の【日の丸の国史上最悪の猟奇殺人事件がきっかけで始まった物語】 作:桃色ぴんく
7月12日午後11時45分
「桃松さん……。そして、青山さんに店長……私、もう嫌だよ……」
涙声の黄ノ山さんは、根ノ江川の水に右足をそっと入れた。
この時間の気温は34度とまだかなり高かったのだが、その水はアイスのようにとても冷たかったのだ。
「冷た……。あ、別にいいや……」
何もかもどうでもよくなった黄ノ山さんは、左足もゆっくりと入れた。
そして、冷たい根ノ江川を部屋のベッドに見立てて眠ろうとした。
「おやすみ……茜ちゃん……」
その時だった。
「オギャー!オギャー!オギャー!」
茜ちゃんが夜泣きをした。
だが、この時の黄ノ山さんには茜ちゃんの夜泣きの意味がすぐには分からなかった。今までだったら、5秒も経たないうちに茜ちゃんの意図を理解するのだが。
「あ、え?茜……ちゃん?」
黄ノ山さんは、永遠の眠りにつく道を選ぶことをやめ、ゆっくりと根ノ江川から出た。
午後11時50分
「ごめんね、茜ちゃん……」
茜ちゃんのお尻にそっと手を当てた黄ノ山さんは、オムツを替えようと車に戻った。
一方その頃、閉店が決まったうさぎマーケットの店内では……
「真理奈、お待たせ」
サニーショップで買い物を済ませた真理子さんが、チョコを連れて戻ってきた。
袋の中には、藍谷さんのために買ったペットボトルのスポーツドリンクとレインボーグミ、そしてチョコのために買ったドッグフードが入っていたのだ。
「ありがとうっ……!お姉ちゃん、チョコ!!」
藍谷さんは、真理子さんとチョコの元に早足で駆け寄ると、スポーツドリンクとレインボーグミをすぐに受け取った。
「どういたしまして。あ、ごめん真理奈!忘れ物取りに行くからチョコと一緒に待ってて!」
真理子さんは大急ぎで藍色と茶色のチェックの軽自動車に戻った。
「ワンワン!」
チョコは左右に激しくしっぽを振りながら藍谷さんにすり寄ってきた。そして、大好きな妹のほっぺを何度もペロペロ舐めた。
「ありがとう、チョコ……」
目を潤ませた藍谷さんは、人懐っこい妹を両腕で優しく抱き締めた。
「副店長……外のゴミ捨て終わりました……」
「副店長……特殊清掃に電話しましたが、明日の朝からじゃないとダメらしいです……」
休憩室にゴミ袋を取りに行っていた金森さんと白谷さんが、泣きながら店に入ってきた。
2人の靴底は真っ赤に染まらなかったが、心はゆうちゃんのツインテールよりもずっと真っ黒に染まっていたのだ。
「ありがとう……」
赤竹さんは、エアコンの風よりも小さな声でお礼を言った。
「お疲れ様です……」
青木さんの声も、赤竹さんと同じくらい小さかった。
「あ、藍谷さんもお疲れ。大変だったわよね……」
金森さんは、チョコを撫でる藍谷さんを心配そうに見つめていた。藍谷さんの目がまだ少しだけ潤んでいたからだ。
「あら、チョコちゃんも一緒なの?よかったわね……」
白谷さんは、藍谷さんとチョコをじっと見つめながら作り笑いをした。
「……っ!はいっ……」
藍谷さんは、泣きながらスポーツドリンクを飲んでいた。
7月13日午前0時
「いってらっしゃい。外で待ってるね」
彩音さんは、うさぎマーケットの裏口で赤森さんたちを見送った。
「さて、ゆうちゃんたちに黙祷しないと。はぁ……お兄ちゃんがあの時教えてくれなかったら、超イケメンと垢抜けない女の子のくだらない噂話って決めつけてたもん」
1人になった彩音さんは、独り言を言いながら自動ドアの近くへと向かった。
金森さんと白谷さんの活躍により、そこにあったはずのピンクのシュシュ、ピンクのセーラーワンピ、そしてゆうちゃんが通っていた全ての学校の卒業アルバムが綺麗さっぱりなくなっていた。
当然、ゆうちゃんを傷つける嫌な貼り紙も全然残っていなかったのだ。
「あ、ゆうちゃんたちに黙祷しよ……」
彩音さんはそっと両手を合わせた。
入口には、サニーショップの店員さんに配達してもらった白いうさぎのアニマルフラワーが目立つように置かれていた。
その可愛らしさは、生前うさぎマーケットでニコニコ接客していた28歳の女の子そのものだったのだ。
ちょうどその頃、茶山さんはひまわりの花束を、緑ヶ丘さんはマリーゴールドの花束を、赤森さんはハイビスカスの花束を店内へと運んでいた。
当然、花束は1つ2つどころではない。
茶山さんに至っては、花束の他に日の丸コンビニで買った玉ねぎチップス2袋も大事に持っていたのだ。
「花束もまあまあ重いのね……」
「そうですね……茶山さんは玉ねぎチップスも持っていますからね……。赤森、お前大丈夫か?」
「僕は大丈夫です……。まあ、これくらいあった方がみんな喜びますから……きっと……」
本物の宝石のように美しく輝く花たちが、茶山さん、緑ヶ丘さん、赤森さんの暗い表情を引き立てていた。
3人とも鉛のように重い足を必死に動かしながら、バックヤードと店内を繋ぐドアをゆっくりと開けた。
店内には、赤竹さん、青木さん、金森さん、白谷さん、藍谷さん、そしてチョコがいた。
閉店作業を終えた5人は床に座って死んだ目でスマホを見ていたが、チョコだけはいつものようにぐっすり眠っていた。
茶山さん、緑ヶ丘さん、赤森さんの耳に入ったのは、真理子さんに差し入れしてもらった塩ラムネを齧る音だけだったのだ。
「あの……お花買いました……。あ……差し入れ……食べますか……?」
茶山さんの声は完全に震えていた。さらに、手の震えも止まらなくなり、花束がいつ落ちてもおかしくないほどになってしまったのだ。
「あ、皆さんお疲れ様です……」
「暑かったですよね……?」
緑ヶ丘さんと赤森さんの声と手も同じように震えていたのは言うまでもない。
5人とも疲れていたのか、はたまたゆうちゃんたちの死を受け入れられなかったのか。誰も3人の声かけには応じなかったのだ。
「あ……置いておきますね……」
茶山さんは玉ねぎチップスを1袋だけ塩ラムネのそばに置いた。
「今はそっとしておいた方がいいわね……。あっちで食べましょう……」
そして、緑ヶ丘さんと赤森さんにバックヤードで玉ねぎチップスを一緒に食べるよう伝えた。
午前0時10分
気持ちよさそうに眠るチョコをよそに、赤竹さん、青木さん、金森さん、白谷さん、藍谷さんは涙目でスマホを見ていた。
Star Movieで好きな動画を見るなりサニーTVで好きな番組を見るなりすればいいものの、ゆうちゃん関連のSNSやゆうちゃんの事件の特番のリアルタイム配信や見逃し配信だけを目で追ってしまうのだ。
赤竹さんは、おひさまファッションビルの電光掲示板に映っていた特番と同じ番組の見逃し配信を見ていた。
日の丸の国史上最悪の猟奇殺人事件で亡くなった桃松ゆうさん。
白馬の王子様……正確に言うと素敵な彦星様との出会いを夢見ていたゆうさんは、28歳でありながらあどけない少女のようですね。
Aはこの世のものとは思えないほど美しい見た目と声の持ち主でありながら、心だけは本当に醜く恐ろしかった……!
乙女心を踏みにじられ、最悪な形で命を奪われたゆうさんの気持ちを思うと、本当に可哀想でなりません!
Aの日記には、ゆうさんが事件当日どういった行動をしていたかがはっきりと書かれていました。
今から読みますね。
助手席にいた桃松ゆうは、無邪気な顔で僕にこう言っていたな。
彦星様。あたしね、彦星様に会えますようにって出かける前にピンクの短冊に書いてお願いしたんだ。
午前7時30分に見た占いで、いて座の人は最近オープンしたお店に行くと運命の人に会えるって言ってたから、ランチの後に美由利ちゃんのアイス食べようって思ったの!
でも、暑すぎて我慢できなかったから、駅に着く前に食べちゃった。
やっぱり見た目通りお子ちゃまなお姫様だったな♪
美由利ちゃんって誰?ってとりあえず聞いたら、あたしの友達だよってベガみたいにキラキラした目をして答えていたな。
他にも……
あたしね、午前11時30分松ノ実6丁目発の松島バスじゃなくて午前10時30分松ノ実6丁目発の根ノ江バスに乗ったんだ!いつもより1本早いバスに乗ったらさらにラッキーって聞いたから!
こんな子供騙しの朝の占いを信じるなんて笑っちゃうよね♪
まあ、僕にとってはこれ以上ないほどラッキーだけどね♪
アイスを食べた後、ランチまでまだ時間があったから、彦星様に会えると信じてあたしは即興で歌を歌ってたんだ。彦星様に聞かれちゃったのちょっと恥ずかしいな……
そう言った時の桃松ゆうは、本マグロの赤身みたいに真っ赤な顔をしていて、本当においしそうだったなあ……