※この作品はR-18です。

暴虎は外界を馮る   作:義山硝子

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二章 休暇と奪還①

 

 目が覚めた時、最初に見えたのはホテルの白い天井だった。

 灯りの消えた照明、微かに顔に当たる空調の風。

 窓からは遠く車の通過音が聞こえていた。

 上半身を起こし、時計を確認すると午前七時を少し回ったところだった。

 

 隣を見た。

 篠塚はこちらに顔を向けて丸くなっていた。

 小さな呼吸をする度、長いまつ毛が微かに揺れる。

 曇り空とカーテンで希釈された冬の光が、彼女の髪と寝顔を照らしていた。

 俺はしばらくその顔を眺めていた。

 

 ベッドが軋まないよう注意しながら立ち上がり、散らばった衣類を拾って身支度を整えた。

 財布と携帯をポケットに入れ、上着を手に取る。

 テーブルの上に置いてあるルームキーに目をやった。

 精算は先に済ませている。篠塚が目を覚ました後、困るようなことは何もないはずだった。

 

 篠塚はまだ静かに寝息を立てていた。

 その頬を一度だけ軽く撫でると、俺は部屋を出た。

 

 扉を静かに閉め、廊下に出るとホテル特有の密閉された空気が漂っていた。

 エレベーターを待ちながら、携帯を取り出してメールボックスを確認した。

 およそ一週間分の未読リストは、大半が外界関係のものだった。

 

 

 

 車で自宅に戻ると、シャワーを浴びた。

 着替えを済ませ、湯を沸かしインスタントコーヒーを淹れる。

 豆を挽く趣味も時間も、今のところ持ち合わせていない。

 縁の欠けたマグカップを持ってスプリングの壊れたソファーに腰を下ろし、改めてメールを開いた。

 

 まず目に入ったのはマリアからのメールだった。

 受信時刻は一週間前。一周忌の案内が簡潔な文面で書かれていた。

 日付、場所、時刻。最後に「ご都合がよろしければ」という一文が添えられていた。

 一週間前。

 ちょうど探査に入った頃だ。

 探査中、連絡手段は施設に預けており、昨日の帰還後は確認する機会がなかった。

 

 記された日付は明日だった。

 

 未読だった仕事関係の無味乾燥な内容に目を通していると、画面上部にメッセージ受信の通知が届いた。

 篠塚からだった。

 

『おはようございます』

 

 返信をしようとしたところで次の通知があった。

 

『昨日は』

 

 文章はそこで止まっていた。

 

 特に理由なく、画面を眺めながら続きを待った。

 デジタル時計の四桁目が三つ程数を増やしたところで、メッセージが届いた。

 

『また会えますか』

 

 いつもの営業としてか、あるいは個人的な誘いか。

 おそらく篠塚自身もわかってはいないのだろう。

 

 俺は返信欄に短く打ち込んだ。

 

『いつでも』

 

 送信をタップし、次のメール確認に取り掛かり始めた。

 右腕の傷が少し痛んだ気がした。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 昼前に堂島から連絡が来た。

 今から会えるか、という短い文面の下に、お互いが知っている喫茶店の名前が記されていた。

 

 すぐに行くとだけ返し、家を出た。

 

 堂島とは五年ほどの付き合いになる。

 元第一空挺団所属。探査士資格を取得後は、大手グループ企業と専属契約を結び、今は三人チームで動いている。

 角田はレンジャー隊員、安原は警視庁機動隊の出身らしい。二人とも高校時代の後輩だと、いつか話していた。

 長期間活動しているにもかかわらず、チームから死者を出していない。

 

 彼らが探査員になってすぐに、堂島は謝礼を用意した上で、外界での立ち回り、危険度の高い状況を把握する要点を俺に尋ねてきた。

 謝礼については辞退したが。

 

 探査資格者の希少性、また大抵は前職による自負から、自分より年下の人間に教えを請うことのできる探査員は多くない。

 堂島はその数少ない一人だった。プライドより実利を取ることができた。

 探査員としては得難い資質だった。

 

 

 

 その喫茶店は拠点から程近い、運河沿いにあった。

 

 堂島はすでに奥のテーブルに座っていた。

 三十代後半、短く刈り込んだ頭。俺と同じ百八十センチ程の身長を、見世物でない筋肉で固めた太い体付きは、いかにも軍属経験者といった風情である。

 見た目の印象とは裏腹に、仲間意識を持った人間には快活な対応をする男だった。

 

 お互いに目線だけで挨拶を済ませると、向かいの席に腰を下ろした。

 堂島のコーヒーカップの中身は半分程減っており、それを飲み干すと店員を呼び止め、コーヒーを二つ頼んだ。

 

「呼び出して悪いな」

 

 俺は口を開きかけた堂島に軽く手のひらを向けた。

 

「呼び出してもらってなんだが、急ぎでないなら先にこちらの用件から話したい」

 

「仕留めた獣の回収か」

 

「話が早くて助かる。回収管理部が難色を示してる」

 

「昨日、お前が報告をあげたばかりのエリアだったな」

 

「そうだ。まだルートについて、安全確認の精査が終わっていないそうだ」

 

 堂島は声を上げて笑った。

 

「奴隷商人顔負けの管理部が、ずいぶんと人道的な判断をするじゃないか。外界に雪でも降りそうだな」

 

「平野との境目まで誘導して仕留めた。森に入る必要はない。回収ルートは平野部を通れば接敵の可能性も低い。手負いの俺でもなんとか帰ってこられるくらいには安全だ。探査エリアの報告は上げているからそっちで確認してくれ」

 

 店員がコーヒーを二つ運んできた。

 

「わかった。だがこっちはまだ今期の探査が終わっていない。お前の頼みでもロハでは受けられんぞ」

 

「報酬は入札価格の一割でどうだ」

 

 堂島が僅かに目を見開いた。

 

「入札、いくらになりそうだ」

 

「第三種の成体はそうそう出回らない。今の相場なら売却価格は五億を超える可能性もある」

 

「つまり五千万か」

 

 堂島は口笛を吹いた。

 

「ずいぶんと気前がいいな」

 

「下手な回収員が担当して死んだりしたら寝覚めが悪い。その点、お宅らなら安心だろう」

 

「持ち上げてくれるじゃないか」

 

 堂島は満更でもなさそうに笑った。

 

「それにしても」

 

 堂島がカップを置いて、煙草に火を付けた。

 

「御大がいるから感覚が麻痺していたが、第三種の成体を単独で仕留めるとはな」

 

「危うく死にかけたがな」

 

「だが、結果その程度の負傷で済ませられるなら、そっちを探査活動のメインにしたらどうだ。よほど実入りもいいだろう」

 

「昨日の今日で説得力に欠けるが、それでも交戦は可能な限り避けるのが探査の基本原則だ。俺たちは獣と戦うために外界に潜ってる訳じゃない。そんな人間はこの国に一人で十分だろう」

 

「そういや最初にお前に教えられたのがそれだったな」

 

 堂島は途中まで吸った煙草を灰皿で揉み消した。

 

「俺たちも第四種と交戦したことがあるが」

 

「聞いている」

 

「仕留めはした。結果二か月以上動けなかったよ。カクなんかは再起できるかも怪しいところだった。人体組織の再生力を強化するとかいう新薬でなんとかなったがな。外界の存在がなければ死んでいたかもしれん」

 

「外界がなければ、怪我をする理由がなかっただろう」

 

 堂島は目を丸くすると「違いない」と言って笑った。

 

「ともあれ、先にお前の助言を聞かなかったら全員死んでたと思う」

 

 俺はコーヒーを口に運んだ。当然だが、インスタントよりは美味かった。

 

「最初に交戦を控えろと言われた意味が、その時実感できたよ。賞金首だと考えてもリスクが高すぎる」

 

 後悔がない訳でもないのだろう。口にこそしないが、自分についてきた後輩の命に責任を感じる男だった。

 

 しばらく沈黙があった。窓の外の運河沿いの道を、自転車が一台通り過ぎていった。

 

「ところで」

 

 堂島が話を切り替えた。

 

「お前、稼いだ金をどうしてる」

 

「どうもしていない」

 

「貯蓄か。興味本位で聞きたいんだが、どれくらい貯まってるんだ」

 

 俺は少し考えたが、金額が思い出せなかった。

 

「教えるのは構わないが、お宅らと違って収入が安定してる訳じゃない。毎回数えるのが面倒なんだ」

 

 堂島が呆れた顔になった。

 

「俺はお前の税理士じゃないから詳細は知らんが、今回の獣だけで五億の話だ。探査ペースから察するに資源の売却額だけでも、並の探査員の契約金なんざ比較ならんだろう」

 

「正確に把握していない。最後に見た時は百を超えてたが」

 

 少しの間沈黙が続いた。

 

「億、だよな。世の中に外界成金が増えたとはいえ、一昔前なら間違いなく長者番付入りだな」

 

 堂島は大きくため息をついた。

 

「お前が外界に行き続けてる理由が金じゃないのは、改めてよくわかったよ」

 

「どうやらそうらしい」

 

【挿絵表示】

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「俺の方の用件だがな」

 

 堂島は新しい煙草に火を付けた。

 

「昨日まで潜ってたお前はまだ知らないだろうが、尾上のチームが帰ってきていない。帰還予定日を五日以上過ぎている。三人とも死亡したと考えるのが妥当だろう」

 

 堂島の声はひたすら乾いていた。

 この世界で活動している以上、誰かが死んだという知らせにはお互い慣れきっていた。

 俺は黙って続きを待った。一つのチームが消息不明になった程度で、堂島がわざわざ俺を呼び出すはずがなかった。

 

「妙な点がある。尾上たちの探査範囲は、事前に視認されている限りほぼ平野部だ。エリアを選択した企業は危険性は低いと判断していただろうし、当のあいつらもそう考えていただろう。途中報告では徘徊型の痕跡もなかったそうだ」

 

 尾上達のチームは二年近く活動していた。経歴で言えば駆け出しをとっくに終えている。

 森林や山岳地帯ならともかく、平野で無警戒のまま獣と遭遇するとは考え辛かった。

 

「もちろん外界じゃ何が起こってもおかしくない。他のエリアから紛れ込んだ獣と運悪く遭遇したかも知れないし、単にあいつらの警戒が甘かっただけかも知れない」

 

 喋りながら、堂島の目は流れる煙の行方を追っていた。まるでその先に答えがある事を期待するかのように。

 

「だが、それ以外の何かがあった可能性もある。なにせ外界じゃ何が起こってもおかしくないんだからな」

 

「どのあたりだ」

 

 堂島はこちらに目線を向けると、煙を吐き出してから告げた。

 

「昨日、お前が探査し終えたエリアから北東方向に約二十キロ」

 

 堂島の言いたい事がようやく分かった。

 

「ただでさえ一度ケチが付いたエリアを企業は避けがちだ。しかも直前まで近場の探査を担当していたやつが、どの企業にも属していなかったとしたら──わかるよな。次はお前にお鉢が回ってくる可能性が高い」

 

「ご指名とはありがたい話だ」

 

「言ってる場合か」

 

 堂島は苦々しい顔で煙草を消し、こちらを向いた。

 

「俺の用件は以上だ。──いいか、くれぐれも気を付けろ」

 

「忠告感謝する」

 

 俺は椅子を引いて立ち上がり、二人分の伝票を掴んで堂島に言った。

 

「情報料だ」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 喫茶店を出ると、運河を渡る水気の多い風が顔に当たった。

 車に戻る為に歩き始めたところで、マリアへの返信をしていなかったのを思い出した。

 

 メールを開き、夫を亡くした妻に対して相応しい文面を考えたが思いつかなかった。

 結局、明日の参加だけを短く返信し、端末をしまった。

 

 ふと眺めると、対岸に乱立するビルの照り返した光が、水面に散って揺れていた。

 

 何かのきっかけで街は大きく変わる。そして変わる前の姿は次第に誰からも忘れ去られていく。

 

 明日、兄を偲ぶ席に向かう人間の感想としては、あまり相応しくなかったかもしれない。

 

【挿絵表示】

 

 

 

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