「相談がある」
昼前の執務室に、アカメの声が落ちた。
机には改革案と暗部報告書、ついでに胃薬。俺は羽ペンを止め、嫌な予感と一緒に顔を上げる。
「任務か?」
「違う」
「暗殺か?」
「違う」
「食事量の見直しか?」
「それは後」
「後で来るのか……」
アカメは机の前に立ったまま、まばたきを一つした。いつもの無表情。けれど、こういう時ほど危ない。表情が動かない分、何を考えているのか読めない。
「クロメに、気になる男がいる気がする」
「……ほう」
帝国改革より難しい話が来た。
俺は羽ペンを置いた。
「本人には聞いたのか?」
「聞いた」
「何と?」
「菓子を食べながら、目を逸らされた」
「それはほぼ答えだ」
「確認する」
短い。決定事項だった。
百通りの未来を見るまでもない。いや、見た。見てしまった。七割で誰かが汗をかき、二割で俺が巻き込まれ、残り一割でアカメが一言だけ判定を下していた。
逃げ道はなかった。
「……呼ぶか」
「ありがとう」
「まだ承諾したとは言っていない」
「ありがとう」
負けた。
応接室に呼び出されたウェイブは、軍服の襟を正して入ってきた。濃紺の髪はきちんと整えられ、姿勢もいい。いかにも真面目な青年だ。だからこそ、今日の犠牲者に向いていた。
「失礼します。お呼びでしょうか、殿下」
「ああ。座ってくれ」
ウェイブは椅子に腰を下ろす。俺の横に座るアカメを見て、眉がわずかに動いた。
「……あの、これはどういう会議ですか?」
「俺にも正確には分からない」
「殿下も分からないんですか!?」
「質問をする」
アカメが口を開いた。
「クロメについて」
ウェイブの背筋が、見事なほど跳ねた。
「クロメが何かしたんですか!?」
「違う。あなたがクロメをどう思っているのか知りたい」
「は?」
始まった。
俺は茶に手を伸ばし、飲むふりをした。助けられない男の、せめてもの逃避だ。
「大切な仲間です」
「仲間」
「はい」
「それだけ?」
「……それだけでは、ないかもしれません」
「おお」
「殿下、声に出さないでください!」
ウェイブの目が泳ぐ。すでに額には汗。早い。だが本番はここからだった。
アカメは淡々と続ける。
「クロメは任務のために無理をすることがある」
「ありますね……」
「そんな時、お前はどうする」
「えっと、俺に出来ることがあるなら、やります」
「止められるか?」
ウェイブは一瞬だけ黙った。逃げるためではない。言葉を探す間だった。
「止められるなら止めます。でも、あいつが本気で行くなら――俺が命を賭けても、一緒にいます!」
沈黙。
長い。
アカメはウェイブを見ている。
ウェイブは固まっている。
俺は茶を持ったまま、動けない。
次の瞬間、ウェイブの視線がこちらへ飛んできた。
『でっ、殿下! これ、どっちですか!? 正解ですか!? 不正解ですか!?』
目がそう叫んでいた。
『知るか! 俺だってアカメのことは全部分からない!』
こちらも目で返す。
『殿下、結構親しいでしょう!?』
『親しいから読めるなら苦労しない! この姉妹、単純な時と深海みたいな時の差が激しいんだ!』
『でも殿下、女性関係は凄いじゃないですか!』
『凄いんじゃない。喰われてるんだ。というか襲撃されている! その理屈ならタツミの方を見ろ。幼馴染とツンデレに挟まれているぞ!』
『今それ関係あります!?』
「おい」
「「はいっ!」」
アカメの声に、俺たちは同時に背筋を伸ばした。
「合格」
俺とウェイブの視線がぶつかる。
『『どういう基準で!?』』
声には出さなかった。出したら斬られそうだった。
「つ、次は何でしょうか」
ウェイブが震える声で聞く。律儀だ。可哀想に。
「クロメは菓子が好き」
「はい」
「あなたの分を取ったら?」
「渡します」
「全部取ったら?」
「追加で買います」
「それでも足りなかったら?」
「店ごと押さえます!」
「軍事行動にするな」
思わず突っ込むと、ウェイブがこちらを振り向いた。
「質問が追い込んでくるんですよ!」
「悪くない」
アカメの判定に、ウェイブは肩を震わせる。
「また曖昧!」
「いい方だ。たぶん」
「たぶんを付けないでください!」
さらに数問、似たような面接が続いた。危険な菓子を食べようとしたらどうするか。任務帰りに倒れそうならどう運ぶか。クロメが黙って遠くを見る時、隣にいるか。
そして、アカメの声が少しだけ低くなる。
「クロメは強がる」
「……はい」
「自分を大事にしない時がある」
「知っています」
「傷ついていることを、隠す」
「それも、知っています」
「それでも、隣にいる?」
今度のウェイブは騒がなかった。
膝の上で拳を握り、まっすぐアカメを見る。
「います」
「なぜ」
「放っておけないからです」
「同情?」
「違います」
言葉が短く切られた。
ウェイブの目だけは逃げていない。
「俺が、そうしたいからです」
部屋が静かになった。
今だけは茶化せない。アカメもすぐには答えなかった。
やがて、ぽつりと落ちる。
「悪くない」
「合格って言ってくださいよ!」
ウェイブが崩れそうな声を上げた。俺は少しだけ笑った。緊張がほどけたのか、茶の湯気がようやく見えた。
「今日はここまで」
「今日は、ですか?」
「必要なら」
「殿下、次までに何を準備すればいいですか」
「菓子と覚悟だ」
「覚悟が重い!」
ウェイブはふらつきながら立ち上がった。戦闘後より消耗している顔だった。
「次は、もう少し助けてください」
「努力はする」
「信用できない返事ですね」
「正しい判断だ」
「そこは否定してくださいよ!」
扉が閉まる。足音が遠ざかっていく。
部屋には俺とアカメだけが残った。
「それで、合格なのか。不合格なのか」
「クロメに聞く」
「ここまでやって、それか」
「決めるのはクロメ」
正しい。正しいが、ウェイブの消耗はいったい何だったのか。
「結果は?」
「悪くない」
「本人に言ってやれ」
「まだ早い」
「姉の審査、厳しすぎるだろう」
「妹だから」
その一言には、言い返せなかった。
アカメは机の菓子を一つ取り、俺へ差し出す。
「食べて」
「なぜ今」
「疲れている」
「疲れた原因の半分は君だ」
「半分なら大丈夫」
「その計算はおかしい」
「食べて」
断る未来は見なかった。どうせ全部、食べるところに行き着く。
「……いただく」
甘い菓子が、疲れた舌に溶けた。
廊下の向こうから、ウェイブの小さな声がした。
「クロメに会ったら、どんな顔すればいいんだ……」
俺は茶を置き、天井を仰ぐ。
「彼にも胃薬を渡すべきだったか」
「菓子の方がいい」
「姉妹だな」
「うん」
「褒めてはいない」
アカメは少しだけ首を傾げた。
その顔を見て、俺は小さく息を吐く。