※この作品はR-18です。

暴虎は外界を馮る   作:義山硝子

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二章 休暇と奪還④

 

 その後の一週間、特筆すべき事はなかった。

 

 変化した点を挙げるなら、俺はあれから二回ほどマリアの家を訪れていた。

 姪の二人は学校、義姉も昼はパートで働いており、俺が訪ねるのは決まっていつも夕方だった。

 あの日以外に泊まってはいないが、兄が遺した家族と摂るささやかな夕食の時間は思いの外、俺の中で面積を広げていたらしい。

 

 

 雨上がりの週明けに、一通のメールが届いた。

 今シーズンにおける探査期間終了の知らせだった。

 

 探査完了エリアの当初計画比は74%。未帰還者は七名。

 なんの情緒もなく並んだ文字が、今期の結果を告げていた。

 

 今回更新された情報を元に、各企業が次期探査エリアの選定を始める。

 該当エリアで予測される資源回収期待値と、所属チームの生存率を天秤に掛けた事業計画だ。

 そこでは探査員の人命すらも一つの数値に過ぎなかった。

 

 通常通りなら選定の完了は半月程度先となるが、俺は一度拠点を訪れ、装備の点検を行った。

 遠田は不在だった。拠点施設管理者にとっては、次期計画を調整する今が一番忙しい時期のはずだった。

 

 一通り確認を済ませ拠点を出ると、すでに時間は夕刻近くになっていた。

 自然とハンドルが、マリアの家へと進路を取り始めた。

 

 

 古びた平屋を目にした瞬間、言いようのない悪寒が背を這い上がった。 

 続けてガラスが割れ、外れかけた引き戸を見た時、あの日から胸の奥に燻っていた予感が、現実になったと理解した。

 

 車を降り、地面に散らばったガラスを乗り越えて土足のまま平屋の中に駆け入った。

 室内の手前側は踏み荒らされ、革靴の跡がささくれた畳の上にいくつも刻まれていた。

 

 土間には、マリアがいつも身につけていた薄いグリーンのエプロンが落ちていた。

 リリカがノートを広げていた座卓は、部屋の隅でひっくり返っていた。

 アリスが宝物のように見せて来た小さなクマの人形が、その近くで力尽きたように転がっていた。

 

 そして部屋の中に、持ち主は誰もいなかった。

 

 俺の感情を余所にして、視線が部屋の中の痕跡を探り始めていた。

 死を前提にした十数年の経験は、自失する暇さえ与えてくれなかった。

 正直に言えば、今の俺にはそれがありがたかった。

 

 部屋の奥側までは、踏み入った形跡が無かった。

 視線を伸ばした先、押入れの引き戸が僅かに開いていた。

 

「……おじ、さま?」

 

 引き戸の隙間からアリスが顔を出してこちらを見ていた。

 俺を確認した瞬間、大きな瞳から涙が溢れ始めた。

 

「おじさまっ……ママと、お姉ちゃんが、連れてかれた……」

 

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 小さな肩が何度も震え、噛み締めた唇の隙間から嗚咽が漏れた。

 アリスに駆け寄ると、目線を合わせるようにしゃがみ、小さな手を握った。指先がひどく震えていた。

 感情を暴発させる寸前だったアリスは、なんとか踏みとどまったようだった。

 

「二人は誰に連れていかれた」

 

「前にきてた怖い人たち」

 

 借金の取立てに来ていた連中で間違いないようだった。

 

「何があったのか、最初から話してくれ。ゆっくりでいい、落ち着いて」

 

 アリスは小さく頷くと、辿々しく話し始めた。

 

「さっき、クルマの音がしたから、おじさまだと思ってママがおむかえにいったの。そうしたら外からママの声が聞こえてっ」

 

 僅かに言葉が詰まった。

 

「お姉ちゃんがアリスに、押入れで隠れてなさいって。絶対に出てきちゃダメだって」

 

 恐怖に呑まれるより先に、まず何をすべきかを考える。リリカらしい判断だった。

 

「アリスが隠れてたら、前にきてた怖い人たちの声がして、お姉ちゃんが警察呼んだって言ったら、怖い人たちが怒って……お姉ちゃんも連れてかれちゃった」

 

 マリアを外で押さえ、そのまま引き戸を蹴破って中へ踏み込んだのだろう。

 リリカの発言はアリスを守る為のブラフだろうが、その代償に相手の癇癪を招いたようだ。

 

 俺はリリカが守った少女を見つめた。

 

 アリスの存在は奴等も承知していたはずだ。にも関わらず、二人を確保するだけで退散していった。

 最初から狙いはマリアだけだったのか。あるいは、リリカの抵抗のせいで予定が狂ったのか。

 いずれにせよ、連中は“確保”を優先していた。家探しを続けるより、早く現場を離れることを選んだのだろう。

 少なくとも、すぐにここへ戻ってくる可能性は低いと判断した。

 

「アリス。俺が帰ってくるまで、ここに隠れて待っていてくれ」

 

 恐怖に震える幼い子供だ。拒否されるのは覚悟していた。その時の為に宥める言葉も考えていた。

 だが、アリスは小さく頷いた。

 

「おじさま、ママとお姉ちゃんをたすけて」

 

 涙で濡れた瞳が、縋るようにこちらを見ていた。

 

「約束だ。必ず二人を連れ戻す」

 

 俺はアリスが押入れの引き戸を閉めるのを見届けると、車に乗るために外へ駆け出した。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 たいして記憶を辿ることなく、俺の車はかつて()()された事務所の前に到着した。

 ビルの窓に書かれた間抜けな黄色の文字も、入口脇の壁の跡も、全てが以前と変わらなかった。

 

 車を停め、ドアを開け、降りた瞬間も、頭の中で暴れそうになる何かを常に抑え続けていた。

 狭い階段を駆け上ると、ドアノブに手を掛け回そうとした。鍵が掛かっていた。力任せにドアを蹴破った。

 

 暗闇の中、窓から差し込む光が並んだ事務机を照らしていた。

 事務所の中は無人だった。

 

 この寒さにも関わらず、背中を汗が流れていくのを感じた。

 連中の足取りは完全に途絶えていた。

 

 俺は車に戻る途中も、思考を巡らせ続けた。

 シートに座りハンドルを握ったとき、ふと閃くものがあった。

 

 俺は携帯を取り出し、祈るような気持ちで電話を掛けた。

 着信音が五秒ほど鳴った後、携帯から堂島の声が聞こえた。

 

「静間か。そっちから掛けてくるのは珍しいな」

 

「今どこにいる」

 

「北区の雀荘だよ。お前も来るか?レートなら──」

 

 俺は堂島を遮って声を出した。

 

「身内が攫われた。力を借りたい」

 

「……なんだと。──詳しく聞かせろ」

 

 俺はこれまでの経緯を堂島に伝えた。

 話し終えると、電話の向こうから舌打ちが聞こえた。

 

「女二人か。確かに悠長に通報してる時間はないな。なにか手掛かりはないのか」

 

 俺は堂島に街金の名前と今いる場所を伝えた。

 

「ピースフルファイナンスだぁ?ふざけた名前しやがって。ちょっと待ってろ」

 

 電話の向こうから何人かの話し声が聞こえた。

 

「ヤスの元同期が四課にいるそうだ。その街金の裏側を調べて貰う。鼻薬として五十万程包んで貰うが、構わないな」

 

「構わない」

 

 再び、電話の向こうで話し声が聞こえた。

 

「今連絡を取らせた。結果が出たら、俺を通さずヤスから直接お前に連絡させる。そこで待ってろ」

 

「助かる」

 

 そこで通話を終えてもよかった。

 だが、俺も堂島もそうしなかった。

 

 僅かの間、漂った沈黙を先に破ったのは堂島だった。

 

「……静間。お前の話を聞いて一つ思いついたことがある」

 

 普段は闊達なこの男にしては、歯切れが悪かった。

 俺は堂島の言いたいことに気付いていた。

 だが止めなかった。

 

「お前が最初に返済を立て替えた時、連中はこう思ったはずだ。──こんな大金を気軽に払える男は何者だ、ってな」

 

 堂島の声が妙に遠く聞こえた。

 

「当然、連中は調べる。最初から個人を絞れていれば難しい話じゃない。そして、いずれ探査員としてのお前に辿り着く」

 

 ふと見ると、ハンドルを握る手が白くなっていた。

 

「どの企業にも紐がついていない凄腕の探査員。身代金。資源の独占提供。探査情報の横流し。使い道はいくらでも思いつく。つまり連中の狙いは──」

 

「俺だ」

 

 吐いた言葉は、血のように粘ついていた。

 

「──人質を確保した上での脅迫。おそらく今夜にでも、お前に連絡がいく予定のはずだ。闇金紛いや取立てで小銭稼いでる連中が引ける絵図とも思えん。やつらの報告を受けて指示を出したのは、更に上の層だろう」

 

 堂島は感情を込めずに話し始めた。

 どうもそれが、この男なりの気の遣い方らしかった。

 

「逆に言えば、指示役がお前に連絡をするまでは、二人は拉致の実行犯と同じ場所......つまり、その近場にいる可能性が高い。遠くに身柄を移動させるのは明日以降ってところだな」

 

「わかった。いずれにせよ今夜中にケリをつける」

 

「こちらもヤスから情報をお前に伝えたら、そっちに向かう。早まった真似はするなよ」

 

「覚えておく。……なあ、堂島」

 

「なんだ」

 

「感謝する」

 

 俺は通話を切った。

 

 

 安原からの連絡を待つ間、俺はハンドルを握りながら、自分に対して噴き出す千の罵倒を堪えていた。

 

 龍一の借金が無くなれば、この家族を襲う問題は解決すると考えていた。

 だが、実際は彼女たちは巻きこまれた。

 ──他ならぬ俺のせいで。

 

 目立ったことはするな──という遠田の言葉を思い返した。

 

 あの男は正しかった。

 凄腕の探査員などと煽てられようが、外界を出た俺は多少金があるだけの無力な人間に過ぎなかった。

 

 

 携帯が鳴った。安原だった。

 受話口を耳に当てると、どこか飄々とした声が聞こえた。

 

「静間さん、お久しぶりです。安原です。積もる話はありますが、今は本題からいきましょう」

 

 俺は黙って話の続きを待った。

 

「四課の知人から連絡が来ました。ピースフルファイナンスを実質運営しているのは津村組。小さな組ですが、どこからも盃を貰っていません。複数の暴力団から、仕事を請け負っているようです」

 

 津村組が独断で動いた可能性もあった。だが、おそらくは元々マリアたちを知っていた連中が、そのまま拉致役に使われたのだろう。

 

「本来、そちらが本業ですね。街金は看板みたいなもんです。静間さんが今いる場所を除くと、他に監禁に使えそうな場所は、組長の自宅兼事務所しかありません。住所を伝えます」

 

 安原が口にした住所をナビに打ち込んでいく。表示されたのは、ここから車で二十分程の場所だった。 

 

「俺達も一時間以内にそちらへ着きます、待ち合わせ場所は──」

 

「先に入ってる。到着したら好きに始めてくれ」

 

 目的地を確認し終えた瞬間、すでに俺はアクセルを踏んでいた。 

 

「……マジですか。うわ堂島さんキレてる。勘弁してくださいよ」

 

「聞いているかも知れないが、攫われたのは女だ。一分でも惜しい」

 

 少しの間のあと、諦めと納得を織り交ぜたような安原の声が聞こえた。

 

「わかりました。まあ、あなたならなんとかするでしょう」

 

「では、また後で」

 

「待って下さい。──堂島さんから"殺すな"、だそうです」

 

「"善処する"、と伝えてくれ」

 

 俺は携帯をしまうと、車を加速させた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 目的地に近づき、少し手前の路上に車を停めた。

 

 津村の自宅は、庭のついた大きめの日本家屋だった。

 一見平屋に見えるが、後から増築されたような二階部分が見て取れた。

 

 門の脇に停まった車の中に、男が一人いた。

 煙草を咥え、携帯を弄っている。

 見張りというにはずいぶん気が緩んでいたが、それでも見張りを立てるだけの理由がある事は間違いなかった。

 正面には小型の監視カメラが二つ、それぞれ玄関と車庫を見渡していた。

 俺は塀沿いに回り込み、カメラの死角になる庭側へ向かった。

 

 暗がりに紛れながら冬枯れの庭を抜けると、勝手口の前に男が二人いた。

 スーツの一人は壁にもたれて煙草を吸い、派手なジャージのもう一人は缶ビールを片手に何かを喋っていた。

 

 二人がこちらに気づいた時、すでに俺は間合いに入っていた。

 

 手前のスーツ男が声を上げるより先に、顎へ右の掌底を突き上げた。

 崩れ落ちる前に腹を強く蹴り、もう一人に向けて押し出した。

 口から出しかけた大声ごと押し潰されたジャージ男の後ろに素早く回り込む。

 そのまま右腕を首に廻し、締め上げた。

 気道ではなく頸動脈を圧迫するように力を調整し、二秒以内に意識を落とした。

 

 ふと右腕に鈍い熱が走った。

 塞がりかけていた傷が、今のやり取りで開いたらしい。袖の内側に、ゆっくりと湿った感触が広がっていった。

 この程度なら、人間相手の戦闘に支障はなかった。

 

 見張りを立てていた為か、勝手口の鍵は掛かっていなかった。

 中に入ると、古い木材と煙草の匂いが混ざった空気が鼻についた。

 廊下は暗く、奥からテレビの音が聞こえていた。

 

 少しだけ開いた障子の隙間から覗くと、大広間に数人の男がいた。

 座卓の上には缶ビールと灰皿が散らばり、壁際の大型テレビではナイター中継が流れている。

 誰もこちらに気づいていなかった。

 

 障子を閉じ、音を立てないように廊下を進んだ。

 一階の部屋を順に確認していく。

 小広間。物置。仏間。使われていない客間。台所。

 途中、人の気配のあった部屋で確認できたのは、全てここの住人だった。

 想定より時間を使い過ぎていた。だが、どこにも二人の痕跡はなかった。

 

 奥の廊下には、二階へ続く階段があった。

 

 階段を上がると、細い廊下の左側に木製のドアがひとつだけあった。

 どうやら二階には一部屋しか存在しないらしい。 

 足音を殺して進み、ドアに耳を当てると、硬い感触と同時に中から複数の気配が伝わった。 

 

 いずれにせよ、もはや探すべき場所は残されていない。 

 二人には監視が付いていると考えると、ここでの戦闘は避けられないと想定するのが妥当だった。

 

 ノブをゆっくり回し、ドアが開き切るより先に中に踏み込んだ。

 

 中は十二畳程の洋室で、奥の窓際には大きな木製のデスクが鎮座していた。

 その手前には、恰幅のよい男がデスクにもたれるように立っていた。

 

 部屋の中央には向かい合うようにソファーが並び、

 左側のソファーと壁の間に、金縁眼鏡を掛けた神経質そうな男が一人。

 入り口側──ここから一番近い場所には、体格の良い坊主頭が姿勢を崩して立っていた。

 

 そして、右側のソファーにはマリアとリリカが座っていた。

 縛られている様子はない。服装に大きな乱れもなかった。

 マリアは憔悴したように目を伏せていた。リリカは顔色こそ青かったが、平静を保っているように見えた。

 

 俺が部屋に踏み入るのと同時に、全員の視線が不意の闖入者に集中した。

 

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「なんだぁテメェ」

 

 坊主頭がお決まりの威嚇と同時にこちらに踏み出した。

 この手の人種が持つ語彙の豊富さに感心しながら、相手の歩調に割り込むように間合いを詰めた。

 相手が怯むよりも先に、平拳で喉を突く。

 くぐもった悲鳴と同時に蹲る坊主頭に背を向け、まだ事態が飲み込めていない様子の金縁眼鏡に向かって駆けた。

 

 その最中、奥の恰幅のいい男の右手がダブルスーツの内側に伸びるのを視界の隅に捉えた。

 

 対処順位の修正を行い、身体を投げ出すような勢いで強引に進む方向を変える。

 向こうからすれば、相手が突然直角に曲がってこちらに突進してきたようなものだ。

 驚いた顔は一瞬だった。懐に伸びた右手をスーツ越しに打ち据えると、それはすぐに苦悶に変わった。

 取り落とした拳銃を、奥のデスクの下に蹴って滑らせる。 その足を少しだけ持ち上げ、踵で相手の足の甲を踏み砕いた。男の口から低い苦痛の声が漏れた。

 

「オヤジ!」と金縁眼鏡が叫んだ。

 

 呻く男の肩を掴み、壁際の孝行息子に向けて突き飛ばした。

 後を追いかけるように距離を詰め、親分を両手で受け止めざるを得なかった金縁眼鏡の顔を片手で掴んだ。

 両手が塞がれ体勢も崩れていた為、抵抗はほとんどなかった。

 そのまま後頭部を背後の壁に叩きつけた。

 二人が絡まるように倒れると、この部屋で立っているのは俺だけになった。

 

 部屋のドアを開けてから八秒が経過していた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 当面の脅威を無力化した俺は、マリアとリリカに向き直った。 

 

「虎徹さん……」

 

 茫洋としたマリアの瞳が、俺を焦点に少しだけ明瞭さを取り戻した。

 ほぼ無意識なのだろうが、頼りなげに差し出された白い指を軽く握った。ひどく冷たかった。

 

「二人とも怪我は」

 

「二人ともありません」リリカが答えた。

 

「こちらの用が済むまで、待っていてくれ」

 

「虎徹さんっ、血が……!」マリアが俺の右袖に滲む赤に気づいたらしい。顔が蒼白になっていた。

 

「問題ありません。前の傷が少し開いただけです」

 

 俺はなおも言い募るマリアを見つめた。

 

「アリスに約束しました。必ず、二人を無事に帰します」

 

 リリカは無言で頷いた。マリアも、不安そうではあるものの口を閉ざした。

 

 俺は二人に背を向けた。

 呻き声を上げ続ける恰幅のいい男の襟首を掴むと、引き起こして空席のソファーに座らせた。

 オヤジと呼ばれていたことから、どうやらこの男が津村のようだ。

 

 片手で喉を掴み、呼吸が止まる程度にまで締めあげると、津村の顔が赤く染まっていった。

 相手がこのまま自分を殺せる事を理解したらしく、僅かに怯えの色が走った。

 

「聞こえるか。俺は別にお宅を殺したい訳じゃない。穏便に話し合おう」

 

 息が出来ないせいか、目の端には涙が滲んでいた。

 

「条件が一つある。今からあの二人を危険に晒すような事態が起きたらお宅が止めろ。守れるなら頷いてくれ」

 

 津村が頷いたので、力を緩めた。

 

 上での騒ぎに気づいたのか、部屋の外から何人かが階段を上ってくる足音が聞こえた。

 

「まずはあいつらに、部屋に入ってこないように伝えてくれ。誰かが一歩でも踏み入れたら先ほどの続きをする」

 

 津村が躊躇う気配があったので、ほんの少し力を込めると、慌てて声を上げた。

 

「俺だ!誰も入ってくるな!」

 

 坊主頭が、よろめきながら立ち上がった。

 

「寝起きで悪いが、そこのメガネを連れて部屋を出てってくれ」

 

 坊主頭はこちらを見て状況を理解したようだった。

 喉を押さえながら、かすれた声で呟いた。

 

「人質かよ……きたねぇ真似しやがって」

 

 俺はマリアとリリカに一瞬視線を向けた。

 

「俺もそう思う。気が合ったところで、さっさと動いてくれないか」

 

 坊主頭は金縁眼鏡を抱えると、部屋から出て行った。

 

 部屋の外からは、何人かがこちらを伺う気配があった。

 突入のタイミングを計っているのだろう。

 マリアとリリカの安全を最優先に考えて、津村との話を進める必要があった。

 

 俺は首を掴んだままの津村に向き直った。

 

「概ね予想はしてるが聞かせてもらう。なぜ二人を攫った」

 

「お前、静間虎徹か」津村は痛みに顔を顰めつつ俺を見た。

 

「こちらが質問している」

 

「……依頼があった。あの一家の誰かを確保するようにな」

 

 誰からだ、と聞く前に津村は続けた。

 

「最初から話す。あれは確か先週だったか、下のモンから報告があった。三千万の借金を肩代わり……それも一括で払った奴がいるってな。金になりそうな匂いがしたから、調べさせた」

 

 必要な事ではあったが、事実の再確認は億劫だった。それが自らの迂闊さによるものならなおさらだった。

 

「驚いたよ。お前の経歴もそうだが、なによりどの企業にも付いてない探査員がいるとは思わなかった。確かに金にはなるが、俺たちじゃ扱いきれん。高く買ってくれそうな所に情報を売った」

 

 津村の話しぶりは一見すると詳しく説明をしているように聞こえるが、別の意図が見え隠れしていた。

 おそらく増援の為の時間稼ぎだろう。

 

「売った先から依頼があったのは今日だ。その後、お前に何をさせるつもりなのかは俺も知らん」

 

「どこの誰に頼まれた」

 

 津村は答えず、薄笑いを浮かべて俺を睨んだ。

 

「今頃うちの若い衆が応援を呼んでる。お前、ただで帰れると思うなよ」  

 

 不意に部屋の外が騒がしくなった。

 怒声と足音が交錯し、いくらもしないうちに静かになった。

 

「そこにいた奴らで最後だ」

 

 ドアを開けて入ってきたのは堂島だった。

 息一つ切らしていなかった。

 

「下のはまとめてカクとヤスが見張ってる。お前がやったのは勝手口の二人だけか?見逃して応援でも呼ばれたら厄介だからな」

 

 俺はその二人だけだと伝えた。

 

 依頼主を吐いたか、という問いに俺が首を振ると、こちらに近づいた堂島は、俺に代わって津村の胸ぐらを掴んだ。

 

「先に言っておくが、俺はそこの男と違って必要以上に痛めつける事に抵抗がない。相手がヤクザともなればなおさらな。誰から依頼された」

 

 津村は堂島を見上げた。動作は弱々しかったが、その目には何かの意思が宿っていた。

 

「お前らには理解できないだろうが、俺にも通すべき筋がある。相手が裏切りでもしない限り、口は割らん」

 

 堂島が舌打ちをした。

 津村へ依頼をした人物に繋がる線は切れかけていた。

 

「私たちが」

 

 部屋にいた全員が声の主を見た。 リリカだった。

 

「私たちがここに連れてこられた後、その人が電話を掛けてました。叔父さんの名前が出ていたので覚えてます。相手の方を──確か『クロキ』と呼んでました」

 

 堂島が目を丸くした。

 

「……お手柄だぜ、お嬢ちゃん」

 

「どうも」

 

 堂島は津村を見下ろした。

 

「外界産業に縁あるヤクザ絡みでクロキつったら、三条会の黒木だろう。昔は本部長だったが、今は若頭補佐あたりまで行ってるかもしれんな。この都市でもちょっとした顔だぜ」

 

 津村は顔を歪めたが、否定はしなかった。

 

「三条会は元々古風なヤクザだったが、扉が出来てから急にデカくなった連中だ。外界絡みでな。静間を利用する動機については十分すぎる」

 

 この場は二人を取り戻しても、今後再び狙われない保証はない。

 今夜で終わらせる必要があった。

 

「で、黒木にどう渡りをつける。また四課に頼むか?」

 

「もっと手っ取り早い方法がある」

 

 俺は津村を親指で指した。

 

「ああ、そりゃそうか。おい、暴れると痛い目を見るぞ」

 

 誘拐犯のようなセリフを口にした堂島は、津村の身体をまさぐると、携帯を取り出した。

 指紋認証だったらしく、津村の指を強引に掴んで解除すると、通話履歴を確認し始めた。

 

「黒木、二時間前。これだな。静間、どうする」

 

「俺が話す」

 

 堂島は頷くと、こちらに携帯を放った。

 受け取った画面には『黒木』と表示されていた。

 電話を掛けると、四コール程で通話が繋がった。

 

「俺だ。どうした」

 

 電話に出たのは、いかにも普段から人に命令し慣れているような口調の男だった。

 

「静間の件ですが」俺はわざと曖昧な声で喋った。

 

「何かあったのか」

 

「失敗したよ」

 

「なんだと……待て、お前津村じゃないな。誰だ」

 

「お宅がこれからこき使おうとしていた男だ」

 

 暫く相手は黙った。俺がこの電話を持っている意味を理解したのだろう。津村の事は何も聞かなかった。

 

「……何か勘違いしてるんじゃないか。津村が何を言ったかは分からんが、俺はお前のことなど知らん」

 

 俺は携帯から顔を離し、通話先に聞こえるように津村に話しかけた。

 

「黒木は俺の事など知らないと言ってる。見捨てられたな」

 

 俺は電話に向かって言った。

 

「お宅が知らないと言い張るのは構わないが、こっちには確信がある。だから選ばせてやってもいい」

 

「……一応聞こうか。何を選ばせてくれるんだ」

 

「押すか、引くかだ。そちらが無関係を押し通すなら、俺はこの場で通報する。拉致監禁の現行犯だ。津村は確実にお縄だな」

 

「そんなことか。好きにすればいい」

 

「今回の件で証拠があるかは知らない。だがこれ以外にも過去に津村達を使っていたら、そっちの件は無事では済まないんじゃないか。お宅に捨てられた津村が、いつまで義理を通すかも分からないだろう」

 

 黒木は黙った。

 

「もう一つある。誰かに狙われてると考えると夜も眠れない。原因が津村でないなら、次の所に行って()()()()()()()()()()。幸い、心当たりはある。本人は否定してるようだがな」

 

 通話口の沈黙が深くなった。

 

「今日は誰も殺さなかった。次もそうできるかは分からない」

 

 黒木はしばらく黙っていたが、口を開いた。

 

「もし、お前の言う心当たりとやらが手を引くと言ったら?」

 

「俺達はこのまま帰る。今夜は何もなかった。津村は誰も攫わなかったし、俺たちもここには来なかった」

 

 最後の沈黙はこれまでで一番長かった。

 

「──いいだろう。俺たちは手を引く。今後も関わらない」

 

 黒木は続けた。意外なことに、苦笑しているようだった。

 

「この稼業を長年やっていると見えてくることもある。よくわかった。──お前は飼えない」 

 

「最後にひとつ言っておく。次に彼女たちに手を出す人間がいたら、俺はまずお宅らを疑う。それが嫌だったら、同業者に俺には関わらないよう伝えておけ」

 

 俺は通話を切った。

 

「話はついたか」堂島がこちらを見ていた。

 

「なら、お前はそこの美人とお嬢ちゃんを先に送っていけ。こっちは津村のシノギの証拠を集める。後で何かあった時、役に立ちそうだからな」

 

 俺は堂島への礼を口に出そうとしたが、堂島はこちらを追い払うように手を振ってみせた。

 俺は頷くとソファーの二人に近づいた。

 

「行きましょう。立てますか」

 

 リリカはすぐに腰を上げたが、マリアは立ち上がれないようだった。

 青い瞳は、まだ怯えを残して揺れていた。

 

「虎徹さん……ごめんなさい、足に力が入らなくて」

 

 俺はマリアの背中と膝裏に手を回すと抱き上げた。

 堂島が口笛を吹いたが無視することにした。

 

「掴まっていてください」と、マリアに告げる。

 

「……はい」と、消え入るような声が胸元から聞こえた。

 

 腕の中の柔らかさについては考えないことにした。

 リリカが背後で呆れたようにため息をついた気がしたが、考えないようにした。

 

【挿絵表示】

 

 

 ◆◆◆

 

 

 帰りの車内で、交わされた言葉はほとんどなかった。

 助手席に座ったマリアは、遠慮がちに俺の服の端を摘まんだまま、離そうとしなかった。

 後部座席のリリカは何かを考え込んでいるようで、時折こちらの様子を伺う気配がした。

 バックミラー越しの瞳には、安堵だけではない感情が浮かんでいるように見えた。

 

 家の中に入った瞬間、押入れの引き戸が勢いよく開いた。

 

「ママっ!」

 

 飛び出してきたアリスが、真っ先にマリアへ抱きついた。

 マリアは少しよろめきながらも、その小さな身体をしっかり抱き締めた。

 

「……ごめんなさい、アリス。怖かったよね」

 

 張り詰めていたものが切れたのだろう。

 アリスは母親の胸元に顔を埋めたまま泣き始めた。

 

 マリアは何度も娘の頭を撫でていた。

 その青い瞳にも、薄く涙が滲んでいた。

 

 俺はそんな親子の様子を、ただ見ていた。

 

「……おじさま」

 

 涙声のまま、アリスがこちらを見た。

 

「約束、守ってくれた」

 

「ああ」

 

 短く答えると、アリスは何度も頷いた。

 

 その隣で、リリカが静かに俺を見上げていた。

 

 戸が壊れ、部屋の中は酷く荒れ、倒れた座卓もそのままだった。

 それでも失われた景色の中、確かに取り戻したものがあった。

 

 今は、それで十分だった。

 

 

 ◆◆◆ 

 

 

 ときおり冷たい風の吹き込む部屋の中、あるだけの服を着こんだマリア達は布団の中で静かに寝息を立てていた。

 今日起こった出来事を考えれば無理もなかった。

 

 しがみついたアリスの小さな体を慎重に離すと、家の外に出た。 

 

 俺はフェアレディの冷えたボンネットに腰を預けた。

 冬の冷気は染み込むような寒さだったが、ちょうどよかった。

 

 立て掛けただけの壊れた引き戸を動かして、寝間着姿のリリカが家から出て来た。

 最初からいる事を知っていたようにこちらに近づき、俺の前で立ち止まった。

 互いの目線が、同じ高さで交わった。

 

「叔父さん、気にしてるんですか」

 

 俺が原因で攫われたことに、リリカは気づいていた。

 この少女ならそれこそ、津村の話を聞く前から気づいていたのかも知れなかった。

 

「俺が、巻き込んだ」

 

 口から入る冷たい空気も、言葉の苦さを減らしてはくれなかった。 

 

「でも、助けてくれました」

 

 静かな声だった。

 

「もともと叔父さんを巻き込んだのは私です。それでも、助けてくれました」

 

 紫水晶のような瞳が、ただ俺を見つめていた。

 

「感謝してます。母もアリスも、……私も」

 

 続けてリリカは、何もなかったかのように口を開いた。

 

「ああ、それと叔父さん。あちらを見て貰えませんか」

 

 リリカに促されるまま視線を横に向けた瞬間、頬に柔らかいものが触れた。

 

【挿絵表示】

 

 

 目線を戻すと、リリカはすでに背中を向けていた。

 

「お礼です」

 

 後ろ姿でそう言い残すと、彼女は家の方に歩いて行った。

 セミロングの髪から見え隠れする耳が、赤く染まっているように見えた。

 

 小さな背中を見送りながら、俺は僅かに息を吐いた。

 

 立て掛けただけの引き戸が、時折風に押されて小さく軋んだ。

 その音を聞きながら、俺はこれからのことを考えた。

 

 

 

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