している人間がいた」

 

 俺は今日の公園で起こった事を話した。

 レオンは記憶を確かめるようにしばらく考え込んだ後で口を開いた。

 

「他の継承者が連れて来た従者では無さそうだ……無関係であるかどうかは、まだ断定できないけどね」

 

 継承者がこの国の住人で雇えるのは5名だが、別に日本人である必要はなかった。

 他陣営を監視させる駒として、腕に覚えのある外国人を雇った可能性もある。

 

「ただ、僕たちを監視する為だけに限られた人員をそれだけ投じるとは思えない……と、なれば」

 

「レフォルマトルか」と、俺は言った。

 

 相手が静かに頷くのを確かめると、続けて問いかけた。

 

「どういう組織なんだ」

 

 俺が知っているのは外界探査の妨害と、王家に対して害悪の告知をしていること程度だった。

 

「レフォルマトル──『改革者』という意味だね。テロ組織としては少々凡庸な名前かな。彼らについて分かっていることは、そんなに多くないんだ」

 

 ルーマニア本国でも、公には大した情報は出回っていないらしい。

 錦辺ならもう少し詳しい情報を持っているはずだったが、素直に教えてくれるとは考え辛かった。

 

「過去、捕まった人間なら何人もいる。ただ、そのほとんどが金で雇われた外国人だった。指定された場所へ行き、指示された破壊工作を行う。それ以上のことは何も知らない。ルーマニア情報庁(SRI)も随分と苦労しているようだよ」

 

「随分と御大層な看板を掲げていた筈だが、実行役は金で雇った消耗品か」

 

「テロルに思想(イデオロギー)なんて必要ないんだ。資金と建前があれば人は動く。どんな事にだって手を染める」

 

 ただ──と、レオンは再び夜景に目を向けた。

 

「『外界の齎す富は国家を腐らせる』か。……たとえ表向きの名目であったとしても、継承者たちの争いを間近で見ていると、少々身につまされる謳い文句だね」

 

「俺は政治に興味はないし、思想運動などは小芝居以上のものだと思ったことは無い。彼らに言わせれば『改革』か。そういった理想を掲げる者たちだけが、殺戮を容易に正当化する。たとえ千年後の歴史家が意義あるものだったと太鼓判を押したとしても、とても性には合わないな」

 

 この継承戦にしたところで同じことだった。

 こちらの意図が伝わったのだろう。レオンは顔を前に向けたまま、僅かに苦笑して見せた。

 

「手厳しいね……でも、君の言う通りかもしれない」

 

 そこで会話が途切れた。俺たちはしばらく冷たい風の中で沈黙を守っていた。

 やがてレオンが、独り言ともつかない声で呟いた。

 

「これだけ自分の内心を話したのは記憶にない……セラやルシアの事を言えないな。君には人の心を開く何かがあるのかも知れない」

 

 俺はそこには触れず、別のことを口にした。

 

「君も王室の一員だと確信した」

 

 彼は怪訝そうな視線をこちらに向けた。

 

「何故かな」

 

「人を過大評価する癖がある」

 

 数秒ほど俺の顔を見ていたレオンは、やがて堪え切れなくなったように笑い声を上げた。

 その声はすぐに風に攫われ、明滅する光の中へと消えていった。

 

「冷えてきたね。そろそろ戻ろうか」

 

 レオンが手摺から離れた。

 俺も身体を起こし、もう一度だけ空虚な都市の光へ目を向けてから、鉄扉へ向かう彼の後を追った。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 それから数日間、特に大きな動きは無かった。

 第二王女営業本部の業績に限って言えば、むしろ順調と言えた。

 商談の為に外出する最中、常に周りに気を払っていたが、あの日以降誰かに尾けられているという事は無かった。

 

 継承戦開始から六日目の朝。

 全員がソファーに座ったのを確認したレオンが、皆の注意を惹くように軽く咳払いした。

 

「報告がある。まずは良い知らせからだ。エルネスが中小企業連盟の委員会と交渉に入った」

 

「上手くいきそう?」兄貴分の報告に、セラが身を乗り出した。

 

「まだ交渉中だけど、感触は悪くないらしい。話が纏まれば、加盟企業へ一度に働き掛けられる」

 

 俺はレオンの前に置かれた加盟企業のリストを手に取って流し見た。

 組合費の負担や団体としての合意形成を嫌い、非加盟を貫く企業も相当数ある筈だった。

 

「第一王女は上から、俺たちは下からという訳か」

 

「それだけじゃない。君が提案したアライアンスも広がり始めている。僕たちが草の根で広げ、協力企業が横から繋ぎ、エルネスが上流を押さえる。全部が上手く噛み合えば、一気に囲い込めるかもしれない」

 

「他陣営が座視しているとは思えませんが」

 

 ルシアが懸念の声を上げると、レオンは苦笑した。

 

「だから最初に良い知らせと言ったんだよ。ここから先は、エルネスの従者たちが調べた継承者たちの動向だ」

 

 全員が王子に注目して、次の言葉を待った。

 

「アダルベルドは、経済産業省の官僚たちと行動している。予想通り、認可企業グループと接触しているようだ」

 

「成果は」俺の問いかけに、レオンは首を横に振った。

 

「まだ動きは無い。あくまで予想だけど、数社が纏まったところで巨大プロジェクトとして大々的に公表するんじゃないかな」

 

 俺は頷いて見せた。

 経産省が主導し、成し遂げた他国インフラ事業への参入。認可企業の国際事業展開。

 その成果を、彼らは可能な限りセンセーショナルに演出するはずだ。

 

「人員の現地雇用はどうなっていますか」

 

「本国から連れて来た手練れの側近に任せている。日本(ここ)で雇ったのは、経産省から紹介された窓口担当だね」

 

 認可企業の経済規模は中小とは比べ物にならない。契約ひとつの評価額だけ見れば、数百倍の開きがあるはずだ。

 舵木たちの露骨な肩入れについても、彼らが勝ち戦を確信しているからに違いない。

 

 次はボリスだ、と進行役の王子は続けた。

 

「ホテルを転々としているようで、なかなか動向が掴めない。安全と情報の管理に関しては流石と言うべきかな」

 

「別の意味で厄介ですね」ルシアの合いの手に、レオンは頷いた。

 

「何社かの重工系企業に商談を打診していることまでは掴めた。交渉役も護衛も、支援者から斡旋された元幕僚や傭兵経験者だ。今のところ、こちらで人を雇った形跡はない」

 

 情報を秘匿しながらも、基本的な路線はこちらの想定と大きく違っていないらしい。

 

「クレメンテ兄様は相変わらず?」セラが尋ねた。

 

「相変わらず都市内の視察を続けている。拠点施設まで見学を申し入れて、断られたそうだよ」

 

 他国の王族というだけで国家の最重要施設を見物させるほど、防衛省も気前は良くないらしい。

 

「希少資源の買い付けも続けている。ただし、これが継承戦のためなのか、本人の研究のためなのかは僕にも分からない」

 

「あの兄様なら、両方かもしれないわ」

 

 セラの言葉に、レオンは笑って頷いた。

 

「あり得るね。それと、側近が研究者ばかりだから護衛は支援を取り付けた企業から融通してもらうらしい。本人の希望で探査員のチームを付けるそうだ」

 

 そこら辺りのボディーガードを付けるより、本人にとっては余程有意義なのだろう。

 無理難題を吹っ掛けられかねない探査員たちには若干同情するが。

 

「そして──」レオンが小さく息を吸った。「一番予想を外して来たのが、ドルレットだ」

 

「ドルレット兄様?」セラが小首を傾げた。

 

「軍事産業関連を回っているのは予想通りだったけど、社会基盤に関わる中小企業からも支持を集め始めている」

 

「私たちとも競合しているという事ですか」

 

 ルシアの問いかけに対し、レオンは頷いて見せた。

 

「彼が交渉に乗せているのは国土回復運動(レコンキスタ)だけじゃない。その後だよ」

 

 レオンは資料をテーブルの中央へ滑らせた。

 もっとも、俺に読み取れたのは過去ルーマニアの領土だったと思わしき地形と、天文学的な桁の数字だけだったが。

 

「領土を取り戻せば、当然その土地を整備し直さなければならない。各種インフラを始め、近代化に必要な事業領域はいくらでもある。ドルレットは領土拡張後の国家事業について、それぞれの専門分野を持つ企業へ優先的に仕事を回すと持ち掛けているらしい」

 

 奪還に必要なのは武力だが、その後に領土を作り直すのは兵器ではない。

 ボリスが防衛を理由に軍事力の拡張を売り込んでいるのに対し、ドルレットは拡張した領土そのものを商品にしていた。

 

「なるほど」と、俺は言った。「国家を再興すると言っていたのは、あながち大言壮語でも無かったらしい」

 

「僕も少し見くびっていたよ」レオンはそう言って、ソファの背に身体を預けた。「今のところ、一番上手く自分の札を使っているのは彼かもしれないね」

 

 では本題に入るよ、とレオンは空気を切り替えるように口を開いた。

 

「今後のことを考えると、出来るだけ押さえておきたい企業が一社ある」

 

 レオンがこちらに向けたノートパソコンの画面には、俺にも見覚えのある社名が記されていた。

 

「支倉ロジスティクス株式会社──認可企業ではないが、外界資源を専門に扱う物流会社では最大手の一角だったな」

 

 外界から回収された資源は、いきなり製品化して流せるものばかりではない。

 認可企業から研究機関や加工業者へ渡り、時にはいくつもの企業を経由して最終的な製品となる。その過程で必要になる保管と輸送を引き受けているのが、この会社だった。

 

「わかった!拠点(ハブ)ね」セラもすぐに理解したらしい。

 

「エルネス姉様の構想が実現すれば、ルーマニアから大量の外界資源や仕掛品が日本へ入ってくる。それらを一時保管して、各企業へ出荷する場所が必要……」

 

 レオンは利発な義妹に向けて微笑んだ。

 

「そういうこと。そしてドルレットの構想なら流れが反対になる。日本で調達した復興用の製品を集めて保管し、必要な量を必要な時期にルーマニアへ送り出す」

 

 輸入するにせよ輸出するにせよ、その間には必ず保管と運搬が存在する。売り手でも買い手でもないが、彼らが欠けては商売そのものが成り立たない。

 

「俺たちだけじゃなく、ドルレットからしても手に入れておきたい企業という訳か」

 

「既にアポを取ってある。面会時間はこれからだ。すぐに向かって欲しい」

 

「随分と急な話ですね」ルシアが訝し気な声を上げた。

 

「相手方の反応が少々不審だった。おそらくは──」

 

「どこかの陣営も交渉を仕掛けてきているってことね」

 

 俺は立ち上がると、ソファーに掛けていたコートを拾い上げた。

 

「早速、三角関係を清算しに行こうじゃないか」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 支倉ロジスティクスの本社は、中央区と西区のほぼ境目に位置していた。

 南区にある倉庫街の一角を占めているのは、実際の流通現場らしい。

 

 四十階程の社屋は、おそらく建築家が意匠を凝らした代物なのだろうが、素人目には周囲に林立する高層ビル群と大して区別がつかなかった。

 正面玄関を抜けてエントランスに入り、受付に座っている若い男に名前を告げた時、彼の耳に見覚えのあるイヤホンが嵌まっていることに気付いた。

 

「お待ちしておりました。最上階までご案内いたします」

 

 受付を離れた男の後に続き、セラとルシアと共にエレベーターへ乗り込んだ。

 揺れを感じさせない箱の中で数字だけが急かすように増えていき、ほどなくして間の抜けた電子音と共にドアが開いた。

 

 廊下を進み、役員会議室とプレートの掛かった扉を開けた先は三十畳はありそうなカンファレンスルームだった。

 ロの字に並べられた長机の奥側には、この会社の重役らしき人間が並んで座っていた。

 表情に緊張を浮かべた彼らのひとりが、空いている席に座るよう促すのを耳だけで聞きながら、こちらの視線は全く別のものを捉えていた。

 

 入り口から向かって右側に腰掛けていたのは、先ほど話題に上っていたドルレットだった。

 背後には護衛らしきスーツ姿のルーマニア人が二人立っている。本国から連れて来た側近たちだろう。

 第四王子は紅い瞳でこちらを一瞥すると、小さく鼻を鳴らした。

 

「姉上の小間使いが、生意気にも嗅ぎつけて来たか」

 

 我々が正方形の左側の机に腰を落ち着けた途端、ドルレットがセラに向けて冷笑を浮かべた。

 

「何をしに来たセラフィナ。まさかこの連中に、支持を懇願しにきたのではなかろうな。借り物の思想で他者を従えようなど、身の程知らずも甚だしい」

 

 若さに裏打ちされた傲慢さと芝居がかった彼の言い回しは、ある意味もっとも王族らしいとも言えた。

 セラは俯いたまま押し黙っていた。

 ルシアから彼女の生い立ちを聞いたが、兄たちと関わり合いが無かった分、言い争いにも慣れていないのだろう。

 あるいは、自らの理念を示せていないという負い目があるのかも知れなかった。

 

「姉上にしても同じ事だ。他人の助けを頼みにするような者が、王に相応しいはずがない」

 

「ごもっとも」と、俺は言った。

「あちこちの企業に支援を頼んで回っている王族の言葉ともなると、説得力が違いますね」

 

 尊大な王子は訝しげな視線をこちらへ向けた。

 相手が連れていた犬が、いきなり人間の言葉を喋り出したかのような顔だった。

 

「……なんだ、この無礼者は」

 

「私の協力者よ」

 

 いつの間にか視線を上げていたセラが、毅然とした声で切り返した。

 ドルレットはペットの躾がなっていない飼い主を咎めるような目で睨んだが、少女は怯まなかった。

 

「お二方とも、その辺りで……」

 

 役員たちの中央に座っていた男が執り成しの声をあげた。

 五十代半ばほどだろうか。周囲の人間が一斉に彼の様子を窺ったところを見るに、この中では一番立場が上らしい。

 

「せっかくお越しいただいたのですから、穏便にお話を進められれば、と」

 

 睨み合っていた銀髪紅目の兄妹は、不承不承に外した視線を男に向けた。

 

「この国の企業に対し、ルーマニア王室の皆様が協力を呼び掛けておられることは、我々の経営者の間でも広まりつつあります」

 

 代表らしき男は、ドルレットとセラを交互に見比べるようにした。

 

「そのような折、奇しくもお二方から同じ時期にお声掛けをいただきまして。我々としましても、どちらか一方とだけ先にお会いすることで、余計な禍根を残すような真似は避けたいと考えました」

 

「そんな理由で俺とこれを同じ席に呼んだのか」ドルレットが不愉快さを隠そうともせずに言った。

 

「勝手を申しましたことはお詫びいたします。ただ、どちらも我が社にとって大変ありがたいお話です。可能であれば本日は、この場で双方のお考えを伺った上で判断させていただきたい」

 

 面会時間を調整している様子からある程度予想はしていたが、やはり同時に競り合わせる腹積もりらしい。

 相手の前でわかり易くボロを出したなら、後になって選ばれなかったことに文句を付けられることも無い。

 彼らを事なかれ主義と嗤う気はなかった。従業員の生活を担う経営者に比べたら、単独探査員の背負うものなどゼロに等しかった。

 

「ならば、俺から話そう」

 

 ドルレットは椅子の背に身体を預けたまま、役員たちを見渡した。

 

「我々が失地を奪還した暁には、貴社に対し復興と社会基盤に必要となる資源物資の輸送を優先的に委託する」

 

 重役たちは僅かに顔を見合わせた。それから黙っていたのは、頭の中で算盤を弾き出したからだろう。

 

「近代化の成されていない広大な領土を、一から整備し直すことになる。必要となる量は莫大なものになるだろう。そちらにとっても悪い話ではないはずだ」

 

 国土の復興ともなれば、一年や二年で終わる仕事でもないだろう。必要な物資を日本で調達するなら、その度に海を越えて運ぶ必要がある。

 物流企業にとっては、国家を相手にした巨大な事業が転がり込んでくることになる。

 何人かが頷き合い、中央の男も満更ではなさそうな顔をしていた。

 

「継続性はどうかしら」それまで黙っていたセラが口を開いた。

 

「領土の奪還と復興が終わったその先は? 奪還に必要な軍事転用が終われば、ルーマニアの外界資源だって市場に出回り始める。そうなれば、日本(ヤポニア)から資源を輸入する理由はなくなるわ」

 

 役員たちは再び顔を見合わせた。

 

「そちらの構想なら、取引は復興が続いている間だけ。でも私たちが提供する自由市場は違う。常に誰かが売りたいと思い、別の誰かは買いたいと思っている。人々が生活を続ける限り、需要と供給が絶えることはない」

 

 ドルレットは鼻で笑った。

 

「確実性がない。市場を開いたところで、そこまで規模が膨らむ保証がどこにある」

 

「保証なんてないわ」セラはあっさりと認めた。

 

「でも、膨らむだけの土台はある」

 

 机の上で組んでいた小さな手を解き、役員たちへ向き直る。

 

「我が国は日本(ヤポニア)と違って、外界資源が安定して供給されている訳ではありません。だからこそ、この国のように大資本が市場の大半を握るに至っていない。まだ中堅企業にも十分な力がある」

 

 彼女の紅い瞳が、親子以上に年の離れた男たちを見回した。

 

「その多くが、エルネス姉様とルーマニア救出同盟党首が掲げる市場案を支持しています。そして、この国にも大企業に市場を握られ、それでも中間搾取に負けずに戦っている会社がたくさんある。私たちは今、その方たちに協力を呼び掛けているところです」

 

 ドルレットが提示したのは、国家によって約束された期限付きの需要。

 対してセラが持ち込んだのは、規模は不確かだが未来の可能性を予感させる市場だった。

 

 中央に座る男は腕を組んだまま、口を開かなかった。他の役員たちも同様だった。

 どちらを選んでも相応の利益があり、同時にいずれも不確定な部分が残っていた。

 

「……非常に興味深いお話ではあります。ただ、現時点でどちらか一方を選ぶとなりますと……」

 

 その先は口の中でもぐもぐと何かを言い、彼は下を向いた。

 隣に座る役員が小声で何かを告げ、別の一人が首を横に振り、目配せでの相談が進みはじめた。

 彼らがこの場どころか、今日中に結論が出せるかも怪しかった。

 

「埒が明かんな」ドルレットが苛立たしげに指先で机を叩いた。

 

 その時、場違いなほど明るい声が隣から聞こえた。

 

「じゃあ、いっそゲームで決めない?」

 

 役員たちが繰り返していた耳打ちが止まった。

 ドルレットも後ろの護衛たちも、何を言われたのか分からないという顔をしていた。

 ついでに言えば、俺とルシアも似たような表情だっただろう。

 

 全員の視線が声の主──涼しい顔で微笑むセラフィナ王女に集まった。

 

「……何をする気だ」ドルレットが警戒も露に問いかけた。

 

 少女は答える代わりに席を立った。

 四角形に並んだ机の()()まで移動すると部屋の入口へ向かって振り返り、漆喰の壁を指差した。

 

「あっちに向かってコインを投げて、遠くまで飛ばした方の勝ち」

 

La perete(壁当て)か。そんな遊びで企業の支持を──王位を取り合う気か」

 

 ドルレットが口にした名前には聞き覚えがあった。欧州ではありふれた子供たちの伝承遊びだったはずだ。

 

「あら。自信がないなら止めてもいいけど」

 

 セラの口調は、挑発である事を隠しもしなかった。

 ドルレットにもそれくらいは分かっていたはずだ。それでも妹を相手に退くことの方が我慢ならなかったらしい。

 

「いいだろう。付き合ってやる」

 

 自尊心を煽られた王子も席を立ち、懐から硬貨を一枚取り出した。

 呆気に取られていた重役と護衛たちは止めるべきか迷っているようだったが、王族二人が勝手に始めた勝負に口を挟む勇気のある者はいなかった。

 

 ドルレットは壁までの距離を確かめると、指先で硬貨を摘まんで腕を振った。放られた硬貨が低い軌道を描いて壁に当たり、乾いた音を立てて床へ落ちる。

 勢いを殺された硬貨は絨毯の上を僅かに転がり、壁から数センチほどのところで止まった。

 

「自分で言い出した勝負だ。取り消しは効かんぞ」ドルレットが満足げに笑った。

 

 壁際まで寄せれば、確かにこれ以上は殆ど無い。

 セラは床に落ちた硬貨を眺めた後、特に悩む様子もなく赤革の小銭入れから硬貨を取り出した。

 

「じゃあ私の番ね」

 

 そう言い放ったセラフィナは、振り向くと奥で呆けたままの役員たちに目をむけた。

 

「……そこの貴女。申し訳ないけど、何か飲み物を用意して頂けるかしら」

 

「え?」突然声を掛けられた女性役員が目を瞬いた。

 

「喉が渇いちゃって」

 

「あ、はい。少々お待ちください」

 

 聞く者が断るという発想も浮かばないくらい、自然な言いつけだった。王女が家臣にするように……と言うのは、あながち例えとは言えないか。

 女性は椅子を引いて立ち上がると、特に疑問に思う様子も見せずに入口へと向かった。

 把手に手を掛け、扉を開く──その瞬間だった。

 

「えい」

 

 セラの腕が動くと、銀の硬貨が真っ直ぐ飛んでいく。

 それは女性が開いた扉を抜け、そのまま廊下の向こうまで飛んでいった。

 

【挿絵表示】

 

 

 扉を開けたまま動きを止めた女性が、廊下の先とセラを交互に見比べる。

 ドルレットは壁際に落ちた自分の硬貨を見た後、ゆっくりと妹へ顔を向けた。

 呆然とした表情を浮かべた兄へ、セラはにっこりと微笑んだ。

 

「はい。私の勝ち」

 

 部屋の中に沈黙が落ちた。

 役員たちも護衛もルシアでさえも、誰も声を立てる様子はなかった。

 俺はと言えば、やはり黙って立っていた。無表情を維持するには、少々努力が必要だった。

 

「ふざけるな!」ようやく我に返ったドルレットが声を張り上げた。

 

「セラフィナ貴様、それのどこがLa perete(壁当て)だ!」

 

 兄の怒声を浴びても、セラは涼しい顔だった。

 先ほど俯いていた繊弱な少女の面影は、どこにも残っていなかった。

 

「私、La perete(壁当て)なんてひと言も口にしていないわ」

 

 先ほどの説明をなぞるかのように、小さな手を上げると壁の()を指差した。

 

「向こうにコインを投げて遠くまで飛ばした方が勝ち、としか言ってないもの」

 

 ドルレットは口を開いたまま動きを止めた。

 何かを言い返そうとしたが、上手く言葉が出てこないようだった。

 セラは壁を指差しはしたが、壁に当てろとも、扉を閉めたままにしろとも言っていない。

 遊びの名前すら口にしていなかった。

 

 妹にまんまと一杯食わされた兄は、開け放たれた扉の向こうを見た。

 次いで壁際に転がった自分の硬貨へもう一度目を落とし、最後に得意げな顔をしている妹に視線を動かした。

 

「……くだらん」

 

 ドルレットは吐き捨てるように言った。

 

「これ以上馬鹿げた遊びに付き合っている暇は無い」

 

「あら。兄様負け惜しみ?」

 

「黙れ」そう言い放つと彼は護衛の二人に顎で合図し、そのまま扉へ向かった。

 

「後は好きにしろ。俺は時間を有意義に使う」

 

 そう告げると、こちらを振り返ることもなく会議室を出ていった。

 二人の護衛が後に続き、扉の前には身の処し方に困ったように佇む女性役員だけが残された。

 取引先候補のひとつが部屋から消えた後も、しばらく口を開く者はいなかった。

 

 セラは役員たちへ振り返ると、自分の背後を片手で示した。

 

「皆様、内輪の揉め事でお騒がせしました。限られた領域での仕事はいつか壁に突き当たります。ですが、私たちの構想はその先まで届く可能性がある。……ご検討をお願いします」

 

 中央に座っていた代表らしき男が、小さく息を吐いた。

 

「……佐伯社長から、まだ幼い──失礼、貴女のお話を一度聞いてほしいと頼まれた時には、正直なところ疑問に思っておりました」

 

 男は椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。

 

「セラフィナ王女殿下。尊き方々を天秤に掛けるような真似をしたこと。また、貴女を侮っていたことを謝罪いたします」

 

 周囲の役員たちも立ち上がり、代表に続いた。

 

「支倉ロジスティクス株式会社は、エルネスティーナ殿下の構想を支持させて頂きます」

 

 低頭したまま声を上げた代表に対し、セラは一瞬だけ微笑むと堂々と返礼をして見せた。

 

「ありがとう存じます。皆様方」

 

 拠点都市最大手の物流会社から協力を取り付けた王女に倣って、俺とルシアも黙礼した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 差し当たり口頭で同意を交わした俺たちは一階まで降り、正面玄関から外へ出た。

 エントランス脇の柱に背を預けていた人物が、こちらを確認すると身体を起こした。

 

「遅かったな」

 

 待っていたのはドルレットだった。少しの間セラを眺めると、自分でも不思議そうな表情をしながら口を開いた。

 

「提案がある。手を組まないか」

 

 ルシアが僅かに眉を動かしたが、セラは兄の顔に静かな視線を返していた。

 

「俺にとって邪魔なのはボリスだ。奴とは必要なものが一致しすぎている。お前たちにとってはアダルベルドが最大の障害だろう」

 

 軍事関連企業を奪い合う軍拡主義者と統一論者。俺たちの前には、経産省を後ろ盾に認可企業を囲い込もうとしている最大有力者がいる。

 

「大ルーマニア復古と国内自由市場は矛盾しないはずだ。むしろ誰の構想よりも国を発展させる可能性がある」

 

 セラは凛然と首を横に振ってみせた。

 

「姉様に聞くまでもないわ。私たちは侵略を選ばない」

 

「祖先が望まぬ割譲を強いられた。これは侵略ではなく奪還だ」

 

「だからって、奪い返す方法が戦争だけとは限らないでしょう」

 

 ドルレットは訝しげに訊いた。「他に何がある」

 

「買い戻せばいいじゃない」

 

 あっけらかんとしたセラの言葉には、財力を振りかざす傲慢さは見えなかった。

 

「自由市場で国が豊かになったら、そのお金で領土を請け出すことだって出来るかもしれない。今すぐなんて言わないし、相手が売ってくれる保証もないけど」

 

「……夢物語だな」

 

 ドルレットは呆れたように口にしたが、その声色には揶揄以外の何かが含まれているようにも聞こえた。

 

「でも、それが()()()()()()()()よ」

 

 しばらく兄妹は向かい合っていた。

 やがてドルレットが鼻から息を抜いた。少し笑ったようにも見えた。

 

「この国に来て間もないのに随分と変わったな、セラフィナ」

 

 どこか後ろめたいかのように視線を外し、続きを口にした。

 

「あるいは……子供の頃に少しでも遊んでやっていれば、今日のようにいっぱい食わされることもなかったかもしれん」

 

「今度はちゃんとルールを聞いてから遊ぶことね」

 

「言っていろ」

 

 そう口にするとドルレットは踵を返した。

 影のように待機していた二人の護衛を引き連れ、今度こそ俺たちから離れていく。

 セラはその背中を黙って見送っていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「会議室に内線が無かったのは事前に確認していたな。だが、あの規模なら見えない位置に保冷庫がある可能性もある」

 

「あ、そっか。宮殿のキャビネット・ルームには置いてないからうっかりしてた。次からは気を付けるわ」

 

 駐車場に向かう途中、話し込む俺とセラの間を、真後ろを歩くルシアの大きなため息が横切った。

 

「確かにセラ様は変わられました。……誰の影響かは明らかですが」

 

 てっきり得意げな顔を披露すると思ったセラは、少しだけ俺の顔を見詰めると、はにかんだように目を逸らした。

 歩調に合わせて揺れる銀の髪を横目に入れながら、俺は以後の継承戦について考えていた。

 

 今日を持って、全日程の約五分の一が消化された訳だ。

 二日後──選定の儀の八日目は、経産省が主催する外界資料館の合同視察が予定されている。

 各陣営が一堂に会するのは宣誓式以来初めての事だった。そして、その後には第一回目の会合も控えていた。

 

 フェアレディのテールランプが目に入ったところで、携帯が震えた。

 取り出して確認すると、画面には篠塚の名前が表示されていた。

 

「静間さん?今、大丈夫ですか」受話口から聞こえてきたのは、普段とは別の何かが混じった声だった。

 

「何かあったのか」

 

「あの、うちの社長が知り合いの企業に声を掛けてくれてるって話、しましたよね」

 

「ああ」不確かな予感が背筋を這い上がるのを感じながら、相槌を打った。

 

「それが……賛同してくれた何社かに、あるメールが届いてるみたいなんです」

 

 俺は足を止めた。少し先を歩いていたセラとルシアも、こちらが付いて来ないことに気付いて振り返った。

 

「転送されて来たので読みますね。……"ルーマニア王室に纏わる一切から手を引け。我々の警告を無視した代償は血によって支払われることになる"」

 

「脅迫状か」

 

「ええ……あと、それだけじゃなくて」篠塚が小さく息を吸う音がした。

 

「今朝、そのうちの一社に銃弾が撃ち込まれました。もうニュースになっています」

 

 通話先の声が急に遠くなったように感じた。

 

「怪我人はいないそうです。でも、事態を重く見た会社が何社か降りるって。佐伯社長のところに連絡が来ていて……」

 

「メールの差出人は分かるか」

 

「えっと、アドレスの綴りだけですが……これなんて読むんでしょう、れふぉーまとー?」

 

 この都市でレフォルマトルが破壊活動に出る可能性なら考えていた。

 招かれざる参加者たちは、継承戦に強引に割り込むつもりらしい。

 

 厄介な一日は終わった。

 そして厄介どころではない日々が始まろうとしていた。

 

 

 

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