帝都は、思っていたより静かだった。
焼け落ちた未来を何度も見た。血の匂いが石畳に染み、玉座が空っぽになり、笑う者さえいなくなる未来もあった。けれど今、窓の外には市場の声があり、兵士の足音があり、誰かが朝食の値段で店主と揉めている。
救えた、のだと思う。
少なくとも、この国はまだ生きている。
「殿下。最後の議題です」
ランの声で、俺は現実へ引き戻された。
大会議室。長机の上には、復興政策、軍再編、暗部運用、地方官の監査報告。大臣が失脚してから積み上げてきた仕事の成果が、紙の山になって並んでいる。
「珍しく良い流れだったのに、最後という言葉で嫌な予感がした」
「第一皇子殿下の婚姻問題です」
「解散」
「まだ始まっていません」
椅子を引こうとしたところで、背後にいたブラートが笑った。
「ハハハ! ついに来たか!」
「来なくていい」
タツミは困った顔で俺を見ている。ラバックは机に両手をつき、すでに目が赤い。ウェイブは、クロメの件で受けた尋問を思い出したのか、静かに視線を逸らしていた。
ボルスだけが、そっと茶を置いてくれる。
「で、でも、結婚は悪いものではありませんよ」
「ボルス。その一言だけで今日は生きられる」
「候補者は六名です」
「ラン。救いを即座に消すな」
ランは遠慮なく名を読み上げた。
アカメ。レオーネ。チェルシー。エスデス。セリュー。メズ。
名前が一つ増えるごとに、俺の胃は一つずつ沈んだ。
「六名って、皇族ってすごいな……」
「タツミ、羨ましいなら代わるか」
「いや、顔色見たら遠慮する」
「賢い」
ラバックが机に額を打ちつけた。
「一人でいいから寄越せ……いや、でもこの面子は怖え……!」
「ようやく分かってくれたか」
その時、扉が開いた。
まずアカメが入ってきた。無駄のない足取りで、俺の近くに立つ。次にレオーネが肩を回しながら現れ、にやりと笑った。チェルシーはいつからいたのか、窓際で飴を揺らしている。セリューは背筋を伸ばし、メズは楽しそうに目を細めた。
最後に、室温が下がる。
エスデスが来た。
「面白い会議をしているな」
「面白くない。かなり切実だ」
「候補か。足りんな」
「最初から戦争を始めるな」
レオーネが俺の背に手を置いた。
「ま、逃げなかっただけ偉いじゃん」
「逃げる未来は全部失敗した」
「だろうね」
チェルシーが小さく笑う。
「逃げ道を公式に減らしたわけね」
「違う。いや、違わない気もするが、言い方を柔らかくしろ」
セリューが力強く頷いた。
「正式な候補であれば、殿下の警護計画も正式に――」
「候補と警護を直結させるな」
「小規模なら!」
「規模の問題ではない」
メズが机の端に指を置き、こちらを覗き込む。
「候補って、困らせてもいい立場?」
「絶対に違う」
「ふふ、残念」
アカメは何も言わなかった。
ただ、少しだけ近づいた。
「候補なら、近くにいていい?」
ずるい聞き方だった。短くて、静かで、断る未来がどこにもない。
俺は目を閉じた。
百通りの未来が開く。
一人を選ぶ未来。誰も選ばない未来。逃げる未来。帝国のために感情を殺す未来。誰かを傷つけてしまう未来。誰も傷つけまいとして、自分が壊れる未来。
どれも完璧ではなかった。
けれど、昔よりはずっとましだった。
帝都は燃えていない。死ぬはずだった者が歩いている。クロメとウェイブが並ぶ未来もある。ボルスが家族のもとへ帰る未来もある。タツミたちが笑う未来もある。
そして、どの未来でも、俺の隣には誰かがいた。
目を開ける。
「花嫁候補は、この六人とする」
ラバックが椅子から転げ落ちた。
「言ったああああ!」
「うるさい」
「だが、今すぐ誰かを選ぶわけじゃない」
会議室が静かになる。
「俺は、誰かを帝国の道具として選ぶつもりはない。誰かの好意を、都合よく使うつもりもない」
チェルシーの目が少し細くなる。
「言うようになったわね」
「言わないと、逃げたことになる」
アカメは小さく頷いた。レオーネは満足そうに笑い、セリューは胸に手を当てた。メズは、困った顔を見つけた子供みたいに目を輝かせる。
エスデスだけは、まっすぐ俺を見ていた。
「逃げないか」
「逃げたい」
「正直だな」
「だが、逃げると悪化する。だから時間をくれ。逃げるためじゃない。ちゃんと向き合うために」
「面白い」
エスデスが笑った。
「その時間で、私を選ばせてみせよう」
「だから勝負にするな」
ランが紙を取る。
「では、候補期間の制度設計を――」
「今は作るな!」
夜。
会議を終え、俺はバルコニーに立っていた。
帝都の灯りが、遠くまで続いている。静かな平和ではない。面倒で、騒がしくて、胃に悪い平和だ。
「……この世界は、最後まで混沌としているな」
「今さら?」
背後からチェルシーの声。
振り返ると、全員がそこにいた。
「逃げるなら早めにしな」
「でも、逃げたら追う」
「殿下の安全確保です!」
「困った顔、また見せてね」
「逃げてもいい。追う楽しみが増える」
誰一人、俺を休ませる気がない。
それでも、不思議と悪くはなかった。
「まあ、死ぬよりはましか」
そう呟いた瞬間、エスデスが笑う。
「では、次は空中散歩だな」
「前言撤回。やはり命が危ない」
笑い声が夜風に混ざった。
悲劇は避けた。
だが、修羅場は避けられなかった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
正直なところ、ここまで多くの方に読んでいただけるとは思っていませんでした。
お気に入り数が増えていくたびに驚き、感想や反応をいただくたびに、続きを書く力をもらっていました。
原作の悲劇をどう避けるか。
そして、避けた先で主人公がどんな騒動に巻き込まれるのか。
そんな勢いで始めた物語でしたが、気づけば帝国も、ナイトレイドも、イェーガーズも、そして主人公の胃も、随分と賑やかなことになりました。
最後まで彼が平穏を手に入れたとは、とても言えません。
けれど、死ぬはずだった誰かが生きて、敵だった誰かが笑い、失われるはずだった未来が少しでも明るくなったのなら、この物語らしい終わり方になったのではないかと思います。
ここまで応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。
お気に入り、評価、感想、すべてが励みになりました。
この作品を追いかけてくださった方々に、心から感謝します。
また別の物語でもお会いできれば嬉しいです。