ソリュシャン・イプシロンの絶対的堕落論 (1)
――クソったれ。
相手を間違えた。
それがジャックがほんの十時間前、最後に抱いた思考だった。
馬車に乗っていた連中を盗賊どもに売り渡し、適当な報酬と女を手に入れて悠々と立ち去る。
それが彼の計画だった。いつもやってきたことだ。別に未熟だったわけでもない。最初から計画が狂っていたわけでもなかった。
その仕事は、いつものように――普段通り終わるはずだった。
そうであるべきだった。
「その汚らわしい手、わたくしへ伸ばさないでくださいます?」
相手を間違えた。
盗賊たちは、馬車に乗っていたマジックキャスターによってあっさりと蹂躙された。
まるで蟻でも踏み潰すかのように、一方的な虐殺が彼の目の前で繰り広げられる。血が水たまりを作り、人だった肉塊が地面へと叩きつけられた。
まさしく一方的な虐殺だった。
一体どこから狂ったのか、見当もつかなかった。
そして――
「ジャックさん、こちらへ」
彼が狙っていた生意気なお嬢様。
だが、その性格すら優雅で愛らしく感じられるほど、到底忘れられない美貌を持つ女。
「た、助けてくれ! 助け――ッ!!」
「うふふ……」
彼女はジャックを自ら喰らおうとまでした。
月明かりに照らされた白い肌の乳房。雄として抗えぬ誘惑に負け、彼がその大きな胸を掴んだ瞬間――彼女はそのまま彼を呑み込み始めたのだ。
「……アインズ様?」
薄れていく末端の感覚。
瞬く間に霞んでいく視界。
本来なら、ジャックの意識はそこで終わるはずだった。だが――
「――ジャック、と言ったか」
彼が目を覚ました場所は、見知らぬ天井の下だった。
最後に見たのは間違いなくあの女の“内側”だったはずなのに。
今、彼が見ている場所はまるで違う雰囲気を纏っていた。
彼は顔を上げる。
「ひぃっ……!」
そこは数百人は軽く収容できそうな巨大な空間だった。
果てが見えぬほど高い天井、宝石で飾られた装飾、紋章の描かれた旗々。圧倒的な豪華さを誇りながら、それとは対照的に空気は重苦しく、むしろ彼を押し潰していた。
ジャックが跪いている場所は、贅沢というより厳粛だった。
その空間の奥。
彼の正面には、それほど高くはない――だが同時に、決定的な格の違いを刻みつける階段がある。
その先には、まるで魔王ではなく帝王が座るべき玉座。
そしてそこは空ではなかった。
誰かが座っている。
だが、よく見えない。
「……ふむ、ようやく目を覚ましたか。ご苦労だった」
「はっ、アインズ様」
「あ……?」
状況を理解し始めたジャックの背後から、コツコツと足音を立てて下がり、脇へ移動する誰か。
それはジャックにとって見覚えのある顔だった。
到底忘れられない、月下の女――ソリュシャン・イプシロン。
ソリュシャンは、ジャックを目覚めさせるために針状へ変化させていた指先を元に戻すと、長い廊下の左側へ下がり、集団の中へ戻った。
彼女の服装は、ジャックの記憶にある質素ながら気品あるドレスではない。
周囲の女たちと同じ、メイド服だった。
つまり、あの化け物じみた女は……どこかの貴族令嬢などではなく――。
ジャックは再び正面を向く。
玉座には、一体のアンデッドが冷たく彼を見下ろしていた。
妖しく輝く赤い瞳。黒いローブ。宝石が埋め込まれた黄金の豪奢な杖。
そのアンデッドの傍らには、六――いや、七人の異形種と亜人種。
その中には、ジャックにも見覚えのある二人がいた。
ソリュシャンに仕えている振りをしていた執事と……盗賊たちを瞬く間に惨殺したマジックキャスター。
「も、申し訳ありませんでしたァ!!」
瞬時に何かが“まずい”と悟ったジャックは、情けなく平伏した。
強者に頭を下げ、その中から利益を探して狡猾に生き延びてきた彼にとって、それは本能的かつ反射的な行動だった。
「ど、どうか! 命だけは! お助けください!!」
「顔を上げろ」
アンデッドは玉座から立ち上がった。
「我が名はアインズ・ウール・ゴウン。このナザリック地下大墳墓の支配者にして――貴様が勝手に売り飛ばそうとした、彼女たちの主人だ」
「は、はいっ! 申し訳ありませんでした、ア、アインズ様! 本当に申し訳ありません!」
ゴッ――。
ジャックは大理石の床へ額を打ち付けた。
痛い。だが、頭を下げなければ殺されるかもしれないという本能が、身体を先に動かしていた。耐えて平伏するしかなかった。
「――」
そんな彼の行動に、アンデッド――アインズはしばし沈黙した。
「本題に入ろう、ジャック」
彼はジャックへ指を向ける。
宝石の嵌まった豪奢な指輪が煌めいた。
「私は今、些細な実験を行いたい。ナザリックの戦力増強のため、そして新たな知識を得るためにな。そのために貴様をここへ呼んだ。貴様で試してみたくなってな」
「じ、実験……でございますか!?」
不安に襲われ始めるジャック。
アインズは指先を横へ向け、戦闘メイドたちを示した。
「ナザリック戦闘メイド、プレアデス六連星だ。その中の一人は、貴様も見覚えがあるだろう?」
「は、はいっ!」
「ならば話は早い。あの中から一人選び、子を成すまで交わること。……それが貴様の役目だ」
「……へ?」
その一言に、ジャックは思わず顔を上げた。
恐怖で頭が麻痺し聞き間違えたのかと思ったが――彼の身体は正直だった。恐怖に染まっていた瞳が、一瞬で欲望の色を取り戻す。
彼の目は横一列に並ぶメイドたちを素早く舐め回した。
眼鏡をかけた、知的で冷たい印象の黒髪の美女。
カチューシャではなく帽子を被った、赤髪が印象的な褐色の美女。
髪を束ねた――今まさに誰よりもジャックを軽蔑している美女。
左目を隠した、陰のある赤金髪の美女。
そしてジャックにとって馴染み深い妖艶な金髪の美女と、どこか表情の読めない――いや、そもそも表情が動かない紫髪の少女。
どれも極上の外見を持つ雌たちだった。
だが、ジャックの選択は決まっていた。
「場所も時間も問わん。妊娠するまで、雄として望む雌を好きに抱け。それが貴様を生かしたまま、このナザリックへ招き入れた理由だ」
「でしたら、そ、その女で、お願いします」
「即答か」
ジャックはなおも頭を下げたまま、一人の女を指差した。
厳粛な空間に、小さく舌打ちする音が響く。
「――ソリュシャンか。本当にそれでいいのか? 貴様を殺そうとした女だぞ。……趣味が悪いのか、復讐したいのか。よく分からんな」
「お、俺はあの女を抱きたいんです! ぜ、ぜひ抱きたい!」
ジャックはその言葉にも、自らの選択を曲げなかった。
どうせあの場で死んでいた命だ。
ならば、最初から目をつけていた女を抱きたかった。
たとえ自分を呑み込んだ女であっても、月光の下で揺れていたあの豊満な乳房を……ジャックは忘れられなかった。
それを妊娠のためだけの性交で独占したかった。
アインズはその選択に「そうか」と呟くと、再び玉座へ腰を下ろした。
「ならば良い。ソリュシャン・イプシロン、今すぐ先ほど話しておいた第九階層の『準備済みの部屋』へ向かい、その男と交わるがいい」
「承知いたしました、アインズ様」
ジャックは素早く立ち上がり、深々と礼をした後、先導するように歩き出したソリュシャンの後を追った。
つい先ほどまで惨めに平伏していた男とは思えないほど、軽やかな足取りで。
韓国で完結を迎えた後、こちらでも連載をスタートすることになりました。どうぞよろしくお願いいたします!